キンペイトー

2010-03-12 00:00:35 | あじ
kinpeito1金沢へ行った人から手土産を頂戴したのが、金平糖である。いかにも格調高い三色。黒、緑、白。黒糖味とか抹茶味。

しかし、よく見ると、表面に光る物が・・

拡大してみると、金箔である。さすがに加賀百万石である。

これぞ、キンペイトーである。

もちろん金平糖はポルトガル渡来の南蛮菓子で、ポルトガル語のコンフェイトの当て字なので、金箔付きでもコンペイトウである。

長尺物テレビドラマだった「利家とまつ」では、ポルトガル人より南蛮菓子コンフェイトを献上された信長は、それを利家に下賜し、恐妻家の利家は婚約者まつの機嫌取りに使う。テレビドラマでは、何かの慶事に二人で節分の豆のようにコンフェイトを放り出して喜ぶのだが、こうして庭に転がっていた一粒のコンフェイトをもとに、加賀名物の金平糖が始まる(わけじゃないだろう)。

信長の口には合わなかったのだろうか。ただし、利家以外にも配ったのだろうが、秀吉は出が貧乏人なので、妻に届ける前に、自分で食っちゃったのだろう。

日本のお菓子の歴史では、五つの味の融和が和菓子を作ったといわれている。1は日本古来の穀物系であり「だんご類」など。次に2として中国大陸から中華菓子が入ってくる。饅頭とかだ。その後、時代は下り鎌倉時代。3として中国大陸の禅宗から精進系のお菓子が入ってくる。そして、4が南蛮渡来菓子。カステラなどだ。さらに和菓子の繁栄は江戸時代の茶会に出されるお菓子のメニュウで洗練される。特に井伊直弼は、江戸で大茶会を開いていた。大老に任命される前は、むしろ、この茶菓子バイキングに命を懸けていた。毎年、数多くの新作メニューを披露していたそうだ。そして最後に明治以降の洋菓子の影響である。

kinpeということで、金平糖はカステラと同時期に日本に入ってきたということだ。


ところで、加賀料理というのは、一つの高級料理のジャンルを作っている。江戸時代の各藩は、それぞれが地方政府の機能を有していたのだが、藩ごとに料理のうまいところとまずいところがある。

それを考えれば、世界にも、料理天国の国もあれば、そうでない国もある。

例えば、料理天国は、中国、フランス、ロシアなど。まずい国は、英国や米国。米国では最近では、高級料理店が充実してきたそうだが・・まさにそのあたりに鍵がある。

料理の美味い国は、ほとんどが封建的王位制度の時代に料理が確立されている。

フランスも革命までは王朝だった。中国は、大明帝国、大清帝国である。ロシアだって王制だった。料理のつど、一皿ずつテーブルに登場するなど、召使いがいなければ、実行困難だ。民主主義の国では富が蓄積されないので、料理も平凡となる。

そして、加賀が繁栄していたからこそ、うまい金平糖もできたわけだ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿