三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「きょう新たな慰安婦像設置 ボラカイ島対岸のアクラン州に」

2019年02月05日 | 日本軍隊性奴隷
http://www.manila-shimbun.com/category/society/news242995.html
「まにら新聞ウェブ」 2019年2月5日 
■きょう新たな慰安婦像設置 ボラカイ島対岸のアクラン州に
 アジア6カ国・地域の元慰安婦の支援者らがマニラ市で会見。新たな像設置へ

【写真】日本政府による公的賠償などを求めて会見を開いたアジア被害国代表と元慰安婦のフィデンシア・ダビッドさん(中央)=4日午前10時ごろ、首都圏マニラ市のホテルで冨田すみれ子撮影

 第2次世界大戦中に旧日本軍の慰安婦として被害を受けた女性をめぐり、比や韓国などアジア6カ国・地域の元慰安婦支援者らが4日、首都圏マニラ市内のホテルで...


https://www.sankei.com/world/news/190205/wor1902050012-n1.html
「産経新聞」 2019.2.5 17:57
■フィリピンまた「慰安婦像」 今度は制作者私有地に設置
【カティクラン=吉村英輝】フィリピンの有名リゾートであるボラカイ島の玄関口、パナイ島北部カティクランの桟橋近くの私有地で5日、日本軍占領下の慰安婦など2人のフィリピン人女性をモデルにした像の除幕式が行われた。
 マルコス独裁政権下で妹が比国軍兵士にレイプされたというネリア・サンチョ氏(67)が彫刻家に依頼、私費や寄付の計70万ペソ(約145万円)をかけ、昨年7月にこの像を完成させたという。ほぼ等身大の女性像の土台には「第二次世界大戦時の日本軍による性的奴隷としてのフィリピン人慰安婦」などと書かれたプレートが埋め込まれた。

【写真】5日、フィリピン中部カティクランで行われた、慰安婦やレイプ被害者をモデルにしたという像の除幕式。右端が像設置者のサンチョ氏(吉村英輝撮影)

 除幕式には、サンチョ氏がフィリピン代表を務める「日本の過去の清算を求める国際連帯協議会」(ISCR)責任者など、中国、台湾、北朝鮮、韓国、日本から約20人が参加。地元の高校生約70人も参加し、女子生徒が男子生徒に強制連行される振り付けなどとともに、慰安婦を追悼する詩を朗読した。
 サンチョ氏は自身が所有する駐車場の一角に像を設置し、「これならば撤去圧力をかけられないはず」と述べた。
 フィリピンでは17年12月、マニラ湾沿いの遊歩道に、中華系団体などが、慰安婦問題を象徴する女性像を設置。マニラ近郊のサンペドロ市でも昨年12月、韓国の団体が贈呈した少女像が設置された。日本政府側が「遺憾」を表明し、それぞれの自治体が撤去した。
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「「強制連行」国賠請求棄却 花岡事件の労働者ら」

2019年02月05日 | 国民国家日本の侵略犯罪
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201901/CK2019012902000274.html
『東京新聞』 2019年1月29日 夕刊
■「強制連行」国賠請求棄却 花岡事件の労働者ら

【写真】原告の李鉄垂さん

 第二次大戦中に秋田県の花岡鉱山や大阪の造船所などに強制連行され、過酷な労働を強いられたとして、中国人労働者と遺族ら計十九人が国に計八千二百五十万円の損害賠償と謝罪を求めた訴訟の判決で、大阪地裁は二十九日、請求を棄却した。
 判決理由で酒井良介裁判長は「日中共同声明で、裁判上の個人の賠償請求権は放棄された」とする二〇〇七年の最高裁判決を踏襲し、原告らが賠償を求める権利は失われたと判断した。
 一方、戦時中に日本政府が労働力不足から国策として強制連行を実施したことを認定。「国内の各事業場で、衣食住が著しく制約された劣悪な環境で長時間にわたり重労働させ、多数の中国人労働者が命を落とした」と指摘した。 
 訴状によると、原告は一九四三~四五年に中国の華北地方から強制連行された労働者と遺族ら。当初は三人いた労働者の原告のうち、既に二人が死亡。唯一の生存原告李鉄垂(りてつすい)さん(95)は、花岡鉱山で過酷な労働や虐待に抵抗して蜂起し、多くの死者を出した四五年の「花岡事件」にも主導的に関わった。
 政府が国策として中国人を強制連行し劣悪な労働環境に置いたと主張。「労働者の実態は捕虜だった」として、捕虜の取り扱いを定めた国際条約にも違反した責任があるなどと訴えていた。
 酒井裁判長は判決の最後に所感として、訴訟で李さんの本人尋問を実施したことについて「(生存原告の)生の声を聞くことができて、大きな意味がある」と述べた。
 中国人の強制連行を巡る同種訴訟は各地で起こされているが、強制連行があったことは認めた上で、〇七年の最高裁判決を踏襲し、請求を退ける判決が相次いでいる。

◆過酷労働「耐えがたい」
 「過酷な労働や拷問で、今思い出すと言葉にならない、耐えられない思いをした」。大阪地裁の中国人強制連行訴訟で唯一生存する労働者の原告で、花岡事件を主導した李鉄垂さん(95)。二〇一七年にあった本人尋問では中国から来日し、毎日十五時間以上に及んだ過酷な強制労働で仲間が亡くなっていった実態を語った。
 陳述内容や訴訟資料によると、河北省の村で農業をしていたが、日本軍が攻めてきたため、一九三九年に共産党の八路軍に参加。四四年、ゲリラ隊として活動中に日本軍の捕虜になった。
 同年、花岡鉱山(秋田県)に連行されると、水に漬かりながら地下水路を掘る仕事をさせられた。「服一枚で一日十五~十六時間働かされ、足は凍傷になり、草を食べて飢えをしのいだ」。過酷な環境や相次ぐ虐待で、周りの中国人労働者は次々と亡くなっていった。
 四五年六月、このままでは死ぬに違いないと考えた李さんらは一斉蜂起。鹿島組(現鹿島)の現場監督らを殺害し、集団脱走した。北海道まで逃げてから朝鮮半島へ渡る計画で、近くの山へ逃げ込んだが、銃撃されこめかみに傷を負った。
 追っ手の警察官らに捕まると、手首を縄で縛られて宙づりにされ、竹串を指に突き刺されるなどの拷問を受けた。いまだに傷は残り、手が震えるという。
 終戦後、進駐軍に解放され、四八年に帰国。凍傷の痛みで農作業への復帰も容易ではなかった。
 李さんは「(国策として)無理やり連れてきた日本政府に責任がある。どれほどの人が亡くなったのか。賠償してほしい」と訴えた。

<花岡事件> 第2次大戦末期の1945年6月30日、秋田県花岡町(現大館市)の花岡鉱山で、鹿島組(現鹿島)花岡出張所に強制連行された中国人が、劣悪な労働環境や虐待に耐えかねて一斉に蜂起したが鎮圧された。事件での死者を含め、同鉱山へ強制連行後に死亡した中国人は400人以上とされる。生存者らは鹿島に損害賠償を求めて提訴。東京高裁で2000年、鹿島が5億円を拠出して被害救済の基金を設立することなどで和解が成立した。09年に事件を後世に伝える記念館が大館市に建設された。


https://mainichi.jp/articles/20190129/k00/00m/040/071000c
「毎日新聞」 2019年1月29日 11時15分
■花岡事件訴訟で賠償請求など棄却 大阪地裁判決

【写真】大阪地裁に入る原告ら=大阪市北区で2019年1月29日午前10時7分、幾島健太郎撮影

 第二次大戦中に日本に強制連行され、花岡鉱山(秋田県)などで過酷な労働を強いられたとして、中国人の元労働者と遺族ら計19人が、国に計8250万円の損害賠償と謝罪を求めた訴訟で、大阪地裁(酒井良介裁判長)は29日、請求を棄却した。
 1945年に中国人労働者らが蜂起した「花岡事件」を巡って国を訴えた初の訴訟で、戦後70年の2015年に提訴。弁護団によると、日本国内で争われている唯一の戦後補償裁判になっている。
 訴状などによると、元労働者16人(生存者はうち1人)は43~45年、中国の山東省や河北省から旧日本軍などによって強制連行された。労働を強いられたのは、花岡鉱山が11人、大阪市内の造船所や荷役の現場が5人。
 元労働者側は、約3万9000人の中国人が強制連行されて劣悪な環境で重労働を強いられたのに、日本政府が事業所への監督や指導義務を怠ったと主張。花岡事件では拷問や暴行を受け、終戦後も後遺症などで満足に働けなかったとして、補償を求めていた。
 中国政府は72年の日中共同声明で「戦争賠償の請求を放棄する」と宣言。最高裁は07年、別の強制連行訴訟の判決で「共同声明により、中国国民は裁判で賠償請求できなくなった」という判断を示している。
 元労働者側は「声明には個人の賠償請求権の放棄に関する明らかな規定がなく、最高裁判断は誤っている」と主張していた。【遠藤浩二】

◆花岡事件
 秋田県の花岡鉱山(旧鹿島組花岡出張所)には戦時中、986人の中国人が連行され、飢えや虐待による死亡が相次いだ。1945年6月、労働者らは一斉蜂起したが、警察や憲兵隊に鎮圧され、終戦までに400人以上が死亡したとされる。生存者と遺族が鹿島(旧鹿島組)に損害賠償を求めて提訴し、東京高裁で2000年、鹿島が986人全員の解決を図るために5億円の基金を設立することで和解した。
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