不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

過去を知り、現在を生きる 東アジア史総論 朝鮮史をとおして考える 5

2017年06月29日 | 個人史・地域史・世界史
■移民(植民、開拓民、拓殖民)・強制移民・奴隷
 ヒト(Homo sapiens。ホモ・サピエンス)は、12万年前ころアフリカ東部で生成し、6万年前ころから全地球に移住しはじめた。
 ヒトの居住地に境界線がひかれ、さらに、国家が形成された。諸国家間の国境線は、何度も、戦争によって改変された。
 以下では、13世紀を前史とする15世紀の世界史成立後の、移住・移民の歴史について考えたい。
 世界史成立後の移民・移住の歴史は、侵略国家による他地域他国侵略の歴史であった。

(1)移民(Immigration.Immigrants.Emigrants。植民、開拓民、拓殖民)・強制移民・奴隷
  1、他地域他国侵略者:植民者、開拓民、拓殖民 → 移民国家・植民国家
    가、アメリカ合州国の場合
      先住民の大地と海への西ヨーロッパ白人の侵入→植民者による国民国家形成
      「西部開拓」という最悪の侵略犯罪による移民国家形成
    나、「イスラエル」の場合
      パレスティナ人の大地と海へのシオニストの侵入→絶えざる侵略地拡大(壁建設)
    다、カナダの場合。
    라、メキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、ペルー、ボリビア、チリ、ブラジル、アルゼン
     チン……の場合
    마、ロシアの場合。
    바、清→中国の場合。

  ※侵略者の名を国名としている国家:
      アメリカ、コロンビア、フィリピン、マーシャル諸島共和国、セーシェル共和国
     (1742年当時のフランスの財務大臣セシェル Séchelles)、クック諸島(ラロトン
     ガ王国:1858年、建国。1893年、クック諸島連合に入る。1965年、ニュージーラン
     ドと自由連合〈独立〉)。
   侵略者の名を地名としている地域:
      タスマニア島、マゼラン海峡、ビスマルク諸島、ワシントン州、カムチャツカ半島、
     ベーリング海、サンパウロ、ニューヨーク(1664年、イギリス人が占領)、ギルバー
     ト諸島、ルイジアナ(1682年、フランス人がフランス王ルイ14世の名を使って命名)、
     セントルイス(1764年、フランス人がルイ9世の名を使ってサン=ルイSaint-Louisと
     命名)、ペンシルベニア、カロライナ、シドニー。「エベレスト」(1865年にイギリス人が命
     名。ネパールではサガルマータ、チベットではチョモランマ、中国では朱母郎馬阿林、
     珠穆朗瑪峰、聖母峰)、「マッキンリー山」(2015年8月31日:デナリに改名)。
   侵略者がもとの地名を変えた地域
      パットンカン→八通関山(パットンカンの音訳。清時代)・玉山→モリソン山→新高山
     (1895年以後)→玉山(1945年以後)。
      蔚山市方魚洞の蔚崎灯台の「蔚崎」は「蔚山の終わり」という意味の日本式表記。「タ
     ンバウィ」だったが、1904年ここに駐屯していた日本海軍が名前を変えた。
      キンシャサ・キンタンボ→レオポルドヴィル(1881年にスタンリーがベルギー王レオポ
     ルド2世の名を使って命名)→キンシャサ(1966年~ )。
  2、被侵略者:
    가、被植民地域、被植民国からの移住民
    나、被植民地域、被植民国からの被強制移民:奴隷、被強制連行者
        大西洋奴隷貿易(強制移住)
          1452年:ローマ教皇ニコラウス5世、ポルトガル人に異教徒を永遠の奴隷にす
         る許可。
          17世紀~19世紀:アフリカ黒人約1200万人がアメリカ大陸に。
          1865年まで:アメリカ合州国内でアフリカ人が「合法的」に奴隷化された。
    다、被植民地域・被植民国の民衆:先住民、国民

(2)奴隷の強制移住
   16世紀末~19世紀末:「南北アメリカ」とカリブ海地域にアフリカ人1100万人が強制移住。
   大西洋奴隷貿易を開始したのは、スペイン人・ポルトガル人。
   1640年代~1865年:「北アメリカ」で、アフリカ人とその子孫が合法的に奴隷。

(3)難民(Refugee)

(4)日本人移民(植民者・開拓民・拓殖民)
   本格的な日本人移民は、国民国家日本形成期に開始された。国策移民。
  1、19世紀~
    가、アイヌモシリへの移民
       1869年7月8日:維新政府、開拓使設置。
       1869年8月15日:アイヌモシリの一部を「北海道」と命名。11か国86郡設置。
       1870年2月13日:樺太開拓使を設置し、開拓使を北海道開拓使に改称。
       1871年8月7日:北海道開拓使と樺太開拓使を統合。
       1875年5月:屯田兵侵入開始(1904年:屯田兵制度廃止)。
       1877年12月:北海道地券発行条例制定(アイヌの全居住地を「官有地」に編入)。
       1882年2月8日: 開拓使廃止。函館県・札幌県・根室県設置(廃使置県)。
       1886年1月26日:3県を廃止。北海道庁を設置(廃県置庁)。
       1896年5月12日:第7師団、屯田兵を母体として編成(旭川に司令部)。
       1947年5月3日:地方自治法施行。北海道庁廃止。北海道が発足。
       1950年6月1日:北海道開発庁設置。
       1951年7月1日:北海道開発局(運輸省・農林省・建設省の機関)設置。
       2001年1月6日:北海道開発庁は国土交通省北海道局に、北海道開発局は国土交
             通省の地方支分部局に。
         ※殖民軌道:
    나、ウルマネシアへの移民
  2、20世紀前半
    가、台湾への移民。
    나、朝鮮への移民。
       東洋拓殖会社の役割
    다、ハワイ・メキシコ・アメリカ合州国への移民。
    라、南米への移民。
    마、「南洋」への移民。
    바、「満洲」への移民(開拓民)。
    사、海南島、フィリピン……への移民。
  3、20世紀後半以後。
      南米への移民

(5)ウルマネシアからの移民
     1899年:ハワイへ27人。
     1908年:笠戸丸によるブラジル第1次移民781人(ウルマネシア人は325人、41.6%)。
     1915年ころ:糸満の漁民がサイパン島へ。以後ウルマネシア人が、サイパン、テニア
        ン、パラオ、ポナペ……へ。
     1935年:ハワイに1万2820人、ブラジルに1万0668人、ペルーに7647人、フィリピンに
        6229人、アルゼンチンに1841人。
     1938年までに:約2万人がハワイへ。
     1939年現在:「南洋群島」の日本人・ウルマネシア人移民7万7257人(ウルマネシア人
        4万5701人)。
     1944年7月24日 USA軍、テニアン島への上陸開始。8月3日、日本軍壊滅。8000人あ
        まりの日本兵のほとんどが死んだ。約1万5千人の日本人移民のうち約1500人が
        死亡したという。約3000人の朝鮮人のうち犠牲になった人も多かった。
     1948年:アルゼンチンへ33人、ペルーへ1人。
     1954~1964年:ボリビアへ3,200人。
   ※南洋群島沖縄県人戦没者並開拓殉難者慰霊碑(那覇市識名霊園内。1963年12月
    建立。1万2826人)。

(5)、日本および日本の侵略地への朝鮮人移民
  1、1937年まで 
      1918年2月:朝鮮総督府、「労働者募集取締規則」(府令)施行。
      1934年:日本政府、「朝鮮人移住対策の件」閣議決定。
  2、中国東北部・東北アジアへの「移民」
      1907年:日本政府「朝鮮統監府間島出張所」設置。
      1909年9月4日:「満州及び間島に関する日清協約」締結。
      1920年10月:日本軍、間島に侵入(「間島出兵」)。
          10月21日~26日:青山里戦闘。
            ※金靜美「朝鮮独立運動史上における1920年10月―青山里戦闘の歴史的
            意味を求めて―」(『朝鮮民族運動史研究』第3号、青丘文庫、1986年)。
      豆満江・鴨緑江を越えて
         →朝鮮族(1948年8月14日、中国共産党延辺地域委員会「延辺朝鮮民族人民に
         対する方針及び政策」制定)。
      「集団」。「安全農村」。
  3、強制連行(労働者、軍属、軍人、「慰安婦」)
      1938年4月:日本政府、国家総動員法公布(5月5日、朝鮮で施行)。
           7月:国民精神総動員朝鮮連盟発足(1940年10月に国民総力朝鮮連盟に
            改組)。
      1939年9月:朝鮮総督府、「朝鮮人労務者募集並渡航取扱要綱」出す(「募集」形式
           の強制連行開始)。
      1939年11月10日 朝鮮総督府、「朝鮮民事令」改悪。→ 1940年2月「創氏改名」実施。
      1942年2月:日本政府、「朝鮮人労務者活用に関する方策」閣議決定。
            朝鮮総督府、「朝鮮人内地移入斡旋要綱」決定→「官斡旋」形式の強制
           連行開始。
      1943年7月:海軍特別志願兵令公布(「勅令」)→ 朝鮮人、海軍特別志願兵に。
      1943年11月21日:USA軍、ギルバート諸島(現、キリバス共和国)のマキンとタラワ
           に上陸。11月22日、マキンで日本軍壊滅(500人近い日本兵のうち生き残っ
           たのは1人。日本軍の軍属としてマキンに送られていた朝鮮人数百人のうち
           生き残ったのは104人)。11月23日、タラワで日本軍壊滅(5000人近い日本
           兵、日本人軍属、朝鮮人軍属が死んだ。生き残った朝鮮人軍属は百数十人。
            マキンとタラワで命を失わされた朝鮮人は、約1200人であったという。
            「陸海軍要員としての朝鮮人労務者」に関し、「現在迄に直接戦闘に起因し
           て死歿せる者約 七三〇〇名(「タラワ」「マキン」両島に於ける玉砕者約一二
           〇〇名を含む)と推定せられ其の外行方不明七三五名を出せり」と書かれて
           いる(朝鮮総督府鉱工局勤労動員課『第八六回帝国議会説明資料』1944年
           12月)。
      1944年4月:朝鮮人にたいする徴兵検査開始。
          8月:日本政府、「半島人労務者の移入に関する件」閣議決定。
      1945 年1月:台湾人にたいする徴兵検査開始。
          6月:朝鮮総督府、「徴用忌避防遏取締規則」決定。
      1946年4月 海南島から朝鮮へ「帰還船」出港→釜山へ。
      1946 年5月~49年3月:朝鮮人23人・台湾人21人、「戦犯裁判」で処刑。

(6)、移民の世界史
  1、中国史における移民
      他地域他国侵略の先兵としての漢族移民
      華僑
  2、移民労働者
  3、核実験場とされた地域の人びと
     アメリカ合州国は、1946年7月、原爆をマ-シャル諸島ビキニ環礁で爆発させ、以後
    13年間にビキニ環礁・エニウェトク環礁で66回、原水爆を爆発させた。
     1947年7月、国際連合、マーシャル諸島をアメリカ合州国の信託統治領として承認。
     1954年3月1日ビキニ環礁で爆発させたアメリカ合州国の水爆は、広島原爆の1000
     倍。周辺で操業中の第五福龍丸など日本の漁船1,000隻以上が被曝。ビキニ環礁か
     ら180km離れたロンゲラップ島民は避難させられず「死の灰」を浴びた。
      被曝3日後、ロンゲラップ島の住民64人全員はクェゼリン環礁に強制移住させられた。
      3年後1957年にアメリカ合州国はロンゲラップ島の“安全宣言”を行ない、島民を帰
     還させた。しかし、実際には、残留放射能で島は住める状態ではなかった。1985年に
     ようやく全島民325人がロンゲラップ島を脱出しメジャト島に移住。
     1990年:マ-シャル諸島共和国独立。
     1998年:アメリカ合州国の資金でロンゲラップ島除染開始。
 4、「ディアスポラ」という虚偽

      ※金靜美「国民国家日本と日本人‘移民’」、『差別と共生の社会学』(岩波講座
      現代社会学15)、岩波書店、1996年。
                                金靜美(김정미 キム チョンミ)
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「沖縄で空襲犠牲の朝鮮人、... | トップ | 「昔日贫困村变“最美中国乡村”」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

個人史・地域史・世界史」カテゴリの最新記事