古書追跡でわかった将棋博物館の閉鎖(1)

2006-07-28 06:32:43 | しょうぎ
将棋博物館閉館の話がどんどん進んでいた。

この話に私が気がついたのは、全然違う角度から古文書を追っていて、将棋博物館にその現物があるのではないか、と推測したところからなのだが、まず最初に、この博物館の由来について書く。

関西将棋会館4階。入場無料ということだ。場所は大阪。JR環状線の福島駅近くである。社団法人日本将棋連盟が持つ二つの建物の一つ。もう一つは東京千駄ヶ谷の将棋連盟本部である。東日本在住の棋士は主に東京本部で対局し、西日本在住棋士は主に関西将棋会館で対局する。

そして、この将棋博物館は、古い道具や資料、海外の将棋関係の展示品などを展示しているのだが、多数の資料を入れ替えながら展示している。なかなかのホームページもある。

ところが、この博物館は、ずっと以前は、東京の将棋連盟本部の地下にあったような記憶がある。地下には食堂もあり、昼休みなどには、棋士が必勝を期してトンカツ弁当を食べていたりした。

しかし、そのうち博物館はなくなり、また、食堂も消えた。直接的原因は、将棋連盟の組織の増大。つまり場所がなくなって、不採算部門が押し出された。会館の建て直しも検討されたが、同一場所で立て直すと、諸法令の改正で以前より狭くなることが判明し、断念。もっとも銀行借り入れしていれば、財政状況はもっと悪くなっていたかもしれない。

そのため、スペースに余裕のある関西将棋会館に資料を移し、展示していたということになる。


ここで、話を違う角度に切り替える。江戸時代の、ある一冊の古棋書の話である。

発端は、最近読んだ湯川博士氏の「大江戸将棋所 伊藤宗印伝」という江戸の将棋家元の本の中に書かれていた話からである。

江戸時代、将棋は家元が名人位を張り、寺社奉行が認許するという形になっていた。そのシステムの話は長くなるので省略するが、要するに家元というのがあった。具体的には、大橋家と伊藤家である。大橋家の方は、どちらかというと民間の強豪を養子にし、実力を維持したのに対し、伊藤家は血縁を中心とし、英才教育をもって棋力を維持していた。初代名人というのが大橋宗桂という「将棋の祖」というような偉人だったこともあり、大橋家には本流意識があり、それに対して伊藤家は詰将棋の難解問題を作ったりして対抗している。

そして、本流の大橋家は、外部からの人材の登用(養子縁組)を積極的に行っていたこともあり、家の中で「家訓」を持っていたのである。家訓は「象棊百箇条」という。現代風に言えば「将棋100か条」である。五世大橋宗桂が1698年に書いている。個人的には、藤堂高虎二百箇条が、もうすぐ片付くことを視野に入れ、この象棊百箇条について調べ始めたわけだ。何しろ、何が書いてあるのかわからない。もしかして、「王の早逃げ八手の得」とか「将棋の基本は頭金」みたいな、こどもだましだと、どうしようかと(それもすぐ終わって面白いが)思うわけだ。

しかし、ネットの中ではいくら調べてもその姿は浮かんでこない。そのうち、気がついたのは、身近なところからだった。25年程前に筑摩から出版された「日本将棋大系」という全18巻の全集がある。全巻、持っている。身近なところに糸口があった。第三巻の後書きに、著者の故加藤治郎九段がその一部を紹介していた。

一.象棋ハ二三十手之内指組大事タルべシ、初之内二非手有之時ハ終迄弱ニナリ、指直ス事成マジキ也。二三手之先ニ非有之バ、弱ニ乗テ其処不抜ヤウニ指時ニハ勝ニナルベシ。又手前二非手有之時ハ、先ヨリ如其指掛ル故、負ニナルト心得、一手一手二見合、始終ヲ見屈指スベキコト専一ト心得ベシ。詮議ヲツメテ見ル時ハ、双方不負ハズナレドモ、微塵之非手有之方負ナルベシ。尤振アシキ象戯指直スコトモ有ベシ、夫ハ先之下手故也。互二上手時ハ、其先抜指直スコト成ガタシ、下手ニハ如何ニテモ勝ベシ・・・

一.象戯モ負惜ミ名ヲ大事ニタシナミ専一タルベシ。嗜ガラニテ象戯モツヨク相見エ、嗜無之者ハ不指前ヨリ下手卜見ユル、能々心得ベシ。森田宗立ハ象戯大切二存、数番指不申段尤至極也。脇ヨリハ一芸ノ上手卜感入セリ、宗立程之象戯二而、尚々以深切之心持肝要タルベシ。

二箇条分だ。最初の条は、序盤の駒組みの重要性とか一手争いの時の指し方や、弱い人と駒落ちで指すときは負けてはいけない、というようなことが書かれている。次に紹介されている条では、将棋を指すときの態度などが例を上げて書かれている。外部の人間の態度はしっかりしているのに家元の態度はなんだ、というような話だ。

まあ、読んでみて、まとも過ぎる話でつまらないような気もするが、残る98条分を知りたくなるのも人情である。そして、25年前の本には、この「象棊百箇条」は木村義雄氏が所有していると書かれている。昭和12年から8期名人位に就いた大名人であり14世名人を贈られている。1986年に逝去。20年前のことだ。では、その古棋書は今どこにあるのだろうか?ということになる。そして浮かんできたのが、「木村コレクション」の存在である。木村名人は、この書に限らず、明治以降散逸した多くの古書を収集していたということである。その大量の資料を総称して「木村コレクション」と呼ぶそうなのである。

あまりに長くなりそうなので、続きは次回とする。

f116f597.jpg詰将棋ファンのため、夏向きの初中級者用問題を1問出題しておく。この問題は、手数だけをいただけば、・・  
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将棋博物館 日本将棋大系 1698年
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2 コメント

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詰みました! (ドリーム)
2006-07-30 03:43:15
5手詰ですね。3手目が非限定が辛い。
Unknown (おおた葉一郎)
2006-07-30 07:19:39
ドリームさん

正解(でしょう)。

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