電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
▼ええじゃないか
東京駅八重洲口近くの外堀通りを通過する、ギネス世界記録認定総回転数世界一というローラーコースター広告入りバス。「ええじゃないか」と喜び勇んで絶叫マシンに乗って最高地点まで上ったら、富士急ハイランドのある河口湖あたりはもう寒いんだろうな、と思う。
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富士急ハイランドの広告入りバス。
朝一番でtwitterに郷里静岡県清水から「昨日積雪があったようで、今晴れているので富士山ばぁーかきれい」と清水弁で書き込みがあったので、ベランダに出てみたら本当に富士山が白く雪をかぶっていた。
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2009年10月27日午前8時34分、六義園越しの富士山。
こうやって遠くの山が見える場所で暮らせるのも「ええじゃないか」なのだけれど、都心近くで地上8階程度ではこうしてかろうじて富士山が見えるだけになっており、高層マンションのかなり高い階で暮らさなくては山が見えなくなる日もそう遠くない。高いビルも建つけれど、街の樹木もどんどん背が伸びているからだ。
▼八重洲1丁目の伏見稲荷
中央区八重洲一丁目。東京駅八重洲口前を通る外堀通りに京橋方向から向かう道すがら、伏見稲荷神社の小さな社殿があった。巨大ビルの谷間にポツンとあるそれは、ビルの完成とともに鎮座したらしく、とても新しい。
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正一位伏見稲荷神社
発起人一同
と彫られた奉納額があるが、よく見ると昭和二十五年二月吉日とあるので、真新しい社殿より予想以上に古い。
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この巨大ビルが建つ以前の社殿がいったん解体され、新しいビル完成時に奉納額をそのまま掛け直したようなのだけれど、昭和二十五年のそれも社殿のように小さいので、戦後復興期にビルが建った時点で、すでにこの伏見稲荷はこぢんまりとしていたのかもしれない。
【にんべん】
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カツオ節製造販売の大手「にんべん」が、一部商品に金属片が混入している恐れがあるとして、自主回収しているというニュースを聞いたら清水の「にんべん」を思い出した。健康被害がなかったようなのがなにより。「にんべん」のおかかは大好きなので頑張ってもらいたい。
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静岡県清水の「長」あれこれ。ヤマもあればカギもある。
カツオ節の「にんべん」はもともと「伊勢屋伊兵衛」という屋号だったのだけれど、伊勢屋伊兵衛の「イ」にお金をあらわす「カギの形」を合わせて暖簾印(商標)にし、それを見た江戸町民たちが、「伊勢屋」のかわりに「にんべん」と呼ぶようになったのだという。
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清水駅前銀座の金子果実商店。「カネ」に「子」で「金子」というわけでわかりやすい。
静岡県静岡市清水区入江2丁目にある魚虎寿司に行ったら、昔から「にんべんずし」と地元の人に呼ばれていたという話しを聞いた。暖簾を見てもカギにイの字の暖簾印があるわけでもないので、どうしてだろうと思ったら、魚河岸で競り落とした品物に貼る札に入江町の「イ」の字をあてていたので、河岸関係者が「にんべん」と呼び、入江町にある「にんべんずし」で通っていたのだという。
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▼山手線駒込駅の99年
JR山手線が命名100周年とのことでさまざまなイベントが実施されている。
全体をチョコレート色に塗られたイベント車両が駒込駅ホームに入ってきたときは一瞬驚いたけれど「ああ、山手線…」という感慨はあまりない。
1966年に東京を離れ生まれ故郷静岡県清水に帰ったのだけれど、それまで暮らしていたのが京浜東北線王子駅近くだったので、京浜東北線こそが僕にとってのチョコレート色の車両が走る路線だった。田端駅から併走する山手線の方に全体を明るい黄色に塗られた103系が先んじて登場したのかもしれなくて、僕にとって山手線というと黄色やのちの黄緑色をした車両が思い浮かぶ。チョコレート色の京浜東北線から競争するように併走する山手線を眺め、山の手を走る明るい電車を、日の当たる反対側の舗道のように羨ましく眺めたものだった。
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駒込駅改札前にある山手線命名100周年記念のディスプレー(左)、内田康夫の書く推理小説の主役、素人探偵浅見光彦は駒込駅にほど近い北区西ヶ原三丁目に住んでいることになっており、内田康夫本人がかつて住んでいたのだという。僕も学生時代四年間を西ヶ原三丁目で過ごしたけれど、どちらかと言えば駅は京浜東北線上中里駅が近かった。内田康夫は読んだことがないけれど、上中里駅も登場するのだろうか。駒込駅ホーム脇の広告看板(右)。看板の後ろは都営団地だけれど、かつては大きな都電の車庫だった。
「山手線」という名称が決まったのは、1909年(明治42)10月12日。当時の鉄道院が「国有鉄道路線名称」を制定し、全国50以上の鉄道路線が都市名や地方名などを冠にするようになったときに、その中の一つに「山手線」 が含まれていました。このときの山手線は、品川―新宿ー赤羽間の品川線、池袋―田端間の豊島線、大崎―大井聯絡(れんらく) 所の貨物支線を合わせて命名されたもので、山の手エリアを中心に走ることが命名の由来です。(JR東海)
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駒込駅改札前のディスプレーより。
1966年に清水へ帰る頃は、まだ山手線は黄色くて「やまてせん」と呼ばれていたのだけれど、1971年頃、なにかの用事で上京したら東京駅構内で、今日から“やまてせん”は“やまのてせん”と呼ぶことになった、という主旨の構内アナウンスが流れていたのを覚えている。東京を離れてもまだひがみ根性が抜けきらなかったのか「(“やまてせん”をわざわざ“やまのてせん”と読み替えさせるなんて、なんて気取ったイヤなことをするんだろう)」と思ったものだけれど、戦後のどさくさの中で偶然のように“やまてせん”が定着してしまったのであり、“やまのてせん”が山手線本来の命名だったのだという。
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駒込駅改札前のディスプレーより。
子どもの頃から駒込駅が馴染み深いのは、母親が駒込にあった婦人服製造販売会社に勤めていたからであり、週末になると王子から都電に乗って駒込に来て、母の勤め先に行ったり、駅前で待ち合わせてたまの外食をしたものだった。
駒込駅改札前に山手線命名100年記念イベントの飾り付けがあり、ちょうどその頃の駒込駅前を写した写真があってたまらなく懐かしい。駒込駅付近を走るホデ6100型車両の写真もあり、そちらは1906年撮影の駒込駅付近とのことだけれど、駒込駅開業は山手線命名の翌年、1910年11月15日なので駅はまだなく、山手線命名100年の今年、駒込駅は11月15日に開業99年を迎える。
【庵原屋と式場隆三郎】
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山下清の才能に着目し、画業とその暮らしを物心両面から支えたと言われる精神病理学者式場隆三郎(しきば りゅうざぶろう、1898 - 1965年)は新潟県中蒲原郡五泉町の出身だった。
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静岡県清水。庵原屋店頭(左)と浜田踏切脇しずてつストア建設現場(右)
2003年10月12日
山下清が1960年10月10日に郷里静岡県清水を訪れ、清水銀座にあった割烹庵原屋ですき焼きを食べた際の写真が、庵原屋店頭に掲示されていたのを、その43年と2日後に撮影している。遺作となった東海道五十三次スケッチのため山下清が清水を訪れたのは、おそらく1966年以降のことであり、由比で崖崩れ現場をスケッチしたその足で清水にやって来たとすると1967年なので、その7年前に清水を訪れたことになる。
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庵原屋店頭にて
2003年10月12日
この写真を見て、山下清の右側で笑っている白髪の紳士は誰だろう、地元清水の名士だろうかとずっと思っていたのだけれど、1960年4月13日に沖縄を訪れた際に同行した時の写真を見つけ、鮮明ではない写真からの推測ではあるけれど、この方が式場博士その人ではないかと思う。
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【東南海地震と蚊取り線香】
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話し好きな年寄りというのは、呆けてくると同じ話しを何度も何度も話し、同じ箇所に来ると何度も何度も脱線するということを繰り返している。
1996(平成8)年に97歳で他界した祖母は、楽しい話しというと、夫と二人毎年ひとつの県を選んで旅したこと、悲しい話しというと戦争中の苦労を、思い出話として何度も何度も語ってくれた。
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静岡県清水。まだ「すしの一二三(ひふみ)」のある魚町稲荷前と
架け替え工事完了間近の稚児橋。
(2001年8月)
戦争中という物資の乏しい時代、子だくさんの貧乏暮らしに追い打ちをかけるように巨大地震が襲ってきて、郷里静岡県清水でも大変な被害が出たという。おそらく三重県、愛知県、静岡県を中心に1223名の死者・行方不明者を出した東南海地震のことで、清水でも震度5くらいの揺れを感じたらしい。
家の倒壊と余震が怖いので近所の竹林に行って避難生活をし、当時14歳だった母も覚えているという。そこから先が怪しいのだけれど
「竹林の中にいると蚊にくわれるもんで、子どもらのために蚊取り線香を買って焚いてやりだいけえが、蚊取り線香を買う、その十銭の金が尊いだ…」
という話に必ずなった。竹林での避難生活で、子どもたちが蚊にくわれないよう蚊取り線香を買って焚いてやりたいのだけれど、それを買う十銭が惜しくて買えず、それほど貧しかったという苦労話だった。戦争中の十銭はジャムパンが一個買えるくらいの値段だったという。
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静岡県清水。「すしの一二三(ひふみ)」のある魚町稲荷前。
(2001年8月)
おかしいな、と思うのは東南海地震が起こったのは1944(昭和19)年12月7日のことであり、いかに温暖な清水とはいえ、12月の竹林に蚊がいたのだろうか、蚊取り線香を買うにも苦労した思い出が、いつの間にか地震で避難した竹林の思い出とくっついてしまったのではないかと思うのだけれど、今となってはもう真相はわからない。
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▼Golden October
秋には黄金色がよく似合う。黄色や山吹色や橙色とも違う黄金色なのだけれど、どんな色を想起するかは人によって違う。
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秋の色合い。中央区銀座一丁目にて。
Webでのコミニュケーションが当たり前になってくるとWebColorによる定義が用いられたりするのだけれど、その16進表記「#FFD700」を調べて黄金色を確認するとずいぶんイメージと違って「えっ?」と思う。それでもとりあえず「黄金色は#FFD700である」ということにしてネットで公開しても、人それぞれのパソコンによって色調整がまちまちなので「えっ?」というほど画面表示の色味も違ってしまう。
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津森千里の黄金色。中央区銀座一丁目にて。
ネットではなく現実世界でも色の定義は難しい。
郷里静岡ではミカンの色を黄金色とたとえる。ミカンの色にもずいぶん違いがあるのだけれどミカンは黄金色であるということで通用してしまう。黄葉した銀杏の葉が散り敷いた並木道を黄金色の絨毯とたとえる人もいれば、オレンジ色寄りの紅葉をさして黄金色と言う人もいて「えっ?」と思う。だけどミカン色が黄金色ならオレンジ色が黄金色だっていいじゃないか、とも思う。色の定義は人それぞれの心の中に勝手に存在する。
それでも10月も終わりに近づくと黄色からオレンジ色まで色づいた木の葉が樹上に溢れ、中にはまだ緑の色合いを残した木の葉がちらほらあったとしても、街は Golden October と呼んでしまっていいような色合いになってくる。
▼吹き出し
雲の形というのは上空の大気がどうなっているかを伝えてくるメッセージともいえるのだけれど、気象を学んで読み方を身につけないと、何が語られているのかがわからない。
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午後1時過ぎの空。雲が吹き出しのよう。
何が語られているのかはわからないけれど、
「なにか大変なことになってるんですね…」
くらいのことはわかるので、珍しい雲の形を見つけると、人は立ち止まって空を見上げたり写真を撮ったりしてしまう。
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午後6時前の空。。
午後一時過ぎの六義園上空、南西から吹く強風がブーーーッと息を吹き出したような不思議な雲に驚いて写真に撮った。午後6時近くになってもう一度夕暮れの空を見上げたら、まだ上空では南西の風が強いようで、やはり北東に向かって雲がたなびいていた。
▼甘さと酸っぱさ
この夏は妙にカルピスウォーターがおいしく感じられて、販売機やコンビニで良く買って飲んだ。自分で水で薄めてつくり、水筒に入れて持ち歩けば良さそうなものだけれど、カルピスというのは濃すぎても薄すぎてもおいしくなくて、さすがプロの薄め方は絶妙だと感心しつつ、それを買って済ませる口実にした。
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表参道早歩き。左からベネトン前、原宿ヒルズ前、新潟館ネスパス前。
子どもの頃、よくカルピスを夏の進物としておくったりもらったりしたが、そっくりな商品に森永コーラスというのもあった。時折ミルトンという乳酸菌飲料ももらったけれど、そちらはちょっと変わっていて果汁味付きであり、それ故に真っ白ではなくちょっと色がついていた。そして「カルピスやコーラスとはちょっと違うぞ」と主張するように、円柱形ではなく球形に近いボトルに入っていたような気がするけれど、そちらはちょっと自信がない。オレンジなどコンクジュースのボトルと混同している可能性もある。
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甘ったるい香り漂う原宿駅前。
カルピスやコーラスに類似した甘くて酸っぱい濃縮飲料で、もうひとつ競合製品があったはずなのだけれど、どうしても思い出せない。カルピスウォーターを飲むたびに気になって記憶をまさぐっていたのだけれど、なんのきっかけかポロッと水玉模様の中から水色のボールが転がり出るように商品名を思い出した。
「ハイカップ、ハイカップ!不二家ハイカップだった!」
と声に出して言うとヘンなおやじ爆発なので、にんまり思い出し笑いしながら歩く原宿駅前。
▼秋のGelGems
10月16日、青山通りを歩いていたら北青山のカメヤマキャンドルハウス店頭がハロウィンの飾り付けになっていた。
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港区北青山のカメヤマキャンドルハウス。
窓に貼り付けられたGelGems(ジェルジェム)の色合いがいかにも秋らしい。
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港区北青山のカメヤマキャンドルハウス。
ローソク屋も頑張ってるなぁと微笑ましい秋の寄り道。
▼秋のポン菓子
10月16日、赤坂まで装丁一式を届けてデータ納品を終え、青山通りを歩いて原宿駅に向かう途中、北青山の銀杏並木脇で第23回青山まつりが開かれていた。
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港区北青山の銀杏並木と青山まつり。
フリーマーケットのテント内に懐かしいポン菓子製造器があって嬉しい。幼い頃、ポン菓子職人のおじさんがリヤカーに積んで持ち運んでいた器械より小振りな気がするけれど記憶は怪しい。
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青山まつりフリーマーケットのポン菓子製造器。
昔の器械は燃料として薪を焚いていたような気がするのだけれど石焼き芋屋と混同しているかもしれない。モーターなどないので手回しだった気がする。
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青山まつりフリーマーケットのポン菓子製造器。
この機械はどうやらプロパンガスを燃料として用い、バッテリによってモーターを回すという自動化されたものらしい。秋空に爆発音が轟いてポン菓子が勢いよく飛び出してくるまでの一部始終を見たかったのだけれど、当分始まりそうもないので写真だけ撮っておいた。
▼蔵が見える風景
郷里静岡県清水もそうだけれど、日本各地で建物が取り壊されて更地が増え、更地になることでその向こうにあるかくれていた物が見えたりする。突然、通りから奥まった場所にある立派な蔵が現れ
「こんなところに蔵があったのか」
とびっくりすることが多い。
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台東区池之端にて。
台東区池之端、不忍通り沿いを歩いていたら更地になった場所があり、その向こうに蔵が見えた。
「こんなところに蔵があったのか」
と一瞬驚いたけれど、落ち着いてよく見たら横山大観旧宅敷地奥にある蔵だった。
大観は1909(明治42)年から1958(昭和33)年までこの場所に住んでいた。空襲で焼けたがその土台を使って1954(昭和29)年に復元された家屋が記念館として保存されている。遠来で年上の客だと案内したこともあるのだけれど、不忍池の畔から屋敷の全貌を見たのは初めてなので一瞬驚いた。
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台東区池之端にて。奥の建物は東大病院。
更地は一時的に駐車場になっているけれど、立て看板を見ると高層マンションが建つらしい。こういう土地こそ収用して平地のまま公共の用に供して欲しいのだけれどそうもいかないらしい。
駒込にあった旧木戸孝允邸脇もそうだけれど、そういう公共のために使って欲しい場所ほど分譲マンション化されてしまい、どちらも同じNTT都市開発が手がけている。どうしてそういう由緒ある場所をNTTが所有できたのか、それをどう用いることが歴史の恩に報いる方法なのか、などということは顧みられることもないのだろう。
▼乗物と眠りの深さと横になること
電車やバスの座席で居眠りをしている人を見ると、行儀良く上半身を直立させたまま上手に寝ている人もいれば、ぐらりぐらりと揺れて両隣の人にもたれかかったり頭をぶつけて迷惑をかけている人もいる。
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東京ビッグサイトにて。
10月14日は郷里静岡県清水から上京した友人夫婦とともに、東京ビッグサイトに出かけ、各種展示会をはしごして朝から夕方まで一日中歩き回った。何を見ても、それが分野違いであればあるほど、日々の商いや、暮らしや、生き方の参考になると面白がる人と、そうやって社会勉強をするのはとても楽しい。
帰りの東京駅八重洲口行き都営バスは満員で、歩き疲れた人びとばかりなので皆ぐったりしている。最後部の席に座ったら隣の若い女性が盛大にぐらりぐらりと上半身を揺すりながら居眠りをし、肩や胸に頭がぶつかるたびに「すみません」というように会釈するのだけれど、また居眠りをしてぐらりぐらりを繰り返していた。
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東京ビッグサイトにて。
不思議なことに、僕はそうとう泥酔したとき以外は、電車やバスで居眠りしてもそんなにぐらりぐらりとはしないのだけれど、仕事場で睡魔に襲われて仕事が手につかず、横になるわけにも行かないとき、椅子に腰掛けたまま居眠りすると、ぐらっと傾いて椅子から転げ落ちたりするのでとても危ない。
おそらく電車やバスに揺られながら眠るより、安定した椅子で居眠りする方が眠りが深いので転がり落ちそうになっても制止不能なのだろう。自分の居眠り体験や、他人の居眠りを見ていると、盛大にぐらりぐらりと揺れる人は身体が横になっての安静を求めているのであり、よほど疲れているか、もしかしたら体のどこかが悪いのかもしれないので、一刻も早く本当に横になった方がいいな、と余計なお世話ながら思う。
▼靴の店
NHK総合テレビで放送された『シャツの店』という鶴田浩二主演のテレビドラマがあってとても良かった。調べてみたらそれは1986年1月11日から1986年2月15日まで放送され鶴田浩二最後の出演作だったのだという。
ドラマに登場した店のモデルになった、と言ってもおかしくないような古くて小さなシャツの店が根津にあり、テレビドラマに感動した余勢も駆ってオーダーシャツを作ってもらったけれど、年老いたご夫婦が丹念に仕立ててくれたと思うとなかなか着づらくて、そうこうしているうちに皮下脂肪がついて着られなくなってしまった。そのシャツの店ももうない。
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色づいたカラスウリをあちこちで見かける季節になった。
それ以来シャツの店を見かけるとちょっと切ないのだけれど、靴の店もまた別の意味でちょっと切ない。
小学生時代、母親のあとについて買い物に行き、靴屋の前を通ったら母親が思い出したように
「あんたの靴、だいぶ古くなって傷んでるから新しいのを買おう」
などと言い、新しいズック靴を店頭で履かされ、靴屋のおじさんがつま先のあたりを指で押してきつくないかと尋ね、
「どうせすぐに大きくなっちゃうから、ちょっと大きめのにして中敷きを入れときましょう」
などと母親と相談していた。
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北区中里あたりにて。
それではこの靴をもらいましょうということになり、
「あ、履かせて帰りますから古い靴は捨てて下さいな」
などと母親は言い、急に真新しくなったズック靴を履いて買い物から帰ったものだった。母が「捨てて下さいな」と言い、おじさんが手に持った靴があまりにボロなのが恥ずかしかった記憶もまた、靴の店の前に立って感じる切なさに繋がっている。
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