路上の経済学

2014年6月25日(水)
路上の経済学

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小学生時代を過ごした東京下町では紙芝居を見た記憶が無い。いま思えば、神社も公園もない長屋と町工場ばかりが建ち並んだ狭苦しい町だったので、紙芝居屋も店開きする場所すら見つけられなかったのだろう。

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同じテキヤ稼業でもカタ屋という不思議な商売が、下校する子ども目当てに校門近くで店開きしていた。大小さまざまな素焼きの粘土型を並べて売っており、それをカタと言い、その商売人をカタ屋と呼んでいた。カタを買ってそれにふさわしい量の泥粘土を買い、凹みに押し込んで型どりし、絵柄に応じて浮き彫り状になった粘土を取り出してイロという粉を買って彩色する。彩色を終えたものを作品として提出すると、カタ屋のオヤジが採点して点数券が貰える。点数券は金券なので集めるとさらに大きなカタの購入に充てることができた。

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カタ屋遊びのルールは複雑で、材料となる粘土やイロは金券ではなく現金で買わなければならない、品評会にはひとつの作品につき一回しか出すことができない、品評会に出して金券を貰った作品はオヤジに潰されてしまう、などという決まりになっていた。

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オヤジに褒められるのがうまいやつや、金券を貯めてもらった大きなカタが自慢のやつを横目で見ながら、どうしても熱中することができなかったのは、その経済的な仕組みに納得がいかなかったからだ。

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放課後の貴重な時間をわざわざ割き、こっちが金を払っているのに労働をさせられ、オヤジの一方的な評価を甘んじてうけ、作品は品評会後に没収されてしまい、その対価として残るのはボール紙で作った金券だけで、お金を払った分だけお腹がふくれるわけでもないのだ。お金を払ってこんな事をして自分は何を得ているのだろうと疑問に思い、小さなフグの粘土型をひとつ買っただけで深入りせずにやめてしまった。

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カタ屋に比べてわかりやすかったのが同じく校門近くで店開きしていた笛屋で、子どもを集めて、作って、吹いて、見せては売っていた。その笛は小さな金属板をハサミで切って器用に曲げて細工したものだった。糸をぐるぐる巻かれた小さな笛を口に入れて前歯ではさみ、息を吹いたり吸ったりするとブーブーと音がするのだが、うまく鳴らせない子には吹き方を教えたり調整してくれたりもした。

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お金を払って買っている子の横から、 「飲み込んだら危ないから買うなって先生が言ってたよ」 と言った子がおり、笛屋のオヤジはギョロリと睨んで 「子どもじゃなかったらぶん殴ってやるところだぞ。おじさんはこの笛を売って家族にご飯を食べさせてるんだ。笛が売れなかったら一家そろって飢え死にしなくちゃならないから、こっちだって命がけで商売してるんだぞ」 と言い、また笑顔に戻って笛を作っていた。

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子どもの言い分も、オヤジの言い分も、どちらにも一理あるなと子ども心に思っているうちに、カタ屋も笛屋もふいっと姿を消したまま来なくなってしまったが、紙芝居も含めた路上の物売りたちは、労働とはなにか、お金とはなにか、社会と経済のしくみとはなにかを学ぶための、巡回入門講座だったのかもしれないなと思う。

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あらわざ桜島

2014年6月20日(金)
あらわざ桜島

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仕事が忙しくても飲む時間を削らないのでこんなことになると言う出版社社長を手伝って、大急ぎの仕事を仕上げたら鹿児島の芋焼酎をもらった。芋焼酎『あらわざ桜島』という。

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お湯割りで飲んだら非常においしくて「南薩摩産さつま芋『黄金千貫』を原料に、特許『磨き蒸留』により生み出された芋焼酎です」と醸造元サイトに書かれていた。

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芋焼酎お湯割りと薩摩揚げと名物親爺で有名な古い居酒屋に通った青春時代があるが、人事不省にならない夜と、頭が割れない翌朝はなかった。あれはいったい何だったのだろうと思う。

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子どもの頃は、おやつでもおかずでも、さつま芋とはなんておいしい食べ物だろうと思った。そういうおいしい食べ物から作った酒もまたおいしいという当たり前のことを、子どものように喜べる芋焼酎に、ようやく出会えた気がする。

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呑んだ感想をひとことで言いあらわすなら
「子どもの頃のようにおいしいさつま芋のお酒です」
という微妙な表現になるが、原材料のコガネセンガンはおとなの飲み物づくりだけでなく、菓子の材料にも用いられているという。

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神様の不在

2014年6月19日(木)
神様の不在

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体調を崩して入院している義母の熱が下がらない。夕食食事介助に出かけた家内から「かあさん、どうしちゃったんだろう」というメールが入ったので、明日も病院付き添いがあることだし、あとは神様にお願いして戻ってこいとメールを書いた。

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義母も家内も洗礼を受けたクリスチャンだが、神様がそばにいてくれるというのはありがたいことだ。精神の安定を失っているように感じれば神様が言いそうなことを言ってなだめるし、三人称他者の助けが必要な局面では「あとは神様にお願いして戻ってこい」などと言えるのだ。

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わが母も自分も葬式仏教徒の無信仰なので、末期ガンの告知をうけたあとの二年間を寄り添って過ごしたが、神様の意見が聞けたり、人智の及ばないことをお任せすることなどできなかった。親子ふたりでまんじりともしない夜を過ごすと、神様という親を持たない子どものように感じたものだ。

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それでも親子で多少不遜で好き勝手なことを言いながら、不運をのらりくらりとかわして過ごした楽しい日々もあった。信仰を持たない者に強みがあるとすれば、ときどき羽を生やして現実世界を逃れ、人間以上神さま以下の領域に飛翔する自由があることかもしれない。

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地下の結界

2014年6月19日(木)
地下の結界

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永田町駅、地下鉄有楽町線のホームは幅が広い。その幅の広いホームにはガラス張りの部屋があり、駅員の詰め所になっている。

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駅が作られている場所が国会議事堂にとても近いこと、駅が作られている位置が非常に深いこと、ホームの幅がとても広いことなど、詳しい人なら知っているさまざまななおとなの事情がありそうだが、そういうことには疎くてまったく知らない。

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そういうことよりも、中が見えるのに触れることを許さない結界のようなものに、子どもの頃からひどく興味をひかれることの理由に興味がある。興味があるのでつい立ち止まり、不思議な整頓のされ方をした詰め所内を写真に撮ったりしてしまう。

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面白いなぁと思いつつ何枚も写真を撮ってしまい、ふと向こうを見たら駅員がこちらを見ていた。駅員は駅員で、あんなものに興味を示して写真を撮るというのは、面白い人間だなぁとでも思っているのだろうか。

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古楽の楽しみと留守録ラジオ

2014年6月18日(水)
古学の楽しみと留守録ラジオ

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NHK-FM で毎週月曜から金曜、午前6時から6時55分の時間帯に放送されている『古楽の楽しみ』を予約録音し、見たいテレビ番組のない晩酌タイムに大音量で聴いている。

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昔はラジオを買うなら SONY と決めていたのだけれど、思えば VHS のビデオを出し始めたころからの同社製品は使いづらく、「いったいこの機械を誰が使うの?」と思わされる体験を繰り返したくなかったので、高齢者の利用が明確に意識されている Panasonic のもの(★1)にした。


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予約録音が終わり MP3 ファイルとして保存されたものをパソコン経由で Dropbox に保存し、それを自宅のテレビにつないだ Android タブレット経由で聴いている。テレビ画面には音楽プレーヤの画面が静止画のように映っているだけなので、かえって集中できるメリットもあり、音楽室タイムなど呼んで楽しんでいる。

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月曜日はラウテンヴェルク別名リュート・チェンバロという、金属弦ではなくリュートで用いるガット弦を張った楽器の音色を初めて聴いた。火曜日は1700年頃から19世紀初頭までのピアノであるフォルテビアノの演奏、そして大正琴みたいな音のするクラヴィコードの演奏を聴いて感動した。

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聴き終えて音楽室タイムを終え起立・礼・着席をしながら、古楽を聴くのがこんなに楽しくなったのも、デザイン優先から使い勝手優先の物選びになったのも、たんに自分が歳をとったに過ぎないのかもしれないなとも思う。起立・礼・着席。

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★1 Panasonic のもの
RF-DR100-W

 

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自由を拾う

2014年6月17日(火)
自由を拾う

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子どもの頃から小石を拾うのが好きで、とりわけ執着があって捨てられなくなったものは、ズボンのポケットに入れて持ち帰り、取り出すのを忘れたまま洗濯に出してよく叱られた。

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石というのは時の流れに逆らって永久不変の姿をしているように見えることで、信仰の対象となるくらいに人を超越した小さな自由であるともいえ、この小さな自由は自分にとってかけがえのない大切な物であると宣言しても、小石の私有などに誰も異議を申し立てることはない。

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さすがに子どもの頃ほど積極的に小石を拾うことがなくなり、拾っても持ち帰ることはさらに少なくなったけれど、数年にひとつくらいポケットに入れて持ち帰ってしまう小石がある。

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この小石は 2012 年の夏、編集委員をしている雑誌の取材で郷里静岡県の興津川上流をひとり歩きしたとき、武田氏がひらいたと伝わる峠越え道四十坂をめざす布沢川沿いで拾ったものだ。

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道の真ん中に車がはね飛ばしそうな小石が転がっていたので、路肩山側に蹴り出したが、ころころ遠くまで転がっては道の真ん中に戻ってくる。そういうことをなんど繰り返しても、戻ってきては行く先で待ちかまえているので
「そうか、お前は一緒に行きたいのか」
と心の中でつぶやいて、ポケットに入れた。

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みごとに踏み分けられたつづら折れの四十坂を登ったら尾根沿いに山の吉原(清水の年寄りは東海道吉原宿と区別してそう呼ぶ)に出たので、伊佐布、庵原を経由し、坂道をころころ転がるようにして清水平野に戻った。

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自由というのは自らすすんで縁を感じ、そっと拾ってポケットに入れ、ころころ転がりながらともに歩む小石のようなものであり、伴侶とはそもそもそういうものだ。

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赤い世界

2014年6月16日(月)
赤い世界

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会議にやって来た同い年の女性が着くなり、視野が突然うすい赤味を帯びた紫色に染まっているのに気づいて驚いたという。医者にかかりたくない一心で楽観的な憶測を並べ立てているので「ちゃんと病院に行って検査してもらった方がいいですよ」と脅しておいた。

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老人ホームで暮らす義母の足に赤い腫れが広がり、発熱して食欲もないというので病院に連れて行ったら蜂窩織炎(ほうかしきえん)だという。そのまま一週間ほど入院して抗生物質の投与を受けることになった。

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抗生物質が効かなかったら MRSA の疑いがあるのだけれど、入院翌日に見舞ったら熱は下がっていたので安心した。冷やされている足はまだ赤くて痛々しいが、抗生物質が効いてきたようなので、腫れも次第にひいてくれるものと思う。

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病院見舞いから戻った翌日は日曜日で、朝食時にテレビをつけたらサッカーワールドカップブラジル大会、日本対コートジボワール戦の中継が放送中だった。

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1 対 0 でリードしたままハーフタイムに入ったので、コーヒーを飲みながらふと腕を見たら真っ赤に腫れており、自分にも蜂窩織炎が発症したのかと思ってびっくりした。

|サッカー中継を見終えたので買い物に出た。坂道の途中に、探検家ブーガンヴィルがブラジルで発見したのにちなむという、ブーゲンビリアが咲いている|

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考えてみたら 45 分間の緊迫した試合を、瞬きもしないくらい集中して眺めていたわけで、手入れをされた緑の芝を見続けたことにより、赤い補色残像が視野内に発生しているのだった。

|植え替え後のあらたな芽吹きが始まった。六義園から飛来しベランダで発芽した実生から育てているカエデ(愛称吉保)|

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そうか、会議に向かう女性もまた、静岡市内の街路樹をぼんやり長時間眺めていたのかもしれないなと思う。そういう楽観的な憶測は伝えない方が良い気もするので日記に書くだけにしておく。

 

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田端銀座なう

2014年6月15日(日)
田端銀座なう
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人の身体が世界に対して働きかけるとき、その働きかけによって生じた結果が他者に影響を及ぼさずにはおられないという意味において、建築とは善し悪しに関係なく暴力であると思う。田端銀座のマンションが建ち、光景が一変していて驚いた。

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建築にはその暴力性こそを求められるという場合もあるのだと思う。郷里静岡県清水市にあった丹下健三設計の市庁舎は、黒々とした威圧感が好きになれなかった、港町には不釣り合いなほどハイカラすぎた、市職員には使いづらい建物だと不評だったなどの意見を聞き、丹下作品にはそういう暴力的な外面が戦後復興の求心力として求められたからではないかという話をした。

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田端銀座商店街を久しぶりに北東方向へ歩きながら、あのマンションが建つ前にこの通りを歩いたときは、どんな心持ちだっただろうかと思い出そうとしたが、目の前に大きな建造物がある光景に圧倒されて思い出すことができなかった。現実の風景が持つ暴力性とはそういうものだ。現実は記憶を蹂躙する。

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悪夢と選択肢

2014年6月5日(木)
夢と選択肢

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ひどい夢を見て目がさめた。あまりにひどいので、夢の中では声をあげて泣いていた。

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夢から覚めて胸をなで下ろしながら、実際そういうひどい目に遭っている人もこの世にいることを忘れないようにしようと思う。

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だが、目がさめてしばらく経つうちに少しずつひどさの記憶が薄らいでしまうのは、自分が夢から目がさめるという選択肢を生きられているからだ。

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ひどい目に遭っている人の本当の辛さは、生きて目がさめるということと、死んでしまって目がさめないということとの、選択肢すらないことなのだろう。夢から学んだ教訓としてメモしておこう。

 

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逃げ水

2014年6月1日(日)
逃げ水

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今年はじめて逃げ水(★1)を見た。初物なので大喜びしたが、自動車を運転していた頃はしょっちゅう見た。しょっちゅう見たので見た場所を言葉で名指しするのは難しい。

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徒歩以外の移動で公共交通機関を使うようになってからは、バスの前方に逃げ水を見ることが多い。バスには固定された路線があるので、見えやすい場所を特定するのが容易である。

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大宮駅東口から東へまっすぐのびる大通りが県道214号線で、市立大宮東中を左に見ながら通り過ぎたところで六差路になっている。斜め左上へ向かう道がおそらく古道で直進する新道に対して旧道ということになっている。この六差路の信号待ちに引っかかると新道東方向に逃げ水を見ることが多い。

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郷里静岡県清水でも逃げ水をよく見る場所がある。夏の清水駅前からバスに乗り、ロータリーを出て国道1号線を西に向かうと江尻東、大手町、小芝町西、江尻大和と続く交差点方向へ水が逃げていくのが見える。埼玉の県道も、清水の国道も、ともに緩やかな勾配があるので、そういう舗装道路は逃げ水が見えやすい。

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記憶の逃げ水も逃げていくので見失いやすく、とっさに逃げ水観察ができる場所あげたらこの二ヵ所しか思いつかない。真夏を思わせる陽気になったさいたま市で、偶然の信号待ちがあったので逃げ水の写真が撮れた。

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★1 「逃げ水」
逃げ水が起きる原理はとてもわかりにくいけれど、こちらのサイトの解説が最も優れていると思う。
『逃げ水 road mirage』

 

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