◉四川料理の孫

2018年7月31日
僕の寄り道――◉四川料理の孫

日本で四川料理の父といえば陳健民だけれど、代々有名な料理人なので、いまテレビで見るのはお孫さんだと妻が言う。
「ええと、なんて名前だったかな〜」
と言うので
「陳建一じゃない?」
と言ったらそれは息子だと言う。

思い出せないので
「陳建一の息子なら陳ケン坊じゃない?」

と言ったら
「ば〜か」
と笑う。

夏 の 日 に な ぜ か 四 川 を 思 い 出 す

(2018/07/31)



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◉かもしかみち

2018年7月31日
僕の寄り道――◉かもしかみち

未明に目が覚めておもむろに松本清張「断碑」をまた読み始めた。たぶん三度目くらいかなと思いつつ、予想通り記憶にない細部がたくさんある。前回、前々回の自分はいったい何を読んでいたんだろう、「ボーっと読んでんじゃねえよ!」とチコちゃんに叱られた気分である。

どこからそうなったのか、このところあみだくじ読書が古い時代の歴史領域に分け入り、鳥居龍蔵とか菊池山哉のことがとても気になり、まず菊池山哉の評伝(前田速夫『余田歩き菊池山哉の人と学問』晶文社)を古本で買った。森本六爾についてはこのスマホに kindle 版電子書籍で入れてある松本清張初期短編集『或る「小倉日記」伝』に「断碑」が収録されていることを思い出した。

「断碑」を読み終え、しみじみした気分であれこれ深堀りしていたら、森本六爾からさらにあみだくじをたどって信濃のひと藤森栄一の書いた本(『古道―古代日本人がたどったかもしかみちをさぐる』講談社学術文庫)が読みたくなった。あれ?藤森栄一は高校時代に『縄文の世界―古代の人と山河』講談社を買って読んだような気がする、と思うけれど確かではない。どうせ頭に入っていないのだ。本のあみだくじでたどる「かもしかみち」である。

甕 棺 に お う か ん と ふ る 夏 の ル ビ

(2018/07/31)

★子どもの頃、好きで読んだ考古学の本で甕棺を「かめかん」と覚えたけれど、この本では「おうかん」とルビが振ってある。手元の辞書には「かめかん」しか載っていないけれど、たしかに「おうかん」の方がしっくりくる。

★[嫉妬は憧憬するからである。その憧憬に絶望したときが、憎悪となるのだ。](松本清張「断碑」)。他人を憎むということについて。うまいことをいう。まさにそういうことなのだろう。

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◉剣客商売

2018年7月30日
僕の寄り道――◉剣客商売

年上の女性たちが多いマンション内飲み会で、ミャンマー赴任から一時帰国した若い女性を囲み、東南アジアでいまだ衰えない TV ドラマ『おしん』の話になった。
「あの小林綾子ちゃんはどうしたんだろう」
と男性の長老が言うので大笑いした。

「やだ、もう彼女も四十半ばのおばちゃんですよ。だって藤田まことのあの番組で四十以上も年の差があるとはいえ女房役をやってたのがずいぶん昔じゃないですか」
とみんなで大笑いしながらも “藤田まことのあの番組” のタイトルが出てこない。
「ほら池波正太郎原作のあれ」
とみんなで “あれ” という名の同じドラマを思い浮かべているのにタイトルが出てこない。

六義園内にて(2018/07/30)

「ほら舟で行くような粋な場所に隠居所があって…」
と言ったところで
「思い出した、けんきゃくしょうばい」
と言った人があり、
「そうだそうだ」
と言う人もいれば
「え、けんきゃくしょうばいでしたっけ?」
と怪訝そうな顔をしている人もいた。

みんな酔っているので話はそのまま流れてしまったけれど、今日になって思い出せばあれは「剣客商売(けんかくしょうばい)」であり、「けんきゃくしょうばい」は飛脚である。

年 の 差 を こ え て 棹 さ す 蘆 の 舟

(2018/07/30)


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◉カナカナとミンミン

2018年7月30日
僕の寄り道――◉カナカナとミンミン

明け方ヒグラシが啼き出した数分後にミンミンゼミが啼きだすことが多いように思う。7月13日から2週間ほど、気がつくたびにメモしておいた。

2018/07/13 4:17 カナカナ→ミンミン
2018/07/14 4:11 カナカナ→ミンミン
2018/07/16 4:22 いきなりミンミン
2018/07/17 4:35 に緊急地震速報カラスどもが騒ぐ
2018/07/17 4:40 からミンミン
2018/07/18 4:25 いきなりミンミン
2018/07/19 4:20 いきなりミンミン
2018/07/20 4:22 いきなりミンミン
2018/07/21 4:25 ジーーーという前奏に続きミンミン
2018/07/21 4:29 珍しくミンミンの後にカナカナ
2018/07/22 4:21 カナカナが啼き始める
2018/07/22 4:24 ミンミン
2018/07/23 4:23 カナカナが啼く
2018/07/24 4:23 カナカナが啼く
2018/07/25 4:43 いきなりミンミン
2018/07/26 4:29 カナカナが啼く
2018/07/29 4:15 台風通過 カナカナが啼く

昼休みに六義園内を散歩したら目の前でミンミンが啼いていた。明け方カナカナと前後して聞こえる声は風雅だが、間近で聞くとただひたすらやかましい。

か な か な を み ん み ん が 追 う 夏 の 朝

(2018/07/30)


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◉タナカ

2018年7月30日
僕の寄り道――◉タナカ

毎週金曜夜10時24分からの BS 朝日『迷宮グルメ異郷の駅前食堂』という番組を録画して観ている。

「言葉もわからない土地で、ジェスチャーと勘だけで地元の人に愛される駅前食堂を探し、人生で味わったことのない美味いモノと、人情に出会います。」という謳い文句で芸人ヒロシがゆるい旅をするので、晩酌をしながらゆるく笑っている。

ここしばらくミャンマーを旅しており、現地の女性がみな顔に白いペースト状のものを塗り、その名前を「タナカ」だというので面白く感じていた。

29 日はマンション有志が集会室に食べ物や飲み物を持ち寄って分け合う月一回のダイニングの日だった。家族でミャンマーに赴任している友人が一時帰国しているので「タナカ」のことを聞こうと思っていたら、ちょうど女性たちへのお土産として持ち帰られていたのでいただいた。

「タナカ」は日本語の田中とは関係がなく、ラテン語では Thanaka 、ミャンマー語では ThanaKha と書き、薬効成分を含むタナカの木をすりつぶしたものだという。

白 塗 り の ThanaKha 眩 し い 夏 の 肌

(2018/07/30)


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◉七月のソナタ

2018年7月30日
僕の寄り道――◉七月のソナタ

今日、明日、あと二日で七月が終わる。
それはすごいことである。

子どもの頃の七月は八月の序奏だった。
わくわくするような夏の序奏が終わり、八月に入ると待っていたとばかりに力強い主題が開示され、鎮魂の十五日前後に毎年同じあの展開部が訪れ、もういちど再現される主題はすでに夏の栄光を失いつつあり、終奏へと向かって夏は去っていく。

トントン(ドアを叩く音)
八月「どなたですか」
七月「そなたです」

それはすごいことである。

七 月 は 越 え ゆ く 夏 の 峠 道

(2018/07/30)


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◉カタカナ

2018年7月29日
僕の寄り道――◉カタカナ

岡田英弘先生の本(『倭国』)を読んでいたら「アムフィクテュオニア」という言葉がなんども出てきて「祭祀同盟、隣保同盟」とご自身で意味を但し書きしておられる。「国家」でなく「同盟」であるのが肝で、適当する語を探すとカタカナになってしまうのだろう。覚えられず何度も意味を再確認するので最初の出現ページに付箋を貼っておいた。

岸田秀と丸山圭三郎の対談(『さらに幻想を語る』)を読んでいたら「ゲネシスをめぐって」とあって、なぜ「起源」と言わないのだろうと思う。「ホモニゼイション」とあるのは人類事始めにある不確定な領域のことを指すのだろうか、だったらホミニゼーション(hominization)のことかなと思う。カタカナは難しいことをよりいっそう難しくする。

「ホモニゼイション」といえば、朝食準備をしながらテレビをつけたらチャンネルが民放になっており、懐かしい痔瘻薬の宣伝が流れ「♪痔にはボラギノール、ダザイ」という。はて太宰治が痔を患っていたという話は聞かないけれど、座り仕事なので痔瘻であってもおかしくない、それもまた苦になっていたのかな、それにしても印象に残る面白い名前をつけたものだと感心して画面を見たら「太宰」ではなく「坐剤(ざざい)」だった。

ア サ ガ オ と カ タ カ ナ で 書 く 夏 の う ち

(2018/07/29)


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◉猫にとって寺とはなにか

2018年7月29日
僕の寄り道――◉猫にとって寺とはなにか

平安遷都(794)から鎌倉幕府成立(1185)までの間には、すでにこの場所にあったという近所の古い寺。このあたりは古代の道と、鎌倉往還と、江戸の街道が交わる場所になっている。

平安時代の作という不動明王坐像があり、むかし夜中に忍び込んだ盗賊がその前で金縛りにあって動けなくなったので「足止め不動」とも呼ばれている。

寺では本堂前で猫たちに食事の提供をしているので、昼過ぎにぶらりと散歩すると腹も膨れてのんびり瞑想する猫の姿を見かける。空になった皿の数からするとかなりの数の猫が毎日山門をくぐっているように見えるけれど、終日本堂前で仏道の修行をする感心な猫は少ない。食事をいただいた後はそれぞれ領地に戻り尻尾をくねくねさせて歩いているのだろう。

日光への御成道から不動坂を脇に入った場所にあるためか徳川家と縁があり、生類憐みの令を出した将軍綱吉の生母桂昌院も参詣したという。

学生時代にぶらりとやって来て四年間この寺の近くに下宿し、そのまま足止めされたわけではないけれど、どうやらこの界隈でほとんどの人生を過ごしてしまいそうな雲行きになっている。脇に立って境内を眺めたり写真を撮ったりしながら、一向他人に頓着しない猫どもを見ていると、ああ御同輩だなと思う。

昼 寝 す る 猫 が 微 睡( ま ど ろ )む 蓮 の 寺

(2018/07/27)


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◉日本裏山辞典――興津七面山

2018年7月28日
僕の寄り道――◉日本裏山辞典――興津七面山


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興津中町や本町あたりのことを調べていると七面山(しちめんざん)の名がときどき出てくる。七面山といえば山梨県南巨摩郡にある信仰の山で、日本二百名山にも数えられ標高が 1,989 メートルもある。

興津中町にある理源寺さんのサイトを見ると
「寺の裏を沢端川が流れ、その向こうに七面山という山がある。沢端川を身延七面山の春木川になぞらえ、身延の地形に合わせて寺が建立された。江戸時代の初め頃のことで、当地に疫病が流行し、多数の死者が出たので、村の代表者が身延の七面山を信仰して厄を逃れたという縁故からのことである。今でも七面山信仰が厚い由縁である」
とある。

沢端川の両岸は山になっているので、どの山が七面山なのだろうと地図を見たが山の名の記述がない。「興津 七面山」をキーワードに検索してみたものの山を特定する手がかりがない。ウィキペディアによると全国各地に七面山があるようで、ここ興津の七面山もそうであるように静岡県沼津市下香貫にも列挙されない七面山があるらしい。

寺や神社が取り囲むように点在する中心の高みが七面山なのではないかと思う

もう故人になられたが、清水区庵原の友人を訪ねてハイキングをしたら、庵原の低山にもそれぞれ名前があり、土地の人がそう呼ぶことで語り継がれる地図にない名前を知った。名もなき花がないように、名もない山などないのだなぁ、と感心したものだった。

七面山らしき山塊へちょっとだけ登ってみた

わが家の墓がある清水区大内の寺に裏山があり、清水平野の背後に屏風を立てたようになっている。その山頂の一部が鎌倉時代の武将梶原景時終焉の地とされているので梶原山と呼ばれている。山塊全体の名を調べると、扇山や帆掛山の名も見え、一本松が名物だった高みもあり、清水湊から目印とされたはずなので、帆掛山は理にかなった古名かもしれない。

そういう地元の人たちの口から口へと伝えられた『日本裏山辞典』でもあったら便利だろうと、小さな歴史散歩で里山を歩くたびに思う。

裏 山 を 吹 き 降 り て く る 夏 の 息

(2018/07/28)

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◉5 階から 8 階まで

2018年7月27日
僕の寄り道――◉5 階から 8 階まで

5 階から 8 階に行くため上向き三角のボタンを押して待っていたら、上ってきたカゴが 5 階にとまって扉が開き、見かけない女性が降りてこられた。行き先階ボタンを見たら 6 が点灯しているので
「5 階ですがよろしいんですか?」
と声をかけたら、
「あらまあ!」
と笑って引き返してこられた。

「どうもありがとうございました」
と言うので
「猛暑ですから仕方ないですね」
と答えたら
「暑さのせいじゃなく、私が自己中心的だからです」
と苦笑しながら 6 階で降りていかれた。

最近は人間というものが自己中心的になって、エレベーターでも電車でも、降りてくる人を押しのけて我れ先に乗りこもうとする人をよく見かける時代になった。そういう時代を嘆いたり、そういう人を憎んだり、腹を立てたりする一方で、自分もまたそういう現代人になりつつあるのではないかと、胸に手を当てて考えることは難しい。

とっさに「私が自己中心的だからです」と答えられたあの人は偉いなあと 6 階から 8 階までの間に思う。

中 心 を 挟 ん で 夏 の エ レ ベ ー タ ー

(2018/07/27)



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◉関西弁のチカラ

2018年7月27日
僕の寄り道――◉関西弁のチカラ

隣りのテーブルに若い会社員四人組がいて、関西弁で談笑しながら昼食をとっている。聞きたくなくても聞こえてしまう会社の内輪話が妙におかしい。関西企業の東京支社員たちだろうか。

部長を囲んで居酒屋チェーンで飲んでいたら同僚の女子社員が酔いつぶれて寝てしまい、起こしてこのまま帰したら危ないから寝かせておいて、俺たちはもう少し飲もうと部長が言う。やがてみんな酔っ払ったのでそろそろおひらきにしようかと話していたら女子社員がガバッと起き上がり「もう一軒飲みに行きましょう!」と言う。寝て起きたのでピンピンに元気なのだ。みんな酔ったからもう帰ると言ったが、しかたないので部長だけ付き合うという。翌朝部長に「昨夜はどうされましたか?」と聞くと、気がついたらひとり知らない街のベンチで寝ていたという。部長が女子社員に「覚えてないけど俺ゆうべどうした?」と聞いたら、「部長、寝ちゃったからほったらかして帰った」と言う。

「ひっでぇー」と笑っていて、聞いているこっちもおかしいのだけれど、こうして東京弁で書いてみるとたいしておかしくない。これをコテコテの大阪弁で聞くとひどくおかしいのだ。

そんな話を聞いた帰り道、裏通りで立ち止まってこんな写真を撮っていたら、後ろから自転車で近づいてきた女性が
「ちょっと失礼、その写真にわたし入ってませんよね!」
などと言う。後ろから近づいてきた人が写るわけないので
「入ってませんよ」
とそっけなく答え、気味が悪いので足早に離れた。

だが、あれが東京弁でなく大阪弁のおばちゃんで、
「ちょっとオッチャン、その写真にあたし入ってる〜」
だったら、なんかこっちも笑えるボケを返さなくちゃ、などと思ってしまうのが不思議だ。大阪弁はけったいな出来事もおもろい出来事にする。

高 所 よ り 凌 霄 ( の う ぜ ん )咲 け る 東 京 弁

(2018/07/27)


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◉下本出

2018年7月27日
僕の寄り道――◉下本出

JR 東海道本線の第三興津踏切を渡る。興津地区の小字(こあざ)を知りたいと思っていたので、踏切信号機に取り付けられた黒い標識にある「下本出」の文字に目がいく。そうか、この辺りは「下本出」という地名なのか、面白い地名だけれど「しもほんで」と読めばいいのだろうかと思い、検索したら一地方の地名ではなく、全国的な鉄道用語だというので驚いた。

「下本出」は「下り本線出発信号機」のことで、とうぜん「上本出」もある。なんと読むかは頓着なく「下本出」「下本出」三文字でできた絵記号のように機能する黒看板なのだろう。世の中に「下り本線出発信号機」「上り本線出発信号機」というものがあることを覚えた。

炎 天 下  警 報 が な る 下 本 出

(2018/07/25)


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◉牛と道草と汽車の旅

2018年7月25日
僕の寄り道――◉牛と道草と汽車の旅


クリックで取材メモ一覧に戻ります

雑誌の編集会議が静岡であるので帰省した。朝一番でいくつか仕事を片付けたら九時半近くになったので、のんびり小田急線に乗ろうと新宿駅に出たら、折よく快速急行小田原行きが入線して来た。

下り小田急小田原線は渋沢駅を過ぎ、国道 246 号線と川音川に沿って谷あいを進み、東名高速道路をくぐって新松田駅を過ぎ、酒匂川沿いの水田地帯を相模湾岸の小田原めざして南下していく。このあたりの風景が好きだ。何度通っても嬉しくなる。なにか「嬉しくなる」ことを見つけるために旅はあり、旅に大きな括弧をつけて人生もその中に含まれる。

終着の小田原駅目指してゆく電車の窓をいく筋も水が走り、激しい雨が降って来た。雨の小田原駅からは快速アクティ熱海行き、同じホームから東海道線島田行きと乗り換えが都合よくできており、丹那トンネルを抜けたら駿河湾岸は晴れていた。

前回 2018 年 6 月 21 日の帰省『◉興津氏の居館跡を見に行く』の朝は豪雨で、落ち着いて見学できなかった宗徳院あたりをもう一度歩いてみた。中世の駅家(えきか)がそのまま江戸以降の宿場と重なっている場所はとても珍しく、蒲原と並んで興津がそういう場所であり、しかも当地を支配した武士団の居館跡から見下ろせる貴重な場所だからだ。

道草の場所

宗徳院まで歩く道すがら、道草したら思いがけないものを見つけて嬉しくなった。嬉しくなったので、今回の取材とは別に、国会図書館に行くついでに掘り下げて調べてみようと思う。歩けばかならず「嬉しくなる」ものに出会う。

夏 草 も 嬉 し さ の う ち 牛 の 道

(2018/07/25)

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◉カラミ煉瓦

2018年7月21日
僕の寄り道――◉カラミ煉瓦

小学生時代の 6 年間を過ごした北区王子 4丁目の路地裏で、不思議な石があるものだとしゃがみこんで興味深く眺めていたカラミ煉瓦。

北区西ヶ原(消失)

北区と区界を接する豊島区や文京区でも、まだカラミ煉瓦を使った塀や石段、家の基礎などが残っているのを見かける。

北区滝野川(消失したのではないか)

北区飛鳥山博物館の資料コーナーを眺めていたら「北区立図書館80周年・北区図書館活動区民の会10周年記念 歴史講演会『忘れ去られた産業遺産~カラミ煉瓦の謎に迫る』」という催し物があるのを知った。

文京区千石(現存)

やはり興味を持って調べている人がいたと知って嬉しい。抽選で定員 50 名だというので往復はがきで申し込んだら聴講できることになったので行ってくる。

夏 の 火 に 焼 か れ て 残 る 煉 瓦 か な

(2018/07/21)


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◉麦わら帽子

2018年7月20日
僕の寄り道――◉麦わら帽子

連用日記をつけていたら去年の今日妻がよこしたメールにも、あまりの暑さで
「坂道を下る時、目の前、真っ白になりそうでした」
と書かれていた。この夏だけでなく、去年もまた猛暑だったのだ。

去年の夏は炎天下の由比を歩き回って過ごした。今年もまた清水の町を歩きまわることになる。去年もやはり猛暑だったのに、今年の夏空を見上げるとやはり「去年はこんなに暑かったかなぁ」などと思ってしまう。わずか数度の違いが年々大きくなる。

坂を下った商店街にある雑貨屋店頭に毎年下がる昔懐かしい麦わら帽子がある。すだれやジョウロと一緒に売られていて、ちゃんと天然素材でできている。昔は物置や農作業小屋にに必ず二つ三つ下がっていた埃だらけのあれだ。農作業用麦わら帽子をかぶって都心を歩いても恥ずかしくない年齢になったので、今年はあれをかぶって帰省しようかなと思う。

義母が定期検診に通う埼玉県の総合病院には、そういう麦わら帽子をかぶったおじいさんがやってくる。埼玉では当たり前の風景である。
そんなおじいさんがひとり総合受付にやって来て
「あのう、麦わら帽子の忘れ物は届いていないでしょうか」
と聞き、受付の女性がカウンターから出て来ておじいさんの後ろに回り、
「帽子はここ」
と笑顔で言いながら、吊り紐で背中にぶら下がった麦わら帽子をかぶせてやっていた。そういう人たちのひとりになったつもりで外出する今年の炎暑である。

「 ど こ 行 っ た 」 麦 わ ら 帽 子 を さ が す 夏

(2018/07/20)


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