三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「東京に響いた強制動員被害者の子どもらの叫び「尹政権は勝手に終わらせるな」」

2024年03月26日 | 国民国家日本の侵略犯罪
「The Hankyoreh」 2024-03-26 06:07
■[ルポ]東京に響いた強制動員被害者の子どもらの叫び「尹政権は勝手に終わらせるな」
 親世代の長い闘争、子どもたちが引き継ぐと宣言  
 日本製鉄など戦犯企業を訪れ交渉を要請

【写真】左から三菱重工業の強制動員被害者、ヤン・クムドクさんの息子、パク・サンウンさんと故チョン・チャンヒさんの息子、ジョンゴンさん、イ・チュンシクさんの長女ゴウンさん=キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 「父の苦しみを誰よりもよく知っています。その志を受け継いで最後まで戦うつもりです」。
 春雨が降りしきる25日午前、東京都千代田区にある日本製鉄の前。2018年、最高裁で勝訴した強制動員被害者のイ・チュンシクさんの長女ゴウンさん(65)は、日本製鉄を相手に謝罪と賠償を求めるために、初めて東京を訪れた。ゴウンさんは「父が25年以上戦って最高裁で勝訴した。もう終わりだと思っていたのに、6年間も問題が解決されていない」と声を高めた。ゴウンさんは「父は103歳だ。日本製鉄は、父が生きている時に過去の過ちに対して謝罪し、賠償しなければならない。我々は絶対にあきらめない」と語った。
 同日、ゴウンさんだけでなく、三菱重工業の強制動員被害者ヤン・クムドクさんの息子パク・サンウンさん(67)と故チョン・チャンヒさんの息子ジョンゴンさん(67)も行動を共にした。強制動員の被害者だった親世代の長い闘争を60代の老年の子どもたちが受け継ぐために乗り出したのだ。
 パクさんは「母は小学校6年生の時に騙されて三菱に行き、本当に苦労した。一生三菱を相手に戦ってきたが、昨年から健康が悪化し、今はかいごしせつ介護医療院にいる」と話した。パクさんは「その痛恨と悲しみをそばで見守ってきた子どもとして、道理を尽くしたい」と訴えた。

【写真】2018年最高裁で勝訴した強制動員被害者イ・チュンシクさんの長女ゴウンさんが25日午前、訴訟を代理したイム・ジェソン弁護士と共に日本製鉄を相手に謝罪と賠償を要求するために東京千代田区にある日本製鉄本社に入ろうとしている=キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 2012年にこの世を去ったジョンゴンさんの父親も三菱重工業の強制動員被害者だ。 「父は三菱広島造船所に強制動員され、(1945年8月6日に)被ばくまでした。韓国に戻った後、胃痛と高血圧、心臓病に苦しみながらも強制動員被害者の人権回復のために尽力した」。ジョンゴンさんは「強制動員被害を認めることと心からの謝罪が父の遺志」だと語った。
 強制動員被害者の子どもたちは、韓国の「日帝強制動員被害者支援財団」が日本企業の賠償金を肩代わりする尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の「第三者弁済」について、口を揃えて批判した。ジョンゴンさんは「父が生きていたら、乞食をしてでも絶対に自分の権利を剥奪する『第三者弁済』という奇怪千万なお金は受け取らなかっただろう」とし、「私たちも同じだ」と話した。
 彼らは特に、龍山(ヨンサン)大統領室関係者が「強制徴用問題は政府の解決法などを通じて終了した状況」だと発言したことに対し、強く反発した。ゴウンさんは「被害者たちが戦っているのに、政府が『終了』という言葉を口にするなんて耳を疑う。我々を無視している」と憤りを露にした。パクさんも「本当に韓国政府なのか疑わしいほどだ。第三者弁済は被害者の意思を完全に歪曲している。政府が勝手に戦いを終わらせることはできない」と述べた。

【写真】最高裁で勝訴した強制動員被害者の子どもたちが東京にある日本製鉄・三菱重工業本社などを訪ね「謝罪と賠償に乗り出すべき」と要求した=キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社

 強制動員被害者の子供たちは訴訟を代理しているイム・ジェソン弁護士、キム・ヨンファン民族問題研究所対外協力室長と共に問題解決を要求するために東京にある日本製鉄、三菱重工業、不二越本社を訪ねたが、関係者に会うことができなかった。日本企業側は、被害者側が事前に面談を要請したにもかかわらず、「約束が取れなくて難しい」、「担当者が出張中」だと言い訳をして彼らを避けた。
 イム弁護士は「韓国政府が第三者弁済を進めているが、(これを受け入れない)被害者たちは依然として判決と債権を持っている。一国の最高裁判所が出した判決はそう簡単にはなくならない」とし、「日本製鉄などは交渉に乗り出すべきだ」と要求した。キム室長も「強制動員被害者問題はまだ終わっておらず、第三者弁済では絶対に終わらせることができない」とし、「結局、日本社会が解決しなければならない」と強調した。同日、広島や富山、大阪など日本全国で強制動員被害者を支援する日本市民団体関係者たちも参加し「日本企業は謝罪と賠償に乗り出すべき」と要求した。
 東京/キム・ソヨン特派員(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力: 2024-03-25 23:30


「聯合ニュース」 2024.03.25 15:27
■韓国人徴用被害者の家族 日本企業の本社訪ねるも門前払い=「最後まで闘う」
【東京聯合ニュース】韓日間の徴用訴訟問題を巡る韓国政府の解決策を受け入れていない徴用被害者の家族らが25日、謝罪と賠償を求めて被告企業の日本製鉄の本社(東京都千代田区)を訪れた。日本製鉄側は面会しようとせず、被害者家族は「最後まで闘う」と声を上げた。

【写真】日本製鉄の本社前で、存命の徴用被害者、李春植さんの写真を掲げる長女(中央)=25日、東京(聯合ニュース)

 2018年に韓国大法院(最高裁)で勝訴が確定した賠償請求訴訟の原告は15人だった。韓国政府は昨年3月、政府傘下の財団が日本企業に代わって賠償金などを支給する第三者弁済を発表したが、原告のうち4人が受け入れを拒んでいる。
 これら原告、徴用被害者の李春植(イ・チュンシク)さん、梁錦徳(ヤン・グムドク)さん、チョン・チャンヒさんの家族は25日午前、韓国と日本の市民団体関係者や弁護士と共に日本製鉄の本社を訪れた。故朴海玉(パク・ヘオク)さんの家族は個人的な事情で参加できなかった。
 原告を代表して李春植さんの長女が弁護士らと一緒に日本製鉄の本社ビルに入ったが、関係者に会うことができず約10分後に引き返した。林宰成(イム・ジェソン)弁護士は「事前に面会を要請して出掛けたが、『アポが無いため会うことができない』と言われた」と話した。大法院の判決を受け入れて賠償するよう促す要請書の受け取りを求めても、日本製鉄側は「時間が無く、下まで降りていける状況でない」と答えたという。受付デスクに預ければ受け付けたと認めてもらえるかと尋ねたが、認められないとの答えだった。
 こうした日本製鉄側の対応に李春植さんの長女は「卑怯だ。堂々とできないからだと思う」と批判。「父はこの会社の社員だった。この建物にも父の血と汗がしみ込んでいる」とし、涙を浮かべながら「謝罪を受けるため最後まで闘う」と決意を新たにした。
 雨が降りしきる中、徴用被害者の家族らは被害者の写真や謝罪・賠償を要求するプラカードを掲げ、抗議した。
 現場には韓国と日本の報道陣が数十人詰め掛けた。日本製鉄の警備員は被害者家族側の写真撮影を制止するなど、ぴりぴりした雰囲気だった。
 一行は日本製鉄に続き、別の被告企業、三菱重工業と不二越も訪問したが、これらの企業も門前払いした。
 被害者の家族らは各企業を訪問した後、東京・千代田区の衆議院第2議員会館で記者会見を行った。
 梁錦徳さんの息子のパク・サンウンさんは「母は飢え死にしても第三者弁済案は拒否すると話している」として「心からの謝罪をするならばわれわれは喜んで許す」と話した。
 林弁護士は「韓国政府が代わりに措置するという形で日本政府がこの問題を無視するのは正当でも持続可能でもない」と主張。裁判所が被害者勝訴の判決を出し続けている事実を説明しながら「法律上も第三者弁済方式は使うことができない」と指摘した。
 韓国人の徴用について、日本企業側は1965年の韓日請求権協定で解決済みとの認識を示す。大法院の判決は協定に反するもので、遺憾との立場を貫いている。
 一方、韓国政府は第三者弁済による解決策を打ち出した後、受け入れを拒否した4人については賠償金相当額を裁判所へ供託しようとしたが、裁判所は受理しなかった。原告4人は日本企業の資産の強制売却による賠償金受け取りを望んでいる。 


【写真】日本製鉄本社前で抗議の声を上げる徴用被害者の家族や支援者=25日、東京(聯合ニュース)


「聯合ニュース」 2024.03.24 11:07
■徴用被害者の家族ら 25日に日本製鉄など訪問=謝罪・賠償求める
 崔セイル
【光州聯合ニュース】韓日間の徴用訴訟問題を巡る韓国政府の解決策を受け入れていない徴用被害者の家族らが日本の被告企業を訪れ謝罪を求める。徴用被害者を支援する韓国の市民団体「日帝強制動員市民の集まり」が24日、伝えた。

【写真】梁錦徳さん(前列左)と李春植さん(同右)=(聯合ニュース)

 同団体によると、李春植(イ・チュンシク)さん、梁錦徳(ヤン・グムドク)さん、チョン・チャンヒさんの家族は25日、日本製鉄、三菱重工業、不二越を訪れ、謝罪と賠償を求める。
 被害者らの家族が日本企業を訪問するのは初めて。被害者らは韓国政府傘下の財団が日本企業の代わりに賠償金の相当額を支払う解決策「第三者弁済」方式を拒否してきた。
 被告企業を訪問してからは東京・千代田区の衆議院第2議員会館前で開かれる集会に参加する。
 第三者弁済方式を拒否する原告の1人、故朴海玉(パク・ヘオク)さんの家族は個人の都合で参加できなかった。


「The Hankyoreh」 2024-03-19 10:02
■強制動員被害者チュ・グミョンさん死去…裁判開始を5年待たされた末

【写真】2022年7月17日午後、全羅南道羅州市大湖洞のアパートの敬老堂で、チュ・グミョンさんがハンギョレのインタビューに応じている=チョン・デハ記者//ハンギョレ新聞社

 日帝強占期の強制動員の被害者で、10代の頃に日本の戦犯企業である不二越で働かされたチュ・グミョンさんが、日本の謝罪を聞けずに世を去った。享年96。
 (社)日帝強制動員市民の会は18日、チュさんが肺の疾患で入院治療中に、前日の17日に死去したと明らかにした。

 16歳で日本の不二越の工場に強制動員
 「汁が少し、ご飯も少しで、鉄ばかり削った」
 米軍の爆撃で一晩中泣きながら隠れていたことも

 2019年に損害賠償請求訴訟も
 日本政府の非協力で訴状送達が遅延
 裁判開始を5年待った末に死去
 「幼くして連れていかれ苦労した
 補償してくれたらそれ以上望むことはない」

 全羅南道羅州市(ナジュシ)で生まれたチュさんは、羅州大正国民学校(現在の羅州初等学校)に在学中だった1945年2月、16歳で日本の富山にある不二越の工場に友人たちと共に強制動員された。不二越は軍需工場で、朝鮮から1千人以上の10代の少女を強制動員した、最大の勤労挺身隊動員の事業所。チュさんらは同工場で製品の切削工程に投入された。
 チュさんは2020年に日帝強制動員市民の会が発行した口述記録集「空腹で殴られながら白く咲いたとげのある花をなめた」で、「日本人が学校に訪ねてきて『日本に行けばお金も稼げるし良い』とさかんに言われたので志願した」とし、「母親は『子どもがそんな所まで行って何で稼ぐのか』と言ってすごく泣いた」と証言している。
 富山にある不二越の工場に動員されたチュさんは、賃金も受け取れず、辛酸をなめた。チュさんは口述記録集で当時を振り返り、「富山に着いてみたら、雪が山のように積もっていた」、「日本の女性に鉄の切れ端を機械に当てて丸く削る方法を学んでから、毎日汁少し、ご飯少しだけで鉄ばかりを削っていた」と語っている。家に手紙を送りたくても紙と鉛筆、切手代がなく、郵便局もどこにあるのか分からなかったため送れなかったという。
 米軍による爆撃で死に直面する日も多かった。チュさんは生前、「空襲警報が鳴ると工場を抜け出して一晩中泣きながら隠れていて、夜が明けたら寮に戻ったりした」、「会社はご飯を食べさせてまた働かせた」と述べている。

【写真】2018年10月7日、全羅南道羅州の自宅でチュ・グミョンさんが日帝による強制動員の被害を証言している=日帝強制動員市民の会提供//ハンギョレ新聞社

 チュさんがようやく帰郷できたのは解放後だった。帰郷後も強制労働の傷から完全に自由になれなかったチュさんは、不二越で友人と身の上を嘆きながら歌った歌が忘れられないという。
 「(日本語で)不二越よいと誰が言った/桜の木陰の木の下で/人事の木村が言ったそうだ/私はまんまとみまされた(だまされた)」。
 チュさんは個人の損害賠償請求権が残っているとした2018年の最高裁全員合議体の判決を知り、2019年4月に日帝強制動員市民の会と民主社会のための弁護士会光州(クァンジュ)全羅南道支部の助力を得て、不二越に損害賠償を求めて光州地方裁判所に提訴した。しかし、日本政府の非協力で訴状の送達がきちんと行われなかった。チュさんは5年間も裁判の開始を待っていた。2022年7月のハンギョレとのインタビューで、チュさんは次のように語っている。
 「幼い頃に行って苦労したからいくばくかでも補償してくれたらと思うんだけど、くれないって言うんだからどうやって受け取るの。死ぬ前に少しでも補償してもらえたら、食べたいものを食べて、着たいもの着て死ねたら、それ以上望むことはない」。
 遺族は4男2女。葬儀は全羅南道の羅州斎場。出棺は19日午前10時。

キム・ヨンヒ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
韓国語原文入力:2024-03-18 15:37
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