三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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パレスチナ解放への道、アイヌモシリ解放への道 5     

2008年09月18日 | パレスティナ
■2、日本の現在の植民地
 一九四三年から一九四五年八月までの間に、「南洋群島」、フィリピンなどが、日本の植民地支配から解放された。
 一九四五年八月に、日本はアジア太平洋戦争に敗北し、台湾、朝鮮、中国東北部、モンゴル東南部、海南島、香港……に対する日本の植民地支配は終わったが、アイヌモシリの一部(「北海道」)は、日本の植民地のままに残された。アイヌモシリの他の一部(「南樺太」と「千島列島」)も、北方先住民族に返還されず、再びロシアの植民地とされた。ウルマネシア(かつての琉球王国、宮古・八重山地域、および波照間島、与那国島……)は、アメリカ合州国の植民地とされた。
 一九四五年一一月、日本政府は、「北海道」の「開発」(すなわち、侵略・自然破壊・資源略奪)をさらに進めようとし、「緊急開拓事業実施要領」を閣議決定した。
 日本国憲法施行半月前の一九四七年四月に地方自治体法が公布され、それまで内務省の一機関であった「北海道庁」が日本国家の地方自治体となった。
 日本政府は、一九五〇年六月に、「北海道総合開発」のための国の行政機関として「北海道開発庁」を新設して、アイヌモシリ「開発事業」の管轄を地方自治体である「北海道庁」から国家に移し、一九五一年七月に、その事業の出先機関として札幌市内に「北海道開発局」を設置した。「北海道開発庁」は、一九五一年一〇月に「北海道総合開発計画及び第一次五か年実施計画」を決定し、一九五二年四月から実施した。
 一九七二年五月に、それまでアメリカ合州国の植民地とされていたウルマネシアは、ふたたび日本の領土とされ、アイヌモシリとともに日本の植民地とされた。ウルマネシア再植民地化と同時に日本政府は、「沖縄開発庁」を設置し、日本企業とともにウルマネシアの「開発」=侵略・自然破壊・資源略奪をはじめた。「開発庁」が設置された日本の都道府県は、アイヌモシリである「北海道」とウルマネシアである「沖縄県」だけである。
 いま日本政府が続けている独島再占領策動、「北方四島」再占領策動、釣魚島再占領は、領土と経済水域を拡大しようとする現在の日本の他地域・他国侵略策動の一環である。
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