三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会発会式新聞記事 1

2008年09月02日 | 紀州鉱山
 8月31日に開かれた紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会の発会式が、翌9月1日に新聞報道されました。以下は、その記事の一部です。各紙すべての記事に写真が掲載されています。

■『伊勢新聞』
 http://www.isenp.co.jp/news/20080901/news05.htm
旧紀州鉱山の朝鮮人を追悼 碑建立へ会発足

 【津】石原産業が経営していた熊野市紀和町の旧紀州鉱山で戦時中に死去した朝鮮人労働者を悼むため、「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会」が三十一日、津市桜橋二丁目の県教育文化会館で発足した。市民団体「紀州鉱山の真実を明らかにする会」や在日本大韓民国民団(民団)県地方本部、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)県本部など四団体が呼び掛け、約三十人が集まった。
 民団伊賀支部の申載三支団長は、「熊野市は碑建設の土地提供について理由なく拒否し、無礼。歴史的責任を感じなければならない。建立まで頑張ろう」とあいさつした。
《以下省略》

■『読売新聞』三重版
 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/mie/news/20080831-OYT8T00730.htm
朝鮮人の追悼碑 建立する会発足 紀州鉱山
「歴史的事実として理解を」「真実を明らかにする会」など

 太平洋戦争中、熊野市紀和町の紀州鉱山で強制的に働かされた朝鮮人の実態などを調査している「紀州鉱山の真実を明らかにする会」(金静美事務局長)と韓国民団などは31日、鉱山で命を落とした朝鮮人の追悼碑を建立する会を発足させた。銅鉱石などの鉱物資源に恵まれ、国内有数の規模を誇った同鉱山では、1000人を超える朝鮮人が強制労働させられたといわれ、建立の意義について、金事務局長は「名も知られず、家族にも知らされず亡くなった朝鮮人のためにも、碑を建てることで、歴史的事実として広く理解してほしい」と話している。
 紀州鉱山は1978年に閉山。戦時中に同鉱山で働いていた朝鮮人のことは、旧紀和町史にも、鉱山を経営していた石原産業(大阪市)の資料にも記載がないといい、同会は97年11月の結成後、韓国へ渡って証言を聞いたり、家族や友人、鉱山で働いていた日本人らから話を聞いたりして調査を進めてきた。
 これまでの調査で、日本政府が韓国政府に提出した名簿などから、終戦までの数年間で875人の朝鮮人が働いていたことが判明。94年に県の文書から見つかった「昭和20年4月 知事引継書」などの資料では、39~45年の間に1000人以上の朝鮮人が同鉱山で強制労働させられ、少なくとも三十数人が事故や病気で死亡したとされている。
 当時の強制労働で亡くなったイギリス人捕虜16人の追悼式は、毎年開かれており、町史にも記載されている。しかし、朝鮮人については、同会が追悼集会の開催や、同町の鉱山資料館への展示などを求めているが、実現していない。今年3月、同会の働きかけで初めて、同鉱山選鉱所前で朝鮮人の追悼式が開かれ、メンバーは犠牲者の墓地などを訪れた。
 発足式では、死亡が確認されている朝鮮人32人分の名前などを碑に刻み、来年春の建立を目指すことや、市に追悼碑建立のための土地を提供するよう求めていく方針を確認した。
《以下省略》

■『朝日新聞』三重版
 http://mytown.asahi.com/mie/news.php?k_id=25000000809010007
追悼碑建立 やっと一歩
 
◆◆紀州鉱山朝鮮人 戦時「1000人徴・雇用」◆◆
 在日本大韓民国民団三重本部と在日本朝鮮人総連合会三重本部などが呼びかけ、「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会」が31日に発足した。すでに場所の提供などについて熊野市と協議を続けており、会では09年春の建立を目指す。「紀州鉱山の真実を明らかにする会」事務局の金静美さん(59)は「熊野市は歴史的な責任もふまえて土地を提供すべきではないか」と話した。(月舘彩子)

 発会式には約20人が集まり、石碑に刻む碑文案を検討するなどした。石碑には、紀州鉱山の歴史的な背景説明する「碑文」と、亡くなった朝鮮人で、名前の分かる人の本名を刻むことを確認。建立場所としては熊野市紀和町板屋の「鉱山資料館」前を希望している。
 紀州鉱山には40年から敗戦の45年まで、朝鮮人約1千人が「徴用・雇用」されていたとされる。同会の調査で、1946年に当時の県内務部長が厚生省勤労局に提出した「朝鮮人労働者に関する調査」や、石原産業の社史、同地区の寺院の遺骨調査などから32人の朝鮮人が亡くなっていたことが分かっている。
 朝鮮人の強制労働の実態については、鉱山を経営していた石原産業の社史や紀和町史でもほとんど触れられていない。しかし、同鉱山で働いていた英軍捕虜のうち、亡くなった16人は英軍捕虜戦没者墓地に埋葬され、史跡外人墓地として熊野市が文化財に指定している。
 そのため同会では、98年から紀和町(現・熊野市)に追悼碑の建立を要望してきたが、受け入れられないまま10年が過ぎた。一方、当時を知る労働者の平均年齢は90歳以上になった。96~98年に明らかにする会が調査をした際、15人に話を聞くことができたが、今年3月の調査で会うことができたのは2人。こうした事実があったことを記憶にとどめる必要がある、として追悼碑建立を決めたという。
 同会では、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人は少なくとも50人以上いるとみている。今後は、行政資料や埋葬許可書などから、人数や名前を特定する作業を続けるという。

■『毎日新聞』三重版 mainichi.jp/area/mie/news/20080901ddlk24040067000c.html
朝鮮人強制連行:津で「碑を建立する会」発足
◇朝鮮人強制連行の紀州鉱山--同僚は事故や病気で死んでいった…

 太平洋戦争時に、紀州鉱山(熊野市)で死亡した朝鮮人を追悼する「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立する会」の発足式が31日、津市桜橋の教育文化会館で開かれた。《中略》
 紀州鉱山では、1939年から78年まで大手化学メーカーの石原産業(大阪市)が銅などを採掘した。会によると、40年から45年までに1000人以上の朝鮮人が鉱山で働き、少なくとも32人が死亡した。
 会は、在日本大韓民国民団県地方本部や在日本朝鮮人総連合会県本部など4団体が発足を呼びかけてきた。4団体はこれまで熊野市に対し、碑を建てる土地の提供や、市史に鉱山での強制労働などについて記すよう求めてきたが、実現していない。
 この日は「強制連行され、鉱山で働かされた。同僚は事故や病気で死んでいった」と話す韓国人の証言がビデオ上映された。市との交渉経緯や、碑の文案なども示され、参加者からは「紀州鉱山でどのようなことがあったのか、詳しく碑に記すべきだ」「32人の死因を知りたい」などの意見が出された。
 4団体の一つ「紀州鉱山の真実を明らかにする会」の在日朝鮮人2世、金静美(キムチョンミ)さん(59)は「何とか碑を立てて死者を追悼したい」と話していた。【山口知】
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