周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

10月21―27日

2007年10月29日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo Photo_2

教会の庭で満開のキンモクセイ。娘の友達が「トイレの臭いだ」と言った。たしかに『キンモクセイ=トイレ』というイメージが『ショパンのプレリュード作品28の7番=太田胃散』という如く世間に定着している。インド人を見るとカレーを食べたくなる…ちゅうのもその一つやろ。

10/21(日) 腐ったころに届くはずの忘れ物が今日届いた。もうあきらめていただけに得した気分。横浜崎陽軒(キヨウケン)のシュウマイ。よく帰ってきたね。JR博多駅の忘れ物係りさんありがとう!お礼にシュウマイの一割をあげたいところやけど…残念!賞味期限は今日まででした。

22(月) 昨日の気温。朝6時の時点で3.4℃。14時に20.2℃。8時間でその差は約17℃。すなわち明け方ふとんをかぶって震えて過ごしたのに、昼間はしばらく駐車していた車に乗った時、冷房をかけないとたまらん!という寒暖差の激しい一日。どっかの誰かの性格にも似ているで。

23(火) おいしいうどんが食べたくて車で30分の店に行った。この店は僕が山口に来た時に知った手打ちうどん屋や…が。まず~!どうしたんや?出来の悪い二代目が継いだんか?株で失敗して経営者が代わったんか?板前が大将の娘と駆け落ちしたんか?その理由だけ知りたい!

24(水) 国産マツタケ百本が届いた!夢やないで!子供の頃よく食べたこのマツタケを20年ぶりで見つけ嬉しさのあまり10セットも買った。ちなみにカマボコやけどね。でもちゃんとマツタケの香りがする。やっぱ庶民はええなあ。この程度の幸せで有頂天になれるんやから。

25(木) 有頂天と言えば思い出した。一昨日行ったうどん屋で嬉しい出来事が一つだけあった。飛んでいるハエを手で捕まえたのである!どや!人生2度目の快挙に僕はしばし酔いしれた。ただし…握りつぶしてしまった後の手をどうしたかは言うまい。ちょっと庶民とは違うみたいやから。

26(金) 裁判官の言葉が理解できない。2005年の冬に大阪で起こった殺傷事件で被告の広汎性発達障害の少年に懲役15年の厳しい判決が出された。「なぜ犯行を行なったのか考えてほしい」と裁判官。この障害を理解しているのなら、おそらくそんな言い方をしないと思うんやが↓

27(土) 僕には視力障害者に「見る努力をしなさい」と言っているように聞こえる。確かに悲惨な事件や。でもこの裁判官は「障害がなければ(事件は)起こらなかった」とも明言しとる。障害を知らん人が健常者の視点だけで裁いたんか?それとも判決だけは障害者も『平等な扱い』にしたんか?


10月14―20日

2007年10月21日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 大江戸は江東区木場の下町を静かに流れる大横川。近くには寅さんが泊まりそうな船宿もあった。大都会の片隅のこんな町に暮らすのもええなあ。深川教会(板垣牧師)に泊めていただいたが『パッチギ・2』の舞台になった場所も近いという。阪神優勝で飛び込んでも、この川なら安全かも。                    

                                                                         

                                                                   10/14(日) 友人から「阪神…終わったなあ」とメールが届いた。プレイオフで中日に連敗して今年のタイガースは『店じまい』をした訳やが、僕の中じゃ先月8日に首位に立った時点でとっくに『店じまい』している。一番うれしかった時点で『店じまい』する。阪神ファンを続けるためのコツやな。

15(月) 周陽教会にて牧師会後、教会の隣の小さな中華料理屋を借り切っての夕食会。何人かの常連さんらしい客が店を覗いては帰っていかれた。たった9人の牧師のために貸切なんて申し訳ないなあ。でもこの牧師たちの醜態を誰にも見せたくないという意味での貸切なら充分納得がいく。

16(火) 妻の誕生日。駅下がりのケーキ屋に行った。ケーキ屋の奥さん「何か言葉を入れませんか?」僕「いや…いいです」奥さん「それはいけません!」。お薦めの言葉は『いつまでも仲よくしようね』だと言う。妻のことを考えず自分が食べたい種類を注文したゆえ、この言葉はちょっと後ろめたかった。

17(水) 教会から見える国道で警官が車を止めている。お、交通安全キャンペーンや。いつものように粗品めあてに車を出して「止められに」行く。秋やから今回はナシでもくれるんかな。え?国土交通省の違法改造車チェック?「タイヤが減ってますねえ」わざわざ怒られに行ってどないすんねん。

18(木) 皆さんが楽しみにしておられる『天語の作文騒動』ですが、まだ今のところ動きはありません。「ひどい親に負けるな」というたぐいの『天語応援メール』も届きますが、大半は固唾を飲んで今後の騒動を期待しているのやと思います。事態が動き次第順次報告しますので、今後の展開をお楽しみに!

19(金) 東京にて霊感商法・日弁連集会。夜の懇親会にも出席して下さいと誘われた。7000円の会費は辛いが、どんな料理か楽しみで参加した。ん?チキンの唐揚げ,焼きそば,サンドイッチ,悲しいほど不味い寿司。ここはバザー会場か?霊感商法よりもタチ悪いがな。酒飲まん分、返金要求や!

20(土) 新幹線の中に土産物を忘れてしもた話やけど。博多駅まで往復16000円かけて取りに行くか、1500円の着払い宅配便で送ってもらうかは自由だぁ!忘れ物 is freedom~♪忘れ物 is freedom~♪そりゃ誰が考えても宅配便の方が得やけど、明日までのナマモノやから腐ったころに届くで~


10月7―13日

2007年10月14日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo ナンバで出会ったヤクザです。と言えば、関西圏以外の友達はみんな信じたが、関西人たちは「あ!どこで会うたん?」とみんなが知ってる吉本の芸人。パチパチパンチの島木ジョージ。隣に並ぶ某牧師とどちらの方が怪しいかは別として、記念写真を撮らせてもらった。僕も結構「おのぼりさん」やのう。

10/7(日) 役員会で「礼拝の中でおこなう献金をやめて、会堂の入口に賽銭箱ならぬ献金箱を置こう」という協議をした。初めて来た人や子供や銭の無い人への配慮や。これが吉と出るか凶と出るか分からんが凶なら元に戻しゃええだけの話し。「ダメなら振り出しに」は周防の鉄則。

8(月) 80~100%の雨予報が思いっきり外れてくれたおかげで船旅は実に快適やった。たどり着いたハート型の小さな島は驚くほど海がきれいな祝島。だがここは26年前、対岸4km先に計画されている原発建設問題で島民が分裂したままの祝えん島。今日はこの島で分区の信徒大会が行なわれました。

9(火) 今日から夫婦で4泊5日の結婚25周年(銀婚式)記念旅行に出る。行き先は新婚旅行で行った沖縄と石垣島!…と言いたいとこやが、まあ色んな事情で大阪の実家や。新婚旅行も4泊5日で沖縄の知人巡りやったが、25年後も実家の親の見舞いと親戚巡りが中心。オヤジは今日退院。

10(水) 従弟の光(ヒカル)の記念墓地へ行った帰りに、母方の祖父母の墓地にも寄ったが「辻本」姓だらけでどの墓か分からん。時間も無いし、どうせみんな親戚みたいなもんやろ、適当な墓に花を置いて帰ろとも思ったが、電話で母に聞いてやっと見つけた。こんな適当モンがあなたたちの子孫です。

11(木) 『なんばグランド花月』に行く。僕は元来、藤山寛美のファンで松竹派として幼少時代を過ごした。ギャグで無理やり笑わせる吉本に対し、浪花節的な泣き笑いを得意とした寛美が好きやった。でも今日は3時間たっぷりと吉本で笑わせてもらいましておくれやしてごめんやっしゃ。

12(金) 子供のころオヤジに連れて行ってもらった銭湯にオヤジを連れて行った。この銭湯が今も残っているのも驚異的やが、そもそもオヤジと一緒に風呂に入るのはその時以来。とすれば40年ぶりか? まるで西岸良平(漫画家)の世界みたいで、泣きたくなるような感覚におそわれた。

13(土) 夕方山口に戻ると、溜まった仕事と新規の相談電話とピヨピヨと口を開けたヒヨコたちが待っていた。たった5日で浦島太郎の気分やが、これが今の僕の生きる現場。いつまでもノスタルジーに浸っとる場合やない。さて何から始めるかのう…と思いながらコテッと寝てしまった。


9月30日―10月6日

2007年10月07日 | 日記・エッセイ・コラム

070930 運動会で本部席に座って5~6年生の組体操のナレーションをする帆波(ホナ)の後姿。僕は『立ち入り禁止』の張り紙を無視してまで本部席に入り込み、なんとか帆波を笑わせて、ナレーションの邪魔をしようと試みたが「無視されて」しまった! (写真をクリックすると、おっかなびっくり演技をする生徒が見えるよ)

9/30(日) 先生が不登校の帆波を配慮してくれて、今年も運動会のナレーション役を与えてくれた。しかも今回は録音ではなく本部席に座っての生放送。本人は「有無を言わせぬ進め方だった」と言っていたが、まんざらでもなさそうやった。心配すんなよ帆波。これで登校に導こうって魂胆はない。

10/1(月) 土曜に来山した角田牧師一家の次男昇平(5)が発熱。三重を出た時にすでに38度以上の熱があったがそのまま旅立ったとか。そして熱があるまま鳥取砂丘にも立ち寄ったという。無茶な親やで。ん?待てよ。どこかでそんな親が他にもいたなあ。(2007/3/25のジャーナルを参照)

2(火) 昇平の熱は下がったものの、今度は長男共生(トモオ・14)が熱を出した。次は誰の番や?さて、夜は外で焼肉。グラム250円~1000円の肉が並ぶ。子供は高い肉を食べたらあかんよ。ほらライオンやハイエナでも大人が一番ええ肉を食べるやろ。ましてや我らは人類や!…ま、とにかく安い方を食え。

3(水) まだ熱の引かない共生を連れて角田一家は広島の慎&佳子宅へと、まるで台風が偏西風に流されるかのごとく、僕と帆波とを巻き込んで移動して行った。さてその夜のことです。まさか次の犠牲者に僕が選ばれてしまうなんていうことは、お釈迦さまでも知らぬ仏のお富さん!

4(木) 僕に降りかかったのは熱ではなく歯痛。痛む気配はしていたが、まさか転げ回るほどとは思わんかった。痛みに加えて昨日今日と、ご馳走を堪能できんかった悔しさまでがプラスされ、体も気分も最悪や。頼みの座薬ももうあと1個しかない。これは自分史に残るレベルのピンチやで。

5(金) 一縷(いちる)の希望をたずさえながら、広島市内に入院している横山正代さんのお見舞いに行った。それは(正代さんなら座薬を持っているかも?)という望みや。予想は的中!しかも大量!その座薬を惜しみなく僕にくださる正代さんは女神のように輝いておられた。

6(土) 角田一家が三重に帰ったことも忘れていた。座薬で痛みを抑えながら歯医者に転がり込んだまでの記憶しかない。天語の作文騒ぎは何のその。4日の彩七(サイナ)の看護学校の戴帽式なんてどこ吹く風。なんせ昨日の僕を救ってくれたのはキリストではなくボルタレン-50mg(座薬)やった。