【海洋祭とジャパハリネット】

【海洋祭とジャパハリネット】

生まれ故郷に住んでいないということは決定的に「今の」地元事情に疎い。

10月28日に片付け帰省して清水銀座を歩いていたら「海洋祭」と書かれたポスターが目にとまり、はて海洋祭というのは誰が主催するどういうお祭りなのだろうと首をかしげ、帰京後ネット検索してみたら東海大学海洋学部の学園祭だった。

第26回とあるが、26年前には既に清水を出て東京暮らしをしていたので「海洋祭」という名前すら知らずにいた。



「海洋祭」には「ジャパハリネット」という音楽グループが出演するらしい。

子どもがいないということは決定的に「今の」音楽事情に疎い。
「ジャパハリネット」という名前すら聞いたことがないので下に「地引網」とあるのにひかれて東海大学海洋学部が開発した日本独自の最新型地引網「Japan Hari-dragnet」の名前をグループ名にした東海大生の学生バンドかと思った。

帰京後ネット検索してみたら最近売り出し中の人気バンドだった。

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【さらば『えいしん』】

【さらば『えいしん』】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 10 月 27 日の日記再掲

 

生きているということは「縁」の固まりのようなものかもしれない。

固まりのようなものだけれど、どろっとした時の流れの連続に過ぎないので「縁」などと形のあるものとしてつかまえにくい。それでも「縁」の積み重なりに生きているという手触りが欲しくて、わざわざネット上に他愛のない日記を書いたりするのかもしれない。

「あの『えいしん』も店をたたまれるんですよ」
などとネット上で知り合った友人に教えられ、
「えっ?」
と思い出せずにいると、いつかネット上の日記にその店のことを書いたことがあるらしい。咄嗟に思い出せなくなった自分にも驚くけれど、日記に書かれた小さな覚え書きを読んで覚えていてくれた人がいたことにも驚く。

■静岡県清水草薙2丁目の『えいしん』
RICOH Caplio R1 

「あと二日で草薙の『えいしん』が閉店となります。石原さんの日記にも登場した『えいしん』です。いつのことだったかと探して探してやっとみつけました。昨年の 6 月 29 日でした。38 年続けたラーメン屋だそうです。もう一度食べたい」

こんなメールが友人から届き、探してみたらなんとリンク切れになっていた日記に『えいしん』のことが書かれていた。

2005 年 6 月 26 日は日曜日で、清水でひとり暮らししていた母のために毎週末の介護帰省をしており、母はまだ元気があってラッキョウを漬けるのを手伝わされたとメモにあった。

少し安心したのか、帰京の途上寄り道し、静岡鉄道御門台駅で下車して JR 草薙駅まで歩いている。その途中、清水草薙 2 丁目で『えいしん』という中華料理店を見つけたのだった。

■『えいしん』の餃子。おいしい餃子をありがとうございました。
SONY DSC-T1

どんな味のラーメンだったかなぁと記憶を辿っても思い出せない。

ラーメンのスープというものも「縁」の固まりのようなものかもしれない。

固まりのようなものだけれど、素材から抽出されたどろっとした液体の連続に過ぎないので「縁」などと形のあるものとしてつかまえにくい。それでも「縁」の積み重なりを食べさせていただいていることの手触りが欲しくて、わざわざネット上に他愛のない日記を書いたりするのかもしれない。その日の日記にはそう書かれていた。

■『えいしん』のラーメン。おいしいラーメンをありがとうございました。
SONY DSC-T1

「もの凄くさっぱりとしたスープの上に煮詰めた豚の脂が液化して表面を覆うように浮いており、これ見よがしに振り入れたような背油とは違い、かなり熱く、いつまで経っても冷めない。チャーシューと言うより塩茹でした豚に近い肉片が浮かび、その切り口の赤みに驚くが、カウンタに置かれてから見る見る火が通っていくので、いかに熱いかがわかる」

今になって見返すと、後にファンになった清水浜田町『かしの木亭』のチャーシューに酷似していて驚く。『かしの木亭』のチャーシューにオニオンスライスをたっぷりのせラーメンのタレをチョロッとかけて貰ったやつでビールを飲むのが好きだ。

■かつて『えいしん』を見つけた時の写真
RICOH Caplio R1 

『えいしん』が店を閉じられる理由を知らないけれど、考えてみたら「 38 年続けた…」ということはわが母が営んでいた飲み屋や、『かしの木亭』のお母さんが開かれた前身であるラーメン屋の開店時期ととても近い。僕はまだ坊主頭で清水市立第二中学に通っていた時代のことだ。

そんなことをしみじみと思い出すと、生きているということも、一杯のラーメンも、みな不思議な「縁」の固まりのようなものに思われるのだ。

閉店の日に立ち会ったという友人からメールと写真をいただいたのでこちらに掲載させていただきます 。

「昨日の『えいしん』の日記を読んで自分のことのように嬉しくなりました。
今日の昼に最後の食事をしてきました。
昼時は自然とお客が集まる店でしたが今日はまさに満席で外には席が空くのを待つ人までいました。
店内はお得意さんが持って来たと思われる花がいっぱいでした。
愛された店だったのですね」。

「お勘定をして帰るお客さんに『えいしん』の奥さんの
「ありがとうございました。お元気で」
の挨拶が心に残りました」

お便りありがとうございました。
そして『えいしん』さん、お疲れ様でした。

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【清水ナショナルトレーニングセンター】

【清水ナショナルトレーニングセンター】

静岡県静岡市清水区山切1487-1の清水ナショナルトレーニングセンター。

話には聞いていたけれど、三池平古墳に隣接しているとは知らなかった。
友人によるとレストランの食事はなかなか美味しいらしい。
宿泊だけでの利用もできるそうなので一度泊まってみようかなと思う。

RICOH GR Digital + GW-1

日韓共同開催の2001年ワールドカップサッカーでここを練習場にしたロシア代表が「ここじゃイヤだと言って日本平観光ホテルに行っちゃった」と地元の友人が苦笑いして説明してくれたが、そういうことは一生忘れないんだろうな、と可笑しい。

三池平古墳もそうだけれど、この地域は散歩してみたい古い寺や遺跡も多いので僕は是非泊まってみたいのだけれど。

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▼021……秋葉原ガード下


東京都千代田区外神田一丁目。

秋葉原電気街の大型店は“たいへん”だ。
ヨドバシカメラマルチメディアAkibaは連日押すな押すなの盛況なのに
昔ながらの大型電気店は閑散としている。

     撮影日: 06.10.20 1:22:32 PM
     RICOH
     GR Digital + GW-1(35mm判21mm相当)
     露出時間:1/760
     F値: 3.5

どちらかと言えば判官贔屓なので
暇そうな昔ながらの店で買ってやりたいし、
ヨドバシカメラマルチメディアAkibaより安いものが多いのだけれど
品揃えの厚さが全然違うし、その差はどんどん開いているように思う。

ヤマギワ本店跡にはソフマップが入るそうで
“たいへん”はますます加速しそうな気がする。

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【出エジプト記と梶原一族の最期】

【出エジプト記と梶原一族の最期】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 10 月 23 日の日記再掲

早いもので中越地震から丸 2 年が経った。

速報で見た地震直後の映像が脳裏に焼き付いたように痛々しくて忘れられないのは、東京でのガン治療に見切りをつけ、再び清水でひとり暮らしを始めた母に付き添うため、毎週末の介護帰省をしていた時期のことだからだ。
 
介護用ベッドの小さなテーブルに用意した食事をのせ、ぼんやりテレビを見ながら夕食をとっていた土曜の午後 5 時 56 分、中越地方を中心とした巨大地震が発生し、6 時を回って次々に生々しい映像が届き始め、びっくりして見入ったからである。

2006 年 10 月 18 日、NHK 教育テレビで『出エジプト記の “真実” ~奇跡は本当に起こったのか?~』という番組(原題は『Exodus Decoded』)を見た。

預言者モーゼがエジプト人の圧制に苦しむヘブライ人奴隷(イスラエルの民)を連れて約束の地への旅に出た際、奴隷たちが歩いて渡った紅海の底に追跡するエジプト軍が足を踏み入れたとたん、再び海水が流れ込んで全滅させたと旧約聖書中の第 2 書、モーセ五書の一つ(トーラー)にある。それが実際に起こったことだと実証して見せようという歴史エンターテイメントなのだけれど、映画『タイタニック』のジェームズ・キャメロンが絡んでいることもあってか、なかなかよくできていて夢中で見た。

■静岡県清水。三池平古墳後円部頂上。小屋はミカン農家の作業小屋ではなく、露出した石室の覆い。十階より高いこの山は清水では太古よりシナイ山と呼ばれ誰でも気軽に登れる「市内の山」という意味である(嘘)。
RICOH GR Digital + GW-1

「イスラエルの民の出国を妨げたがゆえに未曾有の災厄に襲われた」
とエジプト人が考えて出国を許可したと言われる天変地異、それが実際に起こったことを前編で証明し、後編は出エジプト記のクライマックス、海が割れて道をつくってイスラエルの民を逃し、再び閉じて追うエジプト軍を飲み込んだという奇跡の謎解きになる。

紅海は大地溝帯(Fossa Magna ラテン語)に水が溜まってできたもので、モーゼ一行が渡ったと推定される場所は一面の蘆原だった。大地震などの影響で水が引いて海底が露出する現象は知られているとおり、その状態をうまく利用して渡りきり、再び津波のように押し寄せてきた海水がエジプト軍を飲み込んだのだと彼らの仮説は言うのだ。

そんな番組を一杯飲みながら見ていたら、不意に郷里静岡県清水における鎌倉時代の武将梶原景時一族の最期を思い出した。

【梶原景時(かじわらかげとき)】 鎌倉初期の武将。通称平三。石橋山の戦いで源頼朝を救った。源義経を讒(ざん)して失脚させ,のち頼家に結城朝光を讒したが,三浦義村らの弾劾を受けて鎌倉を追放,狐崎で戦死。(三省堂新辞林より)

鎌倉を脱出し東海道を京めざして西進し、清水平野にさしかかったところで土豪の待ち伏せを受け、激しい戦闘の末に一族は討ち死にするのだけれど、当時一面の蘆原だった清水平野が騎乗した梶原一族に味方しなかったことも運のなさのひとつだったかもしれない。

■静岡県清水。千歳橋のたもとから見る巴川。昔の清水は一面こんな蘆原だった。
RICOH GR Digital + GW-1

清水では古来より大地震に襲われる度に土地の隆起沈降が起き、人々の運命に少なからぬ影響を及ぼしてきた歴史がある。

もし突然起こった天変地異で歴史が今伝えられているものとはとは違っていたとして、
「その時突然東海地方を襲った巨大地震によって当時清水平野を覆っていた蘆原の水が引いて、ある一カ所がさながら海が割れて道ができたがごとくになり、梶原一族はそのただ中を駆け抜け狐ヶ崎を矢のように通過し、無事京へと落ち延びて行ったのでありました。追おうとして再び押し寄せてきた水に飲み込まれた土豪たちと梶原一族の運命を分けたもの、それは偶然に起こった天災だったのであります、司会の松平です、その時歴史が動いた‥‥」などといわれたとしてもちっとも嬉しくも面白くもない。

当然清水っ子は梶原一族などより地元土豪の味方だし、大地震で命を落としたかもしれない地元清水の民の方がもっと痛ましいわけで、出エジプト記の奇跡の裏で天変地異によって命を落としたエジプトの民と、海に飲み込まれて藻くずと消えていったエジプト兵士の無念さに思いあたり、あらためて被災地エジプト人の身になって鎮魂の日に黙祷する。

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▼020……昌平橋スケッチ


東京都千代田区外神田一丁目。
神田川にかかる昌平橋橋上でスケッチをしている中高年男女の一群がいた。

大勢で連れ立って何かをするということには向き不向きがあり、
風景のスケッチは後者の最たるもののように思うので嫌だなぁと思うのだけれど、
ここからの景色なら大勢で連れ立って写生してもいいな、と思う。

     撮影日: 06.10.21 10:43:24 AM
     RICOH
     GR Digital + GW-1(35mm判21mm相当)
     露出時間:1/470
     F値: 7.1

昌平橋から御茶ノ水橋までの神田川両岸は位相幾何学的構造になっていて
眺めているだけではなく、写真を撮ったりするだけではなく、
丹念に観察しながらスケッチすることで
それはとても良い頭の体操になるし、
町の成り立ちを考えることでいろいろな事情への理解力が養われると思う。

それより何より、きっと描き上がった絵がとても個性的で、
他人の絵を見せて貰うこともまた楽しいに違いないと思うからだ。

久しぶりに仲間に加わりたくなるような写生会を見た。

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【オーブントースターとかまきり続報】

【オーブントースターとかまきり続報】
 


庵原の友人宅にあるオーブントースターの上に
遊びに来ていたかまきりは今も滞在中だという(2006年10月22日 11:54:59:JST)。



「おかしみ」というのは不思議なものだ。

オーブントースターとかまきりの組み合わせがそもそも可笑しいし、
「オーブントースターの上で一泊して、うんちを数個しました」
と書かれているのを読んだらもっと可笑しい。

そして
「昨日ポタンと現れて、昨日からはリビングで過ごしていたらしいです」
と聞かされると
かまきりとの暮らしというのも「いとおかし」と思えてしまう。

「おかしみ」をありがとう。
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【聖ヤコブの肖像】

【聖ヤコブの肖像】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 10 月 22 日の日記再掲

 

静岡県清水入江三丁目。
旧東海道江尻宿を出て駿府方向に向かって歩くと小さな石柱があり「江尻宿木戸跡」とある。そのちょっと先右手角に『肉のタガヤ』があって小さな路地が旧東海道と交わる交差点になっている。かつてその路地は海船川という川だったのであり、旧東海道には海船橋という石橋が架かっていた。

『肉のタガヤ』角を右折して路地を進むとそれはかつての海船川を辿ることとなり、昔は河岸に松並木があったという。その先は国道 1 号線大曲交差点、見事な五芒星のような五差路を構成する白髭神社前の道に出るのだけれど、そのちょっと手前左手の路地奥に聖ヤコブ清水教会がある。

■静岡県清水入江三丁目の聖ヤコブ清水教会
RICOH GR Digital + GW-1

五芒星で思い出したのだけれど、平安時代の陰陽師(おんみょうじ)安倍晴明は五行の象徴として五芒星の紋を用い、それは安倍晴明の桔梗印と呼ばれる。この大曲五芒星交差点に接した入江の地は、かつて江尻城が廃城となった後、武田の陰陽師たちが暮らしていたという。

■聖ヤコブ清水教会
RICOH GR Digital + GW-1

昔むかし、「こちらで結婚式を挙げさていただけませんか」と訪ねたころの聖ヤコブ教会は、もっと小さくひっそりとしたたたずまいの教会だったように思う。後に知ったのだけれど、聖ヤコブ清水教会は妻が富山で通った教会と同じ日本聖公会に属している。

懐かしく空の十字架を見上げていたら、そもそも聖ヤコブってどんな人だったのだろう思う。

聖ヤコブはキリスト十二使徒のひとりで、スペイン語では Santiago(サンティアゴ)という。ということは南米チリの首都の名であり、チリの首都は正式には Santiago de Chile という。

スペインにもう一つのサンティアゴがあり、迫害を受けてパレスティナで殉教した聖ヤコブの遺骨が、9 世紀スペインの Santiago de Compostela(サンチアゴ・デ・コンポステラ)で発見されたことにより、エルサレム、ローマと並ぶキリスト教三大聖地のひとつとなっているという。

漁師の息子であり、雷の子(ボアネルゲ)と呼ばれるほど気性が激しく、苦悩の祈りを捧げるキリストの脇で寝込んでしまうほど剛胆な人物だったというので、いったい聖ヤコブはどんな容貌をしていたのだろうと気になる。

十二使徒のひとりならば『最後の晩餐』に描かれているはずなので、レオナルド・ダ・ビンチはどんな風に描いたのかしらと調べてみた。向かって左から二番目の人物が聖ヤコブであり、豪胆な性格の割に繊細な風貌をしている。こころの中は見かけではわからない。

 

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【オーブントースターとかまきり】

【オーブントースターとかまきり】
 


庵原の友人の家の中にあるオーブントースターの上に
かまきりが遊びに来ていて
いかに田舎の家とはいえびっくりしたので
携帯電話で撮影して送ってくれたという(2006年10月19日 20:22:30:JST)。



「田舎家の中のオーブントースターとかまきりの偶然の出会い」

ロートレアモン「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会い」風の
シュールレアリズム的タイトルをつけて掲載させていただきます。


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【宝久寺にて】

【宝久寺にて】

静岡県清水元城町。

渋川経由砥鹿神社お日待ち行きの途中、通用門から宝久寺墓地に入って墓参りをし、正門側へ回ったら作務衣に不思議な帽子をかぶった
ご老人が笑顔で深々とお辞儀をされ、振り返ったらすたすたと寺に入って行った。
あれが宝久寺のが住職だろうか。

だとしたらなかなか好感の持てる人物だった。

 RICOH GR Digital + GW-1

元々が徳川に連れられて駿府築城の際にやってきて、粘土のとれる巴川沿いに定住した三州瓦職人の子孫であるせいか、地蔵尊をおさめた小さな祠の屋根瓦がとても気になる。

祠の中のお地蔵さんの後ろを調べたら、過ぎ去った時代へ遡るための小さな扉が隠されているような気がして妙に懐かしい夕暮れ時である。

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【相生町スカイライン】

【相生町スカイライン】

ボブディランに『ナッシュビルスカイライン』という妙に明るいアルバムがあった。

町にビルがニョキニョキと生えていくことが、進歩的な風景であるというなら、そこにあったビルがなくなるというのは退歩的な風景ということになるかも知れない。

RICOH GR Digital

でもこうやって相生町旧花菱のビルがなくなってみたら
こういう風景も悪くないなぁと思う。
9.11、ニューヨークで巨大建造物が崩れ去るのを見てから
ビルの乱立が一概に進歩的風景に見えなくなってきた。

RICOH  GR Digital

感傷抜きで鑑賞すると妙に明るくて更地化という進歩もあっていいような気もし、そちらの方がよりよい未来への進歩のように思えてしまう。

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【パチンコ屋とトロッコ橋】

【パチンコ屋とトロッコ橋】

静岡県清水東大曲町。

坂政合板跡地はパチンコ屋になるのだという。
渋川在住の友人のお義父さんに会いに行く途中、ちょっと気になったので川久保橋まで行ってみた。
パチンコ屋の建設現場が気になったのではなくトロッコ橋がまだあるかどうかを確かめに行ったのだが夕日を浴びて巴川にかかっていた。

RICOH GR Digital + GW-1

それにしても渋川一丁目の川沿いの家で飼われている犬たちは非常に良い番犬で通りかかる人に向かって良く吠える。
心臓が3回くらい停まりそうになった。

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【大曲ノート】

【大曲ノート】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 10 月 19 日の日記再掲

静岡県清水大曲(おおまがり)。

国道や県道が交わってできた見事な聖なる五芒星を大曲交差点といい、このあたりの地域をおおざっぱに「おおまがり」と呼んだりする。中学一年生の春、そのほんの一時期この大曲で暮らしたことがある。

【写真】国道1号線大曲交差点
RICOH GR Digital + GW-1

インターネットで知り合った友人のお義父さんが地域のことに詳しそうなので、お話を聞きに渋川のお宅までうかがった。

その道すがら、一時仮住まいしたした棟割り長屋があったあたりを歩いてみた。40 年も前なので町の景色もすっかり変わっていたけれど当時のままの工場や倉庫もわずかに残っている。

■静岡県清水西大曲町。中学校への通学路にあった倉庫
RICOH GR Digital + GW-1

■静岡県清水西大曲町。この場所には大きな製材所があった
RICOH GR Digital + GW-1

町にはそれぞれ、その町固有の匂いがある。

入江地区ならさくらももこ実家並びにあった「大和パン」でパンを焼く匂い、「バンの店」や「あおやま」で清水おでんやツボ(ばい)・キシャゴ(ながらみ)などの貝を煮る匂いを、当時の風景とともに懐かしく思い出す。

■静岡県清水渋川 1 丁目。かつて伯父の家があった辺り
RICOH GR Digital + GW-1

そして大曲や渋川あたりは戦前重工業の工場誘致が行われた土地なので現在に至るまで鉄鋼所などが多く、西大曲で暮らした春から梅雨にかけての思い出は今でも鉄の匂いとともにある。

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【櫻珈琲に出逢う】

【櫻珈琲に出逢う】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2006 年 10 月 18 日の日記再掲

 

かつて杉並区高円寺南『七つ森』という喫茶店に、与那国島出身の若者が働いていて、『七つ森』にも足繁く通ったし、並びにあった『櫟(くぬぎ)』という家庭的な居酒屋の常連同士ということもあって、彼は高円寺南時代、芋づる式に増殖した友人のひとりだった。

彼は珈琲好きが高じて、単身上京して珈琲修行をしており、都内の名店に勤めて腕を上げ、将来の夢は故郷与那国島に帰って日本一美味しい珈琲の店を開くことだとキラキラした瞳で語っていた。

今から30年ほど前のことであり、当時東京ではオールドビーンを深く焙煎したほろ苦い珈琲を出す店が流行っていた。

美味しい珈琲豆を用意し、店舗設計や内装やネーミングのみならず経営方法まで一切合切まとめてプロデュースする有名な方がいて与那国島出身の青年も信奉しており、彼からその系列の店を紹介して貰っては休日になると珈琲を飲みに出掛けたものだった。彼に教わった店の中で、僕は四谷三丁目の裏通りにあった『カフェ・クリヨン』という小さな店が大好きだった。

彼が吉祥寺にある珈琲研究家標(しめぎ)交紀さんが営む珈琲店『もか』に移った頃には、僕も結婚して三鷹市上連雀に住んでいたので何度か珈琲を飲みがてら歩いて会いに行ったけれどその後の消息を知らない。

■自家焙煎工房 櫻珈琲 〒424-0837静岡県静岡市清水区桜橋町8-34
RICOH GR Digital + GW-1

桜橋町。
今は亡き母と散歩していたら、裏通りにちいさな珈琲焙煎店があり、その名を『櫻珈琲』といった。2000 年夏の開店だそうなので今から 6 年くらい前のことである。

母は不思議な人で、おいしい珈琲でも飲もうかと喫茶店に誘うと喜ぶくせに、自宅で珈琲を淹れようかというといらないと言う。そのくせ、
「お母さんはいらないけど、あんたは是非淹れて飲んで」
と言い、そのわけは
「お母さんは珈琲の味より香りが大好き」
なのだそうで、珈琲を淹れる香りのある暮らしが母の憧れだった。

■『あっ朝市』会場での出張販売。店主が淹れてくれる珈琲が嬉しい。
RICOH GR Digital + GW-1

友人である清水美濃輪町の魚屋も出店して清水総合運動場第 2 駐車場で開催される『あっ朝市』。母と自転車に乗ってでかけ、珈琲豆販売のお店で美味しい珈琲を飲ませてもらい、どこから来ているのだろうと思ったらあの『櫻珈琲』だった。

そのうち友人からのお歳暮に『櫻珈琲』の珈琲豆詰め合わせが届き、インターネットを通じて知り合った多くの友人が『櫻珈琲』と関わりがあると言う。これは一度行ってみようとお店にお邪魔して話をうかがっていたら、帰ってきたご主人が中学の 1 年先輩だった。サイトにリンクされている PC 販売サイトは従妹夫婦の店だったりする縁にも驚いた。

■櫻珈琲店内で珈琲談義に花が咲く。
RICOH GR Digital 

いつか珈琲豆の焙煎販売をするのが憧れだったという女性店主に淹れていただいたおいしい珈琲を飲みながら、与那国島でおいしい珈琲を飲んで貰いたいと夢を語った青年、かつて僕と同じ電機メーカーに勤め退職して自営の店を持った従妹夫婦、そして珈琲を淹れる香りにひたって幸せそうだった母、それぞれの憧れを芋づる式に思い出した。

珈琲には味と香りという憧れがあり、それを鍵にして人と人とを芋づる式に繋いでくれる不思議な飲み物なのかもしれない。

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【山下天どん店新装開店】

【山下天どん店新装開店】

『山下天どん店新装開店』その華々しい開店風景が嬉しくて写真を撮った高校生時代があった。

あれから約35年の歳月が流れ、山下天どん店の閉じられたシャッターに張り紙があった。


「…当店は老朽化のため現在地に三階建の店舗を来夏五月完成をめざし新築することとしました」
9月末日を以て営業を一時中断し、来年5月に再び新装開店するという。

よく山下天どん店ご主人に鰻を出前して貰った築五十二年の老朽化したわが生家。
その取り壊しも新装開店の頃には終わっているだろうか。

風薫る五月が待ち遠しい。

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