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ミシュラン初めてのレース

2013年08月08日 | オイルリーク

Deplacement69ttp://www.fondation-lamap.org/fr/page/16815/6-histoire-de-la-roue

Felix Milletは1895年に行われた世界で最初の自動車レース(パリ‐ボルドー‐パリ)に参加して完走出来なかったが、唯一空気入りタイヤを履いたミシュラン兄弟のプジョーは相次ぐパンクの為に100時間の制限時間に間に合わなかった。

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スタート直後は、兄弟が乗ったプジョーは空気入りゴムタイヤの効果でスピードが出て、前のクルマを追い越し順位を上げることができた。
ところが、舗装道路がまったくなく砂利や泥ばかりの荒れた道を一定時間連続走行すると、必ずパンクしてしまうのである。

一旦パンクすると悲劇だった。クルマを道の端に止めて、積んできたスペアタイヤに履き替えるのであるが、現在のようにホイールそのものを取り替えるというやり方ではなかった。
クルマをジャッキアップして、ゴムタイヤのチューブ部分を車輪から取り外し、スペアのチューブに取り替えるという方式なので、装着するのに時間がかかった。
タイヤを交換している間に、せっかく追い抜いたクルマに抜き返されてしまうということを繰り返しているうちに、どのクルマにも大差をつけられてしまった。

 

途中で兄弟は、規定時間内には帰還できないかも知れないので棄権しようかとも思ったが、ここまできたのだから『空気入りゴムタイヤの優秀性をアピールしたい』という、当初目標を放棄するのに忍びないと考え直した。
そして、必死になってパリのゴール地点まで戻ってきたのである。
規定時間を既に3時間も遅れているので誰も待っていないと思っていると、ゴール地点に人だかりがあった。
何だろうとゴールに向かったところ、それが自分たちのクルマを待ち続けていた人たちであることがわかった2人は涙が溢れ出した。土ぼこりまみれの上に涙いっぱいのミシュラン兄弟は、拍手と歓声の中で、103時間という長旅から帰還したのだ。(ttp://ninada.blog.fc2.com/blog-entry-45.htmlより抜粋を引用)

7201ttp://www.parisenimages.fr/en/popup-photo.html?photo=720-1

レースは46台のエントリーながら実際にスタートしたのはガソリンエンジン車15台、蒸気エンジン車6台、電気自動車1台で、完走したのはガソリン車8台、蒸気エンジン車1台だった。往復1200kmを100時間という制限時間のなかで一番早かったのは、48時間を一人で不眠不休で走り切ったÉmile Levassorのパナールだったが、(4人乗りというレギュレーションで)正式な優勝は3番手でゴールしたプジョーだった。

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