電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
【ありがとうね】
【ありがとうね】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 2 月 27 日の日記再掲)
静岡県清水『さつき通り』の突き当たり、港橋たもと、大好きなおにぎりの『かどや』がある一角が大きなビルに建て替えられるという。
そんな話を聞いて何年にもなるけれど、とうとう解体工事が始まっていた。
歩く人もまばらでく閑散とした『さつき通り』は駄菓子屋の麩菓子のようである。その麩菓子の先っぽにビルが建つ。港橋橋上から見る『かどや』も見納めかと思うと感慨深い。
さつき通りを歩いて清水駅 17 時 32 分発特急ワイドビュー東海 4 号に間に合うよう急ぎ足で歩く。
新清水駅前を過ぎ、片側だけ完成した清水橋脇を通ると、清水駅構内越しに富士山が真正面に見え、古い清水橋ではあり得なかった景色が、少し好もしく美しいと思う。
踏切を渡り高田のソフトクリームを買いに立ち寄る。
先週の帰省時には若い方の女性に「お店を休まれるそうですね」と聞いて確認し、どうしてだろうとあれこれ他人の事情を類推し、ちょっと気にかかっていることがあったのだ。
「ソフトください」
と店の奥に向かって声をかけたら、「はいはい」と言って出てきたのは懐かしい小柄なおばあちゃんだった。このおばあちゃんに作ってもらったソフトは、いつも盛りがよい気がして、おばあちゃんに当たると「(ラッキ~)」と心の中で叫んだものだった。
「(まさかおばあちゃんに何かあったのでお休みするのでは…)」
と思っていたので、元気そうなおばあちゃんの顔が見られて嬉しい。
おばあちゃんの元気な顔がもう一度見られるなら、ブラスチックのソフト型行灯看板も、手描きのソフトの絵も、今時100円のソフトクリームも、幼い頃からの思い出も、何もかも無くなっても我慢できる、と勝手に思っていたのでこれで心のけじめがついた気がする。
お金を置いたらおばあちゃんが、
「ありがとうね」
と笑顔で言った。いつも笑顔でそう言うおばあちゃんだけど、今日の「ありがとうね」にはいつもと違う響きがあった。心の中で「(長いこと本当にありがとう)」とお礼を言って駅前銀座アーケードへと向かう。
[Data:SONY Cyber-shot T-1]
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【太刀魚】
美濃輪稲荷大鳥居前の老舗鮮魚店『魚初』店頭に三保沖でとれた見事な太刀魚が並んでいた。
[Data:SONY Cyber-shot T-1]
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【旅と洗濯】
【旅と洗濯】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 2 月 21 日の日記再掲)
特急ワイドビュー東海 1 号が清水駅に到着するので、早めに乗降口の側に立って清水の町を眺めていたら、連結された後続車の円筒形ガラスに映る景色が面白くて夢中になる。
子どもの頃、初めて見た電気洗濯機の脱水装置に似ている。
2本のゴムローラーが側面を接して洗濯漕脇に取り付けられており、洗い終えた衣類を挟んでハンドルをグイッと回すと絞られた水は洗濯漕内にこぼれ、板状になった洗濯物は洗濯機脇のカゴに入るのである。そのハンドルを回す手伝いが楽しくて、嬉々としてやっていたのを思い出す。
景色をローラーに挟んで絞っているみたいであり、目には見えないけれど、きっと絞られて残るもの、絞られて捨てられたものがあるので、旅には精神の浄化作用があるのに違いなく、そういう意味で旅の列車は洗濯機に似ている。
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静岡鉄道と東海道本線が並行して走る静岡鉄道「桜橋駅」横の線路沿いを歩いていたら、駅の構内放送で駅員が何かを大声で喋っている。停車した静鉄電車がそのまま動かないので、ひょっとすると浜田踏切辺りで事故でもあって、電車の運行ができなくなったのではないかとドキッとする。
停車した車両すべての乗降口扉に「実習中」と赤文字で書かれた札がかけられ、電車の最後尾にも「試運転」と書かれていたのに気づいてホッとする。
日曜日の朝なので運行ダイヤの隙間を縫って運転実習が行われていたのである。
なんだかのんびりした気分になって線路づたいを歩くともう菜の花が満開である。
[Data:SONY Cyber-shot T1]
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【汽笛が似合う町】
【汽笛が似合う町】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 2 月 20 日の日記再掲)
FM しみず『マリンパル』で何か喋れと言われ、エスパルスドリームプラザ・サテライトに来いとの事なので、ドリームプラザ前の小さなビルに入ったらそこは本社であり、呼び鈴を押しても誰も出ない。
二階はドリームプラザに来た観光バス乗務員の休憩所になっていると書かれているので、ものはついでと階段を上って覗いてみたら「図書室」などと書かれた札の下がった大きな部屋もあり、いったい元は何に使われていたビルだったのかととても興味深い。
廊下を歩いていたら高校生らしき男女がぞろぞろ歩いてきてすれ違うたびに「こんにちは~」と言うので、こちらも笑顔で「こんにちは~、こんにちは~、こんにちは~、こんにちは~、こんにちは~、こんにちは~、こんにちは~……」と答えていたらかなり疲れた。挨拶と笑顔は年寄り子どもにとって見知らぬ場所で見知らぬ者と会った時の大切な緊張緩和行為なので「(はいはい、怪しいオジサンじゃないよ~)」と丁寧に応じる。
どうやらエスパルスドリームプラザ・サテライトはドリームプラザ内部にあるような気がして、雨に濡れた大通りを走って渡ってドリームプラザ内に入る。1 階エスパルススクエアで清商(きよしょう=清水商業高校)の吹奏楽部がミニコンサートを開いており、本社 2 階は生徒たちの控え室だったのだ。
港町には吹奏楽器がよく似合い、それは汽笛からの連想かも知れない。女生徒 4 人組が大小のサックスを持って『茶色の小瓶』などを演奏すると、雨に煙った港の空に汽笛が鳴り渡るようで心地よい。
清商の校舎老朽化が激しいらしく、新校舎建設の名目で、合併した清水・静岡両市の商業高校が統合されるのではないかとの噂も聞き、それでは清水工業高校の二の舞である。
特色ある地域の子どもが、特色ある地域の学校に通い、特色ある地域の大人に育つ事こそが広義の地域力のような気もするので、特色ある港町から学校を減らすのはやめて貰いたい気がする。
思えば勢いがあった頃の清水の人たちは一人ひとりが吹奏楽器のように元気が良く、街の喧騒は汽笛が鳴り響くようだった事を『茶色の小瓶』を聴きながら懐かしく思い出す。
上清水町大小山慶雲寺のお言葉は「空(から)の容器ほど大きな音をたてる」とあった。
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【とんじゃかない】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 2 月 10 日の日記再掲)
義父の朝食は「ヤマザキのチョコチップス入りスティックパン」で、売り切れだと、「パスコのチョコチップス入りスティックパン」でも文句を言わずに食べているので、ヤマザキというブランドに特別なこだわりがあるわけではないらしい。甘くて、手づかみで食べられて、こぼして叱られなければなんでもいいのだ。
正月三箇日の朝に雑煮を食べる以外、360 日以上毎朝「ヤマザキのチョコチップス入りスティックパン」ばかりを食べているので
「お義父さん、いいかげん 飽きない?」
と聞くと
「なーん、飽きん」
と言い
「これからも毎日『ヤマザキのチョコチップス入りスティックパン』でいいの?」
と聞くと
「これがいいちゃ」
と言う。毎朝何も考えず「ヤマザキのチョコチップス入りスティックパン」を食べることで得られる安定した暮らしが義父は好きなのであり、わからなくもない。
■静岡県清水島崎町。場所はニチレイ清水物流サービスセンター隣の県立魚舎だと思う。
1972(昭和47)年
minolta SRT101 Rokkor 21mm F4
■静岡県清水島崎町。
1972(昭和47)年
minolta SRT101 Rokkor 200mm F3.5
祖父は大内田んぼの真ん中の一軒家で暮らしながら、毎日「まぐろの赤身」で晩酌するのが唯一の楽しみだった、と言って良いほどの人であり、家庭用電気冷蔵庫などない時代だったので、毎日田んぼの中の農道を通って自転車で北街道押切の魚屋まで買い物に行く嫁は、たいへんだったと思う。
地球物理学者として名高かった東大名誉教授の T さんは、毎日研究室でとる昼食の店屋物が決まって「おかめうどん」であり、何年間も「おかめうどん」ばかりを食べ続けるので、周りの者がたまりかねて、
「先生!たまには他の物を召し上がった方が身体のためによいかも知れません!」
と言い、「それでは」ということで別の物に変えられたという。そしてまたその別の物を何年間も食べ続けられた…という落ちがあったような気もするが定かではない。
■静岡県清水島崎町。
1972(昭和47)年
minolta SRT101 Rokkor 200mm F3.5
清水弁に「とんじゃかない」という言葉があり、おそらくは「頓着はない」であり「とんちゃく」は「とんじゃく」とも読むと三省堂新辞林にある。標準弁で言う「頓着しない」「無頓着」のことである。
「とうさんは『ヤマザキのチョコチップス入りスティックパン』だけ食ってりゃあ、はあ食うことにはとんじゃかないだよ」
「じいさんはまぐろの刺身だけくれときゃ、はあ酒の肴にゃあとんじゃかないだよ」
「先生は研究のことで頭がいっぱいだんて、おかめうどんを頼んどきゃ、はあ昼飯なんかにゃあとんじゃかないだよ」
清水弁だとそう言うことになる。
■静岡県清水島崎町。
1972(昭和47)年
minolta SRT101 Rokkor 200mm F3.5
■静岡県清水島崎町。
1972(昭和47)年
minolta SRT101 Rokkor 21mm F4
義父や、祖父や、東大名誉教授のような変り者でなくても、人は誰でも一つくらい「とんじゃかないもの」があるのかも知れなくて、僕は一杯のビールとそれに続く焼酎お湯割りさえあれば四季を通して酒にはとんじゃかないようになって来たが、妻は「ビールは飽きた」「焼酎は飽きた」などとときどきうるさいことを言い「(枯れてないなぁ)」と思う 。
つまみは祖父譲りなのか毎日まぐろの刺身でもとんじゃかないのだけれど、清水の魚屋が厳選して送ってくれるまぐろを食べてしまうと、東京の近所のスーパーで売られているまぐろの刺身では、とんじゃかないわけにはいかないのが悲しい。品質が落ちるくせに値段がはるかに高いのだ。よく行く大型スーパー鮮魚売り場のまぐろの刺身の価格を見たら清水っ子はびっくりするだろう。
毎日清水のまぐろの赤身で焼酎を飲める暮らしができるなら「はあ人生にはとんじゃかないなぁ」(祖父のように安いまぐろの刺身をつつきながら毎晩晩酌できる暮らしがあればそれでいい)という心境に近づいてきたようにも思うけれど、それこそ東京ではかなわぬ贅沢というものかもしれない。
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【ヒトの知恵、サギの知恵】
【ヒトの知恵、サギの知恵】
(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2005 年 2 月 6 日の日記再掲)
早朝の清水、柳宮通り、大橋川沿いを自転車で走っていたら、凍えるような寒風の中、川の中にサギが立ってブルブル震えながら歩き回っているので、年老いて飢えたサギがよせばいいのに川の中に入って食べられる物でも探しているのだろうと思い、哀れさが胸に迫る。
哀れさが胸に迫ったりすると、以前ならタバコを取り出して火をつけ、苦い煙を吸い込んでは吐き出し一服したりしたのだけれど、タバコはやめてしまったので花粉症用のキャンディを取り出して舐める。強烈にメントールが効いているので鼻がスースー通り過ぎて薄ら寒く、やめておけばよかったなと後悔する。鼻づまりも防寒に役立つ事があるのだ。もしかするとそのために鼻水は出るのではないか。
咄嗟の判断はその時の心境によって勝手な解釈をしてしまうので危うい。川の中にいる哀れでブルブル震えている年老いたサギをしばらく見ていたら、年老いてなどおらずスッと差し出す足を強力モーターでも使っているかのように小刻みに震わせ、川底の小石や沈殿した枯れ葉に振動を伝え、驚いて飛び出す小魚を狙う精力的なサギだったのである。
足や胴体が激しく振動するのに首から上は全く動かず、差し出した震える足が着地し次の軸足となる瞬間振動は止まり、軸足が次の差し出す足に転じる途端に激しく振動を開始するさまは、工業用ロボットのように精密な連携をするので感心する。
そして人間の目には見えないけれど、首が一瞬伸び、鋭いくちばしが水面に突き立てられるたびに、10 センチ足らずの小魚がくわえられているのであり、哀れなサギに見えて実は知恵ある漁師だったのである。
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国道 1 号線、巴川にかかる巴川橋たもと、清水自動車学校と北川木材の裏手に、巴川の蛇行でできた三日月湖のような掘り割りがあり、貯木場に利用されているのだけれど、水門で接している巴川と貯木場の水位差が異なると、水門を開けるのではなくポンプを使って水位調整しているらしい。
巴川から激しく水を吸い上げて貯木場に放出すると、貯木場内で小魚が水面に浮かび上がって泳いだりする。浮いている木材の上にピクリとも動かない姿勢でサギが数羽並んでおり、首が一瞬伸び、鋭いくちばしが水面に突き立てられるたびに、10 センチ足らずの小魚がくわえ上げられている。
サギには真冬に小魚を食料として獲るための臨機応変な知恵がある。
寺田寅彦風に言えば、知恵というのは総合的ではない。自然の些細な部分に限って公平に観察すれば、人間の方が阿呆で、鳥の方が人間の知能を上回っていることもある。
【貯木場の水位】
巴川から水をポンプで汲み上げている。
貯木場の方がかなり水位が低いのだけれど、決して機密性の高そうな水門ではないのにどうしてこんなに水位が違ってしまうのだろう。貯木場の水量が減る原因があり、ポンプで汲み上げて補充する必要が生じるのだろうが、理由がわからない。
1 貯木場の水を汲み上げて何かに使っているから。こんな濁った水を使う用途があればだけれど。
2 貯木場の木材を引き上げたので、風呂から人が上がったように水量が減った。でもこれだけ水位を下げるために引きあげる木材の量は現実的でない。
3 上流で貯木場の水を抜き、下流で新しい水を汲み上げて綺麗にしている。でもそれなら上流に汚い水を捨てつつ下流で水をくむのはヘンだと思うのだ。
貯木場とポンプの謎が解けないが、サギがこのタイミングを狙って餌を取りに来るなら、サギが理由を知っている可能性もある。説明する言葉を持たないだけだ。
[Data:SONY Cyber-shot W1]
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