4月2日朝9時40分に旅館から回新村に向かった。5年半前にはなかった道路ができていて、なかなか着かない。10時40分に着くが、村中の道路もおおきく変わっている。
紀州鉱山の真実を明らかにする会が初めて回新村を訪ねたのは、21年前の2003年3月24日だった。このとき出会った哈秉堯さん(当時74才)は、日本人が、朝鮮人を「朝鮮報国隊」の人たちだと言うのを聞いたことがあると言った。
わたしたちは、朝鮮人の宿所跡に、案内してもらった。朝鮮人は、飛行場建設や、道路建設をさせられ、殴られて死んだ朝鮮人もいたという。
哈秉堯さんは、その現場に案内してくれた。哈秉堯さんは、子どものころ毎日のように朝鮮人がおおぜい死ぬのを見たと言った。
その後、わたしたちは、なんども回新村を訪ね、村人から証言を聞かせてもらった。
2004年4月に紀州鉱山の真実を明らかにする会は1998年6月からの海南島での「現地調査」での映像を編集して、ドキュメンタリー『日本が占領した海南島で 60年前は昨日のこと』を制作した。2004年7月にその朝鮮語版を、2004年12月にその漢語版を制作し、2005年はじめに回新村で漢語版を上映した。
わたしが最後に哈秉堯さんに会ったのは、2018年10月下旬だった。今度訪ねたら家は空き地になっており、近所の人が哈秉堯さんは何年か前に亡くなり、家族は飛行場の近くに引っ越したと話した。
回新村を離れて、「朝鮮村」に向かった。11時10分に「朝鮮村」の南丁小中学校の前に着いた。
わたしたちは、これまで20回ちかく「朝鮮村」を訪ね、「朝鮮村」の村人に日本軍が「朝鮮村」をその周辺で朝鮮人を強制的に働かせ、暴行し、虐殺した目撃証言を聞かせてもらってきた。
今回は同行できなかったが、海南島近現代史研究会の会員の在日朝鮮人が、「朝鮮村」の貧しい小中学生に使ってもらうようにと南丁小中学校に100万円を寄金したいと言い、わたしが預かっていた。南丁小中学校の蔡少冠校長は、上部機関(教育局→民生局)に問い合わせてから、受け取ってくれた。校長は、貧しい生徒と成績のいい生徒のために使いたいと言った。南丁小中学校に隣接している広場には日本政府に「朝鮮報国隊」に入れられ海南島に連行されて1945年夏に虐殺された朝鮮人1000人以上が埋められていた。
4月2日12時15分に南丁小中学校から離れてが埋められている広場に行った。広場の南丁小中学校寄りの場所(朝鮮人の遺骸がいまも埋められている)には、陶器工場が建設されていた(現在は休業中)。
12時40分に「朝鮮村」から黄流に向かった。
佐藤正人