▼わさび塩と包丁の切れ味

 

 郷里静岡の友だちから「わさび塩」と「桜えび塩」をもらったので、先に届いて開封し
た「わさび塩」から試し始めている。
 白身魚の魚を握って塩で食べさせる寿司屋があるので、刺身を「わさび塩」で食べるの
はいいかもしれないと思い、とはいうものの、いきなり白身ではつまらないので赤身はどうかと試してみた。じつは白身魚が食卓になかっただけだけど。
 昔、清水の寿司屋で
「カツオというとみなさんショウガというけど、このワサビで食べてみてくださいよ」
とカツオをおろしワサビで食べさせられたことがある。
 おろしたての香り高いワサビで食べるカツオはとてもおいしかったけれど、「わさび塩」では、どうがんばってもワサビの風味が乏しくて、カツオに負けて全くうまみを引き出せない。それではマグロの赤身はどうかと、一応試してみたけれどやはり似たようなもので、この日、一番おいしかったのがホタテの柱の刺身で、そちらはワサビも香って絶品だった。
 我が家ではホタテの柱はおぼろ昆布か紫蘇のユカリにまぶしてその塩分で食べるのが好きなので「わさび塩」の味付けにもなじみやすいのかもしれない。

   ***



↑自分が食べたいつまみは自分で用意することにしているので、
切れない包丁でだましだまし切った蛸の足一本。
皿のまわりから一枚ずつ並べていったら
足の先の方が真ん中に盛り上がってしまった。
蛸が見たら唖然としそうな盛りつけの左奥にあるのが
静岡・田丸屋の『わさびのおいしいお塩』



 東京の魚屋で売られているゆで蛸はモロッコ産が多く、どうしてもモロッコと蛸と生食が結びつかなくて敬遠してしまう。午前中、近所の商店街にある魚屋に行ったら福島産の北海蛸の足が売られていたので一本買ってきた。
 足を一本といえば、昔、築地の場外市場に行ったら生きた大蛸が売られており、いやがって逃げようとする蛸から、生きたまま足が一本ずつ切り売りされていたが、蛸を食さない国の人が見たら残酷さに驚くと思う。
 鯛や伊勢エビの刺身を活け作りで食べるときに、鯛やエビの目がこちらをじろりと睨んだような気がしてぞっとすることがある。そういうものが苦手なクリスチャンの義母は元気な頃、活け作りを食べさせたら顔に覆いをかけてやっていたけれど、まるで魚の通夜のようでそれもまたぞっとしたものだった。
 家人はよく切れる包丁を怖がる人なので、我が家の包丁はままごと用の玩具のように切れない。その切れない包丁で蛸の足を薄切りにして「わさび塩」で食べたら予想通りおいしかった。


同じく友だちが送ってくれた
静岡・田丸屋の『わさびのおいしいお塩』詰め替え用。



 蛸だけでなくフグの刺身も、プロがよく切れる包丁で下の皿の模様が透けるほど薄切りにしたものより、素人臭い板前が切った切り口のすべすべでない厚切りの方がおいしいと思うことが多い。白身魚や貝や蛸は、コンニャクがそうであるように、切り口があまり機械的に鋭くない方がおいしい気がして、そういう意味で赤身魚の対極にあり、だから「わさび塩」が合うような気もする。
 切れない包丁のようにかなり強引な結びだ。

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▼黄色い花の咲く頃

↑枝づたいに滑り降りるように咲くヤマブキの花たち



 町に黄色い花が咲く光景を見ると、春の訪れを実感して心が和む。
 ……というような日記を昨年も書いた気がして、一瞬やめておこうかと思ったりするけれど、昨年は黄色だと言ったのに今年はムラサキが心和む色だなどと一貫性がない方が変なので、今年もやっぱり黄色い花の咲く春に心が和むと書いてみる。


↑ミズキ科のサンシュユ



 六義園のサンシュユはしだれ桜の裏手にあって背が高い。
 背が高いので花が満開になっていても細部を見ることができないのだけれど、散歩で見つけたこのサンシュユは、低く仕立てられているので花の細部がとても良くわかる。


↑ケシ目ケシ科のクサノオウ



 こちらはクサノオウ。
 Wikipediaで「クサノオウ」を調べると黄色い花に心和んでる場合じゃない、激しい特性を持った植物であることに驚く。


↑カントウタンポポ



 町で見かけるタンポポはセイヨウタンポポばかりになってしまったけれど、これは珍しいカントウタンポポ。カントウタンポポを見ただけでちょっと得をした気のする春の散歩。

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【乗合バスの時代】

【乗合バスの時代】
 

乗合バスの時代
写真・文 石原雅彦

 静岡県清水市で生まれたけれど、しだいに夜が明けるように物心がつく頃には東京都新宿区大久保にいた。
 まだ保育園に通う前の年頃だったけれど、近所の大通りを馬が牽く馬車が通るというので、おとな達に連れられて見物に行ったら、物々しい警備の中、たいそう立派な馬車が通るので驚いた。おそらく皇室の仕立てた馬車だったのだと思う。自動車や列車や飛行機など、専用の乗り物を特別に用意することを仕立てるといい、列車や飛行機などはもちろんのこと、戦後高度成長期の日本で、馬が牽き御者のいる馬車を仕立てられる人など、皇室をおいて思いつかない。
 一般庶民が仕立てられる最も身近な乗り物がタクシーであり、その頃、両親に連れられて生まれ故郷清水に帰省し、清水駅前に降り立つのが黄昏時だったりすると、駅前からタクシーに乗った。
 不思議なことに昭和三十年代初めの清水では、東京でタクシーと呼ばれる乗り物をハイヤーと呼んでいた。屋根の上に行灯をつけて街をながすタクシーは、まだ清水では見かけず、タクシー会社まで行くか、客待ちをしている駅前に行くか、電話をかけて呼ぶしかなかったからだ。タクシーに乗るかラーメンを食べるかで、両親が北風の吹く路上で人目もはばからず口論するような時代だったので、お金を払って乗る運転手付きの自動車は贅沢品であり、タクシーは拾うものではなく仕立てるものとしてのハイヤーだった。
 仕立てるという言葉の反対側で対になる言葉が乗合である…(続きは雑誌『sizo:ka』10号にて)


清水駅前バスターミナルの1971年
(雑誌『sizo:ka』10号より)



雑誌『sizo:ka』10号に原稿を書きました。
創刊号から書いている原稿も10本目となりました。
静岡県内の書店には来月上旬に並ぶと思います。
というわけで近日発売です。買ってね。

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▼浅草でお星様になってみる

 保育園児だったとき、園で絵本の読み聞かせがあり、その頃の記憶はみんな非常に朦朧としたものなのに、その絵本の読み聞かせは妙に鮮烈に覚えていて、幼児にとってはそれほどに衝撃的だったのだと思う。


「おかあさまは しんで そらの おほしさまに なりました」
というような文章を保母が読み上げ、
「(そうか ひとは しんだら ほしになるのか)」
ということに、幼児にできる程度だけ、慎んでしみじみした。


↑浅草花やしき 2009年3月26日



 だがそのしみじみが衝撃的だったわけではなくて、びっくりしたのはその絵本の絵の方で、おほしさまになったおかあさまが、なんと雲の切れ目からのぞくように遺してきた子どもたちを見守っているのだ。
 死んでしまった無数の人が、そうやって雲の隙間から地上を見下ろしていたら、見られている方は空に無数の視線を感じて気味が悪いし、見ている方もそんなに近くにこの世が見えたら切ないのではないかと思う。現に、その絵本の内容は、おほしさまになったおかあさまが雲の隙間から見下ろしていると、地上のわが子にかわいそうな状況が訪れるのだけれど、見ているだけでなにもしてやれなくて、切ない思いをするといった悲惨な絵本だった気がする。


↑浅草寺と五重塔と花やしきの見える夜景 2009年3月26日



 友人一家が花見を兼ねて上京し、宿泊は浅草ビューホテルにしたというので、『駒形どぜう』に誘って食事をしたあと、奥さんと息子を送りがてら部屋の中を見せてもらった。
 たった今歩いてきた浅草の町が夜景となって眼下に見え、
「(わあ、おほしさまになったみたい)」
と一瞬保育園児時代の絵本を思い出したら、おほしさまになったおかあさまが地上の我が子を見ていた高度は、雲の切れ目どころではなく、このホテルの部屋くらいだったかもしれないな、と思い至ってちょっと酔いが覚めた。

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▼宴会は夜10時迄です

3月27日、義母と一緒の昼食を済ませ
デザインを担当している雑誌『RikaTan』の写真撮影に
散歩を兼ねて井の頭公園にやってきた。
六義園しだれ桜はもう満開になったけれど
井の頭公園の桜はまだまだ。



それでも花見をする人たちは多いようで
花金のせいか、午後2時でもう場所はこんなに占領されている。



公園管理所が立てた
「宴会は夜10時迄です」
という立て看板の文章がが妙に大らかで
のどかな春に似合っていて妙に可笑しい。
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【清水市の種漬花(タネツケバナ)】

【清水市の種漬花(タネツケバナ)】
 
 
文京区根津の路地裏を歩いていたら道端に小さな白い花が咲いていた。
いわゆる雑草と呼ばれる花だけれど、子どものころよく見た記憶があるのが懐かしいので写真を撮ってきた。

 
文京区根津の種漬花。
岡本綺堂『半七捕物帖』を読むとこのあたりも幕末・明治あたりはまだ田んぼがあったようなので、その頃からの生き残りなのかもしれない。

草花の名前を調べるのに便利なのが小学館が出している『色別野の花図鑑』という本で「赤」「白」「黄色」などの色別に図鑑が構成されているので探しやすい。

花と葉の特徴を元に探していったらどうも種漬花(タネツケバナ)らしい。
田んぼに咲く花の代表格であり、春一番が吹く頃に咲き、田起こしが始まるまでのわずかな間に大急ぎで種を作って子孫を残すのだという。


解説を読んでいてびっくりしたのはこの図鑑に載っている種漬花が撮影された場所がなんと郷里であり、「4月9日 静岡県清水市」となっていて、
2003年合併前の2001年初版刊行なのだった。
清水の田んぼで撮影したのだろう。
 
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▼春のニンジン


文京区根津の出版社で午後1時半から打ち合わせがあり、
30分ほど早めに着いてしまったので路地裏を散歩したら
玄関先にかわいいニンジンが置かれていた。

祖母も母も、よくこうやってニンジンの頭を切り落とすと
小さなガラス鉢に水を張って台所の窓際に置き
炊事のついでに水を換えては水栽培を楽しんでいた。



芽吹いたニンジンの頭を見るとなぜか春を思い出す。

セリ科の野菜のせいか葉っぱの見た目が繊細で清涼感がある。
次第に暖かくなると窓辺に清涼感が欲しくなって
女性たちはこんないたずらのようなことをするのかもしれない。

郷里静岡県清水で介護をしていたとき、
見事に葉っぱがついたままのニンジンを
大切に新聞紙でくるんでいただいたことがある。
大量の葉っぱがもったいないので、葉っぱだけ大なべに入れ、
半日コトコト煮込んでから網で濾して野菜スープを作り
コンソメで味を調えて母に飲ませたが、
味にもまたセロリに似た清涼感があって美味しく
セリ科の野菜が見た目だけでなく、味も春に相応しいことに、
あらためて感心したのを思い出す。
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▼112……陸軍の町



港区赤坂。

TBS放送センター裏手、三分坂脇の公園。



かつて陸軍の町と呼ばれ
ここには近衛第三連隊があった。
ベンチで新聞を読む青年のいる午後二時
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▼鳥レバとヨーロッパ情勢

駒込駅前の居酒屋で飲んでいて
鳥レバをふた串タレで焼いてもらい
食べ終えたら皿の上に南西ヨーロッパの
地図が浮かび上がっていた。
「おっ!」



「ここがフランス、こっちがスペイン、ここがポルトガル」
と割り箸で指し示しながら
「んでもってそもそもバスク人たちは…」
などと、ヨッパライの与太話しは駒込の路地裏から世界情勢へと飛翔する。
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【『おいしいわさびのお塩』】

【『おいしいわさびのお塩』】
JR駒込駅近くで、鹿児島出身のご主人と群馬出身の奥さんという組み合わせで仲の良い若夫婦が営んでいる気に入りの居酒屋があり、疲れているときには年寄りの世話を終えてから、ふらりと飲みに行くことがある。

静岡県清水桜橋の女性珈琲店主や新潟から上京する友だち夫婦とも駒込で飲もうという話しになるとついついこの店に来てしまう。
 

年度末仕事があらかた終わったので、久しぶりにのぞいてみたら、カウンター上の調味料入れに『おいしいわさびのお塩』というものがあった。
郷里静岡の友だちから『さくらえびのお塩』は貰ったことがあるけれど『おいしいわさびのお塩』は初めて見たので、どこが作っているのだろうと裏面を見たら静岡の『田丸屋』だった。
静岡では当たり前に売られているのだろうか。

白身の刺身などをこの『おいしいわさびのお塩』で食べると商品名通り確かにおいしい。
この店のすぐそばに『田丸屋』東京営業所があるのと関係があるかもしれない。
 
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▼崖の上のアブラナたち

デザインを担当している月刊誌『RikaTan』の出版社移籍にともない、
印刷所が東京都北区栄町にある奥村印刷株式会社に変わった。
これを機会に中味のリニューアルをすることとなり、
全ページ通してフォーマットデザインをしてみた。
出張校正が13日朝から印刷所校正室であるので出掛けてみることにし、
地図で確認するとJR王子駅から線路沿いに上中里駅方向へ歩いた場所だった。
学生時代4年間住んでいた北区西ヶ原からも近いので、
地下鉄南北線西ヶ原駅からJR上中里駅経由で歩いてみた。



南北線西ヶ原駅から地上に出ると、本郷通りの舗道に顔を出すことになり、
目の前に国立印刷局東京病院がある。
かつては国立印刷局滝野川工場に隣接する、大蔵省印刷局の職域病院だった。
戦前からこの場所にあったはずなのだけれど、
病院真向かいの路地裏で暮らしていたのは昭和49年から53年であり、
保険医療機関の指定をうけ一般診療をするようになったのが昭和62年5月からとのことなので、
「(そういえばこの場所に病院があったっけ…)」
程度の記憶しかない。



病院のことはほとんど記憶にないのだけれど、上野の山から連なる高台と、
荒川沿いから連なる平野と接する崖線をなすこの地域の記憶は
しっかりと染み付いて青春の記憶の一部になっている。
東北上信越方面から東京に向かって上ってくる
JRの列車が運んでくるわけではないと思うのだけれど、
鉄道に沿ったこの崖線地域では、春になるとアブラナ科の花をよく見かけることを、
道端に植えられたアブラナ科のハボタンを見て思いだした。



本郷通りに面して平塚神社があり、神社脇に沿って上中里駅前に下る古道を蝉坂という。
蝉坂を下りながら頭上を見上げると、アブラナやショカッサイなど、
今年もまたアブラナ科の植物がこの地域に咲いて、春が来ているの実感する。



毎年恒例の年度末仕事を片付けながら、良くやり通せたもんだと
我ながら感心する雑誌の仕事終了確認のため、印刷会社へ向かう朝の道にて。

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▼雀のお宿

仕事で通りかかるたびに
いつもやかましく雀が鳴いている場所があり
電柱のトランスが発熱していたり
空調の室外機が暖気を発しているなど、
雀お気に入りの場所がきっとあるはずなので
立ち止まって望遠レンズで探してみた。



マンションのベランダで激しく雀が出入りしつつ
さえずっている区画があるのを見つけた。
野鳥にとって良いことではないらしいけれど
住人がベランダで餌やりをしているのかもしれない。
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▼ソラマメ

家人が昔、良寛さんの書を見せてもらう機会があり
何と書いてあるかわかるかと聞かれて
「ソラマメ」と読んで笑われたそうで、
「ソラマメ」ではなく「夢」と書いてあったのだという。



港区赤坂の骨董屋店頭にて。
著名な人が描いたので飾られているのだろうと思い、
誰が描いた絵だろうと名前を判読しようとすると
この字もまた、出だしが「ソラ」と見えなくもない。

草かんむりの部分が「ソラ」に似ているのかもしれない。
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▼生誕百年

太宰治と松本清張が
それぞれ1909年の6月と12月生まれで
ともに今年で生誕百年になることを新聞で知った。



知ってはいたけれど、こうして写真が並ぶと
そうか、この二人は同い年だったのか……
と、あらためて感慨深い。

新宿区矢来町、新潮社脇にて。
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▼神楽坂の行列

神楽坂沿いの小綺麗な店の前に
若い女性の行列ができていた。



何に行列しているのかと思ったら
大学いもを買うために並んでいるのであり、
この季節、どこの町でも芋屋は人気がある。
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