周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

12月20―26日

2009年12月27日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo こんど僕が赴任する教会。海の真横にあってロケーションは最高。そのまま映画の舞台に使えそうや。ま…冗談はこれくらいにして、これは映画『四日間の奇跡』で用いられた建物で山口県の角島にある。信者ではない人たちが描く典型的な教会像や。ところで信者でもない小沢幹事長のキリスト教批判に本気で抗議するのも大人気ないぞ。

12/20(日) 鳩山総理が母親から1500万円もの大金を毎月もらっていたことには何の関心もなかったが、今日、クリスマス昼食会の脂ぎったスキヤキ肉を見て「一度でええからグラム1500円の牛肉を買えたらなあ~」と思ったとたん総理が疎ましくなった。いったん庶民レベルに問題を置き換えてみたらメチャ実感するで。

21(月) クリスマスカード作りがピークを迎える。7月に死んだ親父の追悼カードにしたんやけど、結構ふざけた内容になってしまい、死んだ親父も戸惑っていることやろ。でもこのカードを受け取る人らは、もっと戸惑うかもな。毎年受け取っている人はまだええが、今年初めてこのカードを受け取るという人は訳わからんやろな。

22(火) 毎年イヴに行なうキャンドル礼拝を今日にしたのは、どんなに遅くまでパーティーをしても「明日は休日だ」という安心を狙ったわけやが、そのおかげかどうか、近隣の教会からの出席者もあって賑やかな夜となった。今年もソプラノ独唱やフラまで披露。なんと贅沢な時間よ。グラム1500円以上の値打ちは充分や。

23(水) ある、フラ発表会に行ったんやけど、会場に固定されていたビデオカメラがあって、興味津々のぞいていたら突然消えてしまった(注:僕は指一本ふれてないで!)。善意でなんとか直そうとイジったが、老眼鏡がなかったのでスイッチがまるで見えん。あちこち触ったらますますおかしくなった。もう逃げるしかないな。

24(木) イヴの夜。大島教会のキャンドル礼拝に出席する。礼拝後、ケーキやお茶を楽しんだあと、次は柳井教会のパーティーに乱入し、ここでもケーキやお茶を楽しむ。イヴに教会をハシゴするのは始めてやが、なかなかええかもよ。来年はうちでのキャンドル礼拝をやめて、他所に出るようにしたら…もっとええかもよ。

25(金) クリスマスが終わった安堵感っちゅうのは牧師しか味わえんやろなあ~と思っていたら、テレビでケーキ屋が「やっとひと息つけます」と言っとった。きっとケーキ屋の安堵感は僕の数倍やろな。ん?ケーキ屋?しまった!今日は25日やがな!夜、娘と売れ残りの値引きケーキを探して回ったが、どこも完売しとった。

26(土) 新しく出来たラーメン屋に顔を覚えられた。いわゆる「常連客」っちゅうわけか。メニューに無いミートパイをふるまってもらう。そういえば…先日フランス料理をごちそうしてくれた友人はそこのレストランの常連客やった。でもラーメン屋でミートパイやで!僕の勝ちや!《ごまめの歯ぎしり》=力の無い者がいきり立つこと。


12月13―19日

2009年12月20日 | 日記・エッセイ・コラム

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子供の頃、散髪した後の頭を見た近所のおばちゃんたちは口々に「まあ、男前になって!」と言ってくれた。これは一種の慣わしみたいなもんで、どんな悲惨な花嫁さんを見ても「わあ、きれい!」と言ってくれる女友達みたいなもんや。これは伐採が終わって、すっかり男前(ギンナン出きるから女前か?)になったイチョウの木です。

12/13(日) 駐車場の30%を占領しているイチョウの枝。処理の見通しがつかぬまま作業を始めたが、やっているうちに結構面白くなってきた。「山ん中でこんなふうに薪割って冬支度をするような暮らしがしてみたいなあ」と言うと、家族らは(一人でご自由にどうぞ)とでも言いたげな顔つきで黙々と枝の処理をしていた。

14(月) 山口市内に住む、元うちの教会員から「たまには訪ねて来て!」と言われ続けていたので(スッキリして新年を迎えるためにも年内に厄祓いしておくか)と、ご機嫌伺いに施設へ。「まだ生きとったんか?脳性マヒの生存記録をまた更新やな」と言って訪ねて行った丸田さんの手はプニプニして驚くほど柔らかかった。

15(火) 数年前、由宇温泉でサウナを出た後、しばらく動けなくなってしまったことがある。一緒に入っていた同年代風の見知らぬ人と無言で我慢比べをしてしまったのが原因やった。今日再び見知らぬ人と長湯の我慢比べをしてしまった。ただその人たちは僕が張り合っていたことに気付いてくれていたかどうかが不明なんよね。

16(水) 半分に切られたイチョウのてっぺんが、ちょうど丸い腰掛のようになっている。まるで「どうぞお座りください」と招いているようなので「それではお邪魔を」と、夜中に登って座ってみた。おお!想像していた以上になかなかええ座り心地や。三階くらいの高さやが、せめて後3mほど高かったらもっと眺めが良かったのになあ。

17(木) クリスマスまでにケリをつける!という目標の枝処理やったが、なんと夕方までに片付いた。うちの女性陣が暇をみてはコツコツと作業してくれていたし、今日は巡査部長も加わって一気に終了。ところでこの大量の薪どうしたもんか…。「魔除けの御神木」とか書いて年末商戦のドサクサに紛れて売りさばけんかのう。

18(金) 下松SAの食券販売機でキツネうどんとイナリ寿司を買ったはずが、番号を呼ばれて取りに行ったらトレイの上には肉うどんとおにぎり。機械が故障しているに違いないと確かめたところ、品名表示ボタンの一つ上を押していた自分の間違いに気付く。こういう失敗をするというのは歳を取ってきた証拠かもしれんな。

19(土) 素朴な疑問がわいたのは、やや冷めてきた湯舟に熱い湯を足している時やった。外気なら±5度前後の差なんてどうってことないのに、なんで風呂の湯は2度も違うと我慢ができんのやろ?まあ、そんなことはどうでもええ。僕は39度ほどの温めが好きで、夏は37度。ちゃんと覚えといてね。いったい誰に言うとんねん?


12月6―12日

2009年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo加川良さん。岩国のライブハウスで会えるなんて夢にも思わんかった。彼の歌に出会ったのはもう35年以上も昔のこと。多くの友は拓郎に走っていったが、僕はすでに加川の道やった。「この写真ブログに載せていいですか」と尋ねたら「あかん」と言った後、少し間をおいて笑いながら「僕に内緒ならええよ」と。今のは『教訓』にしときます。

12/6(日) 午後、友人の事務所の起工式をしに行く。建築予定地に人生2度目の『聖水』を撒いた。出所は教会の台所の水道水。教会の水やから立派な聖水やろ(反論の受け付けは終了しました)。実際洗礼式の時もこの水を使っとるしな。とにかく大事なのは聖水であろうが小水であろうが、そこに心がこもっていることや。

7(月) 再び浮上してきた北村牧師に対する戒規の問題について、臨時役員会を開いて協議をする。釜ケ崎の本田神父は「人を裁くような式なら、いっそのこと無くした方がいい」と言われていた。全く同感。聖餐が乱れているのではなくて、理解し合うという姿勢が乱れてるんちゃうの?争うエネルギーがありゃ和解に費やせ。

8(火) 火事の現場に通りがかり見に行ったら消防車や救急車が来て、自分の車が出られなくなってしまった(そのせいで郵便局に行けんかった)。そのことを家族に話したら「火事の見物なんて非常識だ。自分が人にそんなことされたらどんな気分なの!」と、まるで子供を叱るような勢いで妻に怒られた。ぐうの音も出ません。

9(水) 下関唐戸市場の隣にあった鯨料理専門店が無くなっていた。帰ってから環境保護団体グリンピース・ジャパンのホームページを見たら、鯨肉の消費が低迷していて在庫は過去最大とのこと。倉庫に眠るベーコンを想像したら唾がわいてきたけれど、日本人のほとんどは単なるノスタルジーで鯨を食う。僕もその中の一人。

10(木) そういえばこの前の礼拝後、僕の留守中に異変は起きていた。説教壇の後ろの壁紙の下半分が教会員の手によって引っぺがされていたのである。確かにここの壁紙はシワシワで気にはなっていた。でもこの後どうすんのよ?昔、車椅子利用者のため狭い玄関の壁を壊したけど…あの時も後のこと考えんかったよな。

11(金) ついにイチョウの枝が刈られた。たった2時間ほどで15mもあった木は半分の高さとなる。もしこの作業を巡査部長と僕がやっていたら、ケガをする以前に作業が進まず、事切れていたに違いないな。痛かったかなあ…イチョウの木。なんか可哀相な気もするけれど、駐車場から見上げる空が50%も広くなっていた。

12(土) 死んで神様と言われるよりも生きてバカだと言われましょうよね♪『教訓1』という歌…知らんやろなあ。高校生の僕に大きな影響を与えた加川良のライブを聴きに行く。聴衆を見て「老人ホームの慰労に来たみたいやな」と言う加川。土曜の夜、多くの団塊の世代に混ざって僕は、初めて聴く生の声に酔い浸っていた。


11月29日―12月5日

2009年12月06日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo ここは僕の地元なので、観光客が入って行く旅館やホテルを見て、どの程度の予算で旅しているのかがだいたい分かる。いよっ!御大尽!なんて客もいれば、貧乏旅行ご苦労様です…てな客もおる。しかし誰にでも平等に見せてくれる雄大な光景よ。ここは日本三景「安芸の宮島」。でも僕は長い間ずっと「秋の宮島」やと思っとった。

11/29(日) 今日は小野田教会にて2台のストーブが焚かれた中、汗だくで灼熱の礼拝説教をした。ところでその中の娘さんが梅光中学の頃、学校で僕の講演を聴いたのを覚えているという。嬉しいこと言ってくれるね~と喜んだのも束の間、批判感想文を書きましたとのこと。そ、その節はご清聴ありがとうございました。

30(月) B君が亀の里の玄関の木に自腹でイルミネーションを飾り付けてくれた。光に包まれた木がブルーの花を咲かせる。なかなかええ感じやん。よし、B君によるBlueの木ということで『B・B・Tree』と名付けよう。間もなく渡米するというB君。君の記念として(たぶん年内いっぱいくらいは)人々の記憶に残ることだろう。

1(火) 師走。今年も恒例の亀の里クリスマス募金書を発送する日がやって来た。分区から集まった有志がわいわいと作業を手伝ってくれている。そして午後になり、ボチボチ疲れが出始めた頃、誰彼となく呟くボヤき。「これだけ郵送してなんぼ献金が集まるんやろ」。あかん。士気が下がる!わらび餅を出して食い止めた。

2(水) ボルネオ~ッ!?このジャーナルを読んだという人の居住地。海外でも読めるというウワサは知っていたが、パソコン知識の疎い僕は「んなアホなこと…」と半信半疑やった。おみそれいたしやした。だけどこんなジャーナルを読んでもボルネオでは何の役にも立たんやろになあ。え?日本でも役になど立つことはない?

3(木) 朝早く(とは言っても8時やが)中西さんがイチョウの枝打ち業者を見積もりに連れてきた。今朝寝たのは5時やで。寝込みを襲われた僕は寝ぼけまなこで立ち会ったが「5万円以内でやりましょう」という言葉に目が覚める。でも待てよ。僕がやっても5万円くれるなら…命かけよっかな。一緒にかけてくれるよね?徹巡査部長。

4(金) 久しぶりに有馬から走野が帰ってきて家族7人がそろったので、しゃぶしゃぶの食べ放題に行く。ふんぱつして和牛コースを頼んだのに途中で輸入肉を出されたから文句を言ってやった。わざとなのか、手違いなのかは不明なところやが、食の欲に充ち充ちた一家を見て店側も危機感を感じたのだけは認めてやろう。

5(土) 今年も大島みかんの収穫作業に行く。寒風が吹きすさぶみかん畑で…と言いたいとこやが、さすが山口の南国。白波立つ強風なのに寒くない。お昼を告げるチャイムは『アロハ・オエ』。思わずメロディーにつられて、さら~ばハワ~イよ~♪と明日以降の筋肉痛のことも忘れて歌った。今日の収穫はコンテナ70箱。