「木本事件」については、名古屋で朴慶植先生に会ったとき、はじめて聞いた。追悼碑をつくる運動をするそうだから、近いし、いっしょに手伝ってやってくれ、と言われた。
熊野は遠いと思わなかった。場所を知らなかったし、知ってからも、若かったから。
人間とはいっとき、充実した時をくれる時期がある。いまから思うと、あのころは充実していた。
朝鮮人の強制連行や強制労働の調査をしていて、朝鮮人が日本の各地で不慮の死を遂げたということは、めずらしくもなく、よくある。しかし、「木本事件」は、ほかに例のない、ひどい「事件」だと思った。
わたしの心の中の一角に常に存在しつづけている。強制連行関係の調査であちこちに行ったが、どこに行っても、思い出す。
もう19年になるのか。
チョリョンイ(哲庸)と、御浜の海岸をドライブしたことが、ついこの間のことのようだ。
金蓬洙 談
金蓬洙さんは体調が悪いので、2013年10月7日、金靜美がお話を聞きました。
熊野は遠いと思わなかった。場所を知らなかったし、知ってからも、若かったから。
人間とはいっとき、充実した時をくれる時期がある。いまから思うと、あのころは充実していた。
朝鮮人の強制連行や強制労働の調査をしていて、朝鮮人が日本の各地で不慮の死を遂げたということは、めずらしくもなく、よくある。しかし、「木本事件」は、ほかに例のない、ひどい「事件」だと思った。
わたしの心の中の一角に常に存在しつづけている。強制連行関係の調査であちこちに行ったが、どこに行っても、思い出す。
もう19年になるのか。
チョリョンイ(哲庸)と、御浜の海岸をドライブしたことが、ついこの間のことのようだ。
金蓬洙 談
金蓬洙さんは体調が悪いので、2013年10月7日、金靜美がお話を聞きました。
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