三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

2010年 韓国で 3

2010年12月20日 | 紀州鉱山
■6月下旬
 慶尚北道慶州市内南面で鄭明出さんに再会しました。
 南面の老人会館の前には、旧日本軍の倉庫がありました。当時面事務所でしごとをしていた鄭明出さんは、日本軍は供出させたもみをここに貯蔵し、そのもみを運び出すときは牛車が連なった、と話しました。そのもみは、関東軍に送られたそうです。
 ソウルで、太平洋戦争被害者補償推進協議会と会議をもち、「韓国併合」から100年後のことし8月21日に大阪で開く遺族の証言を聞くつどい「戻らなかったアボヂ」を共同で主催し、韓光洙さんと李煕子さんの証言にかかわる小冊子を当日発行することを決めました。
 ソウルの日帝強占下強制動員被害真相糾明委員会で、海南島に連行された朝鮮人84人についての書類を見ました。
 そのうち、60人は、海南警備府16警備隊兵士、海南警備府横須賀第4特別陸戦隊兵士、海南警備府佐世保第8特別陸戦隊兵士、海南警備府舞鶴第1特別陸戦隊兵士、海南警備府施設部軍属、海南警備府嘱託、海南警備府軍需部運転手、海南島海口日本軍用飛行場建設労働者、石碌鉱山西松組鉱夫、「慰安婦」とされた人たちでした。24人は、「朝鮮報国隊」に入れられていた人たちでした
                                佐藤正人
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