三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

鐘として使われている不発弾

2006年08月27日 | 海南島
写真:鐘として使われている不発弾
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瓊中県湾嶺鎮嶺門で

2006年08月27日 | 海南島
・瓊中県湾嶺鎮嶺門で

黎母山の10キロほど西にある碑碣嶺の山頂からは、360度を見渡すことができる。日本軍は碑碣嶺と南方の登高嶺に軍事拠点をつくった。

 わたしたちは、碑碣嶺ふもとの村、嶺門(リンメン)に住む張○○さん(1951年生)に案内されて、碑碣嶺山頂に行った。碑碣嶺の日本軍要塞も、深い濠と塀に囲まれていた。濠跡、コンクリート塊、たくさんの瓦片などが残っていた。小高くなっているところに炮楼があったと張○○さんが教えてくれた。

‘労工’としてここの工事をさせられた祖父や両親は、張○○さんに、当時のことをつぎのように話していたという。     
「労工は、付近の村から集められた。良民証を労働に出る人はみんな持たされていた。もらったのはおにぎりだけ。70人くらいの軍人がいた。大きな木があって、そこで日本軍は何人もの人を刺し殺した。共産党だといって」。
嶺門小学校の校庭に、日本軍の不発弾があった。3個あったが、村びとがこわして今は1個だけが残っているという。

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