三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

瓊中県黎母山鎮榕木で

2006年08月24日 | 海南島
瓊中県黎母山鎮榕木で

 黎母山から7キロ東南の榕木(ロンムウ)で、許○○さん(1926年生)は、こう話した。

「日本軍は道路を作らせた。村人に、いろんな労働を強制した。わたしは当時12歳ころだったが、道路工事をやらされた。おおぜいの人がいっしょだった。日本軍は、年寄りも、女の人も、子どもも、むりやり働かせた。
食べるものもくれないで、朝8時から5時まで。

万人坑がある。共産党員ではないのに、共産党員だといって、殺した」。    
許○○さんの案内で、広いゴム林をぬけて、「万人坑」に行った。許○○さんは、
「遺骨はまだそのまま残っている。ここは殺されたところだから、家を作ったり、何かを植えたりはしない」、と語った。「万人坑」一帯は、ゴムの植林をしないで草木が生えるままにしてあった。かなり深い穴で、草木に覆われているが、60数年たった今も窪んでいた。

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