リスと金券

2017年1月31日
僕の寄り道――リスと金券

近所で済ませる買い物は、何軒もあるコンビニの中から、交差点を渡ったところにあるローソンでと決めて久しい。レジ横に「dポイントカード」があったので何の気なしに登録してみたら、塵も積もればなんとかで、いつのまにか結構な点数になっている。

大宮の老人ホームで暮らす義母の面会に通う際、ときおり地下で買い物をする大宮高島屋でもポイントが使えるようになったので、食料品購入に使ったら
「ずいぶんお貯めになりましたね」
と言われた。コンビニで貯めて高島屋で使う塵はバカにならない。

静岡県清水出身なのでサッカーは清水エスバルスを応援している。大宮は清水、富山、駒込に次ぐ第4の故郷ともいえ、前期に活躍した大前も移籍したので、今年はちょっと大宮アルディージャも応援している。『リスの家』にも行ってみようと話している。

エスパルスのユニホームの胸にある「Suzuyo」の文字を見ても燃えるポイントがないけれど、アルディージャのユニホームの胸にある「dポイント」の文字を見るとちょっと熱くなり、ゴールが決まるごとにポイントが貯まればいいのに、などと思ったりする。


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考える

2017年1月31日
僕の寄り道――考える

本の組見本を作らなくてはならないので大好きな寺田寅彦『写生紀行』の本文をダミーテキストに使って組んでみた。寺田寅彦は首を傾(かし)げたカラスを「考える鳥」と見ている。

 絵の具箱を片付けるころには夕日が傾いて廃墟のみぎわの花すすきは黄金の色に染められた。そこに堆積した土塊のようなものはよく見るとみな石炭であった。ため池の岸には子供が二三人釣をたれていた。熔炉の屋根には一羽のからすが首を傾けて何かしら考えていた。(寺田寅彦『写生紀行』より)

鳥が首を傾(かし)げるのは頭の両側についている目の視界を調節し、見たいものを見ようとするために頭が傾ぐらしい。こちらを向いているとき、鳥は正面より両側面の方がよく見えるのだという。疑問を感じて傾げているわけではない。

文京区内の賃貸マンション 10 階に住んでいた頃、床にこぼした白いご飯がもったいないので窓辺の白いコンクリート上に置いたら、雀がすぐ気づいて食べに来たので驚いた。広大な視界の隅にある古びたマンション、その北向きの窓辺の白地の上に置かれた白いご飯粒を、雀はどうして見つけることができたのだろう。

|友人がスイスで買ってきた木彫りの鉛筆キャップ|

友人によると鳥の目は自分の生活圏を詳細に観察し記憶しているので、人間には信じがたいような情報とその変化を知っているのだという。簡単に言えばよく見ているらしい。

そういう驚くべき情報の収集分析のため、頭を傾げて視界調整をしているわけで、やっぱり小さな脳で考えるのでははなく、体の外に広がる世界への触手こそが「考える」ことの総体といえる。カラスはやはり首を傾げて考えているのだ。


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昼休み、カメ雑感

2017年1月30日
僕の寄り道――昼休み、カメ雑感

幼いころ祖父と川べりを散歩すると、
「向こう岸に亀が這い上がって甲羅干しをしているのが見えるか」
と聞くので
「見えない」
と返事をすると足もとの石を拾ってヒューッと対岸めがけて投げ、
「ほら慌てて水の中に逃げたのが見えただろう」
と言うので
「見えなかった」
と答えると、仕方のないやつだと言いたげに苦笑いしていた。祖父はどうしてそんなに遠くが見えるのだろうと呆れたものだけれど、文字が読めなかった祖父はそのかわり遠くがよく見え、イノシシ狩りの猟師として NHK の取材を受けるほど有名だったらしい。水槽のカメを見ていたらそんなことを思い出した。

|昼休み散歩で見つけた屋外の水槽|

檻の中にいる動物は、自分は「中」に閉じ込められ、人はその「外」にいる、自分は不自由だけれど人間は自由だ、そういう認識をせず、ただ自分と人間とのあいだを隔てている柵があるとわかるだけだ、そもそも内と外の概念がないのだ、だから檻の中の生き物を可哀想に思うのはちょっとピントがはずれている、そう教えてくれた友だちががいたけれど本当のことだろうか。どうも怪しい気がする。

物心つく前の子ガメのころから水槽内で育てられたカメならそうかもしれないけれど、大きくなったカメを河で捕まえて水槽に閉じ込めたら、カメとはいえ、さぞや切なかろうと思う。

カメやワニなどは哺乳類が脳を大きく発達させたのと逆の進化をたどり、体重比で考えると驚くほど脳が小さいという。哺乳類ほど頭を使う生活を選ばなかったので小さくてもいいのだ、バカでも生きていければいいではないかとカメ擁護の論法もあろう。けれど脳の大きさなど賢愚に関わりがないのではないか。脳ではなく身体が記憶していればわが身の不幸を嘆いて涙も溢れるだろう。知性はきっと身体の外にある。


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ホーローのケトル

2017年1月30日
僕の寄り道――ホーローのケトル
 

 

老人ホームのホーロー製コーヒーケトル。子どもの頃、家にあったという人が多いので昭和日本の人気商品だったのかもしれない。コーヒーなど飲まないわが家にもこれと同じものがあったが何に使っていたのだろう。

お湯はニギリヤ印のアルマイト製薬缶で沸かしており、温めた牛乳がこれから注がれた記憶があるのだけれど、焦げ付かせてしまったら掃除がたいへんなので、白から連想する記憶違いかもしれない。

老人ホームでは認知症状態の深いお年寄りがこのケトルから器用にお茶を注いでおり、右手で取っ手を持ち、左手で蓋を抑えながら上手に使っている。どんなに「ポケてる」と言われるお年寄りでも、こういう動作の記憶は身についたまま残っている。

蓋を抑えてとなりのお年寄りにお茶を注いであげている姿は、ボケていない頃のその人そのままなのだろう。注いでもらったお年寄りも「ありがとう」などと発語があり、レトロなポットは物言わぬ介護支援になっている。


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南京錠

2017年1月30日
僕の寄り道――南京錠

老人ホーム近くにあるバスの終点発着所。かつては雑木林のある武蔵野原だったのだろう。鳥たちの姿も多く見られ、日曜日は樹上でヒヨドリが鳴いていた。

かつては見沼田んぼに流れ込む小川のひとつが流れていた場所も、今ではコンクリートで固められた四角い溝になっている。普段は深さ数センチの流れがあるだけで、水量に対して大きすぎるように見えるけれど、豪雨の際は濁流となった大量の水で満たされる。子どもでは背が立たない深さなので、大人でも落ちたら命はないだろう。

その護岸脇に夏から秋にかけて花を咲かせ実をつける植物がある。バスを待つあいだ何の実だろうと気になっていたけれど、調べてみると南京櫨(なんきんはぜ)らしい。

南京玉、南京鼠、南京町、南京虫など、今ではほとんど聞かなくなった南京のつく名前。中国渡来である可能性もあるけれど、珍奇なものに南京を冠して作られた言葉たち。そのうちのひとつである南京錠が転落防止フェンスの扉にかけられていた。

認知症老人や定型発達をしない子どもたち、彼らの在宅生活を維持するために、どうしても徘徊予防のため内と外を隔てる鍵をかけなくてはならない、そんな家族の悩みを聞いたばかりだったので、ちょっと南京錠に見入ってしまった。


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quiet life

2017年1月29日
僕の寄り道――quiet life

老人ホーム裏庭の柚子の実をヒヨドリがついばむ季節になった。新しい年が明け、雪の降るような寒い日が何度かあって、柿の木から実が一つもなくなった頃、ヒヨドリがやってきて腐れかけたような実から順に食べ始める。

街の中から食べられる木の実がなくなる頃でもあるし、いつまでも酸っぱくて苦い柚子がようやく食べられるようになるのが、ちょうどこの時期なのかもしれない。

面会を終えてバスが発着する終点停留所まで歩いたら、樹上から寒気を切り裂くような声がし、真上を見上げるとヒヨドリが一羽とまっていた。カメラを構えたらポツンとひとつ糞を落とし、地面に落ちたそれはひどく酸っぱそうに見えた。


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島の眺め

2017年1月27日
僕の寄り道――島の眺め

 

日本と韓国がともに領有権を主張して激しく対立している無人島(2017年1月27日、当社ヘリより)

……的な公園の木の根っこ。気温が上がって三月並みの陽気となり、ベンチを占領して横になった人たちの上で陽光も微睡(まどろ)んでいる。


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事故と復旧と手順と挨拶

2017年1月27日
僕の寄り道――事故と復旧と手順と挨拶

住まい階下の区分所有者よりトイレ天井に水漏れが発生しているとの連絡があり、大至急ビルメンテナンス会社を呼んで検査してもらったら、洗面台給湯管にできたピンホール(孔食)から漏水があることがわかった。

管理組合でマンションの給湯管が老朽化し、漏水事故が多発していることに対する対策を「どうしたもんじゃろのう」と協議している最中で、「みなさん他人事じゃありませんよ」などと言っている本人が当事者になってしまったわけだ。

世の中、当事者にならないとわからないことばかりだ。「これはよい機会を得た」、そう喜んでいられるのは、組合や個人で加入している保険で賠償と工事費が賄われる安心感があってのことだ。そうでなかったらたいへんだ。

3時間ほどかけて復旧工事をしてもらうあいだ、立ったまま説明を聞き、写真を撮りながら作業を眺めていた。漏水事故が起こる仕組みと現場検証の勉強もさることながら、職人が様々な道具を使って行う器用仕事と手順のパズルが面白い。なるほど、そうやって復旧までの詰め将棋をするのかと感心していると、何時間立っていても飽きることがない。

|職人の道具と外した銅管|

子どもの頃から大工の現場を見るのも好きで、一日中しゃがんで見ているのでヘンな子どもだと思われたらしい。田舎に預けられていた頃は畑仕事のお百姓を見ているのが好きで、「もう夕方だから切り上げるぞ」と言われ、野菜をたくさんもらって帰ったものだった。

復旧工事が終わり、「あーおもしろかった!」と言いそうになって「どうも、お疲れさまでした」と言い直し、階下の住戸へ「ご迷惑おかけしました」とお詫びの挨拶に行ったら、若い奥さんが「いいえいいえ」と笑顔で出てこられた。


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議事堂まで

2017年1月26日
僕の寄り道――議事堂まで

霞が関で 17 時から打ち合わせがあり、約束の時刻までちょっと時間があったので永田町駅で下車した。国会議事堂に近い出口から地上に出たら見慣れない景色の中にいてびっくりした。

むかしは空が広くすぐに議事堂が見え、ランドマークとなる高層ビルも数えるほどしかなかったので、すぐに歩くべき方向がわかったのだけれど、見慣れた古いビルが建てかわってしまい、空が狭くなって見通しがきかない。この時代を反映しているみたいだ。

大型拡声器を足元に置き、マイクで大声を上げている女性がおり、キーワードはよくわかるのだけれどそれらをつなぐ論旨がまったくわからない。その横で薄ら笑いして立っているように見える警官に、議事堂の方角を聞こうと思ったけれどやかましいのでやめた。

冷たい北風に吹かれながらようやく議事堂が見えたらすでに西日を受けて赤く、時刻は 17 時をちょっと過ぎていた。

2017年1月25日

打ち合わせ終了後、見慣れないビルの脇から地下に入り、飲食街の居酒屋でビールをご馳走になった。中座して地下街の外トイレに行き、飲んでいた店に戻ろうとしたら迷子になってしまい、ようやく店に戻ったら勘定が済んでいたのだ。やった。

「ここはあの霞が関ビルの地下になるんですね、懐かしいラーメン屋の万世があったのでやっとわかりました」
と言ったら笑われた。地下と地上が一体となって霞が関界隈は迷路になりつつあるらしい。有事の際のシェルター化を想定しているのだろうかなどと思ってしまう。


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縄をなう

2017年1月24日
僕の寄り道――縄をなう

よその犬もよくやるらしいけれど、わが家にいたミニチュアダックスフントも、ときどき自分の尻尾を追いかけてくるくる回っていた。呆れ顔で眺めていると、ときどき捕まえられそうで捕まらない尻尾に腹を立ててウッと唸ったりするという、なんとも芸の細かいこともしていた。

「これだから犬はやっぱりバカだねぇ」と母親は笑っていたけれど、自分には単純にそうも思えなかった。ときどき横目でチラッと飼い主を見て

「どうせバカなやつだと思ってるんでしょう。だけど意味のないことをやっているのは人間さまも同じじゃあないですか?」

と犬に生まれてしまった虚無感を、偉そうにしている人間に当てこすりしているようにも見えたのだ。

 自国の総理や他国の大統領を匿名でバカ呼ばわりしたら「バカ」の文字の吹き出しが自分の後頭部を直撃しているネット風景、言い換えれば振り上げたゲンコツが自分の脳天に落ちてくる漫画、子どもの頃いじめっ子に言い返した「バカって言う方がバカだもん」はデカルトの「我思う、ゆえに我あり」にちょっと似ている。世界の構造はユークリッド的空間より複雑にできているらしい。

 自縄自縛という言葉は、自分で自分を縄で縛るという意味ではなく、自分が縛られることになる縄を自分でなっている行為のことであり、ネット風に言えば墓穴を掘りながら「縄をなっているナウ」とつぶやくアホらしさに近い。


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「の」 と 「ん」

2017年1月24日
僕の寄り道――「の」と「ん」

出張や散歩で持ち歩くカメラは、しっかり写るけれど簡便で持ちやすく、「そんなんでちゃんと写るんですか」と聞かれそうなやつがいい。

開発責任者が上司に「本当に写るのか」と聞かれて「写るんです」ととっさに答えたのが由来だという簡易カメラ『写るンです』のネーミングは秀逸だったなと思い出し、調べたら正しくは『写ルンです』だった。「るん」をルンルン気分の「ルン」に置き換えたらしい。なーんだ。

格助詞「の」が撥音便(はつおんびん)で「ん」に変わり、「写るのです」が「写るんです」となり、撥音便化の勢いで言葉をさらに軽量化し、空中浮揚するように「ん」をカタカナに変えて『写るンです』としたのかと、長いこと思いこんでいた。

|冬空の旅人(赤坂界隈)|

「の」が「ん」に変わる撥音便は面白いなと思い、未明のスマホで「の ん 変化」と打ってグーグル検索したら、能年玲奈ばかりがヒットするので笑ってしまい、冬空の散歩をやめて二度寝した。


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眠りの壁

2017年1月23日
僕の寄り道――眠りの壁

大関から陥落してしまったけれど琴奨菊で話題になったルーティンといい、三十歳で初優勝を果たして横綱に登りつめた稀勢の里の表情変化といい、見ていると最近の関取の内では相手力士との戦いとは別に、自分の精神との戦いが熾烈さを増しているように見える。

あれもこれもいっぺんにやろうとする注意の配分に長けている反面、気力を維持してひとつのことに集中する能力に弱点があるかもしれない。相撲取りに限らず現代人の多くはそうなのかもしれなくて、自分もまたそういう傾向が強い。

|JR清水駅前のポルダリング練習壁|

道具に頼らず自前の技術と体力で登るフリークライミング、その中でも岩にへばりついて登るボルダリング、その練習用壁面を眺めて登らねばならない事態を想像すると、自分にはとても無理だなぁと思う。途中で集中がとぎれた時の恐怖に勝てない。

最近は夜中に目が覚めてしまって寝つかれないとき、このボルダリング練習用壁面を思い浮かべ、四本の手先足先に意識を集中してへばりつき、少しずつのぼっていくことにチャレンジすると、「ああ、だめだ…」という諦めとともにすんなり眠りに落ちる。


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海辺まで

2017年1月23日
僕の寄り道――海辺まで

デジタルになって写真整理が楽になった。その反面、撮影枚数が増えて膨大な数になっている。定期的に分類整理している写真に海の写真がほとんどない。「空」「雲」「草花」「樹木」などという自分が作った分類用フォルダに「海」がないのがわれながら不思議だ。

「空」「雲」「草花」「樹木」はどこで暮らしても身近にあるけれど、「海」に分類できる写真を撮りに行くのはむずかしい。モータリゼーションから距離を置いて徒歩を移動手段とし、燃料をすべて飲用に回してからというもの、海辺がいちだんと遠い場所になった。郷里清水でさえ、自然海浜へ出ようとしたら、自動車という足がないと容易ではない。

|2017年1月21日午前8時過ぎの根府川駅|

自然が残る海辺を歩くと、林や茂みの中に踏み分けられた人跡があり、辿ってみるとよい波打ち際へと通じる近道になっている。地元の若者たちがサーフボードを抱えて海辺に通っているのだろう。

海辺の街道沿いを歩くと人家の隙間に陽の当たらない通路があり、入っていくと魚の匂いがする海辺に出て、引き上げられた木造漁船があったりする。それらはたいがい地元漁民が浜へと通う漁師道になっている。

東海道本線がドアを開けたまま根府川駅に停車するほんのわずかな時間、この車両ドアもまた海辺へ繋がる道の入り口になっているのだなと思う。次回帰省時は少し早めに出て途中下車し、ここから海辺へと歩いてみよう。


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小言と富士山

2017年1月21日
僕の寄り道――小言と富士山

静岡市清水区能島。他界した叔父が毎朝愛犬を連れて散歩していた自宅脇にある巴川遊水池。そうか、こんな景色を見ながら愛犬に小言を垂れていたのだなあと思う。

静岡県清水でビーグル犬を飼っていた叔父は、毎朝の散歩で晴れ渡った空にひときわ美しい富士山を見ると、立ち止まって
「下ばかり向いているな、顔を上げて富士山を見ろ!」
と苦笑いしながら愛犬に小言を言っていた。(日記「犬の散歩」より)

この地で百歳近くまで一人暮らししていた曽祖母がいる。幼い頃に何度か会ったけれど、その頃もうすでに背中の丸まった小さな人になっていた。江戸時代生まれのあの人がいなければ、自分もいまこの世にいないわけだ。

夫に先立たれて数十年、一人暮らしになった曽祖母は小言を垂れる相手もなく寂しくここで暮らしていたのだなぁと精進落としの席で話したら、たくさん猫のいる猫屋敷だったという。猫が
「ごろごろしてばかりいないで、外に出て富士山を見ろ!」
という小言の相手になっていたかどうかは知らない。


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冬の葬列

2017年1月21日
僕の寄り道――冬の葬列

ガンで他界するちょっと前、母親が急に山川方夫の『夏の葬列』を読みたがり、神田神保町の書店に行って、大急ぎ買って帰省したことがある。あれからもう 12 年、よく母親を見舞ってくれた叔父も他界し、2017年1月21日、四十九日の法要と納骨があるので清水に帰省した。

JR清水駅にて

集落のはずれにある共同墓地、いわゆる「むら墓地」への納骨となるので、映画やテレビでしか見たことのない野辺送り、あの葬列の人となるのかと期待していた。一度、劇中の人になったように加わってみたかったのだ。

さてお墓へ納骨にまいりましょうと僧侶が言い、歩こうかと思ったら高齢の伯母たちの足元がおぼつかないことを理由に、わずか数百メートルの距離を自家用車に分乗しての移動となった。

なんだか葬送気分が出ないので、元気が良くて感性の近い従兄二人と、しみじみ故人の話をしながら墓まで歩いたら、僧侶も自家用車に乗ってやってきた。

自動車を連ねてゆくや野辺おくり


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