「ロバとイヌ」の謎

2023-09-26 00:00:15 | 市民A
フランスの寓話集『ラ・フォンテーヌ寓話』は多くの寓話の集大作で、日本でいえば『日本民話集』みたいなもので、イソップ寓話なども含まれていて、フランス人の基本教養らしい。1600年代に成立している。

その古典的名作に20世紀の画家、マルク・シャガールが挿絵を描いている。シャガールは寓話集の中から100話を選択し、挿絵をエッチングで刷り、全100冊のうち半分近くに色をのせている。

ところが、その86話目の『ロバとイヌ(L’ Ane et Chien)』は、寓話の内容と版画の内容が一致していないと言われている。



寓話の方は、主人と一緒にロバとイヌが歩いていて、主人が居眠りをする間、ロバは草を食べ始めるのだが、犬の餌はロバの背中にあるので、イヌはロバにしゃがんでほしいと頼むが、ロバが拒否。そこにオオカミがやってきてロバが狙われるが、イヌに護衛を頼んでも、イヌはそれを拒否して、ロバはオオカミに食べられてしまうわけだ、

ところが、版画の方には、話に出てこない女性がいるし、オオカミはいない。主人の足元の犬は子犬でオオカミとはとても戦えない。ロバは生きているし。

画家が何を描こうが勝手だが、シャガールが大家になる前の作品なので、全体として独創性は少ししか出していない。そして、あまりにも話が違う。

有力な説は『ロバと子犬(L’ Ane et le petit Chien)』という話が別にあって、ロバが主人と奥さんにかわいがられている子犬に嫉妬して、「お手」をしようと立ち上がったところ、棒でたたかれたという話があるそうだ。(何を言おうとしている寓話かはよくわからないが)

画中に棒はないが、おそらくそうなのだろう。

では、どこで入れ違ったのだろうか。

実は、シャガール版の寓話集だが、数奇な運命から始まっている。もともと、この企画はフランスの画商ヴォラールが寓話集を画入りで出版しようということから始まり、故郷のソ連(というかロシア帝国というかベラルーシのユダヤ人街というか)を捨て1923年からパリに移住していたシャガールに依頼した。

1927年から1930年の間に制作されたのだが、最初の原画は多重刷り用だったそうだ。しかし技術的問題からエッチングになったそうで、それも時間がかかっている。またフランスの民話集の挿絵がロシア系ユダヤ人というのも物議があったそうだ。

そしてなんとか原版ができた頃に、大問題が起きる。中心人物の画商ヴォラールが事故死したそうだ。

さらに第二次大戦が始まり、パリはファシストの侵入を受けることになる。ユダヤ系のシャガールは慌ててアメリカに脱出。作曲家でピアニストのラフマニノフと同様だ。

そして、フランスに戻ったのは1950年。パリではなく南フランスの町だ。

つまり1930年に完成した時に、原画に題名を付ける時に、シャガールかヴォラールかその他の人間が間違えたということだろう。「ロバとイヌ」か「ロバと子イヌ」。小さいという単語が一つあるかないかの差だ。

そして、22年間お蔵入りになっていて、最終段階でもパリにいなかったので、電話か手紙で、打ち合わせをしただけだったのかもしれないし、一応、シャガールもチェックしたのかもしれないが、20年以上前に読んだ本のことなど、そう覚えてなくても全く不思議ではない。