1977年棋士十傑

2009-10-10 00:00:13 | しょうぎ
書棚の古い書籍を整理していると、将棋関係の本も発掘される。

book1『日本将棋連盟・梶川真治著』:教育社入門新書

副題として、「中原時代を迎え活発な将棋界。将棋連盟の歴史と機構、名人争奪戦の真相。」

歴史編としては、幕末の混乱期のあと、明治になって棋士が団結した話や、スポンサーとしての新聞社同士の争い。そして、名人戦争奪戦について。

よく、朝日から毎日に替わった1977年から78年のことが蒸し返されるが、本著では、さらに遡った1949(昭和24年)年の事件が記されている。毎日から朝日に替わった事件である。交渉の最終段階で、毎日側から交渉担当の加藤治郎八段が「棋士も時代を考えて、新聞だけに頼らないで済ます方法を考えたらどうか」と言われ、カチンときたわけだ。

結局、新聞だけに頼る方法に安住してしまった。

普及関係については、将棋連盟の活動が書かれているが、ほぼ、現在と変わりがない。大きな進歩がなかったのだろう。

そして、1977年当時の棋士十傑が紹介されている。

木村、大山、中原、升田、二上、加藤、内藤、米長、大内、有吉。

ちなみに、この時、谷川浩司17世名人は四段。羽生19世名人は7歳。渡辺永世竜王はマイナス7歳である。

yone10人についてプロフィールと写真が紹介されているが、一人だけ笑い顔ではない棋士がいた。

米長邦雄。しかも、プロフィールは、彼には冷たい。

中原名人の対抗馬として、ファンの人気を集めているが、わずかに届かない。と書かれる。

中原名人に勝るものは、ゴルフの腕前らしい。中原名人の項には「最近、健康のためゴルフをはじめ・・・」となっているが、米長氏のゴルフの記載は、ハンデはH18と、そっけない。

将棋では勝てないので、ゴルフで勝とうとしたのだろうか。今でも、負けず嫌いは変わっていないようだ。さて、9月26日出題作の解答。



▲1二金 △同玉 ▲1三飛 △同玉 ▲1四金 △1二玉 ▲2三金 △1一玉(途中図1) ▲1二金 △同玉 ▲4五角 △1一玉(途中図2) ▲2一歩成 △同金 ▲1二歩 △同金 ▲同角成 △同玉 ▲2三金 △2一玉 ▲2二金まで21手詰



せっかくの持ち駒を不効率にすぐに使い切ってしまう。すると、すぐに打ち歩詰めのリスクが待っている。結局、持駒と盤上の駒を全部使って金一枚と交換し、盤上3枚で詰めることになる。

だからといって、煙詰めの練習をしているわけじゃない。詰んだ時の盤上の後片付けが好きじゃないのは、指し将棋党出身だからだろう。

動く将棋盤は、こちら



今週の問題。最近、長いのが多いので、今回はあらかじめ手数を表示すると、11手詰。

詰め上がりで、片付け損なった1枚が、辺地に残る。「みんなの党」状態?

わかった、と思われた方は、コメント欄に最終手を記していただければ、正誤判断。