【文庫本サイズのカルテ】

【文庫本サイズのカルテ】

医者が書くカルテ(Karte)は臨床記録で、定期的に血圧をはかってもらうかかりつけ医も、毎回筆記体のドイツ語らしきものをサラサラと書いている。なんと書いてあるか読めないけれど、のたくった文字で医者が見立てた患者の自分がそこに筆写されている。

18 年ほど前にわが母を診察した静岡県立総合病院の医者は読みやすいドイツ語を書く人だったようで、横目で見て覚えたスペルを帰宅後調べ、そうか母はすい臓がんを疑われているのかとわかった。医者は患者を診ての「認識過程」を事後的にカルテに言語化している。感覚をことばにしておくことはたいせつだ。

本といっしょに持ち歩ける文庫本サイズ A6 規格 105 × 148 ミリのメモ帳が好きで、なんでもまめにメモしている。いわば目の前に現象することの「臨象記録」のようなものである。

そういうメモをパソコン内に取り込んでおくための簡便な文庫本サイズ用スキャナが文具としてあってもいい、あるんじゃないかと検索したら、かつてあったけれど絶版になったらしい。BenQ フォトスキャナー CP70 といってフォトプリントのデジタル化を商品名にした極小スキャナである。

開封わけあり新品が  ¥4,980 で Amazon にあったので買ってみた。割り切った文庫本サイズは当然ハガキサイズにも適合していて、読み込ませると SD メモリカードにどんどん溜め込まれていく。

読み込ませ終えたメモは丸めて捨てるので保存型シュレッダーとも言える。手書きメモ保存用としての自分のニーズに 300dpi はじゅうぶん適い、吸い込ませる「認識過程」が軽快なので便利に使っている。大掃除にも活躍中。

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【ゆく年くる年】

【ゆく年くる年】

子どもの頃から風邪を引くと耳の聞こえが悪くなる体質で、「人より耳の穴が狭いから少しずつ広げていこうね」、と優しく言ってくれた耳鼻科医から逃げたので、今でも風邪を引くたびに難聴に悩まされる。他人の声が聞き取りにくく、自分の声が頭の中で響くので、よほど気心の知れた相手でない限り、人付き合いがおっくうになる。

昔なら市販の風邪薬を飲めば数日で治ってしまったものだけれど、歳のせいか治りが遅くなり、どうやら難聴のまま越年しそうで悲しい。一生難聴のままなら、格段に進歩している補聴器のお世話になることに何の抵抗もないので、いっそ清々すると思うのだけれど、必ず治るという確信があるので我慢の日々が続く。

歳をとると “必ず治る病い” というのは少なくなる。
難聴に悩む義母には補聴器が役立ちそうに思ったりするのだけれど、老いを受容するのも本人にとっては容易でないらしい。杖や歩行器、入れ歯に頼る暮らしをいち早く受容した義父や実母に比べて、驚くほど健康体で暮らしてきた義母だからだろう。体裁より “聞こえる” 方がよっぽども良いのにと、僕は思うのだけれど。

「来年があなたにとって、もっと良い年でありますように」
さりげなく年賀状に書き添えて来た言葉が、今年はひときわ重い。来年は更に歳をとり、多少の浮き沈みはあっても更に病いが重くなって行く親たちがいる。

それでも何とか一年が終わり、それでも何とか新しい年が迎えられる大晦日。
ありがとう 2002 年と感謝し、明日の夜明けには、ありがとう 2003 年と感謝できることだけが、生きていることの喜びであるとつくづく思う。

来年は静岡市に実質合併吸収される静岡県清水市。
午前 0 時に停泊中の船舶から一斉に鳴らされる “清水市最後” の汽笛も聞き取りにくそうで、残念で仕方のない大晦日の朝を迎える。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 12 月 31 日、19 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【その都度】

【その都度】

「都度(つど)」という言葉にこめられた正しい意図は「その都度その都度」とくりかえすと、よりわかりやすい。物事はすべてその都度その都度ちがったかたちであらわれている。

「その人その人」「その時その時」「その場その場」など、つねに信頼できるのはその都度その都度の「あらわれ」であって、あらわれを概念化した「ことば」ではない。

その都度その都度の「あらわれ」に着目して、あらわされた「ことば」にとらわれてはいけない。「ことば」には矛盾があるけれど「あらわれ」には矛盾がない。


2021/12/30 DATA : NIKON 1 V1 NIKKOR VR 30-110mm

……というように読んだという読書メモ。二重拘束(ダブルバインド)にとらわれないためのこころがけであり、とても大切なことなので書いておく。

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【SCIENCE AND ME わたしの科学】

【SCIENCE AND ME わたしの科学】

あなたにとって、科学とは?

ノーベル物理学賞・化学賞・医学賞受賞者13人を紹介。女性が多いのが特徴。最後のそれぞれの「科学とは」はヒューマン。絵も美しい。

文  ……アリ・ウィンター
絵  ……ミカエル・エル・ファティ
訳  ……中井はるの
発行者……竹村正治
発行所……株式会社 かもがわ出版

日本語版デザイン……石原雅彦

Amazon

 

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【賑やかな酒場】

【賑やかな酒場】

親たちの介護で病院通いが足繁くなると、今まで気付かなかった医師一人ひとりの個性があらためて見えてきて面白い。

自分の得意分野に集中して治療一筋、家族の事情などが治療の現場に入り込むと、
「ここは病院だ、家庭のことは家庭で解決してください!」
と、言い放つ医師。
一方、家庭の事情、わが家の場合は両親の介護を考慮して、
「年末年始、デイサービスも休みでご家族も大変でしょうから、お父様も一週間ほど検査入院していただいたらどうですか?」
などと気配りをしてくれる医師もいてありがたい。

義父母のいない静かな年末になった。
介護でくたくたになっている妻に「何か希望は?」と聞いたら大塚駅前の老舗居酒屋に行ってみたいという。

午後4時半の開店と同時に駆けつけたのだけれど、既にカウンターは満席に近く、かろうじてカウンターの隅に二人分の席を確保した。
大学の先輩、太田和彦さんが著書で  “東京一燗の上手い店” と絶賛する「ぬる燗」を味わいながら杯を重ねる。次第に出来上がった常連から順にお勘定が始まるのが  18 時頃。
「今年もありがとうございました。良いお年を」
「お母さんこそ、来年も元気で。良いお年を」
常連と女将が交わす言葉が、しみじみと心地よく、妻は感極まって泣き出す。

義母は義父と同じ病院内で眠れる年末年始に安堵したらしいし、義父は日頃のデイサービスでの成果を早朝のベッドでの体操で披露して職員の人気者になっているという。

家族が病いを得るというのは、家族全体が病いを共有することであり、医師のちょっとした気遣いで家族全員が癒されることもある。しみじみと有り難い年末年始である。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 12 月 30 日、19 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【セコイア】

【セコイア】

小学生時代の学習図鑑で馴染み深いメタセコイアのセコイアは SEQUOIA と書くのかと青果店店頭で今日初めて知った。


DATA : SONY Cyber-shot DSC-L1

このセコイアブランドのメロゴールドというカリフォルニア産柑橘が食べてみたくなった。

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【三竦(さんすくみ)オートポイエーシス】

【三竦(さんすくみ)オートポイエーシス】

子どもの頃は漠然とだけれど三竦(さんすくみ)をとりいれた遊びをするたびに、その不思議な現象に感心していた。三竦を辞書でひくと、

① 蛙(かえる)は蛇を,蛇はナメクジを,ナメクジは蛙を,それぞれ恐れてすくむこと。

とある。子どもの頃によくやったのは「水雷艦長」と名づけられた遊びで、水雷艇役と駆逐艦役と戦艦役が三竦になっていた。

おもしろさのエッセンスを取り出せば、三人でじゃんけんをしてグー(0)、チョキ(2)、パー(5)が出揃ったときの、「円環に閉じてチカラの膠着した状態」が面白かったのだ。「水雷艦長」は水雷艇(0)、駆逐艦(2)、戦艦(5)の三竦である。


DATA : LUMIX DMC-TZ55

精神科医がオートポイエーシス ( autopoiesis =現象の種類を超えた円環システム)について書かれている本の中で、「内省(0)」「コミュニケーション(2)」「行動(5)」が三竦として挙げられていてなるほどと思う。感心した。三竦は生命の秘密に通じる「自発・生成・機関」と円環を成して回転し続ける発動機なのだろう。

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【汽笛の夜――清水みなと午前零時】

【汽笛の夜――清水みなと午前零時】

港というのは奇妙な場所である。

明治時代、全国各地に鉄道が敷設されていく過程で、鉄道が通じ停車場ができることに、反対する住民も多かったと聞く。住民が最も畏怖したのは、奇妙な乗り物に乗って「外部」から「ハレ」ではなく「ケ」が流入してくることであり、魑魅魍魎が出入りする「駅」というのは当時の人にはいかがわしいものだった。そういう意味では、「港」というのも、繋がっている外部が、異国であったり、時には冥界であったりする「海」なので、十分にいかがわしい場所なのである。

港に程近い場所に住んでいたので、自転車をこいで岸壁によく出かけた。少年にもそれなりの悩みや寂しさがあるわけで、夜になって一層いかがわしさを増した湾岸を、かえって恋しく思うこともあったのだ。岸や沖合に停泊している船の灯りが美しい。大型の船舶は当然の事ながら、小さな船にも小さな灯りが点っていて、あの下にいる人は、留守番役なのかしら、深夜も仕事があるのかしら、帰っていく陸上の家が無いのかしらと、岸壁に座ってぼんやり考えるのが好きだった。

   ***

清水には一歳年上の従兄がいて、同じ学校に通ったことはないけれど、歳格好が近いせいか幼い頃から、ことのほか仲が良かった。ある夜、その従兄が自転車に乗って現れ、「ちょっと岸壁まで付き合え」と言う。珍しいことを言うものだ、どうして家の中では駄目なのかしらと考えながら、自転車の灯りで倉庫街の道を照らして、暗い岸壁まで並んで走った。

岸壁から暗い海を見つめながら、しばらく黙っていた従兄は意を決したように、
「男と女ってのはさ」と、口を開いた。
「男と女って、やっぱりあれをするんだよ」
思春期まっただ中で、ニキビ面の従兄は、当時ベストセラーだったSEX の HOW TO 本を戸田書店で買って最大の疑問を究明し、その興奮を持て余したあげく、自転車を飛ばして年下の従弟に教えに来たのだった。男女の体の奇妙な対応を冗談めかして考えたことはあったけれど、いざ、そうして聞いてみると悪夢が現実になったような衝撃があり、
「ふうん…」
と、言ったきり次の言葉を探すことができなかった。無数の船の灯りの下に、ドックンドックンと心臓の鼓動を聞きながら息を潜めている無数の生身の人間がいることが妙にリアルに感じられ、暗い「人の海」にひとり投げ込まれたようで心細く哀しかった。年下に与えた衝撃の大きさに手応えを感じて満足したのか、従兄は再び自転車にまたがって帰っていった。

   ***

十二月三十一日、大晦日の夜、「螢の光」を歌って「NHK紅白歌合戦」が終わり、「ゆく年くる年」に画面が切り替わる頃、表通りには初詣に向かう人々の気配がする。そして午前零時ちょうど、港に停泊中の船が一斉に汽笛を鳴らし港町の闇を埋め尽くす。あの汽笛を鳴らしている人は、留守番役なのかしら、深夜も仕事があるのかしら、帰っていく陸上の家が無いのかしらと思う気持ちが今も変わらない自分がおかしい。ただひとつ変わっているのは、年を重ねるにつれ、無数の汽笛が描き出す暗い「人の海」が心細く哀しいものではなく、年々愛おしく思えていく自分に気づくことである。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2001 年 12 月 29 日、20 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【糖蜜ボンボンジングルベル】

【糖蜜ボンボンジングルベル】

妻が手づくりしている手回し式オルゴール 20 音オルガニートのお礼ということで、京都『俵屋吉富』の「糖蜜ボンボンジングルベル」というお菓子をいただいた。

指先ほどの小さなボンボンに繊細な手しごとででクリスマス風の飾りが施されている。


DATA : LUMIX GX7 ZUIKO DIGITAL MACRO 35mm F3.5   1 : 1 format

もったいなくて氷を溶かすようにちびちび食べ、クリスマスも終わったことだし食べ上げてしまおうということになったけれど、名残惜しいので記念の写真を撮っておいた。

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【明治神宮の御神籤】

【明治神宮の御神籤】

12 月 27 日、原宿界隈まで買い物に出たついでに、28 年振りくらいで明治神宮を散歩した。

すでに初詣客を迎える準備が整いつつある。
神様にお祈りをしたら、その答えをいち早く聞きたいのが人情なのか、わが母もそうだったように、かならず御神籤を引きたい人が多いらしい。大群衆相手に御神籤を売りさばくために、特設の売店が設えられるようだ。

明治神宮ともなると外国人の参詣者も多いのか、外国人向けの御神籤販売コーナーもある。
「POEM DRAWING」とあるのだけれど、この英語は正しいのだろうか?
和英辞典で調べると御神籤は「a fortune (slip)」であり「運命・運勢」などを記した「(紙,木などの)細長い切れ端」ということになる。これならなるほどと思うのだけれど「POEM DRAWING」というと「詩や韻文の抽選」ということになる。これでいいのだろうか。

神社で御神籤など引いたことがないのだけれど、明治神宮ともなると「失せ物・待ち人・縁談」などという下世話な問題への御託宣などではなく、ありがたい御詠(ぎょえい)でも書かれていて、それで POEM DRAWING なのだろうか?
うーん、知りたい!
知りたいけれどわざわざ出掛けていって引いてくる気にはならないし、友人は皆、正月は暖かい部屋でぬくぬくと酒浸りという神をも恐れぬ善男善女ばかりなので、永遠の謎になるのかもしれない。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 12 月 28 日、19 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【師走だんだん】

【師走だんだん】

午前中、仕事で使うコンピュータの中身を整理をしながら年末年始の準備をした。
 
乾麺というのは便利な食品で、茹で時間・蒸らし時間が異様に長い乾し饂飩は例外として、そうめん、冷や麦はもちろんスパゲティーも年寄りの介護に便利な保存食として欠かせないものだし、蕎麦も乾麺を愛用している。

島根の蕎麦に素晴らしい出来映えのものを見つけたので袋の裏を見て電話したら、インターネットはもちろん電話やファックスでの注文も難しそうで、通販どころではない家族総出の蕎麦作りをしているムードが伝わってきて感動しつつ諦めた。島根にルーツを持つ友だちに聞いたら、ありがとうを意味する「だんだん」も「だ~んだ~んよ~」のようにのんびり話すというけれどそんな雰囲気が電話の向こうから伝わってきた。

ネット通販よりもっと手っ取り早いのが「友だち通販」で、魚と珈琲は郷里静岡県清水の友だちから、蕎麦つゆは岩手県にある老舗蕎麦店の友だちから取り寄せている。年越しの蕎麦つゆが心細いことに気付き慌てて
「いつも通りひと箱お送りください」
とメールを書いたら
「お醤油大丈夫かな・・・、と思っていました。了解です。」
と返信があり、それだけで注文が済んでしまう。思えば昔、近所の個人商店でしていた買い物もそんな調子だった。「友だち通販」こそが最良の通信販売という気がして、島根の蕎麦屋も友だちのひとりだったら
「だ~んだ~んよ~」
で乾麺を送ってもらえるのにと残念で仕方ない。

昼食は熊本産の蕎麦を茹で、清水の鰹節でだしをとり、岩手産の醤油でつゆを作り、山芋をすり下ろして義母と一緒にとろろ蕎麦を食べた。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2008 年 12 月 27 日、13 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【冬木立】

【冬木立】

最近は夜更かししないので今でもそうかは知らないけれど、かつて東京の民放では深夜になると『箱根彫刻の森美術館』の宣伝が頻繁に流されていた。
「……とヘンリー・ムーアが深い箱根の森で語り合う」
という言葉が印象的であり、ふと、急に思い出したら気になって仕方なく、家内に
「ねえ、箱根の森でヘンリー・ムーアと語り合ってるのは誰だっけ?」
と聞いてみた。
「ロダンじゃないの?」
「ロダンとヘンリー・ムーアが語り合ったら面白い?」
「うーん、誰だっけ、ジャコメッティ?」
「ジャコメッティとヘンリー・ムーアが深い箱根の森で語り合う……違うなぁ」
 
ジャコメッティ( Alberto Giacometti )は 1901 年生まれであり、若い頃キュビスムとシュールレアリスムの洗礼を受けている。キュビズムで思い出した、箱根の深い森でヘンリー・ムーアと語り合っているのはピカソだった。
「そうだそうだ、『ピカソとヘンリー・ムーアが深い箱根の森で語り合う』だった」
と思い出したら宿便が体外に出たように気持ちがいい。

ヘンリー・ムーア( Henry Moore )は 1898 年生まれであり、1881 年生まれのピカソ( Pablo Ruiz Picasso )より 17 歳も年下であり、よく知らないけれど彼もまたピカソの影響を受けていたらしい。

冬空の台紙と冷気の透明フィルムに挟んでとめられた切り紙細工のように、木々の陰影が美しい。
自然の造形の美しさほど人の胸を打つものはない。

ヘンリー・ムーアの業績をあえて語れば、彼は記念像や装飾物から、そして自然の模倣から彫刻を解放したのだということになっている。

深い箱根の森で語り合うピカソとヘンリー・ムーアからも、美しい日本の冬木立が見えているだろうか。そして広大な敷地に並べられた互いの作品を眺めながら、冬空の下でどんな話しをしているのだろうか。

ヘンリー・ムーアにこんな言葉がある。
「太陽を浴び、雨に打たれ、雲の移り行きを感じるとき……彫刻は自然の営みと共にある」

写真:ピカソとヘンリー・ムーアに見せたい六義園の冬木立。
[Data:MINOLTA DiMAGE F100]

(閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 12 月 26 日、18 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【サミットストアの『クラフトBOOK』】

【サミットストアの『クラフトBOOK』】

サミットストアでの買い物に荷物持ち役でついて行ったら、サッカー台にサミット株式会社販促グループ発行の『HAPPY CHRISTMASクラフトBOOK』が無料で置かれていた。ハロウィン版をもらってきて組み立ててみたら好評だったのでクリスマス版でもやってみた。


DATA : OLYMPUS STYLUS XZ-1

ハサミもノリも使わず、指でパーツを切り離し、セロテープでとめるだけで飛び出す絵本が組み立てられ、文章が読めない子供でも ♠︎ ♥ ♣︎ ♦︎ のマークと数字さえ判別できれば完成できるようになっている。こういうものを無料で配っており、とてもよく考えられているので感心してしまう。

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【皿うどんとかた焼きそば】

【皿うどんとかた焼きそば】

皿うどんが好きだ。
とはいえ『皿うどん』を知ったのは成人して社会人になってからである。長崎名物だと言われ、極細の中華揚げ麺に野菜炒めをあんかけにしたものが載せられていて、なるほど、とは思ったけれどよく似た料理には幼い頃からなじみが深い。

東京では『かたい焼きそば』などと呼び、かなり『皿うどん』に近いけれど麺が太い。店ごとに麺の太さに違いがあり、若かった母は歯茎に突き刺さるようのボキボキしてかたいのが好きだった。郷里静岡県清水に戻っても中華料理店に『かたい焼きそば』というものはあり、注文するとラーメン用の麺を揚げてくれるので、店によって太い細いがあるわけだ。

はて清水以西にも『かたい焼きそば』というメニューがあるのかは知らない。当然中国には元祖『かたい焼きそば』のようなものが存在するのだろうと思うのだけれど、九州では関東地方に蔓延しつつある人気メニューの『皿うどん』と一緒に本州の『かたい焼きそば』も併存しているのだろうか。

久留米出身の友人が就職で上京した際、東京の蕎麦屋に入ってどす黒い蕎麦つゆに仰天したと言う。よくこんなものを残さずに飲むものだと呆れたと言い、そんな話しを聞いていたので、九州に行くたびに九州の蕎麦屋に入ってみたいのだけれど、せっかく九州まで来たのだから、といういじましい考えに負けて、ついつい『九州ラーメン』を食べてしまい『九州のどす黒くないつゆの日本蕎麦』の味を知らない。そんな調子だから、九州にまた出掛けても『九州ラーメン』以外の『普通の中華料理店』に『皿うどん』ではなく『かたい焼きそば』があるのか確かめる機会は来そうにない。


富山名物『昆布とぼ』、焼いてそのまま食べると昆布の塩味がおいしい
Data:MINOLTA DiMAGE F100

千代田区有楽町。仕事で中央区銀座に出るたびに JR 有楽町駅を利用するのだけれど、この界隈には戦後大きな闇市があったそうで、当時から続く不思議なお店も残っており、ガード下や路地裏を歩くと面白い。

富山出身の義母と話していたら、正月くらい、餅に昆布を搗き込んだ『とぼ餅』である『昆布とぼ』が食べたいという話しになり、インターネットで検索したら有楽町交通会館地下に富山県のショップがあって購入できることを知った。

交通会館には『むらからまちから館』があるので頻繁に立ち寄るのだけれど、地下に行くのは初めてだったのでちょっとした探検気分だった。お目当ての『昆布とぼ』を買って歩いていたら『長崎チャンポン』と書かれている『桃園』という店があり、急に『長崎皿うどん』が食べたくなったので入ってみた。


有楽町交通会館地下『桃園』
Data:MINOLTA DiMAGE F100

出て来た『皿うどん』にびっくり。ここの『うどん』は揚げてない極太中華麺なのであり、太さは関東の蕎麦屋のうどんほどもあり、まさに皿に載った『うどん』である。色といい食感といい、焼きそば用の『蒸し麺』に近いような気がする。食べ進んで行くとなんと皿の底に薩摩揚げボール2個と鶏唐揚げが隠されていたりして、なんだか曰く因縁ありげな物語性を感じて興味深い。


店内の壁に貼られた雑誌の切り抜きを見るとなかなかの有名店らしい
Data:MINOLTA DiMAGE F100

考えてみたら東京の中華料理店でも『焼きそば』と『かたい焼きそば』以外に『ソース焼きそば』とか『炒めそば』とか『揚げそば』などという分類をし、『炒める』と『揚げる』の中間である『焼き付ける』といった調理法もあるので、こういう『皿うどん』もあるんだなぁと感心した。


旧東海道にあかりが灯る。『音羽屋』は箱蕎麦の店として有名である。
Data:MINOLTA DiMAGE F100

郷里静岡県清水江尻東、旧東海道沿いに『音羽屋』という蕎麦屋があって僕は大好きなのだけれど、この季節には限定メニューで『かた焼き牡蠣そば』というのがあり、これがとてもおいしい。具はまさに『長崎皿うどん』の具に牡蠣が加わり味付けが和風、そして『かた焼き』のそばが油で揚げた日本蕎麦なのである。

ああ『長崎皿うどん』が食べたい、ああ『音羽屋のかた焼き牡蠣そば』が食べたいに加えて、ああ『桃園の皿うどん』が食べたいが、外食地図に加わった。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 12 月 25 日、18 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【みごとな巻積雲】

【みごとな巻積雲】

正午前にちょっと買い物に出て、空を見たら上空は見事な巻積雲(けんせきうん)に覆い尽くされていた。

「おおお……」と声をあげそうになったので「おおお……」のかわりに写真を撮った。


本駒込六丁目の空
DATA : SONY Cyber-shot DSC-L1

かなり高速に移動しており、風でさざなみが水面を渡って行くよう、もしくは海底噴火による大量の軽石が漂っているように見えた。

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