将棋博物館に関する神崎健二七段からのコメント

2006-08-02 00:00:56 | しょうぎ
まず、将棋名人戦から書くべきかもしれない。

8月1日に行われた棋士総会で、毎日新聞から提案された期間7年の新契約案が否決された。ほぼ自動的に朝日新聞の主催になると考えられる。現役、OB合計195人の棋士のうち192人が投票し、賛成90、反対101票(議長棄権)で否決。

私も、毎日の新提案は、現状プラス若干で「いかにも(おカネの)誠意が無いなあ」と思っていたが、「過去の恩義論」とかの声高な世論もあって、毎日新聞は、それに期待しているのだろう、とは感じていた。ただ、現在の棋士は、個人事業者(社員)として社団法人を構成しているわけで、最後は「おカネ」ということになるだろうとは思っていた。約40人の退役棋士は「米長嫌い」が多いそうで、毎日支持者が多いと思われていた。現役棋士は有名で収入の安定している方々は「恩義論」に傾いていたようだが、実際には6割以上の棋士は、有名棋士の下積みとなって給料(賞金)は安い。やはり・・・といったところだ。

今後は、名人戦よりも、毎日が返上するだろう王将戦の今後の運営とか、毎日コミュニケーションズが発行している「週刊将棋」の問題が派生的に議論されるのだろうと予想される。

個人的意見としては、発行部数の多い朝日がメジャータイトルを掲載する意味は大きいと思うし、王将戦は「阪田三吉王将戦」のような形で関西系大手企業共催でアマプロオープン戦のようにして、通天閣で公開したらいいのではないかと考える。

そして、名人戦問題は、まだ色々と情報があふれるのだろうが、別の話をする。

私は、同じ内容のブログをlivedoorgooでアップしている。バックアップを自分のサーバーではなく、プロバイダーを利用して行っているわけだ。その方法の欠点は、コメントを二ヶ所に書いてくれる人はいないので、読者側が、すべてのコメントを読むのが難しいということ。そして若干読者層が違うので私の対応も苦労することがある。こちらのコメントの趣旨とあちらのコメントの趣旨が違わないようにしなければならない。

最近、goo側のURLを詰将棋関係の方がチェックしていただいていて、詰将棋関連サイトにリンクしていただいているらしい。私としては、将棋関係のエントリをアップするさいに詰将棋をサービスしているつもりなのだが、そうすると詰将棋を創らないとエントリも書けないことになる。実は、あまり短手数ものが得意じゃないので在庫不足。だいたい、創るほうは答えを知っているから、短手数は一瞬に解かれてしまうように思えてしまう。ブログも詰将棋も長くて、少し風変わりだ。

ところで、先日、2回に分けて「将棋博物館廃止問題」を書いたところ、神崎健二先生からgoo側に、コメントをいただいだ。長い愛読者はご存知と思うが、当事者がよくコメントに登場するブログだ。クラシック聴きにいっても、うっかり悪口なんか書けないわけだ。まず、コメントを紹介。

江戸城を復元した対局室で指すということの責任」 (七段神崎健二)2006-07-30

棋士総会では、この問題については、私が問題提起と反対の発言を最初にさせていただきました。

実際の会議は記述されているのとは違った部分もありますが、実はどうだったということは、会議の様子をどこまで公にできるかということもあり、ここに書くのは控えさせていただきます。

現在の博物館は、初心者教室の会場であったり、棋士の会議の場であったり、大盤解説会の会場でもあったりで、ほかのこととの兼任の場として使われています。
私は現状のままで良いという考えです。

博物館の一部という認識で五階の対局室は、江戸城御黒書院を復元した形で造られています。
ふだん、江戸城を復元し場所で対局させていただいているのにもかかわらず、今回のような方向で果たして良いのだろうかという疑問は、この1~2年間ずうっと感じています。

将棋を「伝統文化」と認めていただいて、予算を計上していただくことも別方面ではあり、そのことについてはとても感謝しています。

博物館内の所蔵品の中でも、貴重なものほど連盟内に保管する予算を組んで良い状態で残す努力をしてこそ、将棋が国や多くの方々から「文化」として認めていただけるのではないかと思います。

おおた様のおっしゃられるように、お城を模した対局室であるからこそ、江戸城で大橋家の家元がどんな風に将棋を指していたかを想像する「風流」は、もっとあっても良いのではないかと私も感じます。


私は復古主義者でもないし(たぶん正反対)、懐古趣味でもない。城や歴史を見るといっても塩野七生氏のように、一つ一つの史実を自分で考えていくだけである。あえて言えば、江戸時代を調べ直すことあたりから見ないと、明治以降の歪んだ歴史観が理解できないだろうとかは考えている。フランスがフランスであるように日本が日本であるのは文化によることが大きいのだが、その大部分は江戸時代(それも江戸初期)に確立したものが多い。

つまり、たかが将棋といっても、400年の歴史がある。ちょうど、現存天守閣の多くと同じ長さだ。一度、壊れた天守閣は復元しても元には戻らない。将棋博物館の話で言えば、これからおカネをつぎ込んで資料を集めようというわけでもない。既に存在する資料を保管するのをやめよう、というのでは誰しも呆れてしまうだろう。第一、コレクションのリストが完成しているのだろうか。少なくとも棋書については、著作権は切れているわけだから、内容について閲覧・参照ができるように考えるべきなのではないだろうか。

昨年、国会図書館で江戸時代の博物誌として「描かれた動物・植物」という展示会があった。期間はわずかだったが、アーカイブズをまとめたすばらしいサイトがある。展示は終わっても半永久的に楽しむことができるわけだ。

千利休を捨てれば茶道にならない。芭蕉を捨てれば俳句にならない。勝負だけにこだわれば相撲にならないのと同じである。創成期の大橋宗桂らの苦闘を、「歴史上なかったこと」にするわけにはいかないわけだ。


一方、大商大は「大阪商業大学アミューズメント産業研究所東京分室」として日本棋院とタイアップして、囲碁殿堂博物館を持っている。そのうちのぞいてきて考えをまとめるまで、これ以上の意見は保留しておくこととする。

愚作詰物を陳列すると、せっかくの神崎七段のコメントを汚しそうなので、きょうの出題はなし。
  


最新の画像もっと見る

コメントを投稿