ICT工夫
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元禄15(1702)年12月14日
1702(元禄15)年12月14日に赤穂浪士の討ち入りにより、吉良上野介義央公はこの世を去りました。
 赤穂義士が眠る泉岳寺 Sengaku-ji temple 2018年11月14日 | 港区・歴史散策【 ← 大江戸散策徒然噺 松田英久氏のサイト goo blog 版?】

 今年2023年、ふと思い付いて久し振りにサイト確認したら上の2018年11月14日記事に巡り合えました。
それで私が知る限りの関連サイトを確認して、泉岳寺、赤穂市、東京都墨田区、愛知県西尾市での情報を確認して記事追加を試みました。民間サイトの記事も多数あるのに気付きました。
歴史を見ながら現実を見直す、ネットを活用したいと考えております。この記事では 赤穂 義士・浪士 どちらも原文に合わせます。

泉岳寺(せんがくじ 東京都港区高輪2-11-1)
 泉岳寺概要
 泉岳寺の歴史
 境内案内
  赤穂義士記念館
  赤穂義士は元禄16年(1703年)2月4日に切腹した後、直ちにこの地に埋葬されました。
  いわゆる四十七士の他に、本人は討ち入りを熱望したものの周囲の反対に遭い討ち入り前に切腹した萱野三平の供養墓があります(明和4年(1767年)9月建立)。したがって泉岳寺の墓碑は48墓あります。
第120回赤穂義士祭【2023年12月14日】
赤穂市 産業振興部観光課観光係 画像・第120回赤穂義士祭(現地画像にリンク設定)
赤穂市 過去の記録をリンクしたページがあります

吉良上野介義央(きら こうずけのすけ よしひさ)について
 今回は 吉良上野介義央 に関するサイト・情報集めを試みました。
東京都墨田区では・・・
1000:義士祭について知りたい。- 墨田区公式ウェブサイト 『義士祭は、毎年12月に、本所松坂町公園内 で開催されます。詳細については、開催月に発行の、すみだ区報に記載しますのでご確認ください。』・・・関連HP・一般社団法人墨田区観光協会 とのメッセージ

一般社団法人 墨田区観光協会 義士祭
 吉良上野介屋敷跡が保存されている本所松坂町公園周辺にて、吉良上野介とその家臣を供養する義士祭が開催されます。
 2023年12月14日~2023年12月14日 吉良邸跡(本所松坂町公園) 東京都墨田区両国3-13-9

すみだ区報 2023年(令和5年)12月1日号 忠臣蔵のまち・両国 サイトのイベント欄・タイトルで ▼吉良祭・元禄市 12月9日 (土)・10日 (日)~〝忠臣蔵ゆかりの地〞を巡るガイド付まち歩きツアー「赤穂義士引き揚げコースを歩く」12月17日(日)まで多数のイベント案内が掲載されています。
毎年11月末~12月最初の すみだ区報 を確認するのも便利かも知れません。

本所松坂町公園(吉良上野介屋敷跡)(じゃらんnet)
 回向院のすぐ東にある。赤穂浪士が討入りした吉良上野介の上屋敷跡で、100平方mほどの小公園になっている。公園の周囲は高家の格式をあらわす海鼠壁長屋門を模した塀と門で、園内に吉良首洗い井戸と、これも邸内にあった松坂稲荷社があり、塀の内壁に吉良邸の見取図や義士関係の絵などの銅板がはめこまれている。

吉良邸跡(本所松坂町公園) (東京とりっぷ)
 『忠臣蔵』で知られる吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)の江戸上屋敷跡(吉良邸跡)。降りしきる雪のなか、亡き主君・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の仇討ちに元赤穂藩の四十七士が向かった先です。かつて吉良はこの一帯に広大な屋敷を構えていましたが、本所松坂町公園として残るのは、吉良邸の北側の一部のみ。
 討ち入り当時の吉良邸は、東西733間(134m)、南北は34間(63m)、2550坪(8400平方)という広大なものでした。
 現在の公園の面積は、97.56平方なので、86分の1の規模ということに。
 往時の吉良邸を偲ぶなまこ壁に囲まれ、吉良上野介の首を洗ったとされる「首洗いの井戸」や供養碑が残されています。
 当時ここは本所松坂町と呼ばれていたので、現在、本所松坂町公園という名称になっています。

愛知県西尾市では・・・
 西尾市 吉良公毎歳忌 開催日 : 毎年12月14日(愛知ニュース)
 1702(元禄2)年12月14日に赤穂浪士の討ち入りによって、吉良上野介義央公はこの世を去りました。 地元、吉良では名君として慕われていた吉良公の命日にあたる毎年12月14日には、吉良家の菩提寺である華蔵寺で法要が営まれます。この「吉良公毎歳忌」には吉良上野介義央公を偲んで、地元をはじめ他地域からも多くの人が訪れます。 当日は本堂横にある御影堂(みえいどう)も開帳されており、吉良上野介義央公、義安公、義定公の木像を見ることができます。

 吉良上野介公を巡る旅 (西尾観光)
 (黄金堤(こがねづつみ) )赤穂浪士討入り事件で討たれた吉良上野介義央公の領地の大部分は現在の西尾市吉良町にありました。地元では数々の善政を敷いた名君として愛されています。言い伝えによると、当時この辺りの村は大水のたびに被害に苦しんでいました。義央公は水害から領地を守るため、領民とともに長さ約180メートル、高さ約4メートルの堤防を一夜で築いたといわれます。その後は水害がなくなり、良田となったことから、人々はこれを「黄金堤(こがねづつみ)」と呼んで遺徳をたたえました。現在は桜の名所としても知られ、3月下旬から4月上旬にかけてはライトアップも行われます。
【その他、各地の案内記事】

これまで掲載した 赤穂義士 関連記事・・・
2010年12月14日 時は元禄15年、師走の半ばの十四日・賑わいをみせる高輪泉岳寺、恒例の義士祭(大江戸散策徒然噺)
私もこの記事を参考に同じタイトルで記事を書いています・・・
2021-12-14 時は元禄十五年師走半ばの十四日
【他にも記事を書いていたら、ここに追録します】
2007-12-08 12月8日と14日
 14日は本所松阪町吉良邱討ち入りで・・・
 大石内蔵助(おおいし くらのすけ)が師事した山鹿素行(やまが そこう)の兵学については甲陽軍鑑の小幡景憲(おばた かげのり)から学んだものということで武田軍学ということから赤穂浪士と甲州との繋がりがあります。
・・・など書いた記事でした。12月8日記事は太平洋戦争開始日でしたので別件ですが同じサイトに書いたのです。


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