月と富士山とスカイツリー[追記]

2014年10月30日(木)
月と富士山とスカイツリー[追記]

01
地平線近くに出た月が妙に大きくて驚くことがある。錯覚が大きく見せているとわかってからも、今日の月はでかい!などと思わず声に出して言ってしまう。

02
郷里静岡県清水では、遠くに見える富士山の大きさが違って見え、今日の富士山はでかい!と思わず声が出てしまうが、手前に見える風景との関係で錯視が起こって大きく感じるだけだ。

03
朝の散歩で本郷通りを飛鳥山方向に歩き、帰り道は東京外語大跡地脇の下瀬坂を下り、再び染井霊園内へのぼって染井通りに出る。下った窪みが谷中千駄木根津を経て不忍池にそそぐ藍染川水源地になる。

04
秋が深まり空気が澄んできたので遠くの景色がよく見える。染井通りに出たら正面やや左に東京スカイツリーが大きく見え、ずいぶん近くにあるように感じるのが意外だった。

05
染井通りは江戸の植木職人伊藤伊兵衛宅前から、伊勢津藩藤堂家下屋敷脇を通って、六義園染井門のところで本郷通り、岩槻街道日光御成道に交わる。

06
染井門へ向かって染井通りを一点透視画法で見つめながら歩くと、両脇の建物の背が高くなるにつれて、スカイツリーが見えにくくなり、歩み寄っているのに遠ざかって行くように見える。

07
月も富士山もスカイツリーも、同時に見える前景との関係で大きく見えたり小さく見えたり、遠くに感じたり近くに感じたりするわけで、それを実際に歩きながら確認できる良い場所になっている。

08
そういう錯視を感じやすい人と感じにくい人がいるのもまた不思議なのだけれど、見た瞬間に大きい!と声が出てしまう人と、声が出るのを抑えて思索が割って入る人との違いのように思う。声が出る前に「思わず」とつく人は感じやすい。

追記:

写真は東京スイミングスクール前から見た染井通り六義園方向(2014年10月30日)。快晴でも昼近くなると大気の状態が悪くなるのか東京スカイツリーが見えにくい。写真は画像加工ソフトでコントラストを強調してうっすらわかる程度に補正してある。肉眼で見えるのは場所を知っている人くらいだろう。

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不穏の風景

2014年10月29日(水)
不穏の風景

00
【不穏(ふおん)とは・・・】
周囲への警戒心が強く、興奮したり、大きな声で叫んだり、暴力を振るったりしやすい状態。臨床では、環境の変化に対する不適応や過度のストレスによって生じることが多い。統合失調症、うつ病、アルコール性障害、せん妄などの精神疾患が関与しているケースもある。(看護師用語辞典ナースpediaより)

01
老人ホームへ母親の食事介助に通う妻に付き合う週末は、介助が必要な入所者の食事風景を眺めながら、不穏な状態で苦しんでいる老人についつい目が行ってしまう。

02
不穏な人は苦しんでいる人であり、この人は何が苦しいのだろう、何がこの人をこんなに苦しくさせているのだろうということに興味をひかれる。

03
なぜ興味をひかれるかというと、義父の不穏とせん妄にさんざん苦しんで眠れずに過ごした在宅介護の日々が自分にもあったからだ。

04
在宅介護家族だった頃には持てなかった第三者からの視点で、苦しみを眺められることをありがたく思う。親の介護が終わっても、配偶者の介護があるかもしれないし、自分が介護される日もいつか来るからだ。

05
不穏は原因や理由という始まりがあるようでないようで、そもそもこの「世界」はどうして始まったのかを考えることに似ている。原因や理由は確信できても論証できないし、実際に眼の前で起きていることにはあまり役立たない。

06
原因や理由を遡って考えるより、いまこのとき不穏の訴えが始まるきっかけや、外部からの思いがけない働きかけで不穏が不意に回収されてしまう瞬間のほうが興味深い。

07
原因や理由を考えて正面から向き合おうとする介護職員が不穏老人に跳ね返される報われなさは、介護家族だった自分たちを見るようだ。

08
その一方で、気が利かなくていつもあさっての方向を向いて介助しているような介護職員が、ずぼらにも見えるやり方で跳ね返されずに介助できている光景は、二人のうしろに後光が射しているように見える。

09
向き合う向き合わない、受け止める受け止めない、働き掛ける働き掛けない、その臨機応変な対応によって変わる一貫性を持たない困った現象を、今は神様のような観客席をもらってありがたく眺めている。

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冷蔵庫の電源を落とすまで

2014年10月28日(火)
冷蔵庫の電源を落とすまで

01
東京電力に支払う「電気ご使用量のお知らせ」を見比べたら、9 月分は住まいが 7,370 円、仕事場が 5,252 円、義父母の住まいが 3,039円 になっていた。OA 機器が沢山ある仕事場が自宅よりかなり安いのにも驚いたが、寝起きする人がいなくなっている義父母の住まいが大量に電力を消費しているので驚いた。

02
母親が他界して無人になった清水の実家を片付けるのに四年かかった。片付けがなかなか進まなかった原因はいろいろあるけれど、家の片付けより自分の心の整理に手間取っていたのだと思う。冷蔵庫が電源コンセントから引き抜かれて貰われて行ったのは、片付けがようやく終わりに近づいた頃のことだ。

03
それから数年が経ち、東京では義父母の在宅介護が限界に達し、無人となってからやはり四年が経つ。四年くらい経つとようやく全体を冷静に眺める気になるもので、「電気ご使用量のお知らせ」を見比べてようやく無駄に気づいた。

03
無人の住まいの電気代が高いのは、ほとんど用のなくなった電気冷蔵庫のせいだと気付き、わずかに残っていた内容物を処分して電源を落とした。これで電気代が下がれば基本料金+使用電力料金で年1万円くらいの節約になるのではないかと思っている。

04
さっさとそうすればよかったと今になって思うけれど、やはり冷静になるためには四年ほど心の整理にかかった。電源を落とすために冷蔵庫内を片付けたら、見たくなかった歳月が結晶化したものを見つけてしまい、次々にビニール袋へと放り込んだ。建物、部屋、冷蔵庫、密閉容器の中へと、封印される歳月は入れ子状態になっていく。

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われのわすれかた

2014年10月27日(月)
われのわすれかた

01
人が生きていて一番幸せな時は、何かに夢中になってわれを忘れている時だ。われを忘れている時こそ人は本来の人間になるので、人生究極の意味はわれを忘れて生きることである、とレヴィナスも言っている、らしい、とぎこちなく引用してみる。

02
年を取ってくると、自分にとって最高の悪友は忘れられ去られるべき「われ」であることが次第にわかってくる。ここいちばん大切なことをしくじらせるのは決まって「われ」であり、邪魔をする「われ」の出る幕をなくすことが成功の秘訣であるように思う。

03
われを忘れている時が一番幸せな時であることは、終わってわれに返った時はじめてわかる。われに返るとわれを忘れて成し遂げたことの達成感があるので、われを忘れている時は幸せだったと追体験的にわかる。残る達成感こそが幸せであるとも言える。

04
電車内で若者がスマフォをいじっているのを見ると、この子たちはわれを忘れる暇もなくて不幸だなと思う。車両が揺れた拍子に熱心に LINE でもやっているらしい若者の画面がちらっと見え、それがゲームだったりするとちょっと安心する。われを忘れてやるゲームにもいくばくかの達成感があるからだ。

05
ゲームをやらないおじさんにとって、われを忘れられる有意義な行為を見つけるのは難しい。難しさに疲れた時、手っ取り早くわれを忘れられるのが飲酒だが、飲酒は飲みながら幸せ感と引き換えて精算済みなので、われに返る翌朝のこころに達成感はない。

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こことよそといたるところで

2014年10月26日(日)
こことよそといたるところで

01
「ここじゃなくてどこかよそへ行ってやってくれ!」と言いたくなる時がある。例えば国会で議員同士の揚げ足取り合戦などを見ていると、「やるべきことが他にあるだろう!」と腹が立つ。けれど政治家ははそこでそれをやりたいので「よそへ行ってやってくれ」が有効だったことがあまりない。

02
飲み屋の酔っ払いに「ここじゃ迷惑だからおもてに出ろ!」と言ってみるのが意外に有効なのは、おもてに出た途端なんであんなに怒っていたかを互いに忘れてしまうからで、頭を冷やすとは温度調節ではなく場の関係性を変更することとも言える。政治家の足の引っ張り合いなど、頭が冷えたらいい大人が議事堂から出てできることではないので、おもてに出ないでそこでやりたいのだ。人は関係の中で喜怒哀楽を都合よく利用している。

03
ジュニア向けの西洋哲学概論などを読んでいると、哲学に古いも間違っているもへったくれもなくて、ソクラテスさんもパスカルさんもいいことを言っているなぁ、永遠に不滅だなぁと思う。世界に根元的な真実があるとしても、それは人間同士が絶対に論証できないからこそ一人ひとりが考え続けるわけで、古いも間違っているもへったくれもないわけだ。

04
古いも間違っているもへったくれもないものについて真摯に考えた人への批評を読んでいると「ここじゃなくてどこかよそへ行ってやってくれ!」と言いたくなるのは、根元的な真実を知りたいという、人間にとっていちばん切実な問題から話が逸れているからだ。

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鳥を養う

2014年10月25日(土)
鳥を養う

01
「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない」マタイ福音書 6 章 25~26 節

02
神様が鳥を養っている。鳥になり損ねた人間は、過剰な自己実現への欲求を離れ、蒔かず刈らず倉に納めずの境地を生きることが難しい。宮沢賢治だって「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と言いながら、そうできずに死ぬ自分を嘆いていた。

03
人が、蒔けない刈れない倉に納め得ない弱い者を養うことは、「その生き方に神が現れる」とか「自他不二の浄土を生きる」ということに似ている。

04
「弱い者を養うことだけで精一杯、自分を顧みる余裕さえなかった、あれは自分というものがなかったに等しい」と思える体験は鳥を養う神様に近いのかもしれなくて、暗くて長い廊下の突き当たりに見える希望への扉になっている。

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魔法の手

2014年10月24日(金)
魔法の手

01
老人ホームに通って老人の食事風景をぼんやり眺めて足掛け五年になる。心身の衰えによって次第に食べられなくなる人の老化過程をたくさん見ている。

02
箸を使って食べていた人が、やがて箸をスプーンに持ち替え、スプーンを置いて手づかみで食べるようになり、やがて介助者に食べさせてもらう人になる。そして噛むことや飲む動作を失い、ついには口を開けることも忘れる。

03
人は外部の道具を忘れ、身体内部の器官を忘れることで、道具との付き合いを終えるように見える。そういう流れが淡々と進行していく中で、人と道具の思いがけない関係に目をみはることもある。

04
パーキンソン病だった義父は大好きな煮豆を食べるときは、手も震えず上手に箸でつまんで食べていた。ご飯ではなく手づかみで食べられるパンにしてくれと言ってパン食になっていたのに、煮豆には箸が使えた。

05
そういうことは施設介護の現場でもよく見聞きし、珍しい冷奴や秋刀魚の塩焼きを出したら、上手に箸を使って食べたなどという驚きの光景が出現する。

06
道具は身体の延長であるというけれど、器具も食物も介助者も器官も広義の道具であって、それらの関係によって動いている機関が人間なのだろう。関係が人を存在させている。

07
上の写真は巣鴨地蔵通り商店街で見つけた玩具のマジックハンド。マジックハンドという言葉自体が玩具的な和製英語で、正しくはマニピュレータという。

08
いい歳してそんなものを買ってと笑われたが、炊事場や洗濯場で手の届かない場所に物を落とした時だけは見事に手の延長、魔法の手となって役立っている。機会が機械を道具化するのだ。

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中越地震の夜

2014年10月23日(木)
中越地震の夜

01
早いもので新潟県中越地震からもう 10 年。中越地方を震源としてマグニチュード 6.8 の直下型地震が発生した 2004 年 10 月 23 日は土曜日だった。

02
末期のすい臓癌になった母親の介護をするため、その日もまた静岡県清水に帰省しており、日記を読むとこんなことが書いてある。

03
週末の介護帰省をする朝である。長期にわたる抗がん剤投与の疲れが癒えてきたのか、このところ母は食欲も気力も回復し、少しは安心して離れて暮らせるので土曜日まで粘って仕事をさせてもらったのだが、明日は郷里静岡県清水で大好きだった叔母の納骨に立ち合うので、帰省を土・日・月とスライドさせたのである。

04
地震発生の午後 5 時 56 分、母親の介護用ベッド脇で沈鬱な夕食をとっている最中にそれは起きた。テレビには繰り返し地震発生当時の長岡市内が映し出され、刻々と被害状況が伝えられていた。

05
これは大変なことが起こったと驚きつつも活性化していたのは、鬱々としていた母が我を忘れて他者を思いやる機会がやってきたからで、「(ほら、大変なのはお母さんだけじゃないでしょう?)」と、疲れた息子は他人の不幸をてこにして母親の意識変革を願ったのだった。

06
幸不幸の差はあっても避けられない定めとして死はやってくる。辛いのは自分だけじゃないことをわかってくれたらと息子は身勝手に期待し、母親は
「いつまで見ていても同じ画面、同じことばかり言ってる。つまらないからもうテレビ消して寝よう」
と溜め息をつきながら自分の中に戻った。

07
リモコンで操作されブチッと音を立てて真っ暗になったブラウン管式テレビの向こうに、いつもと変わらない静かで沈鬱な夜が広がっている、それが 2 年間の介護中に体験した中越地震の記憶となって暗転している。

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ヤマチャと独服

2014年10月22日(水)
ヤマチャと独服

01
茶をひとりでいれてひとりで飲むことを独服(どくふく)という。ひとりでなく家族内で喫する茶もまた独服に近い。茶の習慣は家族ごとに個性的だからで、茶の記憶を語り合うことの度を過ぎると家庭の事情を侵害して気まずい雰囲気になることが多い。

02
ヤマチャというものに興味がある。中国からもたらされたチャノキ以外に、日本には山野に自生した在来種があったのではないかと思っていた。けれど、長年ヤマチャを研究して本にまとめられた方がいて★1、DNA 鑑定の結果も踏まえ、日本に固有の在来種はないと断じておられるらしい。

03
逸出(いっしゅつ)という言葉があり、植物などが本来生えているべき場所から外れて生息している状態を指し、帰化植物がそうだし、人為によるものを栽培逸出という。僧が中国から持ち帰る以前にも、日本に渡って来て山へと分け入った人たちがいる。ヤマチャを辿ると山中で製鉄の鑪(たたら)を踏んだ民にも行き着く。


04
中村羊一郎さんの『番茶と日本人』★2がたいへん面白かった。山で暮らす人々に飲まれた茶は、僅かな量しかなくてしかも食べにくい穀物類を、なんとか胃の中に流し込むためのものだったのであり、そういう意味で湯に浸して成分を抽出する煎茶より、乾燥して粉末にしたものを丸ごと飲む甜茶のほうに興味を惹かれる。泡立てたり塩を加えたりもするのだ。

05
宮本常一風に言えば、とにかく食べられそうなものを泡立てた液体と一緒に胃の中へ入れてみることの助けになったのが茶であり、貧しい山暮らしの助けとなる救荒植物★3として人が持ち込み、集落が打ち捨てられたのちに逸出したのがヤマチャなのかもしれない。

06
そういう意味では茶道を気取らなくとも、茶は最初から侘びていて寂びている。一人でも、家族とでも、腹心の友とでも、茶を深く味わうことの到達点は独服なのだと思う。



★1 『ヤマチャの研究  日本茶の起源・伝来を探る』松下智、愛知大学綜合郷土研究所。
★2 『番茶と日本人』中村羊一郎、吉川弘文館。
★3 飢饉やいくさなどで食料が不足した際に、飢えをしのぐための食料として利用される植物。

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早朝の叫び

2014年10月21日(火)
早朝の叫び

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早朝の散歩は午前五時頃から出かけたいのだけれど、夜明けが遅くなってしまって外はまだ真っ暗だ。仕方がないのでうっすら明るくなるまで時間を潰している。

02
人通りのない住宅街で、ときどき奇妙な声で叫びながら歩く若者に出会うことがある。定型発達をしない子なのだろうとまず思うけれど、物騒な事件が多いので、妙な物を持っていないか、異様に興奮していないかを遠目に確かめる。

03
大丈夫と思って歩き続け、すれ違いざまに声をかけられるとドキッとする。咄嗟に「何っ!?」と声が出てしまい、相手も「あ、すいませーん」と素っ頓狂な声が出て離れていくので、驚かせちゃったのかなと気まずい。


04
心の中では冷静に対応しなくちゃと思っているのだけれど、身体が怯え、緊張し、驚き、怒っているのだ。

05
どうしても心で制御できない身体の反射運動がある。施設内や衆目の集まる繁華な場所で冷静でいられても、理性が無効になるような場所で人は試される。

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生命の数え方

2014年10月20日(月)
生命の数え方

01
本郷通りの旧古河庭園角を折れて飛鳥山公園方向へ向かうとプラタナスの並木路がある。大学時代の四年間を西ケ原で過ごしたので、この道は駒込駅へとつながる通学路になっていた。

02
そのプラタナスが根元から切られてしまい、病気になって倒木となるおそれでもあるのかしらと思ったら「水道管の取替工事を行います。工事に伴い、街路樹の一時撤去を行い後日復旧いたします」という東京都水道局の掲示があった。

03
子どもの頃、一木一草でもその生命はかけがえのないたったひとつのもので、無益に殺生してはいけないという社会的な教えの中で育ったので、切り倒したものをどうして復旧できるのだろうなどと思ってしまう。

04
思い出の並木道だったのだけれど、たかだか半世紀程度の生存期間では、樹木保存にかける予算がつくほどの歴史になっていないということだろう。街路樹にかけがえのないたったひとつの生命などはない、同じような街路樹を植えれば復旧完了と言われれば合理的に納得せざるをえない。ただそういう合理的な考え方が、一木一草のみならず人間自身にも及びそうな最近の風潮が気になる。

05
そんなことを考えながら歩いていたら、工事が終わりに近づいたようで、残っていた根っこも撤去され、新しく街路樹を植えるために真っ黒い土が入れられていた。この真っ黒い土は街路樹に適したいい土なのだろうかと、ちょっとだけ踏んでみた。

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老人と共感

2014年10月19日(日)
老人と共感

01
週末は義母が暮らす老人ホームを訪問している。義母が日常生活を共にしているユニットは、認知症が大変深い人、食事が介助なしではとれない人たちが集まっている。大きな集会室に集まり、8人程度のユニットがテーブルを囲んで、ケアワーカーによる介助を受けながら食事している。

02
おとなしい年寄りもいれば逆の人もいて、他の年寄りに迷惑をかけたりケアワーカーを困らせる年寄りは、上手に各ユニットに振り分けられて介護しやすいよう工夫されている。困った老人同士が隣り合って干渉しあわないようになっているのだ。

03
そういう困ったおばあさんとおじいさんがテーブル越しに視線が合い、二人で何やらコミニュケーションを取っている。問題とされる行動をとるお年寄りはうまく言葉が話せないことが多く、言葉が出ないがゆえに先に行動が出て問題となっていることも多い。

04
そういう言葉が出ない問題老人同士が、眉間にしわを寄せて表情を作りながら、手話通訳のように手振りと口の開け閉めをしながら互いに語りかけており、ときおり意思が通じたかのようにうなずきあっている。とはいえ言葉にまとめられるような意味内容の交換はないのだと思う。

05
自分の境遇と相手の境遇の違いを推し量って行われるのが認知的な大人の共感であり、幼児のそれは相手に自分の境遇を投影しての自己中心的な共感である。自己中心的な共感だから、意見の合う合わないもへったくれもないおばあさんとおじいさんが、互いにうなずき合うという現象がおこる。

06
集会室隅に置かれた応接セットに腰掛け、そういう認知症老人同士のコミニュケーションを眺めながら、ときおり自己中心的共感で「いいね」と頷きあう姿を見ていると、これは流行りのソーシャル・メディア・サービス的人間付き合いに似ているなと思う。未来の老人ホームはますますそうなるのだろう。

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頭痛肩凝り

2014年10月16日(木)
頭痛肩凝り

00
とくに健康というわけではないけれど、頭痛や肩凝りの辛さに対する体験としての実感がない。ありがたいことに頭が痛んだり肩が凝ったりしにくい体質なのだろう。そのかわりといってはなんだが、よく足がつる。

01
人並みに「頭が痛いなぁ」とか「肩が凝るなぁ」などと言うことはあっても、本当の痛みや凝りを感じたことがない。感じたこともない痛みや凝りを愁訴に用いるのは、ただ他人の比喩的な表現を紋切り型で真似しているだけだ。弱者を踏み台にした自己主張しかり。

02
自分の体験した痛みに基づいて誠実にものを言うなら、厄介な仕事に直面したときなど「足がつる思いです」とか「ああ足がつるなぁ」と言えばいいわけだが、「頭が痛い」や「肩が凝る」のように一般的な愁訴として認知されていないので、「難しい注文をいただいて足がつる思いです」とか「あの人は話が回りくどくて足がつるんですよ」では思いが伝わりにくい。

03
しかし実際、本当に頭痛や肩凝りの身体的痛みの体験を元に、「頭が痛い」や「肩が凝る」を比喩表現として用いている人がどれくらいいるんだろうと、むしろ足のほうがつるんです派は思う。

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お茶の水

2014年10月16日(木)
お茶の水

00
加藤秀俊を読んでいたら三格と書いて「ごとく」とルビが振ってある。三格と書いてそう読む理由を調べてみたがよくわからない。

01
五徳はもともと三本脚だったようで、三格の格のつくりである各の字は、脚が下の四角い石に突き当たって安定した状態をあらわしている。三本脚の上に金輪のある状態が元々の使い方で竈子(くどこ)といい、利休の頃からひっくり返して使うようになって、「くどこ」が「ごとく」になったらしい。

02
唐の時代、陸羽があらわした 『茶経 』という中国茶道の本があるそうで、どうやらそこに日本の当て字である五徳のことが、三格と書かれてあるのかもしれない。『茶経 』にあたってみたわけではないので想像だけれど。

03
面白いのがその『茶経 』に書かれているという茶に用いる水の良し悪しで、「山水が上等 、江水が中等 、井水が下等 」なのだという。やまみずが上等であることは納得がいくけれど、せいすいすなわち井戸水が、こうすいすなわち揚子江の水に劣るという。

04
お茶に用いる水といえば、東京御茶の水の地名が当時そのあたりに湧いていた泉で将軍に茶をたてた故事によるように、茶道には地下水がつきものだと思っていたのでちょっと驚いた。

05
驚いて思い出したので、買ってあった千宗屋『茶』新潮新書を読み始めた。現代の茶道隆盛の発端は、跡見学園が正課に茶道を置いたのがきっかけのひとつだという。

06
跡見学園は茗荷谷近くにあり自分が通った東京教育大(移転して筑波大)とは春日通りを挟んだ向かいにある。教育大の同窓会を茗渓(めいけい)会といい跡見学園に隣接して茗渓会館がある。

07
教育大の前身である師範学校があった場所が湯島聖堂であり、お茶の谷を意味する雅称が茗渓なので今も茗渓会に名が残っている。三格からあれこれ脱線した

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果実のある場所

2014年10月15日(水)
果実のある場所

00
沖縄では、高級果物店まで行かないと見られないアテモヤやパッションフルーツやマンゴーや島バナナやスターフルーツやフルーツパパイヤなど、甘くて香り高い果物がごく普通に生えているという。

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郷里静岡県清水では、ミカンというのは貰うもの、貰うものというより生えているもので、生えているミカンを貰うと「いや〜こまる〜」と言い「こまる〜」には「ありがとう」から「迷惑です」までの広い意味が含まれている。

02
雪国育ちの人びとは、町のいたるところにミカンが生えているような清水の温暖さが羨ましいと言う。ミカンが生えているだけで天国のようだと。

03
親と実家がなくなって足が遠のくと、秋が深まるにつれてミカンが生えている景色が懐かしくなる。駒込界隈でも、あそこにミカン、あそこに柚子、あそこに夏みかんと何本か柑橘類のある庭をあげることができるけれど、それらの場所をつないで歩くと数キロメートルの散歩になってしまう。

|豊島区駒込にて(2014/10/14)|

04
昼の散歩に出てミカンのある庭を見上げ、懐かしい光景を写真に撮ったりしていると、思えば遠くへきたもんだと思う。遠くというのは距離の隔たりだけを言うのではない。

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