【北風のプレゼント】

【北風のプレゼント】

新潟県高田市と静岡県清水市は、昭和 29 年から中学生による交歓会を実施しており、平成 7 年には姉妹都市になっている。電気メーカーで高田出身者と同僚になったが、『高田交歓』(高田市側では『清水交歓』)の歌を互いに覚えていたし、僕は当時二校あった高田市の城南中学、城北中学の校歌をいまだに歌えるのだ。
 
交歓生を迎えての歓迎会で、高田市から来た女生徒が
「その昔、高田市があまりにも雪深いので旅人のために道しるべが立てられました。それにはこう書かれていました。『この下に高田あり』」
とスピーチしたのが忘れられない。それほど雪深い地方に旅したことはなかったし、豪雪に耐える暮らしが魅惑的に思えたりもしたのだった。

静岡市への実質上の吸収合併を二ヶ月後にひかえた 1 月 29 日の昼過ぎ、清水市美濃輪町にある魚屋の友人から『北風のプレゼント』と題して写真添付のメールが送られてきた。この日、北風に乗って清水市にほんのいっとき、雪が降りしきったのだという。そう、清水にも雪が降るのだ。

高田出身の友人が清水の雪景色を見たらどう思うかなあと、『高田交歓』のことを思い出し、上越市のサイトを覗いたら、半世紀にわたる清水市との友好に感謝して、作成する文集のために『ありがとう清水市の皆さん!!』のテーマで感謝のメッセージを募集されていた。

片や清水市側では、合併後は『高田交歓(上越交歓)』はやめると市長の独断発言が飛び出し、市のサイトを覗くと 3 月 31 日の閉市式では市役所前で万歳三唱をするなどというたわけた記述しかない。ここでもまた両市の体感温度差は著しい。
 
高田市(上越市)の皆さんに申し訳ないので、大好きだった高田市立城南中学の校歌を歌って、半世紀に渡る友好と、かけがえのない思い出をいただいたことへの感謝の気持ちとしたい。

妙高に 妙高に 水晶の雪
荒川に 荒川に 翡翠の流れ
住む人に 真珠の心
美しや 我らが故郷
   
狭き地の 狭き地の 日本なれど
かぐわしし かぐわしし 花咲く理想
我ら 我らまた 雪深き底
常に灯せ 正義の明かり

写真は魚屋さん撮影の清水市美濃輪町。奥に見えるのは美濃輪稲荷神社の鳥居。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 1 月 29 日、19 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

コメント ( 2 ) | Trackback ( )
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コメント
 
 
 
記憶が (mcberry)
2022-01-29 21:17:22
私も高田交換に行きましたが、そんなに細かく覚えていません。
交換相手の家が下宿屋をやっていて、山間地の娘さんが冬の間下宿しているのが、驚きでした。
大学時代の同級生が、高田出身で清水に来ており、結構よく記憶しているのでびっくりしたものでした。
高校生になって、交換相手の家に遊びに行った夏はフェーン現象で、めちゃくちゃ暑い高田でした。
その時に直江津の港のテトラポットの影で野宿したのですが、車でやってきたカップルが素っ裸で海に入って戯れ始めたのが衝撃的で、高田の印象はほぼこれで塗りつぶされてしまいました。
 
 
 
RE:記憶が (den6blog)
2022-01-30 08:33:26
>>相手の家が下宿屋をやっていて、山間地の娘さんが冬の間下宿している

ああ、なるほど。豪雪地帯ではそういうこともあるんですね。実際に行って泊まってみないと得られない見聞です。

直江津の海岸風景、目に浮かびます。
直江津の海岸まで僕も歩きましたが、妻の故郷の富山もそうだけれど、太平洋岸育ちだと、北に歩いて海辺に出るという感覚にいまだに馴染めません。ちなみに妻の母は高田の人です。
 
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