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海南島の朝鮮人兵士 18

2010年10月30日 | 海南島からの朝鮮人帰還
■鄭明出さんが海南島から持ち帰ったもの 2
 鄭明出さんは、朝鮮軍人自営隊の綱領、隊標語、隊歌が書かれた用紙を海南島から持ち帰っていました。綱領も隊標語も隊歌も、すべて金吉俊さんがつくったものだと、鄭明出さんは話しました。
 朝鮮軍人自営隊の綱領と隊歌は、日本語に直訳すると、次のようになります。隊標語は原文のままです。

  綱領
    一、われわれ隊員は誠心と明朗をもって本隊自営に邁進すること。
    二、われわれ隊員は役員に礼を尽くし信頼し、隊則に違反せざること。
    三、われわれ隊員は質素団結し忍苦鍛錬し、模範隊として輝かせること。

  隊標語
    団結 明朗 健康 敬愛 自粛

  隊歌
    一、ああ朝鮮男児よ 朝鮮青年である
      独立した故国を 仰ぎみつつ
      自営隊万歳を 高く叫び
      熱血を集中して団結せよ
    二、ああ朝鮮男児よ 朝鮮の志士だ
      光り輝く故国に 祝福をささげ
      自営隊万歳を 高く叫び
      敬愛し自粛し邁進せよ
    三、ああ朝鮮男児よ 朝鮮軍人である
      栄光の故国を 防衛するぞ
      ハナニム(天)が保護するわが自営隊
      健康で明朗な自営をしよう

 鄭明出さんが海南島から持ち帰った朝鮮語で書かれた日録「印象深い軍解放後のわれわれの形跡」には、1945年11月14日、北黎に集結して「自営団」を組織し、11月19日、「八所集結(八所人民会協力移転)」と書かれています。八所には、先に人民会がつくられていたようです。
 この日録の1946年2月5日の項には、「自営隊対人民会和平諒解成立」、2月6日の項には「台湾自営総隊大運動会参加」と書かれており、「自営隊」と「人民会」のあいだになんらかの問題が生じたが解決したこと、「台湾自営総隊」がつくられていて朝鮮人との交流があったことがわかります。

 また、鄭明出さんは、自分が鎭海を出発してから八所にいたるまでの軌跡と年月日を示す手書きの地図一枚をつくっていました。「遭難明白地図」と題されたこの地図には、鎮海を出発した日が1944年8月11日、台湾の高雄に到着した日が8月29日、バシー海峡で沈没した日が9月9日と書かれています。
                               佐藤正人
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