自分って何だ

 |2013年1月30日| 

 子どもの頃、考えていると夜眠れなくなるほどの疑問があり、それらの中で一番大きなものは、人はなぜ死ぬのか、死んだあと自分はどうなるのかということだった。ひとりぼっちの夜、明かりを消した部屋で布団に潜り込んでそんなことを考えていると、無限の虚空に吸い込まれてしまいそうな気がしたものだった。
 吸い込まれて行くのに身を任せていたらそのまま発狂してしまいそうなので、問題を発狂しない程度の大きさに切り分けた。たとえば「死んだあとの自分はどうなるかと考えている自分」って何だろうという疑問を取り出し、そもそも自分で自分がいなくなったあとのことを心配して気も狂わんばかりになっている事自体がおかしいのではないかと、幼ごころに考えた。


 おかしいと思う大問題を小さく切り分けていくと実験可能な事があり、お布団の中は小さな心の実験室になった。
 人には二本の手があるが、右手で左手を触りながら、「左手に触っている右手の自分」と「右手に触られている左手の自分」の両方を同時に感じることができるだろうかという実験をした。触ったり、抓(つね)ったり、引っ掻いたりしながら、手だけでなく顔やお腹などと場所を変えながら、どこに触り触られても同時に二つの自分にはなれないことを確かめ、死んでいる自分を気遣うもう一つの自分を心の中で創り上げてくよくよ考えること自体がそもそもおかしいのだと結論づけ、眠くなってきた自分の中に潜り込み、自分と自分を一つに重ね合わせて眠ったものだった。 

 

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地蔵を掘る

|2013年1月28日|

 

 沢ガニ取りをして川底を掘っていたらお地蔵様が出てきてびっくりしたことがある。素朴な石の彫像とはいえ人体に似たものがひょっこり地中から顔を出すと、幼い子どもでも霊気に打たれるということがある。思わず手を合わせたというほどではないけれど、これは大変な物を見つけてしまったと思えて放っておけず、幼い従弟と必死に石をかき分け、丸くなりすぎて表情のわからなくなったお地蔵様を掘り出した。
 おそらく上流のどこかにあったものが、大雨か何かで路肩が崩れて谷底に転落し、ここまで流されてきて川底に埋まったのだろう。掘り出したまま河原に放っておくわけにもいかず、幼い子どもふたりでかかえて運ぶには重すぎるので、あたりを見回したらミカン農家の作業小屋にロープがあった。そいつでお地蔵様をぐるぐる巻きに縛り上げ、小一時間大汗をかいて引っ張り上げたら夕暮れ間近になっていた。

 ふたたび転落したら気の毒なので、道沿いの木の根方に穴を掘って立たせ、さっと手をあわせて帰ってきた。善行を施したという若干恩着せがましい高揚感もあって、夕食時に 
「今日ね、川底を掘ってたらお地蔵様が出てきたから、ふたりで助けてあげたんだよ」
と興奮して話すと、
「危ない場所に行くんじゃないよ」
とおとな達がお地蔵様のような顔をして言うので不満に思った記憶がある。
 お地蔵様というのは弱い者、小さい者の味方で、田舎や古い町はずれのそこここにあるので誰にでもなじみ深く、奇妙な思い出のひとつやふたつあるものらしい。

 中年の友人が酔っ払ってお地蔵様に賽銭を上げているので、珍しいことをすると笑ったら
「子どもの頃、お地蔵さんの供え物を盗んで食ったことがあるからいまだに頭が上がらない」
と言う。

「そんな昔のことは覚えてないだろう」
と言ったら
「いや、お地蔵さんは覚えてる」
とろれつの回らない声で笑って言う。そういう細かいことまでちゃんと覚えていて、六道輪廻、すべての命が六種類の世界に生まれ変わっていくとき、ちゃんとふだんの行いを見ていて救ってくださるのだという。
「お地蔵さんはちゃんと見てるぞ」
とおとな達に言われて、そうかもしれないなあと思えた時代の暮らしが懐かしい。

 

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Lightning to USB Cable

  |2013年1月27日| 

 

 持ち歩いて iPod Touch 5 を充電するため Lightning to USB Cable の予備が欲しいと思い、予備なので安ければ安いほどいいので安い物を検索したら、純正品に比べて驚くほど安いものがある。これでいいやと思って買おうかと思ったら、買ってみたけれど使えなかったという購入者の書き込みがたくさんぶら下がっていた。

 不良品では困るので再検索したら、ちょっと高いけれど全品検査して出荷しているという商品があり、使えているという書き込みがぶら下がっていたので注文してみた。新しい規格の小さなコネクタは互換製品を作るのが難しいのかなと思った。

 さっそく届いたので梱包を解いたら、なんと Apple 純正パッケージなのでびっくりした。ということは純正品として Apple に納品されるはずのものが、不良率が高いというような理由で返品され、それがそのまま格安で市場に流れているということだろうか。

 

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三升漬

|2013年1月26日|

 

 北海道から三升漬を取り寄せたら美味しくてあっという間に食べきってしまった。「三升漬(さんしょうづけ)は、青なんばん・麹・醤油をそれぞれ、一升ずつの分量で漬け込んだ保存食。北海道・東北地方の郷土料理である。」とウィキペディアにある。検索すると製造販売会社の製品より、自分で手作りしましょうというレシピ記事が目立つ。

|不忍通りで誰かが落としていったらしい手袋(根津)|

 出来合いのものを買って食べて十分満足したのだけれど、それだけ自家製が盛んなら作り手ごとに味の違いもそれぞれなのだろうなと興味がわき、検索したら北海道上川郡比布町の加工グループぴっぷ味菜が製造販売する別の三升漬を見つけた。

「三升漬は、毎年同じ味を作ることも苦労の1つですが、『自分達が作る三升漬は最高』と思う自信作です」
という女性たちの心意気が気に入ったので取り寄せてみようと思い、検索したら楽天で買えることがわかったので注文してみた。

北海道比布町産 手作り素朴な味 三升漬

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太い細い、長い短い

|2013年1月25日|

 蕎麦が好きだけれど蕎麦通ではない。ほんのちょっとつゆをつけて噛まずにズズッと喉越しを楽しむなどという蕎麦通お薦めの食べ方をして旨いと思ったことがないからだ。だいたい歌川国芳木曾街道六十九次の版画、滋賀県守山宿で達磨大師が旨そうに蕎麦をバカ食いしている様子だって、噛まずに飲んで喉越しを楽しんでいるようになど見えない。

 最近気に入って通っている埼玉の蕎麦屋が打つ蕎麦には太い細い、長い短いがある。太い細いがあると茹で上がりに差が出て柔かいところと硬いところができる。長い短いがあるのは切り揃える前の伸ばし方が大雑把だからだ。というわけでじょうずな蕎麦打ちが均等に切った蕎麦を至上とするなら、太い細いのある蕎麦は下手が打った失敗作になるらしい。だが柔らかいところと硬いところ、長いところと短いところがあるおかげでズズッとすすれなくて噛むことになり、均等でツルッとした単調な蕎麦より、ザクザクとした蕎麦を噛むほうが味がじっくりわかっておいしい。

 

 年末も都内の老舗蕎麦店ではなく、どうしてもあの田舎蕎麦を食べて年越しがしたくて、義母を特養ホームに訪ねたあと大宮駅から宇都宮線に乗って食べに行った。蕎麦を9対1の配合で打つそうで、大晦日の慌ただしさもあってか太い細い、長い短いに一段と磨きがかかっており
「ああおいしい!」
と思わず声が出てしまう。ああ、蕎麦の味とはこうだったと思う。
 やはりわざわざ出かけて良かったと思いつつ、都心の近場で太い細い、長い短いのある手打ち田舎蕎麦を食べられたらいいのにと検索してみるが、手打ちにこだわる店は食通を相手にしているらしく、うたい文句を検索したくらいでそういう天然の店は見つからない。「乱切り蕎麦」で検索するといくつかヒットするのでチェックしておいたが大衆的であることを売り物にした店が多い。蕎麦に限らずに、そういう不均一な茹で上がりの食感を美味しく味わいたいなら刀削麺がある。あれも太い細いや、長い短いや、厚い薄いがあるからこそおいしいのだ。

 

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親の年齢

 |2013年1月23日|

 

 三好春樹さんお気に入りの店で新年会をした。
 向かいに座った還暦をとうに過ぎた立派なオトナに
「お母さん何歳になった?」
と聞いたら
「ええと、76歳」
と答えるので騒然となり
「え~~~っ、じゃああんた何歳の時の子ども?」
と皆に驚かれ
「ちょっ、ちょっと待って!」
とパニックになる親不孝ぶりが微笑ましい。同い年の旧友を三好さんが
「こいつ昔からこういうやつなの」
と笑っていた。

|池袋のネパール料理店『ミルミレ』|

 ネットで日記を書き始めた十数年前、親と自分の年齢差を測る「親子尺」をいつも心のポケットに入れておくと便利だと書いた。
 自分が母親24歳の時の子どもだとわかっていると、自分の年齢にそれを足せば親の年齢を即答できる「親子尺」になって便利だ。
 最近はその「親子尺」を使って死んだ親の歳を数えるより、親が他界した年から経過年数を引いてみることが多く、自分があの日あの時の親の身になってみるまでのカウントダウン・タイマーになっている。

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飯の友

|2013年1月24日|

 テレビでおもしろおかしく全国各地の食べ物を紹介し、食べてみたい方は番組ホームページへどうぞと誘って通販する、という作りの番組が多く、好きなタレントが
「こりゃうまい!」
を連発するとついつい注文したくなるが、取り寄せてみて
「こりゃひどい!」
と落胆することも多い。

 注文する前に広くネット検索して口コミ情報を探ってみても、どんな世界でも“わが事のように関与したがる活発なネット支持者(満足と報酬でそれが「飯の友」になっている人たち)”が数パーセントいて、ネット世界を泳ぎ回って情報操作しているので、本当のところが見えにくくなっている。

 見えにくい情報の中から選りすぐって飯の友になりそうなものを二つ取り寄せてみたらこれは正解だった。ひとつは北海道旭川市南六条22丁目「山下食品株式会社」が製造している『三升漬』で大根、白瓜などを青唐辛子と醤油に漬け込んだもの。もうひとつは『山わさび醤油漬』で同じ通販サイトにあったので買ってみた。飯の友だけあって値段が驚くほど安いので、わざわざ北海道から取り寄せる運賃に見合う金額にするのに苦労した。苦労した甲斐があってどちらもごはんが美味しい。

 

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旧友(OLD FRIEND)

|2013年1月23日|

 

 サイモン&ガーファンクルの LP レコード『Bookends』が発売になったのが1968年、その中に収録された「OLD FRIEND」という曲の中でポール・サイモンは

Can you imagine us years from today,
Sharing a parkbench quietly
How terribly strange to be seventy

と唱っていたけれど、その彼ももう71歳だ。27歳の若者がひどく奇妙に感じた老いが、振り返れば残酷にもあっという間にやって来たような気がする。あの作詞作曲のじょうずなお兄さんがもう70歳を過ぎたのかと思うと、人ごとではない、自分にも老いは駆け足でやって来るんだなぁと身が引き締まる。


 納戸にある段ボール箱を引っかき回せば1968年に清水駅前銀座『あかほり』で買った『Bookends』のLP レコードがあるはずだけれど、アナログプレーヤをセットするのも面倒なので、CD を買ってしまおうかなとも思ったが、そんな古いレコードを聴いて感傷にふけっている時間は自分にもないことに気づいたので、新しい『So Beautiful Or So What』を注文してみた。

 

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飄飄とした人

|2013年1月22日|

 飄逸な人というとちょっと違うが、伯父は飄飄とした人だった。2002年春に末期ガンの宣告を受けた際、自分は84,006名が参加して79,261名が戦死したレイテ島の戦いの生還者であり、戦後の人生はおまけのように思っていたから動揺はないと笑って家族を安心させた伯父である。伯父の戦後における飄飄とした生き方を決定づけたのは戦争体験だったが、その息子である従兄もまた妙に飄飄としている。

 他界した伯父の納骨のため清水区元城町の宝久寺に行ったら従兄が
「よく見とけよ、お前もいつかはこの中へ入るんだぞ」
と息子に言っていて「(おいおい、理系のあんたが息子にそんなことを言うか?)」と可笑しい。いつか自分が納骨される墓の中は何度か見たけれど、そこに自分が入ることを想像したことはないし、どんなに想像力を働かせて試してみてもできない。ひょっとして従兄はそれが想像できて、夢の中で
「こんな狭い場所に入れられるのは嫌だ!ヤダヤダヤダ!たーすけてーっ!」
など叫ぶ骨になってうなされることがあるんだろうかと想像すると可笑しい。昔からとぼけた理系の従兄にそういう指摘をして二人でお腹を抱えて笑ったものだった。

 従兄と伯父はよく似ていて、いくら食べても太りそうにない痩せ形であり、体型からして飄飄とした感じを受ける。世間ばなれしていて、つかまえどころのない飄飄とした生き方をすることは素晴らしいが難しい。戦後を白いお骨のようにして生きた伯父を見ていると、体験がそういう飄飄とした生き方をさせてくれたのかしらと思うが、その息子である従兄の飄飄とした言動を笑っていると単に体質的な遺伝なのかなぁとも思う。

 

 

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煉瓦

 |2013年1月21日|

 

 家内が洗濯物を手洗いするのでタライが欲しいという。昼食ついでに外出して近所を歩いてみたら、裏通りに何軒かあったはずの金物雑貨店がみな店を畳んでしまい、歩いて買い物に出てタライをぶら下げて帰ることはできないとわかった。車に乗って郊外の量販店に出掛けるしかないのかなと思う。

 田端銀座近くに、昭和の時代の風情を店構えに遺しているクリーニング店があり、前を通るたびにいいなぁと思って見ているが、今日は店の脇にしつらえられた花壇が目についた。茶色い耐火煉瓦が傾けて積まれているのでギザギザになっていてかわいい。いたずら坊主が上を歩いて壊すことがないという一石二鳥を狙ったのかもしれないが、こういうのは初めて見た。

 大量販売で安売りの郊外型大型店に客を奪われて個人商店が次々に消えていった頃がある。タライひとつ買うにも車がなければ困る時代が来たが、いまはさらにインターネット店が大型店を駆逐する時代なのかもしれなくて、仕方なしにネット検索したらAmazonでもタライが買えるので注文した。

 アマゾンでタライを注文したら「この商品を買った人はこんな商品も買っています」と洗濯板が表示されていた。タライ、洗濯板の流れはわかるけれど、なぜポカリスエットなのだろう…。

 

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牛乳

|2013年1月20日|

 買い物に行ってたくさんの種類の牛乳が並んでいるとなるべく近所の牛が出したお乳を買っている。どんな食べ物でも近くでとれたものがいちばん身体に良さそうな気がし、野菜を買いに行っても埼玉や群馬など東京近県のものがあるとそちらに手が伸びる。近くでとれたものが近くの店に並び、近くの人が食べて近くの人の収入になるのが、やっぱり無理がないと思うからだ。

 千葉県産の牛乳を買ったら「千葉県は日本酪農発祥の地です」と書かれており、酪農の歴史は徳川吉宗の時代までさかのぼるらしい。その徳川幕府が瓦解し、幕臣は慶喜とともに多くが駿府に移り、たくさんの大名屋敷が不要となったため、明治中期頃までは文京区あたりだけでも20軒ちかい牧場があったという。というわけでこのところ牛乳は、千葉のを飲んだり、東京のを飲んだりしている。

 

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井戸掘り

|2013年1月19日|

 風邪もすっかりよくなったので埼玉の特養ホームまで面会に出掛けた。
 義母が暮らす特養ホームへ行くバスは西から東へ走りながら何度も何度も緩やかな起伏を登ったり降りたりし、高い場所は関東ローム層の積もった畑作に適した土地、低い場所は水はけの悪い水田に適した土地になっている。そういう高低が東西に連続して現れるということは、川は北から南に向かって流れているわけだ。

 特養近くに櫓(やぐら)が建てられ、井戸を掘っていますと書かれた看板があった。御蔵という地名が残っていることでわかるように高台で安定していそうな土地と、海老沼という名前でわかるちょっと掘ればすぐに水が湧いて出そうな場所の境のあたりで、小学校や団地や住宅地に隣接しているので、消火活動などに使う簡便な井戸でも掘るのだろうと思っていた。


 なんだか本腰を入れて掘っているようなので近くに行ってみたら、さいたま市水道局が東部配水場の第二取水井戸を掘っているのだという。かつては地番沈下の原因となるという理由で制限されてきたが、地下水の水道利用が見直されつつあるということなのだろうか。
 あと三ヶ月ほどかけて掘削作業をするらしく、水道局から業者が請け負った際の金額が記載されており、64,945,650円だという。井戸掘りもなかなかお金がかかる。

 

 

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旅の人

 |2013年1月18日|

 昼食を兼ねて買い物に出て、ラーメン屋にでも入ろうかと思ったけれど、暖簾をくぐろうとしたとたん、なんだか外食がおっくうになったのでやめた。おばちゃんがヘンな顔してこちらを見ていた。

   ***

 富山には「旅の人」という言葉があって、地域で生まれ育った「生え抜き」と逆の意味で用いる。昔から富山に住んでいたわけではなく、比較的最近富山に移住してきた人のことを「旅の人」という。悪く言えば「よそ者」的な響きのある排他的な物言いにも聞こえるけれど、そんなに陰険な意味もふくまず、場合によっては「まれびと」を別格で重んじるような意味合いに用いることもあるという。富山出身の家内は「旅の人」を「足袋の人」と同じ抑揚で話し、「ああ、あの人はもともと富山じゃなくて旅の人だから」などと言う。

|路地裏にはまだ雪が残っている|

 母親が他界して無人となった静岡県清水の実家片付けに足かけ四年ほど通ったけれど、昼食時をちょっとでも外すと外食場所に困ることが多く、懇意にしていただいた近所のお寿司屋さんに聞いたら、
「ああ、この辺の人は元々外食をあまりしないからね。仕事を求めて清水に来ていた人たちがいなくなっちゃったら、はあもう清水の食べ物屋さんはみーんな客がいなくなって困ってるよ。お昼だって店を開けたところで時刻が来ればさっさと閉めちゃう、客ん来ないだんて」
と笑っていた。我が家は東京から清水に出戻った「旅の人」だったので外食をよくしたが、確かに郷里清水で生まれ育った友人たち、とりわけ本家筋に生まれ育った者たちは外食経験がとても少ないのに驚いたことを思い出した。総務省が全国50箇所あまりの主要都市を対象に行った最新の調査でも、静岡市は外食に充てる額が43位と低い。

 家内が毎日埼玉の特養ホームまで昼食食事介助に通うようになり、昼ご飯を一人で食べる機会が増えたが、だんだん外食が嫌になり、自分で弁当を用意し、用意できなかった日はパンを買ってきて食べることが多い。若い頃はそうでもなかったのだけれど、最近になって一人で他人の屋根の下で食事をするのが嫌になったのは、どうも東京にいる自分が「旅の人」じゃなくなりつつあるらしいという気がしている。

 

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便秘と圧縮

|2013年1月17日| 

 

 風邪をひいて大量の汗をかくと便秘になる。あまりに長く便秘が続くと「(だいじょうぶかなぁ)」と心配になるけれど、お腹の爆発事故がないことでわかるように、排泄物は水分を取り除いてやると驚くほどコンパクトになるらしい。そしてたまに便意があったので喜ぶと出るのはただのオナラであり、脱水圧縮時には大量のガスが生成されるらしい。ということは腸内で生成される脱水圧縮済み排泄物というのは、水分を戻してやっても元の臭いウンチには戻らない非可逆的圧縮なのだろう。お腹の中は見えないので「らしい」と「だろう」が多くなる。

 昭和三十年代の静岡県清水、祖父母の家があった巴川上流は生き物で溢れかえった自然豊かな土地だった。そこに市のし尿処理工場ができ、毎日バキュームカーが市内で集めたし尿をピストン輸送で運んで来るようになった。自然豊かな環境に自然が強化され過ぎて生活環境ぶち壊しなのだけれど、文句や苦情が出なかったのは、家らしい家が祖父母の家くらいしかなく、工場が来たおかげでガス水道が引かれたという事情もあったようだ。

 し尿処理工場ではひっきりなしにやってくるバキュームカーが搬入するし尿を処理して茶色い肥料を作っていた。おそらく熱を利用して脱水乾燥処理していたようで、煙突から出る湯気とも煙ともつかないものはオナラの臭いがしていた。完成したコロコロ粒状の肥料はベルトコンベアで運ばれて円錐状の小山として積み上げられていた。頻繁にバキュームカーがやって来るのに肥料の山がたいして増えないのも、思っているほどには臭くなかったのも、圧縮率が高いせいと、ガス化による臭いのロス(ロスレス圧縮ではない)のおかげだったのかもしれない。

 脱水圧縮時にオナラが出るとわかっているなら、それはそれで利用法があるのではないかと思っていたが、最近になってもう自然豊かな往時の面影をとどめないし尿処理場あたりを歩いてみたら、鋼鉄製のパイプが引き出されており、オナラはガス資源として再利用されるようになっているらしい。自然は失われてしまったけれど、仕組みとしては自然な気がするのがし尿処理場の不思議である。

 

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江岸寺

|2013年1月16日|

 

 義母が暮らす埼玉の特養ホームのユニットに、90代半ばを過ぎているとは思えない元気な絶叫型おばあさん、愛称ばかやろーおばばがいる。ばかやろーおばば得意のセリフに
「てめぇーばかやろー!ほーじょーの連中の思い通りにはさせねー!」
があり、そのセリフが飛び出すたびに「ほーじょーの連中」って誰だろうというのが話題になっている。

 我が家に一番近い寺、本駒込二丁目にある江岸寺参道も昨夜の雪で真っ白になっていた。数年前まで江岸寺を検索するとこの江岸寺、高岩寺と変換されるととげぬき地蔵尊の高岩寺がヒットしたが、今では先の大震災で被災した大槌町の江岸寺に関する記事が上位に並ぶ。

|江岸寺参道(2013年1月15日)|


 本駒込の江岸寺は家康の家臣鳥居元忠の菩提を弔うため息子忠政が建立した寺で、以後鳥居家の菩提寺となっている。鳥居元忠というのは確か家康がまんまと罠にはまったと見せかけるため上杉討伐に向かい、その隙に伏見城明け渡しを迫った石田三成方の攻撃を留守居役の元忠が受けて立ち、孤軍奮闘、獅子奮迅の戦いの末に討ち死にし、家康が関ヶ原の戦いをする動機付けに役立った人で、この辺りはずいぶん小説になっている。

 話はとんで埼玉の特養近くにあった城といえば岩槻城。岩槻城は太田道灌に繋がる太田氏の居城だったとき、当時伊豆から相模までを統治していた北条氏に侵略され政略的に制圧されている。この話でばかやろーおばばの
「てめぇーばかやろー!ほーじょーの連中の思い通りにはさせねー!」
という絶叫を思い出す。その後岩槻城は北条の支配下になっていたが、天正18(1590)年の小田原征伐に参加した鳥居元忠らによって攻められ陥落している。
 ということで特養ホームのばかやろーおばばと岩槻城と北条の連中と江岸寺と鳥居元忠が強引に結びつくことになるが、この呆けたおばあさんから
「てめぇーばかやろー!とくがわの連中にも思い通りにはさせねー!」
が飛び出すと史実は裏付けられる。


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