周防教会・牧会ジャーナル

教会週報の裏面の記事を掲載しています。

8月23―29日

2009年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 角ちゃんが丹精を凝らして作っている梅干。あの巨体から想像できない繊細な作業に僕は感動した。最古の梅干は400年以上も前のもので、今でも食べられるらしい。うまく作れば100年は持つ梅干。そこまで期待せんけど出来たらおすそ分けよろしく。ちなみに防腐効果があるのは天日で干した梅干。賞味期限があるのは梅干ちゃうで。

8/23(日) 礼拝後、みんなが帰って、おまけに家族までが留守。全く僕一人になるなんてことはとても珍しい。いつもならカーッと昼寝でもするところやが、今週はドッサリやることがあるので仕方なしにパソコンに向かう。ところで今日は処暑。暑さが止んで秋風が吹き始めるという日。人気のない静かな教会って…ええなあ。

24(月) 亀の里のデッキに寝ころんで毛布をかぶりながら星空を眺める。時々黒い影や白い影が空を横切ってゆく。目の錯覚かと思ってよく見ると、確かに得体の知れん影が飛び交う。出たな妖怪!と期待したが、正体は鳥や車のライトの反射光。摩訶不思議な夜空に魅了されながら眠ってしまい、気が付けば午前4時。

25(火) 久しぶりに映画のレイトショーに行く。子供らは『ハリーポッター』。僕は『HACHI~約束の犬』。幸い最後列は全部空席や。さあ今日は心置きなく泣くぞ!と席に座った途端、両脇にカップル。(あっちに行け!)咳をしたり鼻をかんだり足をガタガタさせたり、ありとあらゆるオッサン行動で威嚇したが通じん。トホホやで。

26(水) 車で山間部を走っている時、急に尿意を催した。道路脇で用を足すのも何なので、人目を避けて山道に入る。ここなら誰も来んやろと思う場所を見つけて豪快に噴出し始めた途端に車がやってきた。選びに選んだ場所やったのに。情けないやら恥ずかしいやら。でも大の方じゃなかったことが不幸中の幸いと言える。

27(木) 角田一家と広瀬夫婦が料理を作ってくれた。僕も参戦し、先日3分クッキングで見た料理を1時間半かけて作る。食卓は見る見る「牛でも飼うてるんか?」という言葉が自然に口をついて出るほど(そんな言葉は自然に出んで)作り過ぎた料理であふれかえった。夏休み最後の思い出はみんなで苦しんだ晩餐。

28(金) 昨夜の残りが気になって仕方がないので…と、広瀬夫婦が残飯処理に来てくださった。ところで先日見た相撲の尾上部屋のドキュメントで最も感動したのは、信じられんほどの量を毎日作るおかみさん。でもうちの食卓もよその家に比べりゃ半端な量やないな。そんな周防部屋のおかみさんは明日帰ってくる予定。

29(土) 週報のコピーを終えたら寝るぞ!という段になって「トナー不足」の警告。やば!この警告が出たら、あと何枚刷れるか分からん。「コピーちゃん。頑張ってね」なんて、ひとり言を言いつつ、1枚ずつ、ゆっくり、騙し騙し刷る。そして最後の1枚が出来上がった時の言葉。「おんどりゃ!くそコピーめ!焦らしやがって!」


8月16―22日

2009年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 赤いべべ着た可愛いい金魚~お目々を覚ませばご馳走するぞ~♪これを口ずさむと子供の頃飼っていた金魚にドブで集めたイトミミズをあげていた記憶が甦る。さてこの写真は柳井の金魚提灯。なかなか可愛いので観光客が土産に買っていく。イトミミズはあげなくてもええが、たいてい天井からぶら下げて飾られるので埃まみれになる。

8/16(日) お盆の金魚提灯祭りが終わった後、しばらく提灯だけ灯してあると聞いて柳井へ。白壁の町並みの軒先にずらりと並ぶ金魚提灯。千と千尋の世界に紛れ込んだような幻想的な空間が広がる。でも今はロマンチックよりも空腹。オギポンの慰労に丸亀うどんへ。だけど彼が山口に来て一番気に入ったのが香川の味とは。

17(月) オギポンの実習終了。四国をドライブして東京に帰るとのこと。本格的に香川にうどんでも食いに行くんかな?松山行きフェリーが出る柳井港の岸壁から、オギポンの姿が見えなくなるまで見送る。ただ、いかんせん速度が遅い。いつまで手を振らにゃいけんのやろ。腕も痛い。たぶん彼もデッキで同じことを考えとるやろ。

18(火) 指折り数えて待っていたこの日がやっときた。カレンダーに何の予定も無い日。何もない。誰も来ん。それだけでホッとする。ところがホッとしていたのは昼過ぎまで。めっちゃ退屈で逆に落ち着かなくなってきた。優雅に休日を楽しめない者らが僅かな暇をも持て余す。世に言う「貧乏性」って…もしかしてこれのことか。

19(水) 益田にて事業団のサービス向上委員会。クーラーの効きがとても悪い部屋やった。ところで前から疑問に思うんやが、気温が25度以上の夜を「熱帯夜」と呼ぶが、クーラーの省エネ温度は28度や。ちゅうことは「熱帯夜で暑いなあ~」という晩でも、設定は28度でっせちゅうことか?部屋温もるがな。どないやねん?

20(木) 先日ギャル(死語か?)がテレビで言っていた。扇子でパタパタあおぐのはオッサンだと。オッサンは汗かいたらあかんのか!と言いたいが、そういえば般若心経が書かれた扇子を壊してしまった。お経を通しての風は有難かったのになあ。ところで今の扇子にはこう書いてある「勝っても負けても虎命」 。確かにオッサンや。

21(金) 「まことに申し訳ないんですけど…」と大阪のエビラから電話。高熱が出たとのこと。明日の山口入りはキャンセル。当然、明後日の礼拝説教担当もおじゃん(死語か?)。まあそんなことはどうでもええねん。問題は予約したオードブルや。でもこれで孫子の代に渡って君に大きな貸しをつくることができて嬉しいぞ、僕は。

22(土) 昨日の福岡からのお客さんは徳山駅で新幹線から岩徳線に乗り継ぐ時、たっぷり時間もあり、出発ホームに居たにもかかわらず乗り過ごしてしまったという。どういうこっちゃ?よく聞くと、一両しかない車両に気が付かんかったという。必ずしも連結しているのが列車とは限りまへんで。次は2時間後。ようこそ!ローカル線へ。


8月9―15日

2009年08月18日 | 日記・エッセイ・コラム

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クリスマスとイースターとキャンプにだけ顔を出す男『大将』の「助けて~!」の叫び声で今年の教会キャンプはスタートした。いきなり川で流されるなよな。しかし参加40名に対してテントは2張り。みんなどこで寝たねん?全員が野生動物になった二泊三日。ところで大将よ。僕のパンツと短パン履いて帰ったろう!

周防教会実習ジャーナル by オギポン

8/9(日) 柳井教会の礼拝に行く。時間に余裕を持って出掛けたが、なぜか行って見たら教会の近くで場所が不明。電話して迎えに来てもらった。焦るとすべてが解らなくなるわたしの癖が出てしまう。帰り「中華そば」を食べる。ただ食べるだけで、店の名前まで覚えられない。錦帯橋近くの温泉「五橋の湯」に行く。外観は悪いけど内部はきれいな温泉。商売っけ無しの温泉だった。

8/10(月) キャンプの飲み物などを買いに行く、お手伝い。私は何も判らずただ買い物カゴを持ってウロウロ。どうもわたしは雨男らしいと最近思う。買い物途中は晴れていたが帰りは雨が降る。東京から周防教会にくる時も途中の道はどしゃ降り。今日は花火が上げられるのだろうかと酒屋さんから聞かれた。地元の人になってきたみたい。テレビのニュースで「酒井法子覚醒剤事件」。熱狂的ファンとして、胃痛薬を飲んでしまったほどのショック!を受けました。薬を飲みました。かつては、ドラマ『一つ屋根の下」には涙を流したっけ。

8/11(火) 大島教会で借りた軽トラックを久しぶりに運転した。冷房の効かない軽トラックで汗があとからあとから流れてくる。「板氷」を買いに行ったが、猛暑のスーパーで板氷の冷たくて「ここち良い」感触はなんと表現したらいいのか。荷物をキャンプ場に運んだ。天語君の高校の友達も一緒だ。高校生は元気でいいなあ。かつては私もあんな時があった。なにをやっても楽しかった。少し歯が痛くなってきた。(夕方遅く疲れが出てきたみたいだ)。

8/12(水) 車3台に分乗してキャンプ場に行く。広瀬さんの釣りザオを借りて釣ったら「ハヤ」2匹釣れた。幼い時のことを思いだした。父も川釣りが好きで毎週のように行ったっけ。それにしても、雨が降ったりやんだりの毎日。さすがの「私が雨男」もうんざり。

8/13(木) 大将と栗栖さんと朝三人でキャンプ場に行く。大将はひたすら食べるのみ、車の中で一言もしゃべらなかった。よく病気にならないなと思う。食事の時思うけど、周防、柳井のみなさんはすごい食欲!このパワーは「関西の食道楽、周防」と言われるものだろうと思った。2週間前に食べた「丸亀うどん」おいしかったなあ。

8/14(金) 朝、板氷を買いに行った。誰かが板氷を大量に買ったお客がいたらしく、現物が無かった。仕方なくセブン・イレブンで買った。セブン・イレブンって何でこんなにいろんな物売ってるんだろう。今迄気がつかなかった。キャンプはプログラム無しのキャンプ。いろいろな教会キャンプを経験したけど、自由なキャンプって「解放へのキャンプファイヤー」といった感じ。楽しかった。

8/15(土) 午前中、借りたバスを掃除して、午後、岩国教会に行く。今日は朝から雨が降っている。なんてこの地方は雨が多いんだろう。その割には虫類が少ない。農伝では雨が降ると虫類がゾロゾロ出てきて名前が判らない虫まで出てくる。長雨なので虫もびっくりしたのか。


8月2―8日

2009年08月09日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 今年のキャンプ場には何故かほとんど虫がいなかった。特に夜になると無数に飛んでくるカゲロウが全くいない。まさか…凶兆の前ぶれ?そんな中、出会ったナナフシ。「おいナナフシ君。カゲロウの連中は一体どこに行ったんだい?」。「さあねえ。この夏の七不思議!なんちゃって」。と応えたかどうか。ちなみにこの子はエダナナフシ。

8/2(日) キャンプ場の下見に行った。7月末の大雨の影響で岸のスペースがやや狭くなっている。無理してテントを設営しても4張りが限界か。もう雨はこりごりやけど、まだ中国地方の梅雨は明けていない。夕方ヒグラシが鳴き、夜には秋の虫の声(カヤキリ?)までが聴こえてきた。おまえら…そんなに急がんでもええがな。

3(月) 来週のキャンプに参加できない人たちのため、明日から一泊二日の特別キャンプを開く。本番の肩慣らしにちょうどええ。今年も教育委員会からテント一式を借りる。うちぐらいしか借り手がないキャンプ用品。言いかえれば「周防の備品を教育委員会で保管してもらっている」みたいなもんや。いっそのことくれへんかな?

4(火) 朝までの雨で増水していた川で事件は起きた。流されたボディボードを取りに行った時、早瀬で足を取られ濁流に呑まれてしまったのだ。あかん死ぬる~。明日の朝刊の記事や、親父の顔が脳裏をよぎる。真剣にヤバかった。しかし全く運良く九死に一生を得て岸にたどり着く。しばらく呆然としていたが、サンダル

5(水) まで流してしまった悔しさが、消えかけた闘争心に再び火をつけた。そして再度濁流に身を投じ、流されそうになりながら這う這うの体で、ボード(¥980)と、ついでにサンダル(¥680)を回収。ただその後、さすがに川で泳ぐ気になれんかったのも事実。肩慣らしどころか来週のキャンプのことを思うと…正直うんざりや。

6(木) よくよく見ると全身傷だらけやがな。子供のころ野山で遊んで帰って風呂に入った時、所々お湯がしみてケガをしている場所に気付いたが、今回も覚えの無い傷があちこちにある。ところで、僕が命がけで濁流に飛び込み回収したサンダルが無いぞ。妻に聞いたらさらりと言った「寿命だから捨てたよ」。オーマイガー!

7(金) 所用で出かけた帰りに、今日で終了する映画『剣岳/点の記』を観る。次々と襲い来る大雨や猛吹雪にさらされる天幕(テント)での野営シーンを観ていて思った。「あれに比べりゃ、うちのキャンプなんて天国や」。おかげで来週のキャンプに挑む勇気を与えられた。夜(いつものことやけど)突然、横山牧師夫婦が来会。

8(土) 午後4時、横山夫婦が帰って行った。「じゃあまた来ま~す」と言いつつ、まるで近所に帰るように向かった場所は鹿児島の志布志。満身創痍という意味では右に出る者がおらん正代さんが一人で運転する。広島の原爆の中を生き延びてきた彼女やからこそ出来るわざか。キャンプに挑む勇気がまた与えられた。


7月26日―8月1日

2009年08月02日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo 赤、黄、青、緑、紫…。夜の虹ケ浜はビーチの名のごとく、虹のようなカクテルライトで夏の恋人たちの影を砂浜の上にロマンチックに浮かび上がらせる。うらやましい限りのこの影を明かすと、誕生日のプレゼント欲しさに我慢して父親に寄り添う末っ子の帆波(ホナ・12歳)。娘も娘やけど「この親にしてこの子あり」とは、よく言うたもんやで。

7/26(日)「こんな天気でも開催するの?」という電話が何件もあるような大雨の下で開かれた『第十回亀の里フェスティバル』。人間やる気さえ失わなきゃ何とでもなる。その証拠に大雨でズブ濡れなのにみんな笑顔や。というか…笑わにゃやっとられん。中でもカキ氷を売る大川牧師夫妻の笑顔は気の毒なくらい素敵やった。

27(月) 昨夜遅く大雨の中、金聖孝(キムソンヒョ)牧師が立ち寄ってくれた。大阪での会議に向かう途中らしい。ところで礼拝堂に入るやいなや、挨拶抜きでギャグ飛ばしたら他の客が固まるがな。ましてや志布志の横山牧師くらいにしか通じんような大阪限定の古いネタはあかんで。それでも止められん関西人の悲しい性よ。

28(火) 藤岡ひかりさんが来会。NHKのスペシャル番組でリサーチャーとして苦労した話が聴けた。どこかのおバカな宗教団体が宣教百五十年などという情けないイベントに夢中になっている一方で、あのNHKが戦争の歴史を振り返る。え?周防もその大バカ教団に属している?シッ!その恥ずかしい事実は内緒やろ。

29(水) 聖孝牧師が大阪に旅立つ。一泊だけかと思ったが三泊もしていったところが彼らしい。ところで聖孝と言えば「失恋話し」なんやけど…どうやら今回は新しいネタは無かったみたいや。「在日はつらいよ。失恋の金さん」も、次から次と恋するような歳ではなくなったんかもしれんなあ。それでも次回は期待してまっせ。

30(木) 大島の嵩山(ダケサン)展望台に行く。遠くに四国松山の街がハッキリと見えるくらいの青空は久しぶり。大島出身の民俗学者/宮本常一は「新しい土地に行ったら一番高い山に登れ」と言った。確かにこうして見ると実によく分かる!と言いたいとこやが…どれが何と言う島なのか全く分からん。夕方ひかりさん帰京。

31(金) 先週土曜からの来客ラッシュは昨日で一段落。ありがたいことに今日一日は何もないのでゆっくりと月末の会計決算ができた。しかしなんというあわただしい月やったんやろ。殺人的な忙しさで始まって、オヤジの死、豪雨、日食、フェスタ、来客…。生涯忘れられん月になりそうや。でもやっぱ暇が一番僕らしい。

1(土) めかりがいなくなったと朝から大騒ぎ。牧師館、礼拝堂、教会の周辺をあちこち探し回ったがいない。家族に悲壮感が漂い始めたころ、礼拝堂のどこかからひょっこり現れた。そして僕は気付いた。うちの家族の間ではオヤジの死よりも、めかりがいなくなった場合の落ち込みの方がはるかに大きいぞ…ってことに。