瓊中県黎母山鎮榕木で
黎母山から7キロ東南の榕木(ロンムウ)で、許○○さん(1926年生)は、こう話した。
「日本軍は道路を作らせた。村人に、いろんな労働を強制した。わたしは当時12歳ころだったが、道路工事をやらされた。おおぜいの人がいっしょだった。日本軍は、年寄りも、女の人も、子どもも、むりやり働かせた。
食べるものもくれないで、朝8時から5時まで。
万人坑がある。共産党員ではないのに、共産党員だといって、殺した」。
許○○さんの案内で、広いゴム林をぬけて、「万人坑」に行った。許○○さんは、
「遺骨はまだそのまま残っている。ここは殺されたところだから、家を作ったり、何かを植えたりはしない」、と語った。「万人坑」一帯は、ゴムの植林をしないで草木が生えるままにしてあった。かなり深い穴で、草木に覆われているが、60数年たった今も窪んでいた。
黎母山から7キロ東南の榕木(ロンムウ)で、許○○さん(1926年生)は、こう話した。
「日本軍は道路を作らせた。村人に、いろんな労働を強制した。わたしは当時12歳ころだったが、道路工事をやらされた。おおぜいの人がいっしょだった。日本軍は、年寄りも、女の人も、子どもも、むりやり働かせた。
食べるものもくれないで、朝8時から5時まで。
万人坑がある。共産党員ではないのに、共産党員だといって、殺した」。
許○○さんの案内で、広いゴム林をぬけて、「万人坑」に行った。許○○さんは、
「遺骨はまだそのまま残っている。ここは殺されたところだから、家を作ったり、何かを植えたりはしない」、と語った。「万人坑」一帯は、ゴムの植林をしないで草木が生えるままにしてあった。かなり深い穴で、草木に覆われているが、60数年たった今も窪んでいた。