周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

1月19―25日

2020年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム

傷ましくもレッカー移動されてゆくリフト付きバス。昔、ガソリンスタンドでバイトしていた頃の車は見やすかった。何度も路上エンコした車の救援に行ったことがある。キーを差したままロックされた車のドアを開けたこともある。それも40年前のお話。今じゃお手上げ。亀の里のバスがレッカー車に載せられる姿を見て思わず口ずさむ。♪親亀の背中に子亀をのせて~♪

 

1/19(日) それは大島教会の礼拝を終えて帰る途中に起きた。トンネルの中で突然リフトバスが停止。どうやら電気系統の故障。幸い上り坂やったので惰性で車をバックさせてトンネルから脱出することが出来た。任意保険会社に電話し明日レッカー移動してもらうことに。つくづく思った。こんな時、交通量の少ない田舎はええなあ。たとい故障しても気持ちだけは余裕や。

 

20(月) 朝、大島教会の野口さんより「バスを見ましたが何かありましたか?」というメール。やはり気づかれたか。ここは通勤・通学路やからなあ。「牧師が朝から(近くの)岩尾の滝を見物に行った説」も出たらしいが単なる故障です。反省して滝に打たれに行く可能性はあれ、朝から滝を見る趣味は無い。こんな時、逆に田舎は目立つ。うっかりこっそり悪いことはできん。

 

21(火) 定期的に訪れるK君が遊びに来た。遊びにとは言っても、時々雑談を交えながら僕は黙々と仕事をし、その後ろでK君も黙々と切り絵作品を作っているだけ。ところで彼が来るとなぜか仕事がとてもはかどる。いつも「やらにゃいけんなあ~」と思いつつ、気持ちだけで手がつかない雑用が面白いように次々と片付く。よし、今夜はお礼に『琴岩国』でちゃんこ鍋や。

 

22(水) 突然思い立って四十年前の日記を読み始めた。三月とは言え、まだ冬の北海道の瀬棚で酪農実習をした時のこと。朝6時から夜8時過ぎまで働いた思い出が綴られている。実習初日から「帰りたい」と書いてある。三週間の間に風呂に入ったのは二回だけ。思い出すなあ。夢中になって読みふけってしまい気がつきゃ朝7時。瀬棚じゃとっくに朝の搾乳時間や。

 

23(木) 二ヵ月ぶりに開く亀の里委員会。委員一同で年末年始に全国から届いた献金の領収書きをする。毎年献金額は減っているが支えてくれることこそ嬉しい。ところで今日届いた某学校の便りの献金報告を見て固まってしまった。58,000,000円?またまた~。数え間違いやろ?いやホンマやん!誰か何かの間違いでええから亀に580,000円ほど送って来んかな。

 

24(金) まさかとは思うが日記のせいでガタガタになった睡眠不足が今日も治らず眠くて仕方がない。歳には勝てんなあ。四十年前、朝から晩まで乳牛と格闘した時代の体力などカケラも残っとらん。そのくせ風呂だけはさすがに三週間ではなく、二日に一度入っている。でもクリスマスにもらった長袖のシャツを約一ヵ月ほど着続けたことを贈り主に伝えたらドン引きされた。

 

25(土) 月曜から修理工場に入院していたリフトバスがやっと退院してきた。思ったより時間がかかったなあ。長引けば長引くほど気になるのは入院治療費。「なんぼ?」と尋ねたが「まだ計算していません」との返事。一番恐い返答や。もし10万円以上かかればヘナヘナ。10万円以下ならホッ。5万円以下なら、ああ我が主よ!15万円を越えたら・・・踏み倒すしかないな。


1月12―18日

2020年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム

岩国が紙の産地であったことは知っている。今はすたれてしまったが1500年代後半に作られた岩国半紙は大阪(当時は大坂)に出荷、藩の貴重な財源となった。吉香公園で花のつぼみを付けていたミツマタはコウゾに次ぐ紙の原料。その隣は十月桜。春と秋に咲く花が一月に咲いていた。昔『狂い咲きフォーク』ってあったけど、どういう意味やったんやろ?

 

1/12(日) 昨夜からお泊まりコースで礼拝に来られている矢野夫妻のエリさんが、僕に『記憶力を維持する』というガムを買ってくれた。昨夜、僕が「もの覚えが悪い」という話をしたのを聞いていたからや。なんと心優しいジョーク魔よ。これで治ったら彼女(あるいはロッテ)は僕の救世主になる。ところでさっきからあちこち探しているんやが、そのガムをどこに置いたやら。

 

13(月) 午後から役員会。日曜日なら、会議をしている横で飲み食いし、ペチャクチャとおしゃべりをしている信徒がいるが、今日は誰もいないので至って静か。よほどプライベートな内容でない限り、うちの役員会は陪席も傍聴も自由。しかし他所さまではそれは相成らぬらしい。特に牧師の人事の議題などは必殺仕事人じゃあるまいし闇から闇。光の子は闇がお好きか?

 

14(火) 柳井のディスカウントショップへ買い物に行く。こういう格安店に来ると、どうしてもいわゆる「しょうもないもん」を買ってしまう。今日は『蚊取り装置』(ブルーの光に誘われた蚊を捕える装置/在庫処分大幅値引き五百円)が目に留まり、ひと目見て買うことにした。今から夏が来るのが楽しみや♪ん、ちょっと待てよ。もしかして誘われたのは蚊よりも先にこの僕か?

 

15(水) 愛隣幼児学園の礼拝。日ごとに育つ年少児は僕の日本語をかなり理解してくれるようになってきた。それと同時に話がつまらなくなると大あくびをする。だから僕もこの歳になっても子供たちから学ばされる。そこでや、牧師のつまらん説教に対し聴衆は居眠りではなく大あくびでアピールし学ばせよう。え?僕がそうされたら?もちろん学ぶどころかイジケルだけ。

 

16(木) セールス電話に対して「今、牧師が不在なので」と留守番人を装って断ることがある。若い頃、訪ねて来るセールスの人によく言われた「お父さんいますか?」。僕も初々しかった時代の話。今は貫禄こそついたが「牧師さんおられますか?」とよく言われる。無礼者!確かに服装は寝間着か作業着にしか見えんとしても、このあふれ出る神々しさが目に入らぬか!

 

17(金)『男はつらいよ~お帰り、寅さん』を観に行った。もしここに山田洋次監督が居たら、さぞかし喜んでくれるやろと思えるほど、マダムたちが館内狭しと響き渡る大きな声で笑う。こ、これが「オバハンになる」ということか!しかし場を盛り上げてくれる客という意味では『欽どこ(欽ちゃんのどこまでやるの)』以来その存在は大きい。とは言え一緒に行く者は恥ずかしい。

 

18(土) 今年の花粉は少ないということやが、外に出られない季節がくる前に春の陽気に誘われて錦帯橋の吉香公園へ出かけた。うっかり八兵衛が立ち寄りたくなるような茶店(星出茶屋)で昼食をとり(煮大根は絶品やった)、武家屋敷の庭をぐるりと回る。土産物屋で買ったエコバッグにはこんな言葉が書かれてあった。♪待てど暮らせど来ぬ人を宵待ち婆のやるせなさ♪


1月5―11日

2020年01月12日 | 日記・エッセイ・コラム

『山賊』で牧師新年会。知人の口添えもあったせいか、サービス満点の接客を受ける。第2孫は今回が初めての山賊デビュー。あまり早いうちから美味いもの(正確には高いもの)を食べさせると後で親が困る。幸い牧師たちの中から大トラが出ることもなく、幹事としての役割も無事に終わった。ちなみに広島社会館で僕は『山賊王』と呼ばれている。

 

1/5(日) 礼拝後のお茶会でたまに誰の差し入れか不明の菓子が出ることがある。今日がそう。しかしそんなことは知ったことではない。不明であろうが不審であろうが目の前にあるものはお構いなしに食う。美味かったので「誰から?」と話題になった(不味かったら話題にはならない)。久米田教会の竹内夫婦から預かったものであったことを皆が帰った後で思い出す。

 

6(月) 大阪で荷物の整理をしていた時、高校時代の修学旅行の栞が出てきた。その中に掲載されていた歌に驚く。歌謡曲はもとより、演歌に軍歌、替え歌まである。♪《月》出た出たハゲが~まぁるい、まぁるい、まんまるい~盆のような頭♪《汽車》今は夜中の三時頃~田舎のおっさん寝とぼけて~便所と寝床を間違えて~あっと言う間に寝小便♪高校のレベルが見てとれる。

 

7(火) 歯の定期検診へ。昔の歯医者は本当に痛かった。それが恐くて我慢できなくなるまで虫歯を隠していた。歯医者の前を通る時、消毒薬の臭いがトラウマを誘うので息を止めて小走りに駆け抜けたもんや。時代は進み最近は無痛治療が基本。歯医者は怖い所ではなくなり、今ではお気に入りの衛生士さんに会うのが楽しみでいそいそと通う僕はただのヒヒ親父。

 

8(水) 診療所の検診へ。クリスマス~正月を振り返るまでもなく、せっかく7.0まで下がっていたHbA1cが7.8と跳ね上がっていた。同病仲間が「8.0までは大丈夫や」と言っていたが、その昔、テストで「30点とれば大丈夫や」と慰め合っていた友がこっそり勉強して50点とっていたのを思い出す。時として友は蹴落とし合うライバルと化す。今更蹴落とし合ってどうすんねん。

 

9(木) 夕方、周防教会で分区牧師たちが集まって、分区内教会の将来に関する密談が開かれた。壇蜜ではなく密談ですよ。いらんこと書かんでもええねん。密談ゆえここには書けないが、新年のお年玉がわりにこっそり教えましょう。その内容はと言うと・・・「こんなこと大の大人が8人も集まって話すことかよ?」と言いたくなるような話し。そうか、そやから密談やったんか。

 

10(金) 過去に数回カッポカッポと乗馬体験をしたことはあるが、野山を全速力で駆け回ったのは初めて。文字通りパカパッ!パカパッ!と競争馬のごとく疾走し実に爽快やった。やっぱ夢って最高やな。何でも叶えてくれる。問題はリクエストをきいてもらえないことくらいや。夜は分区牧師新年会。大人~乳児まで27人が『山賊』に集合。地元やから恥かかさんといてね。

 

11(土) 昨日の爽快な夢とは打って変わって、今朝は友達の前でウンコをするという夢を見た。なのにちっとも恥ずかしくなかった。誰しも経験したことがあると思うが、子供の頃は学校のトイレでウンコが出来なかった。万が一、友達に知られでもしたら「ウンコたれ」の称号を授かるのは必至。人間だけ何故恥ずかしがるのか?今年はこの人類共通の謎に挑む年としたい。


12月29日―1月4日

2020年01月05日 | 日記・エッセイ・コラム

正月風景。久米田寺は子供の頃の遊び場。最後の夜に偶然見つけた夜なきソバ。もはや絶滅したと思っていた。味は少し変わってはいたが出会えて大興奮。それはそうと、最近の写メはみんなピンボケしている。原因は老眼。そもそも写真の趣味が無いので掲載するのも一苦労。でも少人数のリクエストに応えるためこれでも頑張っとるで。

 

12/29(日) 母が今年最後の日曜日に一年の煩悩を落とそうとでも考えたのか久米田教会の礼拝に出たそうな。しかし説教中に携帯が鳴り響き(マナーモードなど母の脳裏には無い。周防でもたまにいる)せめて黙っときゃええのに「青汁が届いたので帰ります」とか叫んで、友人に献金を託して帰って行ったとか。そんなことがあったとはつゆ知らず、僕は夜9時半に帰省。

 

30(月) 昔の教会仲間が「同窓会」と称し集まった。中には40年ぶりに会えた方もいて、とても懐かしい集まりとなる。僕が高校生時代の教会は若い熱気で満ちあふれていた。もしあの頃の仲間が再び久米田教会に集まったら、たちまち大教会になるんやけどなあ・・・などと思いつつ旧交を温め合う。その席で聞いたのが昨日の母の青汁騒動。お騒がせいたしました。

 

31(火) 帰省している間に「玄関のインターホンを一階と二階の両方で受けることができるようにせよ」というミッションを妹から頼まれていたのでホームセンターへ。ついでに風呂のシャワーヘッドも取り換えた。実家に帰るといつも営繕作業から始まる。慌ただしい一日を終えて、昨今社会問題になっている(深夜に鐘の音がうるさいという苦情)除夜の鐘に耳を傾け年越し。

 

1(水) 走野一家がやってきた。昨夜から来ている妹一家や親戚も集まって、大人から幼児まで総勢16人が狭い家にひしめく。そんな中、哀れなのはそのあおりを喰らった室内飼いしている猫。よほど居場所に困ったのか、いつの間にか家から姿をくらましていた。夜中にこっそり戻ってきたが、ショックのせいか腹いせなのか、新年早々あろうことか枕元で小便をされる。

 

2(木) 母から「あんたの部屋の片付けするから、要るもんあったら今のうちに取っときや」と言われ、品々の整理をする。とにかく母は片っ端から捨てる性分なので困る。過去に何度となく様々な思い出の品々を捨てられてしまった。中でも友達や祖母の貴重な寄せ書きや、今なら7万円もの価値がつく品まで捨てられた。でも今回は最後通告をしてくれただけマシかも。

 

3(金) 竹馬の友たちが来訪。いわゆる勉強が出来た奴ばかりで、幼少時、母は事あるごとに彼らと比較しては僕の不出来を攻めた。そんな彼らが酔うにつれ語り出したのは、大学サボってパチンコ三昧とか、中退したとか。散々な学生時代の思い出話。そこで、ここぞとばかり母に言ってやった。「聞いたか?こんな奴らと僕は比較されてたんやぞ」。黙秘を決め込む母。

 

4(土) 午前中、実家を後にする。帰りは全て友佳が運転してくれた。僕は明日の準備に備えて後部座席で仮眠。とは言ってもただ寝ているだけではなく、運転する娘の居眠り防止の助けをすべく、父親としての役割もしっかりと果たした。僕が放屁する度に窓が全開され冷気が入る。自慢する訳ではないが、今日の屁は誰の前でこいても恥ずかしくない凄まじい臭いや。