新田塚と牛乳屋踏切

2017-01-30 00:00:43 | 歴史
彫刻の森美術館から小涌園方面までは登坂で20分位。当日、雪の予報により防寒服一式に加えスノトレを履いていたのだが、実際にはピーカンだった。服は重いし靴も重い。寄り道などしたくなかったのだが、数分歩くと表示があった。横道に曲がると『南朝最後の忠臣新田義則の墓』と書かれている。

実は、疲れていたため、新田義貞の墓と勘違いしていた。新田義貞は日本史の中でもかなりの有名人で、北条執権の鎌倉幕府を倒した武将だ。分倍が原(ぶばいがはら)の戦いという関ケ原を超える日本史上最大の戦闘員が斬りあった末、北条軍は総崩れし、新田義貞は鎌倉市街地に進軍した。

nittatuka1


しかし、盟友だった足利尊氏が天皇に取り入り、義貞は除け者にされ、ついには天皇にまで裏切られ、全国を逃げ回った結果、北陸の方で仕留められた。言い換えれば西郷隆盛と似ている。

だから、義貞の墓が箱根にあるはずはないので、義貞ではなく義則なのだ。義貞の孫と言われる。要するに、遅れて生まれてきた大将。

墓は土盛でそれなりに大きい(古墳とは桁外れに小さいが)。死因は、入浴中に襲われ、バラバラ殺人の被害者になったこと。100年ほど下って太田道灌も同じ手で殺される。どうも東国の武将は謀略が好きなようだ。

そして、この新田塚だが、彫刻の森美術館の中にあり、フェンスで囲っている。

そして、おもて道からここに来るまでに登山鉄道を横切るように線路があって踏切があるのだが、まったく愉快な名前が付けられている。

nittatuka2


『牛乳屋踏切』
牛乳の配達員が渡ったのだろうが、牛乳屋以外の方は通らなかったのだろうか。米屋、豆腐屋、酒屋・・・なども通っただろう。

急に牛乳を飲みたくなったが、我慢して歩くしかない。