■移民(植民、開拓民、拓殖民)・強制移民・奴隷
ヒト(Homo sapiens。ホモ・サピエンス)は、12万年前ころアフリカ東部で生成し、6万年前ころから全地球に移住しはじめた。
ヒトの居住地に境界線がひかれ、さらに、国家が形成された。諸国家間の国境線は、何度も、戦争によって改変された。
以下では、13世紀を前史とする15世紀の世界史成立後の、移住・移民の歴史について考えたい。
世界史成立後の移民・移住の歴史は、侵略国家による他地域他国侵略の歴史であった。
(1)移民(Immigration.Immigrants.Emigrants。植民、開拓民、拓殖民)・強制移民・奴隷
1、他地域他国侵略者:植民者、開拓民、拓殖民 → 移民国家・植民国家
가、アメリカ合州国の場合
先住民の大地と海への西ヨーロッパ白人の侵入→植民者による国民国家形成
「西部開拓」という最悪の侵略犯罪による移民国家形成
나、「イスラエル」の場合
パレスティナ人の大地と海へのシオニストの侵入→絶えざる侵略地拡大(壁建設)
다、カナダの場合。
라、メキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、ペルー、ボリビア、チリ、ブラジル、アルゼン
チン……の場合
마、ロシアの場合。
바、清→中国の場合。
※侵略者の名を国名としている国家:
アメリカ、コロンビア、フィリピン、マーシャル諸島共和国、セーシェル共和国
(1742年当時のフランスの財務大臣セシェル Séchelles)、クック諸島(ラロトン
ガ王国:1858年、建国。1893年、クック諸島連合に入る。1965年、ニュージーラン
ドと自由連合〈独立〉)。
侵略者の名を地名としている地域:
タスマニア島、マゼラン海峡、ビスマルク諸島、ワシントン州、カムチャツカ半島、
ベーリング海、サンパウロ、ニューヨーク(1664年、イギリス人が占領)、ギルバー
ト諸島、ルイジアナ(1682年、フランス人がフランス王ルイ14世の名を使って命名)、
セントルイス(1764年、フランス人がルイ9世の名を使ってサン=ルイSaint-Louisと
命名)、ペンシルベニア、カロライナ、シドニー。「エベレスト」(1865年にイギリス人が命
名。ネパールではサガルマータ、チベットではチョモランマ、中国では朱母郎馬阿林、
珠穆朗瑪峰、聖母峰)、「マッキンリー山」(2015年8月31日:デナリに改名)。
侵略者がもとの地名を変えた地域
パットンカン→八通関山(パットンカンの音訳。清時代)・玉山→モリソン山→新高山
(1895年以後)→玉山(1945年以後)。
蔚山市方魚洞の蔚崎灯台の「蔚崎」は「蔚山の終わり」という意味の日本式表記。「タ
ンバウィ」だったが、1904年ここに駐屯していた日本海軍が名前を変えた。
キンシャサ・キンタンボ→レオポルドヴィル(1881年にスタンリーがベルギー王レオポ
ルド2世の名を使って命名)→キンシャサ(1966年~ )。
2、被侵略者:
가、被植民地域、被植民国からの移住民
나、被植民地域、被植民国からの被強制移民:奴隷、被強制連行者
大西洋奴隷貿易(強制移住)
1452年:ローマ教皇ニコラウス5世、ポルトガル人に異教徒を永遠の奴隷にす
る許可。
17世紀~19世紀:アフリカ黒人約1200万人がアメリカ大陸に。
1865年まで:アメリカ合州国内でアフリカ人が「合法的」に奴隷化された。
다、被植民地域・被植民国の民衆:先住民、国民
(2)奴隷の強制移住
16世紀末~19世紀末:「南北アメリカ」とカリブ海地域にアフリカ人1100万人が強制移住。
大西洋奴隷貿易を開始したのは、スペイン人・ポルトガル人。
1640年代~1865年:「北アメリカ」で、アフリカ人とその子孫が合法的に奴隷。
(3)難民(Refugee)
(4)日本人移民(植民者・開拓民・拓殖民)
本格的な日本人移民は、国民国家日本形成期に開始された。国策移民。
1、19世紀~
가、アイヌモシリへの移民
1869年7月8日:維新政府、開拓使設置。
1869年8月15日:アイヌモシリの一部を「北海道」と命名。11か国86郡設置。
1870年2月13日:樺太開拓使を設置し、開拓使を北海道開拓使に改称。
1871年8月7日:北海道開拓使と樺太開拓使を統合。
1875年5月:屯田兵侵入開始(1904年:屯田兵制度廃止)。
1877年12月:北海道地券発行条例制定(アイヌの全居住地を「官有地」に編入)。
1882年2月8日: 開拓使廃止。函館県・札幌県・根室県設置(廃使置県)。
1886年1月26日:3県を廃止。北海道庁を設置(廃県置庁)。
1896年5月12日:第7師団、屯田兵を母体として編成(旭川に司令部)。
1947年5月3日:地方自治法施行。北海道庁廃止。北海道が発足。
1950年6月1日:北海道開発庁設置。
1951年7月1日:北海道開発局(運輸省・農林省・建設省の機関)設置。
2001年1月6日:北海道開発庁は国土交通省北海道局に、北海道開発局は国土交
通省の地方支分部局に。
※殖民軌道:
나、ウルマネシアへの移民
2、20世紀前半
가、台湾への移民。
나、朝鮮への移民。
東洋拓殖会社の役割
다、ハワイ・メキシコ・アメリカ合州国への移民。
라、南米への移民。
마、「南洋」への移民。
바、「満洲」への移民(開拓民)。
사、海南島、フィリピン……への移民。
3、20世紀後半以後。
南米への移民
(5)ウルマネシアからの移民
1899年:ハワイへ27人。
1908年:笠戸丸によるブラジル第1次移民781人(ウルマネシア人は325人、41.6%)。
1915年ころ:糸満の漁民がサイパン島へ。以後ウルマネシア人が、サイパン、テニア
ン、パラオ、ポナペ……へ。
1935年:ハワイに1万2820人、ブラジルに1万0668人、ペルーに7647人、フィリピンに
6229人、アルゼンチンに1841人。
1938年までに:約2万人がハワイへ。
1939年現在:「南洋群島」の日本人・ウルマネシア人移民7万7257人(ウルマネシア人
4万5701人)。
1944年7月24日 USA軍、テニアン島への上陸開始。8月3日、日本軍壊滅。8000人あ
まりの日本兵のほとんどが死んだ。約1万5千人の日本人移民のうち約1500人が
死亡したという。約3000人の朝鮮人のうち犠牲になった人も多かった。
1948年:アルゼンチンへ33人、ペルーへ1人。
1954~1964年:ボリビアへ3,200人。
※南洋群島沖縄県人戦没者並開拓殉難者慰霊碑(那覇市識名霊園内。1963年12月
建立。1万2826人)。
(5)、日本および日本の侵略地への朝鮮人移民
1、1937年まで
1918年2月:朝鮮総督府、「労働者募集取締規則」(府令)施行。
1934年:日本政府、「朝鮮人移住対策の件」閣議決定。
2、中国東北部・東北アジアへの「移民」
1907年:日本政府「朝鮮統監府間島出張所」設置。
1909年9月4日:「満州及び間島に関する日清協約」締結。
1920年10月:日本軍、間島に侵入(「間島出兵」)。
10月21日~26日:青山里戦闘。
※金靜美「朝鮮独立運動史上における1920年10月―青山里戦闘の歴史的
意味を求めて―」(『朝鮮民族運動史研究』第3号、青丘文庫、1986年)。
豆満江・鴨緑江を越えて
→朝鮮族(1948年8月14日、中国共産党延辺地域委員会「延辺朝鮮民族人民に
対する方針及び政策」制定)。
「集団」。「安全農村」。
3、強制連行(労働者、軍属、軍人、「慰安婦」)
1938年4月:日本政府、国家総動員法公布(5月5日、朝鮮で施行)。
7月:国民精神総動員朝鮮連盟発足(1940年10月に国民総力朝鮮連盟に
改組)。
1939年9月:朝鮮総督府、「朝鮮人労務者募集並渡航取扱要綱」出す(「募集」形式
の強制連行開始)。
1939年11月10日 朝鮮総督府、「朝鮮民事令」改悪。→ 1940年2月「創氏改名」実施。
1942年2月:日本政府、「朝鮮人労務者活用に関する方策」閣議決定。
朝鮮総督府、「朝鮮人内地移入斡旋要綱」決定→「官斡旋」形式の強制
連行開始。
1943年7月:海軍特別志願兵令公布(「勅令」)→ 朝鮮人、海軍特別志願兵に。
1943年11月21日:USA軍、ギルバート諸島(現、キリバス共和国)のマキンとタラワ
に上陸。11月22日、マキンで日本軍壊滅(500人近い日本兵のうち生き残っ
たのは1人。日本軍の軍属としてマキンに送られていた朝鮮人数百人のうち
生き残ったのは104人)。11月23日、タラワで日本軍壊滅(5000人近い日本
兵、日本人軍属、朝鮮人軍属が死んだ。生き残った朝鮮人軍属は百数十人。
マキンとタラワで命を失わされた朝鮮人は、約1200人であったという。
「陸海軍要員としての朝鮮人労務者」に関し、「現在迄に直接戦闘に起因し
て死歿せる者約 七三〇〇名(「タラワ」「マキン」両島に於ける玉砕者約一二
〇〇名を含む)と推定せられ其の外行方不明七三五名を出せり」と書かれて
いる(朝鮮総督府鉱工局勤労動員課『第八六回帝国議会説明資料』1944年
12月)。
1944年4月:朝鮮人にたいする徴兵検査開始。
8月:日本政府、「半島人労務者の移入に関する件」閣議決定。
1945 年1月:台湾人にたいする徴兵検査開始。
6月:朝鮮総督府、「徴用忌避防遏取締規則」決定。
1946年4月 海南島から朝鮮へ「帰還船」出港→釜山へ。
1946 年5月~49年3月:朝鮮人23人・台湾人21人、「戦犯裁判」で処刑。
(6)、移民の世界史
1、中国史における移民
他地域他国侵略の先兵としての漢族移民
華僑
2、移民労働者
3、核実験場とされた地域の人びと
アメリカ合州国は、1946年7月、原爆をマ-シャル諸島ビキニ環礁で爆発させ、以後
13年間にビキニ環礁・エニウェトク環礁で66回、原水爆を爆発させた。
1947年7月、国際連合、マーシャル諸島をアメリカ合州国の信託統治領として承認。
1954年3月1日ビキニ環礁で爆発させたアメリカ合州国の水爆は、広島原爆の1000
倍。周辺で操業中の第五福龍丸など日本の漁船1,000隻以上が被曝。ビキニ環礁か
ら180km離れたロンゲラップ島民は避難させられず「死の灰」を浴びた。
被曝3日後、ロンゲラップ島の住民64人全員はクェゼリン環礁に強制移住させられた。
3年後1957年にアメリカ合州国はロンゲラップ島の“安全宣言”を行ない、島民を帰
還させた。しかし、実際には、残留放射能で島は住める状態ではなかった。1985年に
ようやく全島民325人がロンゲラップ島を脱出しメジャト島に移住。
1990年:マ-シャル諸島共和国独立。
1998年:アメリカ合州国の資金でロンゲラップ島除染開始。
4、「ディアスポラ」という虚偽
※金靜美「国民国家日本と日本人‘移民’」、『差別と共生の社会学』(岩波講座
現代社会学15)、岩波書店、1996年。
金靜美(김정미 キム チョンミ)
ヒト(Homo sapiens。ホモ・サピエンス)は、12万年前ころアフリカ東部で生成し、6万年前ころから全地球に移住しはじめた。
ヒトの居住地に境界線がひかれ、さらに、国家が形成された。諸国家間の国境線は、何度も、戦争によって改変された。
以下では、13世紀を前史とする15世紀の世界史成立後の、移住・移民の歴史について考えたい。
世界史成立後の移民・移住の歴史は、侵略国家による他地域他国侵略の歴史であった。
(1)移民(Immigration.Immigrants.Emigrants。植民、開拓民、拓殖民)・強制移民・奴隷
1、他地域他国侵略者:植民者、開拓民、拓殖民 → 移民国家・植民国家
가、アメリカ合州国の場合
先住民の大地と海への西ヨーロッパ白人の侵入→植民者による国民国家形成
「西部開拓」という最悪の侵略犯罪による移民国家形成
나、「イスラエル」の場合
パレスティナ人の大地と海へのシオニストの侵入→絶えざる侵略地拡大(壁建設)
다、カナダの場合。
라、メキシコ、グアテマラ、ホンジュラス、ペルー、ボリビア、チリ、ブラジル、アルゼン
チン……の場合
마、ロシアの場合。
바、清→中国の場合。
※侵略者の名を国名としている国家:
アメリカ、コロンビア、フィリピン、マーシャル諸島共和国、セーシェル共和国
(1742年当時のフランスの財務大臣セシェル Séchelles)、クック諸島(ラロトン
ガ王国:1858年、建国。1893年、クック諸島連合に入る。1965年、ニュージーラン
ドと自由連合〈独立〉)。
侵略者の名を地名としている地域:
タスマニア島、マゼラン海峡、ビスマルク諸島、ワシントン州、カムチャツカ半島、
ベーリング海、サンパウロ、ニューヨーク(1664年、イギリス人が占領)、ギルバー
ト諸島、ルイジアナ(1682年、フランス人がフランス王ルイ14世の名を使って命名)、
セントルイス(1764年、フランス人がルイ9世の名を使ってサン=ルイSaint-Louisと
命名)、ペンシルベニア、カロライナ、シドニー。「エベレスト」(1865年にイギリス人が命
名。ネパールではサガルマータ、チベットではチョモランマ、中国では朱母郎馬阿林、
珠穆朗瑪峰、聖母峰)、「マッキンリー山」(2015年8月31日:デナリに改名)。
侵略者がもとの地名を変えた地域
パットンカン→八通関山(パットンカンの音訳。清時代)・玉山→モリソン山→新高山
(1895年以後)→玉山(1945年以後)。
蔚山市方魚洞の蔚崎灯台の「蔚崎」は「蔚山の終わり」という意味の日本式表記。「タ
ンバウィ」だったが、1904年ここに駐屯していた日本海軍が名前を変えた。
キンシャサ・キンタンボ→レオポルドヴィル(1881年にスタンリーがベルギー王レオポ
ルド2世の名を使って命名)→キンシャサ(1966年~ )。
2、被侵略者:
가、被植民地域、被植民国からの移住民
나、被植民地域、被植民国からの被強制移民:奴隷、被強制連行者
大西洋奴隷貿易(強制移住)
1452年:ローマ教皇ニコラウス5世、ポルトガル人に異教徒を永遠の奴隷にす
る許可。
17世紀~19世紀:アフリカ黒人約1200万人がアメリカ大陸に。
1865年まで:アメリカ合州国内でアフリカ人が「合法的」に奴隷化された。
다、被植民地域・被植民国の民衆:先住民、国民
(2)奴隷の強制移住
16世紀末~19世紀末:「南北アメリカ」とカリブ海地域にアフリカ人1100万人が強制移住。
大西洋奴隷貿易を開始したのは、スペイン人・ポルトガル人。
1640年代~1865年:「北アメリカ」で、アフリカ人とその子孫が合法的に奴隷。
(3)難民(Refugee)
(4)日本人移民(植民者・開拓民・拓殖民)
本格的な日本人移民は、国民国家日本形成期に開始された。国策移民。
1、19世紀~
가、アイヌモシリへの移民
1869年7月8日:維新政府、開拓使設置。
1869年8月15日:アイヌモシリの一部を「北海道」と命名。11か国86郡設置。
1870年2月13日:樺太開拓使を設置し、開拓使を北海道開拓使に改称。
1871年8月7日:北海道開拓使と樺太開拓使を統合。
1875年5月:屯田兵侵入開始(1904年:屯田兵制度廃止)。
1877年12月:北海道地券発行条例制定(アイヌの全居住地を「官有地」に編入)。
1882年2月8日: 開拓使廃止。函館県・札幌県・根室県設置(廃使置県)。
1886年1月26日:3県を廃止。北海道庁を設置(廃県置庁)。
1896年5月12日:第7師団、屯田兵を母体として編成(旭川に司令部)。
1947年5月3日:地方自治法施行。北海道庁廃止。北海道が発足。
1950年6月1日:北海道開発庁設置。
1951年7月1日:北海道開発局(運輸省・農林省・建設省の機関)設置。
2001年1月6日:北海道開発庁は国土交通省北海道局に、北海道開発局は国土交
通省の地方支分部局に。
※殖民軌道:
나、ウルマネシアへの移民
2、20世紀前半
가、台湾への移民。
나、朝鮮への移民。
東洋拓殖会社の役割
다、ハワイ・メキシコ・アメリカ合州国への移民。
라、南米への移民。
마、「南洋」への移民。
바、「満洲」への移民(開拓民)。
사、海南島、フィリピン……への移民。
3、20世紀後半以後。
南米への移民
(5)ウルマネシアからの移民
1899年:ハワイへ27人。
1908年:笠戸丸によるブラジル第1次移民781人(ウルマネシア人は325人、41.6%)。
1915年ころ:糸満の漁民がサイパン島へ。以後ウルマネシア人が、サイパン、テニア
ン、パラオ、ポナペ……へ。
1935年:ハワイに1万2820人、ブラジルに1万0668人、ペルーに7647人、フィリピンに
6229人、アルゼンチンに1841人。
1938年までに:約2万人がハワイへ。
1939年現在:「南洋群島」の日本人・ウルマネシア人移民7万7257人(ウルマネシア人
4万5701人)。
1944年7月24日 USA軍、テニアン島への上陸開始。8月3日、日本軍壊滅。8000人あ
まりの日本兵のほとんどが死んだ。約1万5千人の日本人移民のうち約1500人が
死亡したという。約3000人の朝鮮人のうち犠牲になった人も多かった。
1948年:アルゼンチンへ33人、ペルーへ1人。
1954~1964年:ボリビアへ3,200人。
※南洋群島沖縄県人戦没者並開拓殉難者慰霊碑(那覇市識名霊園内。1963年12月
建立。1万2826人)。
(5)、日本および日本の侵略地への朝鮮人移民
1、1937年まで
1918年2月:朝鮮総督府、「労働者募集取締規則」(府令)施行。
1934年:日本政府、「朝鮮人移住対策の件」閣議決定。
2、中国東北部・東北アジアへの「移民」
1907年:日本政府「朝鮮統監府間島出張所」設置。
1909年9月4日:「満州及び間島に関する日清協約」締結。
1920年10月:日本軍、間島に侵入(「間島出兵」)。
10月21日~26日:青山里戦闘。
※金靜美「朝鮮独立運動史上における1920年10月―青山里戦闘の歴史的
意味を求めて―」(『朝鮮民族運動史研究』第3号、青丘文庫、1986年)。
豆満江・鴨緑江を越えて
→朝鮮族(1948年8月14日、中国共産党延辺地域委員会「延辺朝鮮民族人民に
対する方針及び政策」制定)。
「集団」。「安全農村」。
3、強制連行(労働者、軍属、軍人、「慰安婦」)
1938年4月:日本政府、国家総動員法公布(5月5日、朝鮮で施行)。
7月:国民精神総動員朝鮮連盟発足(1940年10月に国民総力朝鮮連盟に
改組)。
1939年9月:朝鮮総督府、「朝鮮人労務者募集並渡航取扱要綱」出す(「募集」形式
の強制連行開始)。
1939年11月10日 朝鮮総督府、「朝鮮民事令」改悪。→ 1940年2月「創氏改名」実施。
1942年2月:日本政府、「朝鮮人労務者活用に関する方策」閣議決定。
朝鮮総督府、「朝鮮人内地移入斡旋要綱」決定→「官斡旋」形式の強制
連行開始。
1943年7月:海軍特別志願兵令公布(「勅令」)→ 朝鮮人、海軍特別志願兵に。
1943年11月21日:USA軍、ギルバート諸島(現、キリバス共和国)のマキンとタラワ
に上陸。11月22日、マキンで日本軍壊滅(500人近い日本兵のうち生き残っ
たのは1人。日本軍の軍属としてマキンに送られていた朝鮮人数百人のうち
生き残ったのは104人)。11月23日、タラワで日本軍壊滅(5000人近い日本
兵、日本人軍属、朝鮮人軍属が死んだ。生き残った朝鮮人軍属は百数十人。
マキンとタラワで命を失わされた朝鮮人は、約1200人であったという。
「陸海軍要員としての朝鮮人労務者」に関し、「現在迄に直接戦闘に起因し
て死歿せる者約 七三〇〇名(「タラワ」「マキン」両島に於ける玉砕者約一二
〇〇名を含む)と推定せられ其の外行方不明七三五名を出せり」と書かれて
いる(朝鮮総督府鉱工局勤労動員課『第八六回帝国議会説明資料』1944年
12月)。
1944年4月:朝鮮人にたいする徴兵検査開始。
8月:日本政府、「半島人労務者の移入に関する件」閣議決定。
1945 年1月:台湾人にたいする徴兵検査開始。
6月:朝鮮総督府、「徴用忌避防遏取締規則」決定。
1946年4月 海南島から朝鮮へ「帰還船」出港→釜山へ。
1946 年5月~49年3月:朝鮮人23人・台湾人21人、「戦犯裁判」で処刑。
(6)、移民の世界史
1、中国史における移民
他地域他国侵略の先兵としての漢族移民
華僑
2、移民労働者
3、核実験場とされた地域の人びと
アメリカ合州国は、1946年7月、原爆をマ-シャル諸島ビキニ環礁で爆発させ、以後
13年間にビキニ環礁・エニウェトク環礁で66回、原水爆を爆発させた。
1947年7月、国際連合、マーシャル諸島をアメリカ合州国の信託統治領として承認。
1954年3月1日ビキニ環礁で爆発させたアメリカ合州国の水爆は、広島原爆の1000
倍。周辺で操業中の第五福龍丸など日本の漁船1,000隻以上が被曝。ビキニ環礁か
ら180km離れたロンゲラップ島民は避難させられず「死の灰」を浴びた。
被曝3日後、ロンゲラップ島の住民64人全員はクェゼリン環礁に強制移住させられた。
3年後1957年にアメリカ合州国はロンゲラップ島の“安全宣言”を行ない、島民を帰
還させた。しかし、実際には、残留放射能で島は住める状態ではなかった。1985年に
ようやく全島民325人がロンゲラップ島を脱出しメジャト島に移住。
1990年:マ-シャル諸島共和国独立。
1998年:アメリカ合州国の資金でロンゲラップ島除染開始。
4、「ディアスポラ」という虚偽
※金靜美「国民国家日本と日本人‘移民’」、『差別と共生の社会学』(岩波講座
現代社会学15)、岩波書店、1996年。
金靜美(김정미 キム チョンミ)