税関保管紙幣返還業務について

2015-02-12 00:00:24 | 市民A
税関の下請け仕事(本当は、正しい言い方がある)をしている関係で、神戸税関が岡山県の倉敷市役所で、とある保管品の本人返却業務を期間限定(2月2日~6日)で行うことを知る。

といっても、押収された麻薬とかピストルとか虎の剥製とかウタマロ画ではない。

保管紙幣。

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といっても意味不明と思うので、ワンポイント講座なのだが、まず、70年前の終戦。その時、旧日本領の外地には660万人の日本人が残留してしまう。国民総数の9%にもなる。

その後、それらの人の多くは、苦難の末、舞鶴をはじめとする日本の港(舞鶴、横浜、浦賀、呉、仙崎、下関、門司、博多、佐世保、鹿児島)に引き揚げることになり、一部の方は、それもかなわず外地の土となる。第一船は10月7日だった。その後、引き揚げ港は全国25港になるが、そこにまた一つ大きな不幸が始まる。引揚者の第一船が到着する2週間前に、GHQ(米国)が発令した規制で、金、銀、証券、通貨について、持ち込み制限が始まる。要するに、外地の9%の方が、財産を持ち帰ると、それが日本の通貨量の増大を招き、まだ生産力がゼロの日本では、ハイパーインフレが始まると考えられていた。

そして、持ち込もうとしたそれらの個人財産は、税関が預かる、ということになった。

しかし、それらの持ち込みを制限しても、結局さまざまな理由で日本は自然とインフレなり、その規制が解除された1953年ころには、多くの証券は、無価値になったり、現金との交換終了となっていたりしたわけだ。その時点で今度は「返還業務」がはじまる。

1953年段階で、44万3千人の134万9千件が未返還になっていて、その後62年間経ち、未返還分は26万8千人分の86万5千件が未返還になっているようだ。

その証券類だが、多いものの一つが軍票と呼ばれる占領地での地域通貨。ようするに日本軍が占領地で使用するために、ドル建とかルピー建とかの紙幣風借用書である。軍に持って行けば、いつでも本物の紙幣と交換してくれる権利証である。もちろん、日本軍は終戦即解散したので、その後は無価値だ。

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さらに戦争国債。国債については本来、日本国が責任を持つべきだが、戦後しばらくして、償還期限を変更し、その期限のあと10年後に無価値となった。

そして、現在でも法律的には使用できる札もあるが、事実上、インフレのため無価値に近いといえる。

まったく、壮絶な暴挙だったといえるだろう。