周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

2月18―24日

2007年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_27 彩七(右から2人目)からの投稿写真。花の高3年カルテット。町内の『桜づつみ公園』の横を流れる島田川の土手にて。思わず♪田舎の~堤防~夕暮れ時に~♪…というメロディーを口ずさんでしまいそうになった。この歌が流行った頃、僕も高校生やで。

2/18(日) 大島教会より「今日は欠席者が多く出席は2名ほどに」との連絡が入ったので、エキストラを3人連れて向かう。でも毎週2~3名という教会もある。思うんやが…全国秘湯巡りみたいに日本中の教会の礼拝に出たら特典が付く!なんて企画を考えたらどやろ?たとえば…

19(月) 『全国教会巡りスタンプラリー』なんてのをやってスタンプを集めさせるんや。まず全国17の教区が協力せにゃいけん。スタンプが10個たまったらどの教区からでも自由に名産品が一品選べて、20個たまったら温泉旅館宿泊券がもらえる。30個なら全国行きたい教会まで

20(火) の交通費+宿泊券がもらえて、100個たまった日にゃ教団から金一封も出まっせ!それに僻地にある教会や礼拝出席が5名以下の教会に出席したらスタンプが一度に5個もらえます。これで毎週の礼拝が2~3名ってな教会もグンと減るぞ。結構マジで考えてるんやけどなあ。

21(水) 映画『それでも僕はやってない』を観た。臨場感たっぷりの裁判光景。さすが周防正行監督、細かな描写がうまい。僕も去年交通違反容疑で警察から書類送検された時、裁判に持ち込めば良かったなあ。なんで諦めたんやろ(2006/7/10,7/13のジャーナル参照)。もしあの時、

22(木) この映画を観ていたらどうやったやろ。でも昔、ヤクザ映画を観た客がみな高倉健になって肩をいからせ映画館を出てきた…てな風に一時の興奮で終わったかもね。あ!思い出した。裁判しなかった理由は、面倒臭かったのと、そんな余裕のあるサイフじゃなかったからや。

23(金) 被告12名全員無罪!前代未聞の判決が出た。舞台はスタンプ5個レベルに近い志布志(しぶし)。ところで志布志教会と周防とは何かと縁があり親しみを感じている。この春、松鶴家千とせ似のY牧師が着任されることになったがシブシブではなく喜んで行かれるようや。おめでとう!

24(土) カンガルー,アザラシ,サソリ,ニシキヘビにガラガラヘビ…なんて書きゃ誰でも「動物園かいな?」と思うやろ。でもこれが食材となると話がややこしくなる。今日、ある店でヒグマのフライを食べた。次回にチャレンジするメニューは…ネズミの天ぷらかな。お、おえ~!


2月11―17日

2007年02月18日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_26 益田市の石見(イワミ)空港の公園にある『フリーフォール』という滑り台。ほぼ直角に近い傾斜は、ほとんどの挑戦者の気力を萎えさせる。こんな滑り台を考え出した奴はすごいぞ!ちなみに僕はこの滑り台を頭から、しかも仰向けになって滑った。どうや!と言いたいが、良い子は決してマネをしてはいけないぞ。

2/11(日) 慎&佳子夫婦が広島の海田市に新しい家を買ったので、保男と帆波(ホナ)と一緒に泊まりに行った。しかし到着するまでが大騒ぎ。迷路のような道を携帯電話で教えてもらいながら何とか辿り着いたが、慎よ、携帯での道案内を途中で佳子と代わったのは、もしかして…お前

12(月) もまだ自分の家を覚えてないんちゃうか?まあそれはそれとして、4LDKに庭付き。ええ家やないか!これで迷路のような場所じゃなきゃ、もっとええ家やないか!床暖房に駐車場4台。すごくええ家やないか!二度と来れん迷路でさえなけりゃ、ごっついええ家やないか!

13(火) 先週から花粉症の症状が現れている。昨日まで一緒だった佐藤恵美子さんも患者の一人。花粉症と聞くと今年で31年目の僕としては黙ってる訳にゃおれん。それはダメ、こうすりゃええと31年の苦節を熱く語った。が…うんちく垂れる僕が未だ治っとらんのが悲しいのう。

14(水) 今日は春一番が吹き荒れ、強風でイチョウにぶら下がっていたスズメバチの巣が真っ二つになった。牧師室に飾ろうと楽しみにしていたのに。もっと早よ採っとくべきやった。この無念さは子供の頃、枝に絡んでいた完璧な蛇の抜け殻を途中で千切ってしまった時に似ている。

15(木) 日本海の荒波を見ようと益田までドライブに行く。期待したほどの大波ではなかったが、それでも瀬戸内海とは比べものにならん迫力。だが長時間寒風にさらされたおかげで頭が割れそうに痛くなった。頭でカキ氷を食べたみたいな…。わっかるかなあ?わかんねえだろうなあ。

16(金) この春、川崎市に転任する防府の滝沢牧師の送別会が徳山で開かれた。次に防府に来る牧師は今を去る27年前、僕が神学校のキャンパスを彼女とデートしていた時、邪魔しに来たガキの中の一人である。そういう意味においても彼の着任が楽しみやな。どういう意味やねん?

17(土) 週報を作る後ろで青年たちがワイワイ話しとる。本当は僕もその輪に入るはずやったが、週報どころか明日の協議会に提出する書類も未完成。宿題が終わってないのに、後ろで遊ばれているようで悔しい。おのれ分区年度協議会!あくまで自分の準備不足を認めないのがコツ。


2月4―10日

2007年02月11日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo_25 へっぴり腰で一眼レフデジタルカメラを構えるのは、奈良県にある大和榛原(はいばら)教会の牧師、佐藤直樹君。阪神タイガースに熱いエールを送り続ける道産子。日本中がノストラダムスの大予言に大騒ぎしていた1999年、周防教会にてひと夏過ごしていたノン気な男!ちなみに世界の最後は、村田牧師の祈りによって回避されたことを君は知っているか?え?知らんて?はあ…さいでっか。

2/4(日) 礼拝の中で葬儀をした。受付出席名簿の一番最初に「森東一郎」と書く。5ケ月ぶりの礼拝出席。森東さんが再び礼拝に出席する日のために、苦心して改造した車椅子もずっと前から用意していたのに。しかし泣きながらお経を唱える坊主はおらんよな。葬儀で泣いてしまうというのはまだまだ修行が足りん証拠や。

5(月) 珍しい苗字の人に会うと「こんな苗字の方には初めてお会いしました」なんてことを言ったりするが、あるデータによれば日本じゃ10万から、最大30万前後の苗字がひしめいているらしい。にわかにゃ信じられん気もするが、それがホンマならば「初めて」会うケースの方が断然多いってことになるぞ。

6(火) 今まで僕が出会った人の苗字は数えたことないが、たぶん500人もおらんと思う。ということは苗字に限定すれば、僕はまだ600分の1以下の日本人にしか会っとらん訳か!ちなみに韓国なんて、金か朴か李しかおらんのとちゃうか…なんて思っていたが、なんと苗字は200以上もあるらしい。やっぱ修行が足りんのう。

7(水) 教会の角の水銀灯が切れて、この一角は真っ暗になっている。ここに水銀灯を立てると聞いた10数年前、二階の窓の真ん前ゆえ「虫が集まりそうなのでやめてください。その代わり教会の常夜灯を点けときますよ」と町に申し出たが断られた。しかしそのおかげで結構珍しい虫が飛んでくる。夏が来るまでには修理しといてや。

8(木) 暗闇ができたせいか、教会の前にタヌキが顔を出すようになった。思えば昔の町は暗かった。よく水溜りやドブにはまっては、それをタヌキやキツネのせいにしたもんや。お前らのせいにしてきた報いかも知れんが、今じゃ「自己責任」ばかりを追及し合うような嫌な世の中になり下がってしもうた。

9(金) 夕方より役員会。日曜の午後と違って、時間を気にせず開けたせいか、普段は30分コースなのに今日はたっぷり2時間。かと言って難しい協議があったわけではない。約70%を占める僕の雑談時間を差引きゃ、実質協議時間は30分前後やろ。奈良より佐藤直樹&恵美子&1歳半の義光一家が来会。

10(土) 岡山牧師のお見舞いへ行く。以前と変わらぬ頭の回転の速さの秘密は、時々こっそり差し入れしてもらうというステーキや鶏肉のおかげか?まるで、教師に隠れて校則違反をする生徒のような入院生活を楽しげにニコニコと語られる様は、とてもじゃないが84の婆…いや失礼、お嬢さんとは思えない。どうぞお大事に!


1月28日―2月3日

2007年02月04日 | 日記・エッセイ・コラム

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1/28(日) 牧師仲間の間では「村田は夏にアロハで講壇に立つ」と揶揄されているが、全身ピンクで説教をする黒多牧師の前ではアロハも正装に見えてしまう。夏ならピンクのミニだという。しかし、そんな奇抜な牧師たちがかすむほど、うちの会衆も千差万別。障害者だらけ。あと知的障害が揃えば「国士無双」が完成する。

29(月) 懲りずにまた危ない発言をしてしもた。さて、黒多牧師は僕が出会った13年前は明るい全盲の男でしたが、5年ほど前に女に目覚めたらしく、今は本人いわく「メクラのオカマ」。一緒にいても気が置けない人で周囲が楽しくなってくる。女やなんて言いながら自分のことを「わし」というあたりが婆さん的で特にええ。

30(火) もっとゆっくりしてほしかったが、昨日の夕方黒多牧師は京都に戻られた。ところで「メクラ」とか「オカマ」という言葉に対して不快感を覚える人々もいる。差別語なんて信頼関係の中でどうにでも解釈が変わる。だが言葉の段階で互いに沈黙の壁を作ってしまうのなら、差別の壁を越えることすらできない。

31(水) たとえば「障害者」という漢字は「障がい者」あるいは「障碍者」などと書く場合がある。「奥さん」や「旦那さん」も「つれあい」や「パートナー」という。配慮という意味では分かるが、それを用いないと非常識や時代遅れのように言われてしまうと話は別。本当はLなのにMサイズを無理やり着るみたいで、どうも僕には窮屈や。

2/1(木) 原理の被害相談者が毎日のように訪れてくる。こんなことがない限り、教会の門なんて一生くぐることもなかったであろう人々が尋ねて来る。先日までみんなで大笑いしていた会堂に失望と不安と悲しみがただよう。教会とはそういう場所。もちろん優先順位は『悲しみ』からやけど、教会はいつも順不同。

2(金) 夜8時からの映画を観に行こうと下松に向かっている矢先に訃報が入った。森東のおじいちゃんが亡くなった。今日の夕方だったという。病院のベッドで眠っているように見える森東さんの体には、まだ温もりがあって今にも目を覚ましそうだった。寒波が襲う寒い日のこと。

3(土) 玖珂は今冬最低のマイナス5.2度の朝を迎え、会堂の給湯器は凍結して午後まで出なかった。そんな冷え込んだ礼拝堂に森東さんが運ばれてきた。「暖かくなったらまた迎えに来ますね」と言って春が来るのを待っていたんですよ。暖冬だけどまだ冬ですよ。96年の人生を終えるのに、なんでこんな寒い日を選んだんですか。