【足立計器製作所のノギス】

【足立計器製作所のノギス】

仕事の得意先で本の厚さを計ろうということになり、編集者が、
「これ、どうやって使うんでしたっけ?」
と持ってきたのがなんとノギスで、しかも見たことのないデザインでとても美しく、写真に撮らせていただいた(本当は頂戴したかったくらいなのだけれど)。

製造者は足立計器製作所とあり、電話帳で調べると東京都足立区に現存する会社だった。どう見ても、かなり古い物のようだ。
このノギスというヘンな名前の計測器具を考案したのはフランス人で P.Vernier といい、彼の名を取って Vernier Callipers(バーニヤ・カリパス)と呼ばれた。Callipers(カリパス)は Compasses(コンパス)とほぼ同義である。この計測具、単に物を挟んだり、物に突っ込んだりして外法・内法を測るだけのもののように思えるけれど、本尺と副尺を用いて小数点以下まで計測できるアイデア商品なのである。フランスでは副尺を発明者に因んで Vernier(バーニヤ)と呼び、ドイツでは副尺を Nonius(ノニス)と呼ぶのだけれど、ドイツから伝わったノニスが日本ではノギスと変じたらしい。

意外と便利なので簡便小型なキーホルダー式や、医療用などでデジタル式のノギスを見かけるけれど、副尺(ノニス)を持たない物をノギスと呼ぶのはおかしい気がする。

上の写真は足立計器製作所のノギスで、下の写真は僕が愛用しているミツトヨのものだ。ちょっと 12mm 強の物を計測してみた。上の目盛りが本尺で下の目盛りは副尺。上の目盛りは正寸だけれど、下の目盛りは 19mm を 20 分割したもので、ひと目盛りが 0.95mm になっている。副尺の起点  0 の線が本尺で 12 ~ 13 の間にあるので 12 と小数点以下を割愛して読みとり、同時に副尺の目盛りのどれかひとつだけが本尺の目盛りと一直線に重なる箇所を探す。そうすると(小数点以下)85であることがわかるので、この場合計測した寸法は両者を足して 12.85mm であるとわかる。ノギスでは副尺を用いて  0.05mm 単位の計測ができるのである。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 1 月 31 日、14 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【 1980 年の佐々木七恵】

【 1980 年の佐々木七恵】

1 月 29 日、夕刻に銀座の出版社で打ち合わせがあったので JR 有楽町駅から歩いたら雨が降っていた。
 
傘の花が開いた大通りに『東京マラソン 2008 』の垂れ幕が飾り付けられており、一瞬
「(あれ?どうしてこんな場所にマラソンの垂れ幕が…)」
と思ったけれど、2007 年から東京都心部で行われる『東京マラソン』が始まり、銀座の真ん中をランナーが走るようになったことを思い出した。

東京山手線内に住んでいてもなかなかマラソン観戦のために外出する気にはならないのだけれど、一度だけ沿道に出てランナーに「頑張れ!」と声をかけたことがある。あれは何年のことだったのだろうと調べてみたら 1980 年に開催された『第 2 回東京国際女子マラソン』だった。
 
当時僕は小さなプロダクションで乳業メーカーのパッケージデザインを担当しており、こっそり休日出勤して私的な作品づくりをしていたら、眼下をマラソンランナーが通過するのを思い出して気になってたまらず、沿道に走り出て声援を送ったのだった。

『東京国際女子マラソン』のコースは終盤市ヶ谷駅前を過ぎて外堀通り沿いに四谷見附交差点まで長い心臓破りの坂となる。その胸突き八丁にある雪印乳業本社前で待ちかまえていたらお目当てのランナーが疾風のように駆け抜けて行き、何て早いんだろうと感動した。それが後の第 5 回大会で日本人初の覇者となった佐々木七恵だった。
 
僕より 2 歳年下の彼女は当時岩手県立盲学校に勤務する教員ランナーで、北の国から強い女子ランナーが出てきたのに感動して応援しており、この大会の記録は第 9 位だった。ちなみに優勝は第 1 回大会にイギリスから参加してハンカチレディとして名をはせた(?)ジョイス・スミスの連覇で記録は 2 時間 30 分 27 秒だった。
 
先行するジョイス・スミスやアリソン・ローの姿も間近で見たはずなのに、独走するように駆け抜けた佐々木七恵の勇姿しか覚えていないのが不思議である。

※佐々木七恵さんはこの日記を書いた翌年の 2009 年 6 月、享年 54 歳で他界されている。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 1 月 30 日、14 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【「私」と「人類」または分子と分母】

【「私」と「人類」または分子と分母】

自分の側から見るとき、西暦 2022 年現在の世界人口約 80 億人すなわち「みんな」という分子の分母は自分 1 人なので 80 億人の中のかけがえのないたったひとりの「私」なのだけれど、「みんな」の側から見ると「私」は 80 億という巨大分母の分子である「 1 」という点に過ぎない。


DATA : SONY α7 Jupiter-12 1:2.8 f=35 mm

寝ているときはそういう壮大な意識がない「 0 」なので、数学の約束上 80 億人の分母にはなれない。意識がないのに分母「 1 」になれる場合があるとすれば死んだひとつの肉体として扱われるときで、まるで分数の横棒である括線(かっせん)の下に括(くく)って埋葬されているようなものである。

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【北風のプレゼント】

【北風のプレゼント】

新潟県高田市と静岡県清水市は、昭和 29 年から中学生による交歓会を実施しており、平成 7 年には姉妹都市になっている。電気メーカーで高田出身者と同僚になったが、『高田交歓』(高田市側では『清水交歓』)の歌を互いに覚えていたし、僕は当時二校あった高田市の城南中学、城北中学の校歌をいまだに歌えるのだ。
 
交歓生を迎えての歓迎会で、高田市から来た女生徒が
「その昔、高田市があまりにも雪深いので旅人のために道しるべが立てられました。それにはこう書かれていました。『この下に高田あり』」
とスピーチしたのが忘れられない。それほど雪深い地方に旅したことはなかったし、豪雪に耐える暮らしが魅惑的に思えたりもしたのだった。

静岡市への実質上の吸収合併を二ヶ月後にひかえた 1 月 29 日の昼過ぎ、清水市美濃輪町にある魚屋の友人から『北風のプレゼント』と題して写真添付のメールが送られてきた。この日、北風に乗って清水市にほんのいっとき、雪が降りしきったのだという。そう、清水にも雪が降るのだ。

高田出身の友人が清水の雪景色を見たらどう思うかなあと、『高田交歓』のことを思い出し、上越市のサイトを覗いたら、半世紀にわたる清水市との友好に感謝して、作成する文集のために『ありがとう清水市の皆さん!!』のテーマで感謝のメッセージを募集されていた。

片や清水市側では、合併後は『高田交歓(上越交歓)』はやめると市長の独断発言が飛び出し、市のサイトを覗くと 3 月 31 日の閉市式では市役所前で万歳三唱をするなどというたわけた記述しかない。ここでもまた両市の体感温度差は著しい。
 
高田市(上越市)の皆さんに申し訳ないので、大好きだった高田市立城南中学の校歌を歌って、半世紀に渡る友好と、かけがえのない思い出をいただいたことへの感謝の気持ちとしたい。

妙高に 妙高に 水晶の雪
荒川に 荒川に 翡翠の流れ
住む人に 真珠の心
美しや 我らが故郷
   
狭き地の 狭き地の 日本なれど
かぐわしし かぐわしし 花咲く理想
我ら 我らまた 雪深き底
常に灯せ 正義の明かり

写真は魚屋さん撮影の清水市美濃輪町。奥に見えるのは美濃輪稲荷神社の鳥居。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 1 月 29 日、19 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【舵の切り方】

【舵の切り方】

自分が考えていることを他人に対してうまいこと「ことば」にしてつたえることはたいせつだ。自己愛が強い者は、ことばにしなくてもわかってくれるという思い込みと自分自身に甘えすぎる傾向があるだろう。

本を読みながら、六十代以降の人生、その先にどう舵を切っていくかについてうまい言い方を思いついた。


DATA : SONY Cyber-shot DSC-HX50V

「残念ですがまたいつか」

そう声に出して相手に伝えながら、
「自分に残された時間を考慮し、優先度をつけて人と会い、仕事を選ぶようにしていますので悪しからず」
とこころの中で言って頭を下げるのだ。

こんどから断りにくい返事をするときはそう言おう。たいせつなものをすり減らさないために。

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【メルマガ情話】

【メルマガ情話】

インターネット上でデータをダウンロードする際、メールアドレスの入力を求められ「最新情報をお伝えするメールマガジンをお送りしてもよろしいですか?」などと聞かれ、有償にせよ無償にせよダウンロードによる恩恵を受けたと感じると、「いいえ」とは答えにくく「はい」を押してしまう癖が、僕にはある。

その結果、毎日膨大な数のダイレクトメールやメールマガジンが届き、有用なものは振り分け、無用なものは削除しているのだけれど、忙しいと着信は確認してもそれを読む時間がないことが増えてきた。
 
外出時の空き時間の読み物にすればよいと気づき、引き出しに放り込んだままになっていた Sharp の Linux Zaurus 、愛称「捨て子ザウルス」君を引っ張り出し、PHS 通信カードを装着し、仕事以外の Mailbox に届いたメールを 128MB の SD メモリに受信できるようにセットアップしてみた。

あとはダイレクトメールやメールマガジンの、不要なものは購読解除し、有用なものはアドレス変更手続きをすればよい。最近は文末に解除・変更の URL が書き添えられているので手続きは至極簡単。各社、手続き方法は様々で、有用な情報を送ってくる大きなシステムほどよくできている。片や、パーソナルな配信システムで運用されているものは、購読を打ち切る理由を尋ねるアンケートなどがあって面白い。「つまらないから」などとは答えにくく、「その他」を押してしまう癖もまた僕にはある。

「購読解除」ボタンを押すと、「長らくのご愛読ありがとうございました」などという文章が表示され、「いままで愛してくれてありがとう」と言われたようで胸に迫るものがあり、「やっぱり購読する!」という取り消しボタンが有れば、衝動に身を任せて押してしまうであろう癖も、またまた僕にはあるのだ。

夕暮れの銀座通りに立ち、信号待ちを利用して受信ボタンを押すと、「愛読」を決めたメールマガジンが茜雲の彼方から手のひらの Linux Zaurus に舞い降りる。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 1 月 28 日、19 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【小文字の他者】

【小文字の他者】

欲しいと思い続けた「もの」をようやく手に入れた途端、その「もの」からなにかが抜け落ちて「もの」の輝きが失われてしまう。人はそういう体験を繰り返しながら新たに何かを欲望して生きていく。

それをフロイトは「失われた欲求の対象(一生探しても見つからないもの=満たされない漸近的な欲望)」と言った。抜け落ちたものとは「欲しいと思い続けた欲望」である。失われた途端「欲しいと思い続けた自分」はもう他者のように遠い。ラカンが「欲望は他者の欲望である」と言ったのはそういうことなのだと僕は思う。フロイトの「小文字の他者(「 a 」)」とは人生に足りない何かであり続ける、逃げ水のような欲望のことなのだろう。

小文字の他者「 a 」は、あらかじめ失われたものとして未来からやってくる。振り返ってみるのではなく、未来からやってくる逆向きの小文字の他者「 a 」を、ワープロではなくグラフィックソフトなら表示できるんだろうかとやってみたらラカンの鏡像段階論的に表示できた。ことばは未来に尾を引いて到来する。

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【木の実の名前・2】

【木の実の名前・2】

博識の友人をもつことはありがたい。聞けば即座に答えが返って来る。

『木の実の名前』という日記を書いて森田惠子さんから送られて来た写真を掲載した。

どうにも樹種の特定に自信が持てない。中学高校の後輩で、第三管区海上保安本部に勤務しながら、森林インストラクターの資格を持つ友人(小川さん)にメールしてみた。

石原 左上は言わずと知れた「まつぼつくり」、樹種はアカマツかと思うのですがどうでしょう。余談ですが「まつぼっくり」は「松陰嚢」と書き、「ぼっくり」は「ふぐり」が転化したものだそうです(笑)
小川 クロマツの可能性もありますね。じっくりと見ないとわかりませんが、たいてい種の落ちていた近くにある木が正解です!(笑)
森田 今朝、四宮鉄男監督から電話があったので、木の実の話をしました。四宮さんが「ぼっくりがふぐりなら、ぽっくりもそうかい?」と言うので、「履物の?」と、聞いたら「形も似ているだろう?」というのですが、私には分かりません。履物のぽっくりも、ふぐりの転化したものですか?
石原 そうです!と言いたいところですが、「(3)馬などがゆっくり歩くさま。(三省堂「大辞林」より)」とあって、♪いつでも一緒に ぽっくりぽっくり歩く の「ぽっくり」のようです。馬の足音のオノマトペでしょう。正式には「ぽっくり駒下駄」といい、安永・天明(1772~1788)の頃女子に大流行したそうです。中にお湯が入れられる湯たんぽ形式のもの、抽き出しが付いていて白縮緬の足ふきが入っているもの、一朱銀や三分銀を入れた袋を付けて鈴のように鳴るものなどが、金蒔き絵や鼈甲張りなどの贅を凝らしたものと同時に市場を賑わしたようです。天保(1830)の改革で製造使用が禁止されました。
森田 まつぼっくりは、友人に貰ったもの。戸田市内産。

石原 その下はマメ科の種子で「豆果」と呼ばれる果実の形態。サイカチの実ではないでしょうか。鞘にサポニン成分が含まれ、昔は石鹸がわりにしたそうです。
小川 サイカチ(トゲトゲの木)なんてよく知ってましたねぇ、でも、この豆科植物は、都会に偶にある「ネムノキ」か「ニセアカシヤ」と見ましたが・・・
森田 豆果は、沖縄・伊良部島で拾いました。

石原 右上のサクランボ型のはよく目にしますね。最初、スズカケノキ科の種子かと思ったのですが、もしかするとモミジバフウかもしれません。モミジバフウはマンサク科の樹木で、大正時代に渡来し公園・街路樹などとして多く見られるそうです。
小川 スズカケノキは、蔵談義で見たでしょ!(※石原注:清水蔵談義で私の講義を何も聴いていなかっただろう!と責めている) もっとまん丸で、丸い部分をつつくと綿帽子のように割れる種です。
森田 さくらんぼ状のものは、北浦和にある埼玉県立近代美術館で。

石原 下段右端は「どんぐり」で、樹種はコナラのような気がします。
小川 せーかいです!
森田 どんぐりは、日光で拾いました。拾ったところは、ちゃんと覚えています。(笑)

石原 で、下段中央、行司軍配の房みたいなやつ、これもよく見かけるのですが名前がわからない(笑)
小川 これも蔵談義で、飛ばしたヤツです(また責めている)。正解は、ユリノキです。
森田 行事軍配は、種でなくガクかと思っていたのですが。有楽町近くの皇居お堀端で拾いました。種って、生命の素みたいで、好きです。形も綺麗だし、エネルギーを感じます。

※森田惠子さんは 2021 年 4 月に他界された。合掌。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 1 月 27 日、20 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【夜逃げ】

【夜逃げ】

仕事をしていたら不意に「夜逃げ」ということばを思い出した。
なにかの連想に違いないので、編集者から届いた草木の芽吹き「冬芽と木肌ロゼット」に関する原稿の中に「夜逃げ」を連想させる言葉があったのかもしれない。あるいはコロナ禍で街に出歩く人影が消えたので、引きこもりをしていた人が通りに出やすくなったという事例を読んだことが理由にあるかもしれない。

夜逃げを辞書で引くと「夜の間にこっそり逃げて姿をくらますこと。」とあり、夜逃げ屋を辞書で引くと「俗に、夜逃げを斡旋する業者のこと。借金・暴力団・ストーカー・DVから避難するなどの理由で利用される。」とある。世の風潮を思うと夜逃げ屋のニーズはますます高いかもしれない。


2004 年 1 月 26 日

夜逃げがあった翌朝の現場に出くわしたことがある。
スーパーのシャッターがおりたままで、近所のおばちゃんたちが眉をひそめて立ち話しているので、「何かあったんですか」と聞いたら経営者一家が夜逃げしたのだという。

昨夕もこの店に立ち寄ったので
「ゆうべ買い物したら奥さんがレジで買い物スタンプをくれましたけど」
ととぼけたことを言ったら、
「そうなのよ、夜逃げするって決めてて平気な顔してサービススタンプ配ってたのよ。たいしたもんよねえ夜逃げする人って」
と笑われた。

夜逃げを和英辞典で引いたら「 a midnight vanishing act 」と書かれていた。真夜中に消滅行動があったあの日も、人影まばらな冬の未明だった。あの一家は無事に行方をくらますことができたのだろうか。

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【木の実の名前】

【木の実の名前】

映像作家の森田惠子さんから送られて来た、デジカメ最初の撮影という「木の実」の写真。

「これは何でしょう」と聞かれたら「木の実」としか答えられないのだけれど、中年男の嗜みとして木の実の名前くらい言えなくては恥ずかしいかなぁ(笑)と思い、図鑑と首っ引きで調べてみた。

左上は言わずと知れた「まつぼつくり」、樹種はアカマツかと思うのだけれどどうだろう。「まつぼっくり」は「松陰嚢」と書き、「ぼっくり」は「ふぐり」が転訛したものだ。

その下はマメ科の種子で「豆果」と呼ばれる果実の形態。サイカチの実ではないかな。鞘にサポニン成分が含まれ、昔は石鹸がわりにしたらしい。

右上のサクランボ型のはよく目にする。最初、スズカケノキ科の種子かと思ったのだけれど、もしかするとモミジバフウかもしれない。モミジバフウはマンサク科の樹木で、大正時代に渡来し公園・街路樹などとして多く見られる。

下段右端は「どんぐり」で、樹種はコナラのような気がする。

で、下段中央、行司軍配の房みたいなやつ、これもよく見かけるのだけれど名前がわからない。
ギブアップ。

下に敷かれているのは、友人の染色家の指導のもと、ご自身で染められたスカーフ。

※森田惠子さんは 2021 年 4 月に他界された

(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 1 月 26 日、20 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【寒中水泳】

【寒中水泳】

JR山手線に、車内液晶表示スクリーンのついた車両が増えてきた。
 
最近の液晶表示では、車両運行に関する情報も提供され、それはそれで便利なのだけれど、収入源となる有料コンテンツは工夫が足りなくて退屈である。天気予報は平板だし、文字ニュースは順次表示される紙芝居方式なのだ。とはいえ紙芝居であっても興味のあるニュースには思わず見入ってしまう。

「松井秀喜は…」

で終わった次のページが

「フィギュアスケート、フリーの演技で…」

などと、とんでもないページが表示されたりする。スポンサーには迷惑な話で、「(だからパソコンで PowerPoint なんか使う気がしないんだよなぁ)」などと思ってしまう。ページ順を間違えて配信しているのである。
 
ときどき動画の広告も表示されるのだけれど、こちらはもっと手抜きで、見慣れたTV-CMをそのまま流している。音声がないのでタレントは皆、口をパクパクさせているだけで気味が悪い。音なしの TV-CM は異様であり、スポンサーにとっては百害有って一利無しという気もする。

ところが最近、秀逸な紙芝居式広告を見た。
スポンサーがどこなのか確認し忘れたけれど、季節にちなんだ英語のクイズを出してくれるのである。

「【雪合戦】は英語で何と言いますか?」

と出題され、画面に■■■□□(5・4・3…)と回答までの残り時間が表示される。
「うーん、わかんない( Star Wars にひっかけて Snow Wars なんて答えたら笑われちゃうだろうなぁ)」
などと考え込んでいると、

「 Snow Ball Fight 」

と正解が表示される。

「【寒中水泳】は英語で何と言いますか?」

と出題され「うーん、わかんない(それにしても、英米人も寒中水泳なんてするんだ~。白いふんどし姿で浜に上がり、婦人部が差し入れた甘酒を震えながら飲んだりするのかなあ…)」
などと馬鹿なことを考えていると■■■□□(5・4・3…)と時間になり、

「 Polar Bear Swim 」

と正解が表示される。
「へぇー(ホッキョクグマ泳ぎかぁ。英米人にとって寒中水泳に精神鍛錬なんていう馬鹿げた思い入れはないんだろうなぁ)」
などと感心しているうちに有楽町駅で降り損ねて、列車は新橋駅のホームにさしかかる。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 1 月 25 日、19 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【ものは言いよう】

【ものは言いよう】

口は災いの元という。ことばがあるから舌禍も生まれる。だから災いを生まないよう、できる限りことばの密度をうすめ、時間をかけ丁寧に運針していくのが好もしい。もの言うことは言葉の裁縫仕事だ。

平易なことばを選んで、誰もが分かりきったことを言っているのに、乾いた砂に吸い込まれるがごとく胸に滲みわたることがある。あのことばを失いそうに厄介なことも、こう言えばいいのかと感心してしまう。「ものは言いよう」はチクチクとした針目の進め方における言い方の技巧のことではなく、丁寧さの度合いをいうのだろう。

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【闇を描く】

【闇を描く】

友人との仕事打ち合わせが終わり、別れ際の雑談で山里の釣りの話になった。

釣ることに熱中し、ふと我に返り、辺りが闇に包まれていることに気づいたとき、不意に川の流れの中に立っている自分の身体が宇宙に孤立していているような、奇妙な浮遊感を感じること、そして闇が人の情念を動かす力が単に恐れやおののきだけではなく不思議な恍惚感を伴うこともある、などということを話した。

闇の襞に潜む恐怖、苦悩、快楽、郷愁が交錯した世界を、絵として描くことは、光溢れる世界を描けと命じられるより難しい。闇を描いた絵を探して画集をめくったけれど、これぞという絵が見当たらない。それほどに闇を描くのは難しくて、単に画面を墨で塗り尽くした暗黒世界を描けばよいという簡単な話でもないのだ。

色を重ね合わせた末に黒になることを光の加色混合に対して減色混合や減法混色と呼ぶ。インクであれ、染料であれ、絵の具であれ、すべての物質を惜しみなく混ぜ合わせれば、そこに出現するのは漆黒の闇なのである。眼で感じた光の現象を物質である絵の具に置き換え、次々に紙の上に重ねていくのは、光り輝く世界を模倣しているようでいて、実は闇を構築していると言えなくもないのだ。

1994 年 12 月末、パリの女友達を訪ねた冬はかなり体調を崩していた。美術館はルーブル以外どこもがらがらに空いていて、無人の展示室で名のある作品を手に取るように鑑賞できたのは得難い経験だった。

昼間の美術館巡りで疲れ果てているのに、女性たちは夕暮れ時になって買物に繰り出すという。体調がすぐれないので友人のベッドに横になり、古いパリの屋根の連なり、煙突から流れ出る薄煙を眺めながら、ぼんやり絵のことを考えていた。

中学時代の同級生に O 君がいた。O 君は日常の言動がかなりゆったりしていて、高校進学が心配な少年だった。通学路が同じこともあって、何度か家に上がり込んで遊んだが、暮らしは貧しく、根太板が腐りかけた床に畳が敷いてあり、パチンコ店勤めの姉が持ち帰ったパチンコ玉が木箱一杯あるのが印象的だった。

その彼の描く絵が巧いのである。こいつにだけは、かなわないと思った。だがなぜか写生大会に入賞したことがない。それがどうにも不思議で、自分の絵が入賞したときは後ろめたい敗北感を感じていた。

自分は絵の具を混ぜあわせて塗るのが嫌いで、チューブから絞り出してそのまま塗りつけるような描き方が好きで、美術の S 先生には「いつか油絵をやったらいい」と言われていた。

一方 O 君の画材は兄や姉からのからのお下がりらしい使い込まれた年代物で、パレットには大量の絵の具が固まってこびりついたまま、絵の具もあらかた絞り出されて硬化し、鉛のチューブを引き裂いてほじくり出さなければならないほどだった。筆に水をつけて絵の具の塊を溶き、流れ出た色水を何度も塗り重ねて描くことしかできないのだけれど、それがとてつもなく巧いのである。一見なんとも暗い絵なのだけれど、ふしぎな魅力があり、彼の絵を見るたびに「こいつにだけはかなわない」と打ちのめされていた。

校外写生大会で描き上げた作品を校内に持ち帰って壁に張り出し、生徒の互選で入賞作を選んだことがある。生徒が自由に誰だれの作品が良いと言い合い、先生が「そうだな、じゃあ入選とするか」などと言って色紙の短冊を貼っていくのである。

自分の作品はいちはやく選ばれていたのだけれど、もっとも優れていると思った O 君の作品が一向に選ばれない。「ほかに入賞作はないか」と S 先生が言うので「 O 君の作品がいいと思います」と言ったら、「うーん、O の作品ねぇ」と先生は腕組みしたまま首をかしげ、結局、短冊が貼られることはなかった。

どうして O 君の作品が評価されなかったのか今でも不思議だ。卒業式を終え、校門を出るとき先生は「頑張れよ」と声をかけてくれたけれど、「はぁ…」と気のない返事になってしまったのは、先生がなぜ O 君を評価しなかったのかが、心の奥で妙なわだかまりとなっていたのかもしれない。

今でも思い出す O 君の作品のどれもが、闇の中から微かな光を絞り出すような、不思議な希望に満ちた明るさを持っていたように思えてならなくて、友だちのよしみで一枚くらいもらっておけばよかったなと思うことがある。

※写真は 1994 年 12 月のパリにて。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 1 月 24 日、20 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【勝手にしやがれ】

【勝手にしやがれ】

敗戦の虚無感を胸に砂丘に寝転んで夜空を見上げたとき、あの流れ星のひとつすら自分の上に落ちて来ることはなかろうと思えたと書いたのは誰だっただろう。たしか教科書で読んだような気がするのだけれど。

失恋の哀しみを抱いて、大阪から汽車に乗って砂丘に行き、寝転んで夜空を見ていた学生時代があったという友人の話も思い出す。

砂丘に仰向けになって満天の星を眺めるなどという壮大なことの似合わない自分は、心塞ぐと狭い場所に入って丸まりたくなる。そんな時に浮かぶ言葉が「どん詰まり」だ。

高校生になると夜中に目が覚めて寝つかれないことが多くなり、夏の夜などその先のない「どん詰まり」を求めて、海岸まで自転車を走らせた。

最も頻繁に出掛けたどん詰まりが清水市新港町、豊年製油工場のある防波堤で、いま清水エスパルス・ドリームプラザがある場所の対岸だ。夏の夜の防波堤でコンクリートの上に寝転がると、まだ日中の温もりが残っていて、波の音を聞きながら眠るのが心地よかった。三保のどん詰まりの灯台下や、久能道どん詰まりの海岸に寝転んで朝まで眠ったこともある。防波堤や海岸の砂利の上で寝ている高校生というのも異様なものだろうといま思えばおかしい。

勝手にしやがれと地面に身体を投げ出して大の字になる開放系のどん詰まりもあれば、胎児のように丸まって眠る閉鎖系のどん詰まりも青春にはある。そもそも追い詰められた先にある「勝手にしやがれ」が開放系の人間と閉鎖系の人間とがいるのだろう。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 1 月 23 日、20 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【「みんな」】

【「みんな」】

日野啓三さんご本人から謝辞を書き添えて頂戴した対談集にあった言葉。対談者は柄谷行人。

日野 みんなが、例外なしに、人類と言われて以来の総数で言えば、たとえば二十兆人が皆死を迎えているというのは、とてつもなくすごいことだという気がするんですよ。ほんとうに、百まで生きようが、四十だろうが、とにかくみんな死んでいるんだ。

人間を樹木に置き換えてこう言ってみる。

みんなが、例外なしに、木の葉と言われて以来の総数で言えば、たとえば二十兆枚が皆落葉を迎えているというのは、とてつもなくすごいことだという気がするんですよ。ほんとうに、木枯らし吹くまで枝にあろうが、青嵐(あおあらし)に引きちぎられようが、とにかくみんな落葉しているんだ。

いずれ死んでしまうもの同士だから大きな共感のうちに一つであれるということ。
レオ・バスカーリア『葉っぱのフレディ』(童話屋)を読んでみたくなったので、柄谷行人『新版 漱石論集成』(岩波現代文庫)と一緒に注文した。

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