goo blog サービス終了のお知らせ 

大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

時は元禄15年、師走の半ばの十四日・賑わいをみせる高輪泉岳寺、恒例の義士祭

2010年12月14日 15時52分38秒 | 港区・歴史散策
降りしきる雪の中、辺りに 鳴り響くはやまが流の陣太鼓。 吉良殿ーッ討ち入りで御座るッッ!! ご覚悟をッ… と、 いう訳で…今日14日は赤穂浪士の討ち入りであり元禄の一大事件の日で御座います ...

本懐を遂げた四十七人が時の新井白石の奏上により、主君の仇討ちの功績を慮って潔く切腹の御沙汰に従い主君のもとに旅立った、血判同士一同が泉岳寺に眠っている事実は、300年以上に渡って私たち日本人の美意識の中に生きつづけてきた武士道と忠義が如何に大切なものであったかを物語っているようです。

かねてより12月14日の泉岳寺で執り行われる「義士祭」の日に、四十七義士の方々のお墓にお参りをしたいと切望していました。今年やっと、自由な時間がとれる境遇になったこともあり、小雨降る朝、そうそうに自宅を後に泉岳寺へと向かいました。

都営地下鉄の泉岳寺駅の改札口は結構な人ごみで、やはり義士祭のお墓詣でにたくさんの人が来ていることがわかります。地上出口からなだらかな坂をのぼっていくと中門が見えてきます。中門の手前からたくさんの屋台が連ね、義士祭を盛り上げています。この総檜造りの中門は結構古いもので、天保7年(1836)に再建されたもので、昭和初期に修復が行われ現在に至っているたいへん貴重なものです。

中門までの賑わい

中門をくぐり立派な山門へと進んでいきます。参道の両側にもたくさんの屋台が並び、義士祭がかなり盛大なものであるかを物語っているようです。この2層造りの山門は天保3年(1832年)の再建されたもので、2階部分には十六羅漢様が安置されているとのことです。

山門までの賑わい
山門

山門をくぐりご本堂の前の境内広場を見ると、ここにも隙間無く屋台のテントが並んでいます。義士祭という特別な行事だからなのか、泉岳寺さんも商売上手でございます。

境内の賑わい

ご本堂前に四十七士霊前の幟がはためき、義士祭の雰囲気が高まってきます。ご本堂をあとにいよいよ四十七士の眠る墓所へと向かうことにいたします。

ご本堂
四十七士霊前の幟

墓所へ通ずる参道に沿って「血染めの梅と血染めの石」が現れます。これらは浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている梅と石です。

血染めの石

さらに参道を進むと、「首洗い井戸」なるものが現れます。これは義士たちが本懐成就後、吉良上野介の首級をこの井戸水で洗い、主君内匠頭の墓前に供え報告したところから「首洗い井戸」と呼ばれています。

首洗いの井戸

そして前方の階段を上ると墓所の入口に構える御門が現れます。この門は浅野家の鉄砲洲上屋敷(現・聖路加病院)の裏門として使われていたものを、明治時代になったから移築したものです。裏門とはいえ立派な御門です。

墓所入口の門

御門をくぐりすぐ右手に内匠頭御正室、瑤泉院(阿久利)の立派な墓があります。

瑤泉院(阿久利)墓

そして瑤泉院(阿久利)の墓に隣接して浅野家の墓が置かれています。瑤泉院(阿久利)は義士たちが切腹した後、伊豆大島に流されていた赤穂浪士の遺児たち(吉田伝内・間瀬定八・中村忠三郎・村松政右衛門の四人)の赦免運動に尽力し、将軍・家綱の27回忌にあたって3人の赦免を実現させたのです。落飾後、夫内匠頭や義士たちの菩提を弔い、正徳4年 (1714)に享年41で死去しました。

ひときわ立派な構えの墓の前に祭壇が置かれお供え物が並ぶのが内匠頭の墓です。赤穂藩主であった内匠頭の墓は隣接する四十七人の家来を従えて、城内の上段の間に座っているような佇まいを見せています。

内匠頭の墓

いよいよ四十七士の眠る墓所入口へとやってきたのですが、予想通りものすごい人出で入口まで長蛇の列ができています。墓所内は前が見えないほど線香の煙でもうもうとしています。討入りから300年以上たった平成の時代にまで、これほど多くの人々を惹きつける義士たちの魅力は底知れないパワーを秘めているように思われます。

四十七士墓所前の列

訪れる人が一人一人の墓前に線香を供するため、列が進みません。

線香で煙る義士の墓

やっとのことで大石内蔵助の墓前に辿り着きました。他の義士に比べ、やや大きめの墓石に祠を構えた墓前でしばし長めに手を合わせました。手を合わせながら、かつてNHK大河ドラマで大石内蔵助を演じた「長谷川一夫」の「おのおのがた」の台詞が頭によぎってきました。そしてなぜか息子主税の墓が少し離れた場所に置かれています。

大石内蔵助の墓
主税の墓

判官びいきの参拝客で賑わう高輪の泉岳寺の義士祭ですが、憎まれ役の吉良様の屋敷跡、本所松坂町の今日はどのようなことになっているのか、ふと頭に浮かべながら泉岳寺を後にしました。

お江戸本所松坂・赤穂浪士討入りの吉良邸の佇まい【本所松坂町】
お江戸元禄事件簿・そろそろ季節がやってくる!「忠臣蔵・赤穂浪士討入り」の裏話【本所吉良邸と谷中観音寺





日本史 ブログランキングへ

神社・仏閣 ブログランキングへ

お城・史跡 ブログランキングへ


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。