電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【虹の彼方に】
【虹の彼方に】
省察と書いて「せいさつ」と読み「しょうさつ」の読みも辞書に載っていてたぶん「しょうさつ」は慣用読みのようなものなのだと思う。
憧憬と書いて「しょうけい」と読み「どうけい」の読みも辞書に載っていて、こちらはちゃんと慣用読みだと書かれている。
音読するとき「せいさつ」と「しょうさつ」、「しょうけい」と「どうけい」がランダムにでてきてしまって戸惑う。戸惑うたびに「どっちでもいいや」と思う。繰り返されて身についてしまった癖なので、読み方のブレはなおらない。
約物の記号「*」をアステリスクと呼び、妻はそれを略して「アステ」と言う。スペルは asterisk なのでそれで正解なのだけれど、ときどきアスタリスクと呼ぶ人がいて、辞書をひくとアステリスクだけでなくアスタリスクの項目もある。アスタリスク派の人は略して「アスター」と言うらしい。銀座アスターみたいだ。
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昨夜は図書館から借り出した『オズの魔法使』(1939)監督:ビクター・フレミングを観た。「とてつもない」という賛辞をつけたいくらい「いい!」と思った。トーキー事始めと言える 1930 年の映画から現在の方角へ歴史を辿って観ているのだけれど、1939 年にどうやってこの映像を撮ったのだろうと感心する場面がたくさんあった。
妻は犬のトトに夢中になり、夫はカカシ、ブリキの木こり、そして臆病なライオンとの別れが名残り惜しい。この映画を観た人たちは、いつか虹の彼方で彼らと再会するのだろう。
2024 年 3 月 30 日 本郷通りを愛犬連れて散歩する老夫婦にできた人だかり
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20 音オルガニート
20 音オルガニートで朧月夜 Oborodukiyo
20 音オルガニートで待ちぼうけ Machibouke
20 音オルガニートで春の日の花と輝く Believe me, if all those endearing young charms
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【山羊の道草】
【山羊の道草】
嬉しそうに
「あのね、偶然気づいちゃったんだけどさ」
などと他人に話しかけたくなる。
あのワクワクした発見、それをカタカナ言葉でセレンディピティ(serendipity:素敵な偶然に出会ったり予想外のものを発見すること)と呼び、偶然の気づきを引き起こすはたらきを偶察力(ぐうさつりょく)という。
本の中にある引用や紹介を読んだり、本の外に出て辞書引きやネット検索などをしていると
「あ、この本も読んでみたい!」
と突然思う。
そう思ったらすぐ取り寄せて併読すると、そこに思いもかけないセレンディピティ、偶察がある。読書は乱読で、しかも併読がいい。楽しさは偶然から生まれる。
切っ掛けはたぶん若い民俗学者や歳とった言語学者たちが書いた本の併読で、「人称」って面白いなと思っていたことだろう。偶然目にとまった書名にひかれて村上春樹『一人称単数』文藝春秋が読みたくなった。
すぐに注文してすぐに併読に加えたら、「見えなかった片方の眼が開いて、片側だけでなく道の両側に生えている草が、急に見えるようになった山羊みたいなよろこび」がある。
2024 年 3 月 28 日 中央区銀座3丁目
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20 音オルガニート
20 音オルガニートで朧月夜 Oborodukiyo
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【ぎんざなう】
【ぎんざなう】
銀座の王子ホールまでキアロスクーロ・カルテットの演奏を聴きに行ってきた。
18 時の開場前に、富山の『廻転とやま鮨』銀座店に寄って軽い食事をした。銀座は表通りも裏通りも激しく変貌し、奇妙なブランド・ビルが林立している。
萎びて小さくなって疲れた顔した着物姿の御老人とすれ違い、有名な芸人さんだったと思うのだけれど名前が思い出せない。
2024年3月28日 ヌメヌメの LV
キアロスクーロ・カルテットは前回来日時に録画されたコンサートを NHK クラシック倶楽部で観てファンになった。アリーナ・イブラギモヴァの演奏に感動し、再来日講演があるのを妻が見つけたので、ネット予約で頑張ってチケットをゲットした。
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キアロスクーロ・カルテット
アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)
パブロ・エルナン・ベネディ(ヴァイオリン)
エミリエ・ヘーンルント(ヴィオラ)
クレール・ティリオン(チェロ)
演奏プログラム
パーセル:4声のファンタジア
第7番 ハ短調 Z738
第8番 ニ短調 Z739
第11番 ト長調 Z742
ハイドン:弦楽四重奏曲 第38番 変ホ長調 Op.33-2, Hob.Ⅲ:38「冗談」
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第8番 ホ短調 Op.59-2 「ラズモフスキー第2番」
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本物の立奏(HIP)を生で見て聴いて感動した。
2024 年 3 月 28 日 王子ホール開場直後。開演直前には満席に。
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20 音オルガニート
20 音オルガニートでおうま OUMA
20 音オルガニートでめだかの学校 Medaka no Gakkou
20 音オルガニートで春が呼んでるよ Hej mój Jasinek
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【視力の加減】
【視力の加減】
近視補正のために必要だったメガネのことを忘れるようになった。いつの間にかメガネなしでも生活に困らなくなっている。
忘れるようになったのはみっつのことで、ひとつめは「メガネをかけ忘れる」、ふたつめは「メガネをかけていることを忘れてメガネを探す」、みっつめは「執着が薄くなったメガネをどこに置いたかを忘れる」である。そして最近気づいたよっつめの忘れ物は「自分が近視だったことを忘れる」なのだ。
若いころ近視があった妻は老眼が進んで、新聞に面白い記事を見つけて読んでみろと言うと「だめ!ぜんぜん見えない!」と言う。細かいものを見るために老眼鏡が必要な妻に対して、遠くに焦点が合うようになって近視を忘れつつある自分が、近くにある細かい文字を読むことも苦にならないのが不思議だ。「ちょうどいい加減」になっているのだろうか。
17 年前の今日、2007 年 3 月 28 日のドイツ文化会館(港区赤坂)
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【春と三つ子の魂】
【春と三つ子の魂】
区の図書館に『クリスマス・キャロル』(1938)監督:エドウィン・L・マリンと『オズの魔法使』(1939)監督:ビクター・フレミングとを借り出し予約したら、『オズの魔法使』が貸出中のため二本同時に揃わないので一旦予約解除した。
二本同時と決めたら二本同時でないと気が済まないのは幼い頃からの性癖である。
「一度言い出したら人の言うことを聞かない、自分の思い通りにならないとすぐにむくれる、三つ子の魂百まで(幼い時の性質は老年まで変らない)」と言われるあれである。
ちょっと間をおいて二本同事に再度ネット予約しておいたら、準備ができましたと図書館からメールが届いたので、「駄々をこねたり、むくれたりなんてしませんでしたよ」という顔をして平然と受け取りに行く。
待てば海路の日和あり。冷たい雨も上がって春らしい晴天となり、うららかな図書館借り出し日和。うららか、うららかな表通りです(大瀧詠一風)。
17 年前の今日、2007 年 3 月 27 日の六義園
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【日本の 30 年】
【日本の 30 年】
25 年では足りない、30 年経てば一世代が入れ替わって文化的状況が一変し、知的風土がほぼ完全に刷新される、と読みかけの本にある。
今から 30 年前といえば 1994 年。内閣総理大臣は細川護熙(日本新党)、4 月 28 日からは羽田孜(新生党)、6 月 30 日から村山富市(日本社会党)がつとめている。未成年者による死刑に至るほど凶悪な事件の記事が多い。松本サリン事件もこの年のことだ。流行語大賞は「同情するならカネをくれ」だった。
世は歌につれというので音楽シーンを振り返ると、斉藤和義「歩いて帰ろう」、松任谷由実「Hello, my friend」という懐かしく馴染み深い曲が流行っていた。NHK 連続テレビ小説は『ぴあの』で、久石譲作曲の主題歌を今でも思い出して口ずさむ。
そして年が明け、日本人にとって忘れられない激動の年 、震災とオウムの 1995 年がやってくるわけで、1994 年の 30 年前、東京オリンピックが開催された 1964 年もまた日本の大きな転換点ではあった。
2024 年もまた震災に始まり、びっくりするような事態が次々に起こって驚かされている。
2007 年 3 月 26 日の六義園
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【図書室の寅彦】
【図書室の寅彦】
書物の運命はだいたい出てから三十年で決するとしてよい。多くの本はこの関門が越えられないで忘却に委ねられるのである。 一時的にはどんなに人気を博そうとも、三十年の関所が通過できないものは、古典にはなれない。逆に、はじめのうちはさほどでないような本が、ある時がたつと次第に注目されるようになって古典の仲間入りするということもある。(外山滋比古による『意味の意味』の解説より)
外山滋比古は 1947 年東京文理科大学(現筑波大学)文学部英文学科卒業なのだけれど、大学の寮で生活し、そこには小さな開架式の図書室があったという。寮というのは板橋にあった桐花寮だろうか。ひどく古びていたものの、テニスコートまである妙にハイカラな構造の学生寮で、酒を飲んではよく泊めてもらったけれど、残念ながら図書室の存在には気づかなかった。
外山滋比古は中学四年のとき、国語の教科書で、吉村冬彦(寺田寅彦)の「科学者とあたま」を読んでえらく感動していたので、寺田寅彦全集を寮の図書室から借り出して貪るように読んだという。
2008年3月25日の六義園しだれ桜
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【黙読音読】
【黙読音読】
口から声を出さない読書にも音読がある。
読んでいる文章が頭の中で声として聞こえている形式の読書で、そういう黙って音読する読書は時間がかかる。黙って音読せず黙読する読書の方が速く読めるのでそれを速読という。本は頭の中で音読しても、新聞記事やスーパーのチラシは目で見て黙読して読み飛ばしている。
読書ではなく頭の中で考えることにも音読と黙読がある。
ひとり考え事をするときは文章を書くように頭の中で黙って音読している。相手があるときは頭の外で口が勝手にしゃべって、耳が勝手にきいて、頭の中に文章はない。
頭の中で考えたことを黙読形式で発話すると、こうしていま書いている主語がないゼロ人称形式の「日記」になる。
この日記もどきをさらにこうしてネット上に広げて文字打ちしていると、第四人称他者(読者)の目にふれる可能性のある発話形式になる。
その最初の読者である自分が他人のような目で見て黙って音読しながら手直ししていて、それを校正という。
2024年3月23日 六義園のしだれ桜
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20 音オルガニート
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【手のおもてとうら】
【手のおもてとうら】
表があるから裏がある。表裏は背中合わせで一体であり、表と裏を同時に見ることはできない。表は眼で見るものであり、裏は心で感じるものである。
外側があって内側がないことは目に見えるが、内側があって外側がないことは想像するしかない。
手のひらを「おもて」、手の甲を「うら」だと思ってずーっと生きてきたけれど、手の甲が手の表側、手のひらは手の裏側だと言う人が多いことに「えっ、そうなの」と驚いている。
石川啄木が「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」と見つめたのははたらいて汚れた手のおもてで、楽にならないなあと思わせたのは寒風にひび割れた手のうらだと思ってしまうからだ。
2008 年 3 月 23 日 六義園のこぶし
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カレー南蛮百連発056:大阪・西天満『カレーラーメンのお店 ミスターパピー』の袋麺
大阪市北区西天満にある『カレーラーメンのお店 ミスターパピー』の袋麺を近所のピーコックストアで見つけた。
どろりとした「不真面目」なのは食べたことがあるけれど、おもしろいくらい真面目な大阪人が「真面目な」と強調して言うならほんとうに真面目なんだろうと根拠なく思ったので買ってきてつくってみた。
大好きな『デリー』のカレーソース「スタンダード(白箱)」を使ってカレー南蛮を作ったらおいしいんじゃないかと以前から思っていた。まさにそういう素直な味だったので
「うまい、これなら二日酔いの朝ラーとしても食べられる」
と言ったら妻も深く首肯していた。大阪の店で食べたらもっと真面目にうまいだろう。
『カレーラーメンのお店 ミスターパピー』
大阪府大阪市北区西天満3丁目5-27
【書評の先】
【書評の先】
介護の雑誌が次号でブックレビューの特集を組むそうで、編集者が「石原さんも 1,000 字以内で書評を書いてください」などと言う。老人介護系のケアワーカーが読んでも「ヨサゲな本」の書評をというので、読み終えた伊藤雄馬『ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと』(集英社インターナショナル)について書き、締め切りの 25 日には早いけれど催促される前に送信した。
本の善し悪しやおもしろさは、本の中ではなく読み手の頭の中の側にある。どんな本でも面白く読める人にはどんな本でも面白く、よい本は読者が考えて読者がつくるものなのである。他人が考えた書評を読んでの本えらびなんてナンセンス!と思いながら、頼まれたのでぬけぬけと原稿を書いた。制作側の関係者ではあるけれどいちおう原稿料がもらえるらしいので本代に充当する。
書評で取り上げた本の中に当時富山大学教授だった呉人恵(くれびと・めぐみ)が紹介されており、興味を引かれたので『危機言語を救え! ツンドラで滅びゆく言語と向き合う』大修館書店と、一ノ瀬恵(一ノ瀬はモンゴル人と結婚した呉人の旧姓)『モンゴルに暮らす』岩波新書を取り寄せた。言語学者のフィールドワークって、なんて面白いんだろうと思ったからだ。もう一冊町田健編・加藤重広著『日本語語用論のしくみ』も取り寄せて併読を始めた。
自分でおもしろがって選んだ本のあみだくじ式読書に外れは少ない。まとめて併読しているうちに関連し合い、一体となって読めるから新たな気づきもある。書評に取り上げた本の中で著者が、外山滋比古『乱読のセレンディピティ』(扶桑社 BOOKS 文庫)を紹介しており、いい機会なので積ん読の埃を払ってこのひとまとめに加えた。
2024年 3 月 21 日 昨年もらった白いシクラメンが咲き続けている
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20 音オルガニート
20 音オルガニートでうさぎのダンス Usagi no dance
20 音オルガニートでかわいいかくれんぼ Kawaii Kakurenbo
20 音オルガニートで狼なんか怖くない Who's Afraid of the Big Bad Wolf
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【らしく】
【らしく】
所作とは「ふるまい」のことで、ふるまうとは 「もの自体についてこころをくばる」ことで、もの自体についてこころをくばるとは「らしく」 ふるまうことである。ここで「らしく」と「ふるまう」がひとつになる。
小学生時代の記憶で曖昧なのだけれど、京浜東北線東十条駅近くに『らしく』という名のカメラ屋があった。まだモノクロが当たり前の時代だったので、ハーフサイズのオリンパスペンで撮った写真は、そこで現像・焼き付け・引き伸ばし(DPE)をしてもらっていた。おとなたちは「あの店は腕がいい」と褒めていて、腕の良し悪しで撮り終えたフィルムをどの店に出すか決めていた時代である。
子どもにとって『らしく』という店名の意味が分かりづらく「へんな名前のカメラ屋だな」といつも思っていたけれど、知り合いのおじさんは「いい名前のカメラ屋だ」と褒めていた。
ようやく「らしく」の深い意味を解するようになってからは、思い出すたびに「いい店名だったんだな」とあらためて思う。
2009年 3 月 19 日 六義園
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【淡海潮海】
【淡海潮海】
遠つ淡海(とおつあわうみ)といえば浜名湖で遠江(とおとうみ)、近つ淡海(ちかつあわうみ)といえば琵琶湖で近江(おうみ)のことを言っている。淡海(あわうみ)とは淡水の海のことで湖を指す。では海水の海を指す逆の言葉はあるのだろうかと辞書を引いたら「潮海(しおうみ)」だった。
初めて見た淡海は箱根芦ノ湖で、当時はまだ保育園に通う年齢だった。水辺にしゃがんでずっと水を見ていたのを忘れない。しょっぱくない淡海の岸辺にも、チャポーンチャポーンと音をたてて小さな波の繰り返しがあることにひどく驚いたからだ。
清水という町に生まれたので海辺は馴染み深い。波は潮海にしかないと思っていた。ぐるりと山裾に囲まれて向こう岸が見え、たらいに水を張ったような淡海にも、小さいとはいえ寄せては返す波があることを知らなかった。幼いころのびっくりはいつまで経っても忘れない。
2005年 3 月 25 日 静岡県清水
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【言葉の物干し】
【言葉の物干し】
骨皮筋右衛門(ほねかはすぢえもん)という懐かしい言葉が大野晋と司馬遼太郎の対談に出てきた。国語学者と国民作家による国語辞典の話だったので手もとの国語辞書を引くとちゃんと項目が立っている。
骨と皮と筋しかないぐらい非常にやせていることを、人名めかしてからかっていう語。(大辞泉)
NHK 朝ドラのように、大雑把な話の筋を張り渡し、そこに骨と皮を衣紋掛け使って次々にぶら下げていく洗濯物劇場のような光景を思い浮かべていたので、言葉の意味はちょっと違う。『ブギウギ』で娘が誘拐事件に巻き込まれそうになるエピソードなど、まさに晴れた日の物干し場の骨皮筋右衛門を思い出した。
2009年 3 月 18 日 台東区池之端の素水坂(通称暗闇坂)
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【消える句読点】
【消える句読点】
句読点を使わないでメールを書いてくる友人がいた。
字間を空けたり改行したりの分ち書きでも、ある程度読みやすい文章は書ける。けれど、この年下の男性はなぜ徹底して句読点を打たないのだろうと、読んでいてふしぎに思うことがあった。
もともと日本語に句読点を打つ習慣はなかった。それでもちゃんと読めることが教養の一部だった。明治時代の『句読法案(句読点法案)』による決め事なので、当時は押し付けだと反発する人たちもいた。句読点を用いた文章を読まされ、馬鹿にされたように感じて不快に思うこともあったのだろう。
数日前にネット記事を読んでいたら、最近は句読点を嫌う若者たちがいるらしい。その理由は、句読点を使った文章を読まされると「この人はわたしに向かって怒っている」と感じるのだという。そういう繊細な神経をもって句読点が「痛い」人たちもいるのかと驚いた。
驚いたので(※この文章は句読点を使って書いていますが、おじさんは決して「怒っている」わけではありません。)と書いておく。
2023年 3 月 16 日の六義園しだれ桜
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