【リードオルガン】

【リードオルガン】

紙のロールにプチプチ穴を開けて手回しオルゴールをつくっている妻が、それを聴いてくれている知人に頼まれてリードオルガンのチラシを作っている。横目で見ていたらスペルが REED ORGAN になっており「えっ!?」と驚く。そうか LEAD ORGAN じゃないのか、そうだよな、楽器の舌であるリード( REED )を鳴らす楽器だもんなと思う。


2021/11/29 Hon-Komagome
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で、「加圧した空気を鍵盤で選択したパイプに送ることで発音する」と書かれたあとに、「空気を吸い込むことで音を発するものをいうことが多い」とあって再び「えっ!?」と思う。吹くんじゃなく吸うのか。

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【小次郎の朝】

【小次郎の朝】

厳流佐々木小次郎。
その死因に関しては、宮本武蔵と真剣で立ち合って破れたとか、木刀で立ち合って勝ったものの暗殺されたとか、諸説あるようだ。
 
中学時代だったと思うのだけれど、「ザ・フォーク・クルセダーズ」を解散した直後のきたやまおさむが『ムサシ』というシングル盤レコードを出し、いまも物置の段ボール箱内にある。その歌の中で、ムサシの「心の剣」に敗れた小次郎は波打ち際に倒れて死んだ振りをしていただけであり、見物の者が去ってからムサシと飲みに出かけたことになっている。

二十代の会社員時代、某乳業メーカーのパッケージデザインを担当していた。
小さなブリックパックの背中に斜めにストローを貼り付ける形式の容器が登場したころで、乳業メーカー担当者は「佐々木小次郎タイプ」と呼んでいた。

六義園ライトアップ公開が終了して喧噪が去り、静かに落ち葉の舞い落ちる朝、散歩がてらコンビニをのぞいたら、ホルスタインの模様の牛乳を見つけた。

乳牛が佐々木小次郎タイプの長刀を背負っているようで妙におかしい。この小次郎は左利きである。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 11 月 30 日、19 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【内燃機関】

【内燃機関】

「あなたと話していたら元気になってきた」と言われることもあれば、会って話しているうちにこちらが元気になる人もいる。どう元気になるかは話の内容に関係ないことが多い。


2021/11/29 Hon-Komagome
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人は内燃機関のようなものだ。人と人が会って話をするうちにエンジンのスターターが機能するのであり、エンジンがスタートすれば知覚と思考と行為の回転運動が動力を生み出していく。

会って何を話すかは関係ないので、「あなたに会ったとたん元気になっちゃった」などと言われたりする。相性とはそういうもので、話題えらびに迷ったりする以前に決まっている。ただ会っただけで内燃機関が作動する。

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【首都自身】

【首都自身】

東京都は、日本の首都機能移転に反対。

都バスに意見広告らしきものを見つけて、広告主は誰だろうと一瞬思ったけれど、どうやら首都自身らしい。

東京都の交通事情はひどい。
都バスは赤字だそうで、バス路線や運行本数が激減している。
文京区には病院がたくさんあるのに、バスの本数が減らされたので、在宅の親を介護をしながら、入院中の親に毎日会いにいくという忙しい暮らしとなると、どうしてもタクシーに乗らなければならなくて、タクシー代が月十万円近くにもなってしまう。

都の言い分は「地下鉄を利用しろ」なのだけれど、まったく現実的ではない。
営団地下鉄の広報誌『メトロミニッツ』2002 年 12 月号に石原慎太郎都知事へのインタビューがある。
 
石原「東京のいちばんの欠点っていったらなんといっても渋滞だからね。どんどん地下鉄に乗ってもらえればいいんだけど。地下鉄はまたわからないね(笑)」(『メトロミニッツ』2002 年 12 月号より)
 
「(笑)」! 笑い事ではない。
公共機関や病院などへのアクセサビリティが考慮されない都市に首都の資格はない。
“東京都の失敗” を踏まえて、生活者に優しい街作りがなされるなら、僕は首都機能移転に賛成である。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 11 月 29 日、19 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【11 月は黄昏の国】

【11 月は黄昏の国】

週末は伊豆で山小屋暮らしをしている友人からのメールによれば、今年は紅葉(黄葉)がひときわ鮮やかで、伊豆の山々も常緑樹との美しい対比を見せているらしい。

「今年は紅葉(黄葉)が眩しいな」というのは異常心理ではなさそうだけれど、「今年は日が暮れるのが早いな」というのは異常心理なのかもしれない。

だが、一日の過ぎ去る早さ、一年があっという間に終わることへの驚きを口にする人も多いから、「今年は黄昏がすぐにやってくる」などと思っても、精神の健康が損なわれつつあるわけでもないのだろう。損なわれつつあるのは残り少ない余命であって、「歳をとると日が暮れるのが早いな」が正確な表現だろう。

午後になってから仕事で外出すると、帰宅は黄昏時になってしまう。

貴重な人生、その一日の大半を損したようで心寂しく、駅前から誘蛾灯に誘われるように商店街へ足を向けたりする。

商店主は、なんとか店頭へ客足を向けたくて黄昏時に明かりをともすのだけれど、心寂しくそぞろ歩く客にとっては、心に明かりをともされているようでありがたい。

近所に豊島青果市場があるせいか、しもた屋になった店舗に俄造りの青果店が激増している。とくに安売り店の行列は凄い。古くからある青果店は厳しい立場にあるのだろうと思いつつ、競争が生じることによる商店街活性化の必要を感じたりするのもまた、消費者心理だろう。

ぶらぶらとのぞいていくと、安売り店が「何でも安い」わけでもなく、価格対品質比を頭に置いて眺めれば、各店ごとに掘り出し物がある。

義父のお土産にミカンを買おうと思ったのだけれど、静岡県人はミカンの品定めに厳しく、何軒も歩いたあげく段ボールの切れ端に「愛媛早生」と親切に書かれた、小振りで腰が高く身の締まったものを見つけて嬉しくなる。嬉しいと、ついつい財布のひもがゆるんで、義父の好物のバナナと千葉産金時芋を購入してしまったりもする。安売りの幻術に行列するのも、小さな気配りに購買の弾みがつくのも、消費者の心理であり、そこが商売人生き残りへの活路なのだろう。

無為に過ごしたわけではない午後の手応えをぶら下げて帰途につくと、午後 6 時前なのに漆黒の闇である。六義園染井門も開放され、誘蛾灯に誘われるように人々が吸い込まれてゆく。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 11 月 28 日、19 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【夜明けの読書メモ━「主と奴」】

【夜明けの読書メモ━「主と奴」】

ヘーゲルの「主人と奴隷の弁証法」、実は主人と奴隷は互いに依存(相互承認)して「やったりとったり」の関係に過ぎないという話を、いま読んでいる本では「主と奴の弁証法」と書いてある。

「主と奴」は「しゅとど」と読ませるらしい。けれど個人的な言語感覚にしっくりこないので和訓できれいに読めないかと余計なことを思う。そうやってハムスターのように本に遊んでもらっている。本はヒトの「回し車」である。


2021年11月25日 荒川区南千住
DATA : SONY Cyber-shot DSC-W170

主は「あるじ」だけれど奴に合ういい読みがないかと漢和をひいたら「つぶね」というのがあった。

「ヘーゲルが言うところの主(あるじ)と奴(つぶね)の弁証法である」

うん、相互的にバランスがとれて、なかなかいい感じにくるくるまわる。漢字の感じ化という回し車。

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【金魚坂】

【金魚坂】

本郷通り、東大赤門前からちょっと入った菊坂裏に赤い幟がはためいて「釣り堀」があるので驚いた。

子どもの頃は町のあちこちに釣り堀があり、池や堀を利用した屋外のものばかりでなく、屋内に小さな生け簀を設えて釣らせる釣り堀もあったけれど、どんどん減ってしまい、まさかこんな町なかに釣り堀があるとは思わなかった。

釣り堀に併設されて山荘風の建物もあり、中2階と半地下という面白い構造になっている。昔から金魚の卸をしていたお店だそうで、飼育用水量 40 トンの生け簀を改造した建物であり、食事やコーヒーやカクテルもあって店内では落語やミニコンサートも開かれるという。

たくさんある鉢では金魚が泳ぎ、錦鯉の専門紙が読め、金魚も買えるし飼育方法も教えてもらえるという。葉巻やシガーも買えるそうだから、趣味の殿堂にふさわしい。

それにしても釣り堀……。

「釣り好き」が高じると、餌を付けずに釣り糸を垂れるだけで幸福感を味わえる境地に達する人もいるという。「釣り堀好き」が高じると、景色などどうでも良くて、地面に釣り糸を垂れて魚が釣れるだけの穴があれば満足したり、水を張って部屋に置いた魚のいない洗面器に釣り糸を垂れるだけで、究極の幸福感を味わえたりするのかもしれない。

この店でブロック塀を前にした釣りを楽しむには、それなりの精神修行がいりそうで、僕にはまだ敷居が高いのだけれど、近所に釣り堀を見つけたというだけで何だか浮き浮きとした幸福感を味わえるというのも、自慢ではないけれどそれなりの境地かもしれない。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 11 月 27 日、19 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【柿の発見】

【柿の発見】

義母がお気に入り、小石原焼飛鉋(とびかんな)のコンポートに愛媛産の早生ミカンを盛りつけておいたら、義父のお見舞いにいただいたという柿が一緒に盛られていた。
 
なんとまあ、カキノキ科の落葉高木とミカン科の常緑低木、異なった家系から出た子ども達の肌の色が似ていることかと驚く。

はて、柿やミカンの色は何が決めているんだっけと首をかしげ、そうだ「βーカロチン」だったと思い出し、あれこれ調べてみる。

「βーカロチン」の仲間で「βークリプトキサンチン」のがん抑制効果が注目されているらしく、柿にもミカンにもこれが含まれているという。

カキの学名は Diospyros Kaki Thunberg で発見者 Carl Peter Thunberg (1743~1822)に由来するという。「柿」が「 Kaki 」で世界に通用すると知って少し嬉しい。
発見といっても学術的に発見されただけで、太古の昔から日本人の祖先は柿が食べられることを知っていて、「柿は實の赤きより名を得たるにや」(和訓栞)などという粋な命名もしていたわけで、近年の「がん抑制効果」とともに、何回も様々な角度から「柿」は発見されているわけだ。

郷里清水市を散歩すると、「渋抜き柿」と称して、渋を抜いた柿が格安で売られていて、母はこれが好きでよく買って食べている。若くして死んだ叔父は投網が上手で、この季節になると渋柿をたくさん取ってきてすり下ろし、投網を浸して軒先に吊したものだった。そうすると投網の糸が強くなると言っていたが、おそらく「タンニン」の特性を利用した昔の人の発見だったのだろう。

それにひきかえ、凡人の発見は取るに足りないもので、
「それにしても柿とミカンの色は似てるなぁ」
などとしつこく何度も呟いて、家族にてんで無視されている。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 11 月 26 日、19 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【夜明けの読書メモ─「存在と重さ」】

【夜明けの読書メモ─「存在と重さ」】

一太郎 Pad というアプリがよくできていて、読書の友として欠かせなくなっている。今朝も豆腐のように分厚い文庫本を読みながら、撮って文字認識してテキストにメモを添える、という面倒な作業がこんなふうにスマホで簡単にできてしまう。

存在は災厄だが、それでも存在しないよりは善いことなのだから。老人が、痛ましげに眉をひそめた。(笠井潔『哲学者の密室』)

作中の老人の名はエマニュエル・ガドナスでルヴィナス、同様にマルティン・ハルバッハはハイデガー。

呆れるほど分厚い文庫本を実際この手で持ってみたいという単純な動機で適当に注文したけれど、中身も相応に重く読んでいて楽しい。

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【きょうのオルガニート】

20 音オルガニートで『パイナップル・プリンセス』(PINEAPPLE PRINCESS)
(ほんこまごめオルガニート独唱団)

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【落ち葉の輪舞曲(ロンド)】

【落ち葉の輪舞曲(ロンド)】

今年は木々の色づきがことのほか鮮烈に染み入るようで、老いた親の介護が始まったという境遇のなせる技かも……などと甘えたことを書いたりしたのだけれど、ひどく自己中心的な思考がなせる技に過ぎなかったのかもしれない。
 
でも、テレビのニュースで、
「今年は木々の色づきがひときわ鮮やかで……」
などと言っているので、やはり単なる個人的な心的現象ではないかもしれない。

けれど、もしかすると、坂道を転がり落ちるような経済低迷に苦しむ日本国民全体の心的現象であって、外国人記者から見たら、毎年毎年繰り返される秋の終焉が、今年は日本人全員にとって去年よりひときわ鮮やかに感じられているに過ぎない……なんてことはないかしら。

クロロフィルと、カロチノイドと、アントシアニンの化学現象に過ぎないなどと論理で言ってみてもその答えは出てこない。色づく木の葉の色合いは、どうしてこうも自己中心的な感興を人の心に喚起するのだろうか。「色づく木の葉の色合い」という現象は、人間存在の不確かさが揺れ動く「西田幾多郎的な場所」に似ているのかもしれない。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 11 月 25 日、19 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【夜明けの読書メモ―「サンヤツ」】

【夜明けの読書メモ―「サンヤツ」】

妻や自分が装幀を手がけた本がときどき載ることもあって朝日新聞朝刊一面下のサンヤツ広告欄は、「しつもんドラえもん」「折々のことば」に続いてざっと横に目を通す。


DATA : Nikon COOLPIX P7800

目を通してもそれがきっかけで本を買うことはないのだけれど、今朝はちょっと気になったので斎藤環『コロナ・アンビバレンスの憂鬱――健やかに引きこもるために』晶文社を Kindle 版で買って、はじめてのサンヤツ購入をした。

コロナ禍を生き延びるためのサバイバル指南書
コロナが投げかけた「人は人と出会うべきなのか」という根源的な問い。ひきこもり問題の第一人者だからこそ語れる、コロナ禍での貴重なな論考集。1870円(サンヤツ広告の惹句より)

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【闇を守るということ】

【闇を守るということ】

『谷地田(やちだ)』という言葉がある。『やち』『やつ』『やと』などと呼ばれる谷や沢の最上流にある湿田のことで、子どもの頃からそういうわけ入った先に開かれた田んぼが好きだった。

昭和三十年代、叔父夫婦が暮らしていた東京都世田谷区にもずいぶん水田が残っていて、そのたんぼ道を成城などがある高台方向に歩き、小さな山襞に這い入ると、可愛らしい不定形の谷地田をいくつも見ることができた。山に襞があるということは、そこは山が蓄えた水の通り道だったり、水が山肌から湧き出す場所だったりし、そこに水田を作れば当然、湿田になるのだ。

今でも電車で旅をすると、一瞬、山襞の谷地田が車窓をよぎることがあり、胸がキュンとなるような懐かしさを感じる。
幼い頃は「こんな場所にまで猫の額ほどの田んぼを作らなければ暮らしていけないのか」と、お百姓さんの暮らしぶりを気遣うことが心のほとんどを占めており、その残りで、「お百姓さんは、いつどんな時に、何回くらいこの田んぼを訪れて農作業をするのだろう」という谷地田の暗さと湿り気に対する畏怖のような気持ちもあった。目をこらさなければ分からない程度の踏み分け道しかない谷地田には、なにか不思議な『闇』があるようで、ドキドキしながらワクワクしていたのだろう。

どんな時代になっても、必要もないのにひたすら開発するだけが商売の人たちもいるし、お百姓さんの跡継ぎもいなくなるし、このままでは消えゆくだけの谷地田を含む自然環境保護の取り組みが各地で見られるようだ。
行政が買い上げて『保護』するとなると、買い上げたまま放置することもできず、農業体験を兼ねた公園化という道を歩むことになり、邪魔な木々は伐採し、大勢の人が入れる遊歩道を整備し、広場や休憩所を作り、といった人為的行為を加えることになる。
そしてそこに、絶望的なほどの『保護』の名を借りた環境破壊を見ることになる。
 
自然は人智が及ばないほどに繊細だ。
道を一本造るだけで流れ込む水質は汚濁し、木を一本切り倒すだけで生態系は乱される。公園にとって邪魔っけな雑草や下草でさえ、安易に手をつけるべきではないのである。
人一人がやっと通れるほどの道を辿ってお百姓さんが入り、冷たい湿田に膝まで浸かって、先祖代々維持してきた谷地田の『闇』が教えるものは大きい。自然と人為の「ダメージが最も少ないせめぎ合い」こそが湿田であり、湿田という調節池があるからこそ、平地の水田の安定した耕作が守られていたのだ。
かつては採れたというシジミの死骸がいっぱいの、小川が無言の抗議をしていたりする。

踏み分け道を歩き、冷たい湿田に深く浸かって、猫の額ほどの谷地田の『闇』を守る農業従事者の誘致、『帰農』促進の取り組みこそが行政に求められる環境の『保全』であり、『保護』の名を借りた公園化は単なる都市開発と変わりないことは、やがて未来が証明するはずである。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2002 年 11 月 24 日、19 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【夜明けの読書メモ─「これはこれ」】

【夜明けの読書メモ─「これはこれ」】

「これはこれ、それはそれ」と日本語で言う。英語で「 This is this, it is it 」と言って、論理のことばの国の人に意味が通じるのだろうか。

米国のジャズバンドであるウェザー・リポート 1986 年のアルバムに『ディス・イズ・ディス』( This Is This! )があるので、アメリカ人には「 This is this 」が通じるのだろう。けれど「 This Is This! 」のキャピタライズでエクスクラメーションマークつきの表記をみると、あまり論理的ではない奇矯な言い方なのかもしれない。

「これは実際に何であるか」と問われて「これはこれ」で話が通じるのはきわめて日本人的なんじゃないだろうかと考えていたら、ふと人生で「ご遺体との対面」をするたびに、故人を悼む気持ちとは別に「これはこれにすぎない物体を見てるだけ」と感じる居心地の悪さを思い出した。


〒162-0802 東京都新宿区改代町27
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Amazon のポイントがたまっていたので、これはこれ的になんとなく養老孟司『解剖学教室へようこそ』 (ちくまプリマーブックス)を注文してみた。

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【近藤勇の秋】

【近藤勇の秋】

勤労感謝の日。最近新聞で知った意外と近所にある近藤勇の墓まで散歩してみた。

六義園正門前から白山通りに出て、白山通りを巣鴨方面に歩き、JR 山手線跨線橋を渡って左斜めに分岐する道を入ると、旧中山道『巣鴨地蔵通り商店街』である。超高齢化翁(おきな)媼(おうな)をかき分けて直進し、『庚申塚商栄会』を過ぎ、明治通りを渡り、さらに旧中山道を進むと住所は北区滝野川になる。

官軍によって捕らえられた新撰組局長近藤勇は、中山道板橋宿手前平尾一里塚に設けられた刑場で斬首され、首級を京都へ送られたのち、残った胴体は現北区滝野川 7 丁目 8 番 1 号地に葬られたという。1868(慶応 4 )年 4 月 25 日のことである。

1876(明治 9 )年、元隊士永倉新八の発案、旧幕府御殿医松本順の協力で立てられた供養塔が残っているという。


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近藤勇の墓は意外な場所にあった。地図で大まかな見当をつけ、JR 埼京線板橋駅前ロータリーから墓のありそうな場所を探して歩いたけれど見つからず、ぐるりと回って元の場所に戻ったら、墓所は駅前ロータリーに面していたのだった。


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墓。正面には近藤勇とともに副長土方歳三の名も併記され、両側面には井上源三郎を筆頭に110名の隊士の名前が刻まれている。

意外なのは近藤勇の方かも知れなくて、目の前に大衆的電動軌道車の停車場ができ、個人的化石燃料無軌道車が喧しく走り回り、二本差しの鯉口を切っていつでも抜刀できるような緊張感で立ち続ける勇自身の眼前に、こともあろうか “ M ” のマークの亜米利加産 “ 簡便歩行食 ” の店がケモノ肉くさい匂いを発して客寄せをし、開国派に傾倒する若者達がたむろしているのである。


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討ち入りの時を待つ近藤勇。

一方、近藤局長を慕う地元商店主も指をくわえて見ているわけではなく、“ 幕末茶屋 ” と称して喫茶『しゃとう』では「名物イサミあんみつ(栗入り)」、ベルグ洋菓子店では「名物ケーキセット」(慶喜セットと書けば良かったのに…)、和食『美濃』では「勇弁当」、『ピコリーノ』では「土方焼き(ひじかたやきであってどかたやきではない)」など、新撰組ゆかりの料理で応戦体制にある。


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芹沢そば。芹沢鴨「幕末の水戸藩浪士。本名,木村継次。近藤勇らと新撰組を組織して,隊長となる。のち近藤らに殺害された。」三省堂新辞林より

中でもふるっているのが、そば・うどん『白井』の「芹沢そば」であり、文字面からして “ 芹そば ” だなとわかるのだけれど、「芹沢そば」の後ろに小さく「鴨入り」と書き添えられているのである。新撰組隊長芹沢鴨を知る者には、しみじみと可笑しい一品である。

頼んでみたら、やっぱりセリ(三つ葉)入りの鴨南蛮だった。


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JR 板橋駅の東側は桜が夥しく街路樹として植えられている。近藤勇も嬉しいに違いない。


司馬遼太郎『胡蝶の夢』を読んだ友人から「松本順」とあるのは「松本良順」の誤りではないかとメールを貰い、ちょっと調べてみたのだけれど「良順こと松本順」の名前がどうして「順」と「良順」と二通りあるかの正確な理由がわからない。
「下総佐倉藩医師佐藤泰然(のちに順天堂を開く)の次男として生まれ、泰然の親友である幕医松本良甫の養子となった時点で養父の良を加えて良順と名乗ったのではないかと思うのですが、資料が見つかりませんでした」
と返事を書いておいた。

 
ちなみに松本順は近藤勇と親交が深く、隊士の回診、隊の衛生管理指導、傷病の診察、沖田総司の看取りもしたらしい。近藤勇に、どうして西洋の医学を熱心に学ぶのかと尋ねられた松本順は、西洋の先進性を懇々と説き、納得した時点で近藤の心の中で攘夷という大儀は崩れていたのではないかという。

2004年 11月 24日 水曜日 5:22:55 PM追記

近藤勇に関しては司馬遼太郎解釈による『燃えよ剣』の登場人物としてしか読んだことがないので、同小説中での勇像を思い浮かべながら墓所を探した。

今年は暖かいせいか銀杏の黄葉もまだ早いし、桜の落ち葉の色合いも鮮やかさに欠ける気がする。心の中で「燃えよ秋」などと呟いてみる。

桜並木の突き当たりに讃岐うどんの製麺店がある。こんな場所で、こんな年季の入った店舗で、うどんにターゲットを絞ったニッチな分野で頑張っているということは、さすが近藤勇の墓所脇にあるだけに、ただ者ではないな、という気がし、白地に赤の手書き文字が美しいと思う。
 
美しいと思いながら、心の中で「燃えよ麺」などと呟き、自分のオヤジギャグぶりがつくづく嫌になる。

(閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 11 月 23 日、17 年前の今日の日記に加筆のうえ再掲載。)

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