程益花さん、許声裕さん、林書松さんから話しを聞かせてもらったあと、3人が証言した雷鳴駐屯日本軍による処刑跡に、王昭成さんに案内してもらいました。
そこでは、3階建てのビルが建築中でした。そのビルから道路を挟んだ向かい側にちいさな空き地があって、そこに日本軍用の井戸があったとのことでした。
日本海軍は雷鳴に守備隊を常駐させていました。雷鳴守備隊は、日本海軍舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊に所属していました。
防衛研究所戦史研究センター史料室で公開されて『海南警備府戦時日誌』に含まれている「陸上部隊兵力配備要図(1943年3月1日現在)」には、雷鳴守備隊の日本兵は42人、定安守備隊の日本兵は72人、金鶏嶺守備隊の日本兵は18人と書かれています。
日本占領下の海南島で教師をしていた日本人教師は、日本海軍海南特務部政務局第3課が設置・運営していた特務部海南師範学校の卒業生でした。海南師範学校については、このブログに2008年9月9日に掲載した「『海南島三省連絡会議決議事項抄録』 6」、2011年7月15日~8月21日、2012年2月5日、2月20日に掲載した「「海南師範学校」(1~16)」をみてください。海南師範学校の関係者が出版した『天涯に陽は昇る 海南島への架け橋』(発行人山本良一、2004年9月)には、雷鳴の日本語教師には、海南師範学校第3期生の中という人がいたと書かれています(163頁)。
佐藤正人
そこでは、3階建てのビルが建築中でした。そのビルから道路を挟んだ向かい側にちいさな空き地があって、そこに日本軍用の井戸があったとのことでした。
日本海軍は雷鳴に守備隊を常駐させていました。雷鳴守備隊は、日本海軍舞鶴鎮守府第1特別陸戦隊に所属していました。
防衛研究所戦史研究センター史料室で公開されて『海南警備府戦時日誌』に含まれている「陸上部隊兵力配備要図(1943年3月1日現在)」には、雷鳴守備隊の日本兵は42人、定安守備隊の日本兵は72人、金鶏嶺守備隊の日本兵は18人と書かれています。
日本占領下の海南島で教師をしていた日本人教師は、日本海軍海南特務部政務局第3課が設置・運営していた特務部海南師範学校の卒業生でした。海南師範学校については、このブログに2008年9月9日に掲載した「『海南島三省連絡会議決議事項抄録』 6」、2011年7月15日~8月21日、2012年2月5日、2月20日に掲載した「「海南師範学校」(1~16)」をみてください。海南師範学校の関係者が出版した『天涯に陽は昇る 海南島への架け橋』(発行人山本良一、2004年9月)には、雷鳴の日本語教師には、海南師範学校第3期生の中という人がいたと書かれています(163頁)。
佐藤正人