周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

5月19—25日

2024年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム

『亀フェス』前日。嵐の前の静けさ。やるべきことはやった(たぶん)。今回はテントを4張に増やして暑さと雨の完全対策をした(たぶん)。用具も食材も全てそろえてある(たぶん)。まあ、実際はフタを開けにゃ分からんが、後はぶっつけ本番。ハプニングも起きるやろ。終わり良ければ全て良しの前向き精神(無責任とも言う)で行こう!

 

5/19(日) 亀フェスまで一週間。心配は天気だけ。天気と言えば6年前の天神祭り。数日前までの予報は90%雨。一年かけての準備が全てパーになるのかと僕(何故か実行委員長)以下、誰もが途方に暮れた。しかし神社+教会+お寺、神仏合体の切なる祈りが晴天を招く!全ての宗教が仲良しになったら無敵や。

 

20(月) 無制限契約に変更した妻のスマホを持って病院へ。帆波よ、これでつまらん動画をいくら送りつけてもフリーズせんぞ。かく言う僕も実は先月無制限にしたばかり。その理由は病院に行く時に流す「落語」や「日本昔話し」の容量が大きすぎてフリーズしたため。この動画は眠気覚ましにゃもってこい。

 

21(火) 山口市内で教区総会。選挙はスマホ投票が用いられた。初めて利用するので投票前に一度練習しようと思って自分の名前で入れてみた。なるほどねこういう仕組みになるのか。そして改めて正式に投票しようとしたらさっきので確定という表示。嘘でしょ?あれは練習や!村田に1票が掲示。マジ恥ず!

 

22(水) 走野が妻に肝臓移植をした時に入れたステントを外す手術を受けに大阪から広大病院にやってきた。結論を言うと、まだ外せる状態ではないので延期となる。入院も併せ26日まで店を休業して来たのに大丈夫か?でも本人はおかげで長期休暇やと楽観的。皆様!そんな「ちそうや」をどうかご贔屓に。

 

23(木) 今日も自作の弁当を持って学校へ。自分の高校生時代を思い出して大きめの弁当箱に詰め込んだのはええが、案の定ちょっと量が多すぎたみたい。性懲りもなく、また50年も前の自分を今の自分に重ねてしもうた。無理して全部食べたところ効果てきめん。午後からの自分の授業で自分自身が眠くなる。

 

24(金) 昼休みに外の芝生で寝ていると生徒に見つかってしまうので、どこか良い場所はないかと探していた。そこで見つけたのが音楽室。薄めの絨毯状の床なので服のまま寝転がれる。ひと眠りすることに。予鈴が鳴って飛び起きてビックリ。僕の周囲に5~6人の男子生徒が寝ていた。ここは俺の縄張りや!

 

25(土) いよいよ明日は『亀フェス』。朝から一族総出(大阪・神戸・岡山から集合)で最終準備。午後から近隣教会より助っ人も参戦。たった千円で名物の焼きそばに焼き鳥、元関取の絶品ちゃんこ、かき氷も全て食べ放題。ビールもジュースも飲み放題。チンドン隊にフラガールも登場。正午だよ、全員集合!


5月12―19日

2024年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム

来週開催される『亀の里フェスティバル』のチラシ。前回に続いて隣町からチンドン隊が出演してくださる。天才フラガールも登場するし、過去には、顔と体型と歌を除けば、とても似ていたと思う、ペ・ヨンジュンに扮した僕が「冬ソナ」のテーマを歌ったこともある!まあ、そのあたりからフェスタの質が低下し出したが・・・。お越しやす!

 

5/12(日) 母の日の贈り物を忘れるとこやった。あわてて花と傘のセットを送る。パソコン操作一つで完了。心を込めて選んだとは言い難いが便利な時代や。母から「有難う」と返事がきた。その後「おかんがこんなこと言うとるで」と妹からライン。(亀フェスのバザーに)「この傘、出そかな」と。僕の負けです。

 

13(月) 妻が入院して半年間、僕は寝室ではなくリビングで寝ている。その理由は寝ながら大画面テレビでネット映画が楽しめるからや。便利な時代よ。選ぶのは映画館に行ってまで観ようとは思わないレベルの作品。今週は『スタートレック』の三部作。長女の部屋まで聞こえない音量で観るのは優しい親心。

 

14(火) 妻の見舞いの帰り、広島のおいしいキムチ屋でチャンジャとカクテキを買った。天気もええし絶好のバイク日和や。しかし山間部にさしかかった辺りで急に寒くなってきたのでシートの下からジャンパーを取り出して着ることにした。察しのいい方はすでにお気づきかと思いますがメッチャ臭いがな。

 

15(水) 愛隣幼児学園の礼拝。また老眼を忘れてしまったまま紙芝居。そこでいつものようにアドリブで話す。その点は子供だましになって悪いが何とでも話を組み立てられる。ただ気になるのは先生の顔。先生たちが知っている作品の場合は「ん?」ってな表情になるのがこちらにも伝わる。今回は・・・セーフ!

 

16(木) 所用で行った郵便局でのこと。名前を呼ばれた。「日本キトク教団のお客さま~」。基督って漢字をキリストとはなかなか読めない。以前にもそう呼ばれたことがあって小声で「キリストって読むんです」と教えてあげた。でも今の教団はキトク(危篤)の方がふさわしいと思うので今日は訂正せずに帰った。

 

17(金) 子供の頃に朝食でよく食べたのを思い出して、懐かしさのあまりシスコーンを買った。寝坊やった僕はこれをかき込んで学校に行ったもんや。それでも間に合わない時には生卵の端っこに穴を開け、ちょっぴり醤油を垂らしたのを飲まされた。母のみそ汁の味の記憶が無い理由は僕の朝寝坊が主な原因。

 

18(土) 妻のスマホの動作が停止したのは三女がやたら送ってくる孫の動画のせいで受信容量を超えたからや。それを三女に伝えるとこんな返信が届いた。「データ無制限にしてやらんからや!」。それを言うのなら「してあげて」か、百歩譲って「したら」やろが!動画が送れる便利な時代を恨みつつドコモへ。


5月5―11日

2024年05月11日 | 日記・エッセイ・コラム

近所の台湾料理屋の『福来順』。「福が順番に来る」なんていう意味かどうかは分からんが、店に入ると店員さんが「イラシャイマセ~」と独特な日本語で声をかけてくれる。しばらくぶりに行くと「ヒサシブリ~」と言われるので、うちではこの店を「ヒサシブリ~」と呼んでいる。安いし旨いし量も多い。おすすめはエビチリと酢豚。

 

5/5(日) 礼拝後に急な来客があり、予定していた役員会を延期させてもらうことにした。こんな時、小さな教会は小回りが利く。とてもありがたい。だけど僕は思う。重要な事が起これば変更するのも致し方ないけれど、たいして重要でもない事が起こったとしても粋な対応ができる教会って、もっとええなあ。

 

6(月) 朝の6時過ぎに「フェスタに来るけえの」と言い残して帆波一家が岡山へ帰った。しかし、父に向って「来るけえの」とは何たる言いぐさ。そこはせめて「来るけえね」か、百歩譲って「来るけえ」やろ。「の」を付けると山口では親爺言葉や。ジェンダー平等の時代とは言うが父への畏敬は微塵もない。

 

7(火) おかしい。腰が痛い。まるでギックリ腰になったような痛みや。思い当たるのは先週金曜の鞍掛山登山。まあ、あれは登山と言えるレベルではないが今ごろ襲ってくるのか。しかも筋肉痛じゃなく腰痛。学校の母の日礼拝で体育館の講壇に上がる時、思わず校長の腰にすがりつきそうになったが我慢した。

 

8(水) 妻の病院へ。15分だけの面会なのにリハビリの時間と重なった。帰りかけたら理学療法士さんが「どうぞ見に来て」と声をかけてくださった。遠路の見舞いを知って配慮して下さった優しいお方や。そして半年ぶりに歩いている妻の姿を見る。もし厳しい星一徹やったら歩くどころか寝込んでいたかもな。

 

9(木) プライムビデオで早くも『ゴジラ-1.0』が観られるようになり、さっそく観た。泣けるなあ。そのことを生徒らに話したら「ゴジラで泣くなんて」と笑われた。お前らも観てみろ。これで泣けんかったらホルモン不足やぞ!何のホルモンかは知らんけど。次は『鬼太郎誕生/ゲゲゲの謎』を観てまた泣こ。

 

10(金) やっと腰痛が治まってきたと喜んでいた矢先、バイクで郵便局の駐車場に入った時、バランスを崩して危うく転びそうになったのをグッと踏ん張ったら、また痛めてしまった。イテテテと言いながらATMで残高照会。大幅な預金の減りが目に入った途端に痛みが倍増。同時に精神的打撃まで加わった。

 

11(土) 妻の病院近くの公園で1歳9か月の孫のお守りをしていたら、滑り台の梯子の二段目あたりから落っこちた。すると小4の長女があわてて抱き起しにやってきた。なんと優しい姉よ。僕に似たんやろなあ。かく言う僕は姉よりもずっと近くに居たがジッと見ていただけ。だって腰が痛かったんやも~ん。


4月28日—5月4日

2024年05月05日 | 日記・エッセイ・コラム

玖珂町の海抜は約70m。鞍掛山の標高は約240m。その山に登ると小屋型の展望台があって、そこには無料で見られる双眼鏡が備え付けられている。玖珂盆地が一望。眺めはとてもいい。晩秋から初春にかけて運が良ければ雲海(これは絶景)も見られる。矢印の所に教会があって、運が良ければ牧師に会える。え?運が悪ければだろって?

 

4/28(日) 久しぶりに中庭の駐車場で焼肉夕食会を開いた。わらわらと集まったのは大人~乳児まで18人。そこで何がありがたいかと言えば、火起こしから調理、後片づけまでを全部みんながやってくれたこと。それとは裏腹に何が悲しいかと言えば、一番高い肉を全部みんなに食われてしまったということ。

 

29(月) 昨日帰省した三女たちと病院へ。会話も元に戻り、食欲も戻り、見た目にもいつ退院してもおかしくないような妻やが、5カ月も寝たきりだったので、すっかり筋肉が衰えてしまい歩けない。あとはリハビリ次第ということになるが・・・この病院には星一徹のようなスポコン理学療法士はおるやろうか?

 

30(火) 蛙の合唱が響く田植えの季節。泣き虫やった僕をおんぶして、祖母はよく蛙の鳴き声を聞かせに行ってくれた。小学生になりパチンコで蛙狩りをしたり、生きたまま皮をむいて透明ガエルにして遊んだ。今そんなことをする子がいたら戒めてやりたいが、そんなウルトラクソガキは見かけたことがない。

 

1(水) 高校から電話。「また何かすっぽかしたのか」と不安がよぎる。しかし内容はインフルで学級閉鎖が出ましたとの連絡。やれやれと思っていたところ、次は病院から電話。「何ごとか?」と不安がよぎる。しかし内容は高額医療費の書類を出して下さいとのこと。僕の寿命はこうして削られている気がする。

 

2(木) 授業で「まだ聞いていません」と生徒たちに言われた。そう言えば以前に「その話は聞きました」と言われたこともあったなあ。時々こういうミスが出る。一応「ごめんね」と謝ったが、続けて「そんなに真剣に聴くような授業やないからね」と断っておいた。自分で言うんやから間違いないと思います。

 

3(金) 大阪から従妹一家が来会。観光地はどこも人で溢れているやろうから、我が町の大観光地「鞍掛山」へ。今日は僕の心臓が破裂して丸3年の記念日。あれ以来初めて登ることになるが、普通なら15分ほどを30分かけてゆっくりと登った。この山登りが妥当であったか否かは後日筋肉痛が教えてくれる。

 

4(土) 筋肉痛は徐々に忍び寄っている。予想外やったのは、過去にはなかった感覚=脱力感に襲われている。よく高齢者が「えらい」(きつい)などと漏らしているアレか?次に山へ登る時は、映画の『楢山節考』や『デンデレ』で観られるように息子におぶってもらうことにしよう。そのまま棄てられたりして。