電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
明日への日記…12 風呂と相撲取り
夏のはじめ頃から右肩が痛くてたまらず、痛みをこらえて医者にはかからずに過ごしてきたけれど、たまりかねて整形外科に行ったら「典型的な五十肩」と言われた。徐々に良くなってきたものの、今でも無理なひねり方をしたり、ある程度以上の高さにあげたり、振った腕を家具などにぶつけると「うっ!」と唸って息が止まるほど痛い。
整形外科医は無理をしない程度に腕を動かしてリハビリをしろといい、かかりつけの内科・外科医は痛くなくなるまでリハビリなどするなと言う。確かに可動域を広げようと動かしてみると激痛が走るのでリハビリなど無理かなと思うのだけれど、整形外科医が痛かったら風呂の中でやれというので、実践してみるとまったく痛くない。水中にある体というのは不思議だ。水中外では動かせない範囲まで腕が動く。
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大宮の老人ホーム近くにいたトンボ。
義母が入所している老人ホーム、東北被災地支援バザーのボランティアで餅つきをする相撲取りたちを見ていて思ったのだけれど、彼らは餅つきで汗だくになると交代してさかんに風呂に入る。客に裸を見せる商売なので汗や皮膚の汚れに敏感なのかなとも思ったけれど、ニコニコ嬉しそうに風呂場に向かう姿を見ていると、実はカバのようにあの巨体を水中に入れることで休息をとっているのではないかと思えてきた。そういえば本場所中でも取り組みを終えるとすぐ風呂に入っており、頻繁に風呂に入って浮力を利用して重力を帳消しにすることに、巨漢でありつつ健康を維持していくための秘訣があるのではないかと思ったりする。
明日への日記…11 母と娘ととろろ昆布
等高線の間隔が広いが西高東低というわかりやすい気圧配置だった10月1日。2日日曜日の内陸部はもっと冷え込む朝になった。今日は大宮の老人ホームで東北被災地復興支援バザーがあり、尾車部屋の力士がやって来てうどんちゃんこを振舞ってくれるという。義母に
「2日は一緒にうどんを食べよう、とろろ昆布入れてあげるから」
と家内が言ったら義母に反応があって驚いた。富山ではうどんにとろろ昆布を入れるのであり義母はそれを憶えていた。
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毎水曜・土曜に老人ホーム行きバスに乗る大宮駅東口バスターミナル。
結局昼食時にはうどんが売り切れてしまい、祖母の食事介助をしたらうどんにとろろ昆布どころではない状況で、何とか施設の食事を食べさせることだけで苦労した。妻が義母に食事介助をする際、食べている最中に返事を求めるような声かけをするな、本人が自分のペースで食べているときは手を出すな、どうしても介助するときは咀嚼と燕下を確かめて急ぐなと言っているが、やはりむせさせていた。家内が介助下手なのではなく、話しながら楽しくたくさん食べさせたいというのが、母親に対する娘の情だからでそこに器用を求めるのは無理だ。
明日への日記…10 …のようなもの
「…のようなもの」としか言葉にできないものがある。きちんと言葉にできるものは商店に行って言葉に出してに言えばすぐに出てくるし、それが面倒ならネット検索すればオンラインで購入できるが、「…のようなもの」としか言い得ないものを探すのには 100 円ショップで現物を見るのが適している。
なぜ 100 円ショップかというと、「…のようなもの」それ自体ではないが多少改造すれば「…のようなもの」の代用になりそうなものが見つかるからだ。それが 100 円なら失敗して壊しても元々という気楽な気分もあるわけで、文化人類学者レヴィ=ストロースのいうプリコラージュ、当座の用に供する器用仕事をするための材料店として 100 円ショップは重宝している。
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赤坂コロムビア通りにある蓋。
大宮の老人ホームに義母を訪ねる際、「…のようなもの」を探しに行ったら目当ての「…のようなもの」があった。その「…のようなもの」を何とか言葉にしてみるなら、「義母が入所している老人ホームは私物持ち込み歓迎なのだけれど、職員やボランティアからいただいた飾り物すら掛けておく仕組みがなく、かといって釘を打ったりするわけにもいかないので、隣人との境にある障子のような引き戸、その桟に釘やねじや接着剤を使わずに取り付けられるフックのようなもの」が欲しかったということになり、探したら 100 円ショップにちゃんと代用になるものがあった。