OO7第6作、第7作

2015-03-25 00:00:54 | 映画・演劇・Video
BSジャパンの007シリーズ連続放送の第6作。『女王陛下の007』。連続放送で第1作から第4作まで放送したあと、第6作。第5作目はどうなったのだろう。日本人女優がボンドガールになった第5作だが何か理由があるのだろうか、あるいは単に見過ごしたのか。全23作を全部通しで放送するのだろうか。1作だけ抜けるのなら後で借りてくればいいのだろうが・・

で、第6作はボンド役をジョージ・レーゼンビーを演じる。ショーン・コネリー引退かと思うが、次作ではまたコネリー。思うに、第6作は今までのパターンと違って、馬やスキーというような現実的な小道具が中心だ。雪山をスキーで滑ったりボブスレーを操ったり、ショーン・コネリーは不得意なのかもしれない。なにしろ片足スキーまでしなければならない。

さらに、カーチェイスはボンドではなく、ボンドガールが運転するのだからまったく前作のボンドとは別人みたいだ(というか、別人だからだ)。

思うに、敵(スペクター団(実際はKGBをイメージ))との戦いの中で、しこたま撃たれるのだが、弾は当たらない。雪崩に襲われても自分だけ助かる。ボンドが死なないことははっきりしているのだから、007シリーズというのは、筋を楽しむよりも、場面ごとの小技、小ネタを楽しむべきものだろう。

最後に、ボンドは結婚してしまうが、これこそ次回作を観たい観客にとって最大の危機なのだが、相手の女性は撃たれて死んでしまう。妙なもので、たぶんそうなるだろうと推測していたので、全く悲しい気持ちにはならない。

007


第7作は、ダイヤモンドは永遠に。「ゴールドフィンガー」では、米国政府が所有する金塊を放射能汚染させ、金価格を釣り上げてもっている金の価値を上昇させようという、凝ったテーマだったが、「ダイヤモンドは永遠に」では、南アの鉱山から少しずつ抜き取ったダイヤモンドの原石を人工衛星に仕掛けたレーザー兵器に仕込んで、世界を脅迫するという筋になる。いずれにしても、かっぱらって金持ちになるというような米国型の映画より上等の線を狙っている。英国人のウィットなのだろう。

で、ショーン・コネリーが復活する。彼はいつもタキシードにネクタイで登場し、それで下水管にもぐったり海に飛び込んだりする。暑いだろうにと同情。さらに裸になるときのために胸毛の手入れも念入りに行う必要がある。

ボンド・ガールのジル・セント・ジョンはシリーズのボンドガール人気投票では常に上位にあるが、ショーン・コネリーと同じように典型的な英国上流階級の顔ではない。

始めからみていると、このシリーズ、英国諜報部が発明する小道具というのは、いつもミクロ的あるいはマニアックな者だが、対峙するスペクター団の方は、核兵器やミサイル、化学兵器やレーザービーム、経済戦争とか当時では机上に上がったばかりという先進的な武器である。そして、多くは実戦配備されることになった。

こうしてみると、「ボンドは死なない。死ぬとシリーズが終わるから。」という認識が、観客側に生まれてしまっているのだろう。最初の数作のような緊迫感が薄らいでいるように思える。もっとも、いなくなっても008シリーズを始めればいいように思うが、そうはなっていない。(ショーン・コネリー84歳。引退ということらしい。)