電脳六義園通信所別室
僕の寄り道――電気山羊は電子の紙を食べるか
こまもの こまごま こまごめ日記[15]7月の空気入れ
このところ仕事中に始まるぼんやりとした沈思黙考もどき除けとして、キーボード脇に本を置き、くだらない考え事に耽りそうになったら集中して読むことにしている。「下手の考え休むに似たり」というけれど、考え事をしているようでいて何も考えていないのは「休む」というより時間の無駄で、虚しく時を浪費しながら「死んでいる」ことに等しいと思うからだ。そういう行き詰まりの時期が周期的にやってくる。
そういう時は考えても、書いても、話して、もろくなものが出てこないので、ひたすら優れた対象を見つけて自分の中へ入れてみることにしている。おそらく心の内圧と外圧、出すものと入れるものの収支が狂っているのだと思う。中味が足りないのに出そうとあがくことは人の生を著しく消耗させる。
|左:空気入れの蜻蛉口(とんぼぐち)|右:今夢中になって読んでいる本|
というわけでしばらくは出さないで入れることに集中しよう、そう思いなしただけで空気の流出が止まったような気がする。
考え事を始めて空気が抜けそうになったら、そうさせないように本を読む。それは、丁字型のハンドルでピストンを押し下げ、シリンダ内の空気を蜻蛉口(とんぼぐち)から自分に注入する作業のようなもので、本に学んで自分に取り込むということは、人という自転車のための空気入れに似ている。
こまもの こまごま こまごめ日記[14]ポット分解中
義父母と同居中に買った象印電気まほうびん CV-DS40 という4リットルの機種を譲り受けて使っている。
夏でもお酒は焼酎お湯割りだし、なるべく暖かい物での水分補給を心がけているので、夫婦二人で4リットルはちょうど良い。蓋を開けてみたらカルシウムやミネラル分の固着が激しいので、ポット洗浄中という錠剤を使ってみたが頑固すぎてとれず、クエン酸を使ってみたらピカピカになった。
カルシウム以外の浮遊物が気になるので上蓋を見たら、樹脂製の部品が熱と経年変化でかなり劣化している。機種番号を入力して検索したら、ネット上に分解パーツ図があり、部品番号を指定して取り寄せが可能だったので注文してみた。
商品名 : 象印部品:CVDX シタイタ 628037-01
数量 : 1
単価 : 630 円
商品名 : 象印部品:CVHX ウチブタPK 627303-00
数量 : 1
単価 : 735 円
メロウハウス 部品センターといい、丁寧に梱包されてすばやく届いた。
図面を見ながら分解したら「ウチブタPK」のパッキンはまだ使えそうだったが、「シタイタ」が仰天するほど劣化しており、蒸気抜きあたりは押さえた途端にポロポロと粉になって崩れ落ちるような状態だった。水も蒸気となって漏れていたに違いない。
「シタイタ」は内部だけでなく、パッキンとの境界あたりが、分解しなくても目に見える場所として劣化しやすいので交換時期の目安になる。
こういう劣化しやすいパーツがネット上で手に入ることはありがたい。原発直結でたいせつな電力を使わせて貰っているので、使える物は手間をかけてでも熱変換効率を保ったまま使い続けたいから。
こまもの こまごま こまごめ日記[13]“あれ”の使い途
見た目の体裁優先、というか工業デザイナーのやってみたいこと優先で作られたような工業製品が増えて、手にとってみると使いにくいことが多い。
たとえば、この場所にちょっとした滑り止めさえついていたら格段に使いやすくなるのにと思うものがあり、そう思うだけでは不満解消にならないので、自分でちょっとした滑り止めをつけるなどして対策をしている。
昔と言えるほどの以前になるけれど、東急ハンズでそういう用途にちょうど良いシール素材を見つけて重宝していたのだけれど、使い切ってしまったら再び見つけられなくて諦めていた。絵と図面だけで商品化したような製品が増えてきて、また“あれ”が必要だなと思うのだけれど、本来なんの用途に使うなんという商品かがわからないと、広い東急ハンズの膨大な商品の中から、なんだかわからない“あれ”を探し出すことは難しい。
毎週末面会に向かうさいたま市の特養ホーム、その際に利用する大宮駅前に東急ハンズがあり、売り場が小さくて D.I.Y. 関連商品もワンフロアにまとまっている。食事介助に向かう妻と別れて売り場に行き、小さな東急ハンズでも“あれ”はあるんじゃないかという気がするので、ゆっくり時間をかけてしらみつぶしに回ったら、目当てのものを見つけて買うことができた。
正式名はエクシールコーポレーション「ビットクッション」というらしい。透明の樹脂系材料であるウレタンゲルで作られたドーム型をした小さな立体シールで、裏面に粘着加工が施されている。裏紙からはがして貼り付けると適度な弾力と摩擦があり、そもそも家具の扉や引き戸の突き当たり部分に貼り付けて、開けたてする際の衝撃と騒音を緩和する部材らしい。透明なのでどんな色にも馴染み、しっかり貼りついて剥がれにくい。早速、ピアノブラック鏡面仕上げで、手に吸盤でもない限り持ちにくくて困っていたカメラに貼ってみたら、やはり別製品のように使いやすい。
こまもの こまごま こまごめ日記[12]二眼レフ風カメラと日傘
子ども時代、まわりの大人に写真好きが多くてよく写真を撮ってもらったが、わが親たちの世代からは二眼レフカメラのレンズを向けられた記憶が多い。二眼レフは比較的安価で丈夫であり、画面サイズも 6×6 センチなので、現像後の節約をしたければ、ベタ焼きでも鑑賞に堪えるのでアルバムに貼ることができたからだ。我が家のアルバムにも原寸正方形の写真が沢山ある。そういう使い方は元祖ポラロイドカメラ風だったわけで、その証拠にネガフィルムなどはいっさい残っていない。
首から下げた二眼レフカメラを腰位置に構えて上からファインダーを覗き込んでいる撮影者の姿は、こちらに向かってお辞儀をしているように見えるので、写される側に緊張感がなく、自然に和やかな笑顔がほころぶ。こういうファインダーの形式をウエストレベルファインダーという。
そういう二眼レフカメラのような撮影姿勢をとれるデジタルカメラが好きで愛用している。液晶画面の下端を持ち上げて水平に近い角度まで持ち上げられる可動型の機種で、そういうカメラを腰位置に構え、液晶画面を上からのぞき込んでいると、懐かしい昭和のオジサンになった気分で楽しく、おかげで写真を撮るなと嫌がられることも少ない。しかも二眼レフカメラとちがって上下左右正像、パララックスもないのである。
欠点は、背面の液晶パネルを上へ向けることによる画面反射で、夏の炎天下などでは日差しのせいで見やすいとはいえない。仕方がないので、左手で覆いをつくって遮っていたのだけれど、愛用の SONY NEX-5 という古いカメラには、なんと二眼レフカメラについていたような折りたたみ式日よけフードが販売されていたことを知って慌てて取り寄せた。ネット検索したら、この機種のユーザーには広く知られている商品らしいが、その存在を今まで知らずにいたのて大喜びした。
外国製だがとても良くできていて、液晶パネルにパチンと取り付けられて一体化するので感心した。まさに昔の二眼レフカメラのような使い心地になり、遅れ馳せながらカメラに日傘ができたようで、この夏の外出がちょっと楽しくなった。商品名は「JJC ソニーNEX5/NEX3/NEX-C3 専用液晶シェード」という。
こまもの こまごま こまごめ日記[11]緑の点(Grünpunkt)
勤め人デザイナーだった時代、ライバルの音響機器メーカーにドイツのブラウプンクトがあり、工業デザイナーが研究用に購入した製品をよく見せて貰った。いかにもドイツらしいデザインの機器に小さな青い正円が印刷されており、その右に BRAUPUNKT の文字があり BRAU は青、PUNKT は点なので日本語に訳せば「青い点」で、なんてシンプルで美しい商標なんだと感心した記憶がある。
仕事で年上の編集者と話していたらカレーライスの話になった。
子ども時代、まだ朝焚いたご飯をお櫃で保温していた頃、真夏など夕飯時まで保温したご飯を食べさせられるとすえ臭いことがあり、カレーは臭いをごまかして食べるのに便利なので好きだったという、しみじみわびしい昔話を聞いた。それ以来、外で家庭風のカレーを食べるのが好きで、黄色いカレーの真ん中にグリーンピースがのって出てくると今でも嬉しいと言う。
「カレーの上のグリーンピースも懐かしいけれど、ラーメン屋の炒飯で丸い山のてっぺんにあるグリーンピースも嬉しいですよね」
と言ったら、それは体験したことがないと言うので
「えっ」
と驚いた。
左手で中華鍋をガチャガチャ揺すりながら、右手に持った中華お玉でご飯と具を混ぜ合わせ調味し、炒め上がったところで、左手でグリーンピースをひとつまみ空の中華お玉に入れ、中華鍋を揺らして炒飯をお玉の中に押し込み、逆さまにして皿の上にポンとよそうと、底にあったグリーンピースが真上に来てアクセントになるわけだ。
この盛りつけはポピュラーなはずだと、近所で咄嗟に思い出した駒込駅南口近くの「喜楽」(東京都北区中里1-8-1)に行って炒飯を頼んだら、やっぱりベテランのおやじさんがそういう炒飯を手早くつくってくれた。
ちゃんと真上にグリーンピースがあり、しかもなんと 6 個がきちんと並んで正三角形になっている。まさに中華の鉄人の瞬間芸としてすぐれている
「すごい!」
と感動したが、これはこの時限りの偶然だと思う(たぶん…)。
グリーンピースは日本のカレーや炒飯に欠かせない緑の点であり、ドイツ語でしゃれて言えば Grünpunkt(グリューンプンクト)なのである。
【ノウゼンカズラのある古道】
【ノウゼンカズラのある古道】
東京駅 9 時 26 分発こだま 643 号に乗車したら静岡駅着が 10 時 24 分、新装なった南口『清見そば』に行き、カレーとラーメンを食べて昼食にし、北口バスターミナルに行ったら、しずてつジャストライン北街道線、清水駅前行き 11 時 26 分のバスがちょうど来て、食べ継ぎと乗り継ぎが良い。
大内観音入口バス停で降り、北街道沿いのセブンイレブンで墓参用の花を買い、保蟹(ほうかい)寺で墓掃除をして住職に挨拶をし、鎌倉時代からある古道に出たら 12 時半近くになっていた。とんとん拍子で用事を済ませ、懐かしい道沿いにでたら今年もまたノウゼンカズラが咲いていた。
かつてはこの古道沿いに高部村役場があり、保蟹寺脇に高部小学校があったのだけれど、古道沿いのノウゼンカズラはいつ頃からこの場所に咲いているのだろう。母親が他界して墓参りに通うようになってから、夏になるとこの場所でノウゼンカズラが咲くことに気づいたのだけれど、いつ頃からこの場所にあるかを知らない。地下茎で繁殖する勢いの強い木なので、遙か昔からあったとしてもおかしくないのだけれど、いずれにせよ平安時代に渡来した植物なので、種としての花は大昔のことも知っているわけだ。
戸田書店発行の雑誌『季刊清水』の打ち合わせをするため、塩田川沿いの土手を歩いて恩師宅を訪ねた。急に体調を崩されて昨日救急車で運ばれ、いったん自宅に戻って準備し、明日 7 月 11 日から入院されるという。小一時間お話しをうかがい、来月の再訪までに必ず元気になられ、引き続きのご指導をお願いして早々に失礼したが、見送りに出られて
「次回は帽子をかぶってきた方がいいぞ」
と笑われているので安心した。
こまもの こまごま こまごめ日記[10]「のびる」
「のびる」というのは、よくよく考えてみると、なんとも面白い言葉だ。
植物が垂直に天をめざし、蔓や枝葉を成長させていくさまを「のびる」と呼ぶ一方で、地面を這う芝のような植物が水平に広がっていくこともまた「のびる」という。さらに水平と垂直に関係なく広がっていくこともまた「のびる」と表現し、「パンツが古くなってだいぶのびちゃった」などという。
時間が経って蕎麦の元気が無くなることを「のびる」というが、人が疲れて横倒しになるほど元気が無くなることもまた「のびる」という。
日の出が早くなって日中の時間がのびたので、朝の散歩の出発時刻が早まり、歩く時間がのびたので歩く距離ものびた。早起きして散歩をすることにおける楽しみの一つは、見て気持ちのよい風景に出会うことで、それは朝が様々なものの「のびる」時間帯だからかもしれない。
岩槻街道日光御成道本郷通りに出て勢いよく歩き出したら、道端にバラが植えられており、元気よく背筋をそらせてのびをしているように見える。体中の筋肉をのばすことは気持ちが良く、犬も猫も鳥もみな、筋肉をのばしながら陶然としているのを見かけるせいか、植物もまたのびをして気持ちよさそうに見えるのが不思議だ。
散歩の帰り道は岩槻街道をそれ、田端の高台から八幡坂を下ったが、坂の脇道で天をめざしてのびていく蔓植物を見た。これもまた夏らしい気持ちのよい風景で、眺めているだけで心身がしゃんとのびる気がする。心身がしゃんとのびた気分になると、人は「ああ寿命がのびた」などと言うけれど、本当にのびたかどうかはわからない。
こまもの こまごま こまごめ日記[9]姫睡蓮と睡蓮鉢とヤゴ
駒込駅近くにある花屋店頭に姫睡蓮があり涼しげでいいなぁと思う。
値段を見たら800円で、これは睡蓮鉢込みの値段なのだろうか、だったら安いな…などと思い、近くに寄って眺めていたら水の中で何かが動いている。
なんと水中にヤゴがいて元気にえら呼吸しながら尻尾を動かしている。800円が、姫睡蓮と、睡蓮鉢と、ヤゴ込みの値段なら、もうとんでもなく安い! …などと思いつつ買わずに帰ってきた。
まさかヤゴの餌になる小昆虫や小エビなども込みで入っているわけでもなさそうなので、ちゃんと育って羽化できるんだろうかと後ろ髪を引かれる。
こまもの こまごま こまごめ日記[8]罹災レンズの復活
忘れもしない 2011 年 3 月 1 日、地震の激しい揺れで仕事場の棚から落下し、壊れてしまった写真レンズがある。レンズ先端部の鏡筒が落下によって凹んでしまい、ピントリングが回らず、レンズが繰り出せない状態になった。気に入りのレンズなので神田小川町のサービスステーションに持ち込んだが、部品がないので修理不能といわれた。
OLYMPUS OM-SYSTEM ZUIKO AUTO-MACRO 50mm 1:2
がらくたの整理をしてあれこれ捨てていたら、未練がましく抽斗の隅に入れておいたその罹災レンズが出てきた。観察してみると、複雑な動きをする鏡筒の一部が凹みによって接触していることが原因のように思われたので、板金をするように凹みを戻していったら、多少嫌な抵抗があるものの全域で動くようになった。光軸が影響を受けたわけでもなさそうなので現役復帰し、これはこれで想い出のこもった道具のひとつとなった。
こまもの こまごま こまごめ日記[7]卓上のブレーン
テレビというのは殻の外側に開いた窓なので、家庭内に引きこもっていても、様々な異物としての情報侵入経路になっている。見ているうちに「えっ?」と思う疑問が浮かんで目の前にいる配偶者に質問し、答えが返ってこないとき、そのままにしておくと夫婦揃ってバカなままなので、難しい質問はメモしてあとで調べ、辞書を引けば載っていそうなことはすぐ辞書引きすることにしている。
Illustration: Masahiko ISHIHARA
食卓の隅にいつもあって、いつ手にとっても電池切れだったりすることのないよう、単三電池二本で動く小さな電子辞書を置いてある。SHARP の Brain PW-AC10 というやつで、携帯電話 Blackberry のような形をしており、晩酌のグラスを持ちながら片手で操作できるので重宝している。知らないことを知らないままにしないことは、食卓を豊かにしてくれるような気がし、調味料などの食卓小物と並べておけるような小ささがとても良い。
【近くへ行きたい】アザレア通りのルリマツリ
昼食後の運動を兼ねて買い物に出たら焼け付くような日差しが降り注いでいて驚いた。観測史上四番目に早い梅雨明けだそうで、まさに夏本番の陽気になっている。
駒込駅東口から続く300メートル強の小さな商店街、アザレア通りにある美容室店頭のルリマツリが見事に咲いていた。見事に大きく育って咲いているので、感心して写真を撮っていたら、通りかかる人が次々に携帯電話をかざして写真を撮っており、感心は共感を呼んで拡散する。
明治はじめ頃の地図と現在の地図を重ねてみると、ルリマツリの咲いているあたりは人家もなく畑が広がっていたようだ。
岩槻街道上富士交差点を過ぎ不忍通りを道灌山方向に向かい、200メートルほど先を左折して、崖線沿いに下る道を通ってアザレア通り、田端銀座商店街へ向かうのがいつもの買い物コース。明治時代の地図を見ると左手の斜面は茶畑であり、その先アザレア通りあたりは畑、その先、今は暗渠になっている藍染川沿い、現在の田端銀座あたりは田んぼになっていたことがわかる。
明治時代の長閑な田畑の真ん中に、見事に育ったルリマツリが咲いている、真夏の昼下がり風景を思い浮かべてみた。
【近くへ行きたい】猫又坂上の喫茶店
都道437号秋葉原雑司ヶ谷線のうち、目白台2丁目から上野公園前交差点付近までを不忍通りという。
六義園前上富士交差点から不忍通りを西に向かい、千石交差点を過ぎると急坂があって猫又坂の名がある。坂を下り切った谷底に当たる場所を氷川下と呼び、地名は近くにある簸川(ひかわ)神社に因む。かつては氷川田んぼと呼ばれた水田地帯で、その中を流れていた千川は暗渠になって、千川通りという都道の通称にその名をとどめている。
千川上水が暗渠になったのは昭和九年のことで、それまでは猫又橋という橋が架かっており、現在も坂下の交差点脇には親柱と袖石がモニュメントとして保存されている。
もう一度元に戻り、六義園前上富士交差点から不忍通りを西に向かい、千石交差点を過ぎると、急坂に差し掛かる手前で左にそれて行く道がある。分かれ道の部分は薄く切り分けたスイカ状になって、懐かしく風情の良い喫茶店がある。
この左にそれて行く道が江戸時代からある古道で、1922(大正11)年、その古道と僅かな角度を持って不忍通りが取り付けられたので、ここに薄切りのスイカができたわけだ。明治はじめ頃の地図に不忍通りを重ねてみると、この薄切りスイカの成り立ちがわかる。
大正11年以前の人々は、護国寺方面に向かうならばこの左側の道を進み、突き当たりを右に折れ、現在も不忍通り猫又坂脇に残る古い坂を下って橋を渡り、対岸の白鷺坂を登って行ったわけだ。そんな往時を偲び、のんびりトーストでもかじりながら珈琲を飲んでみたいと思っている。
こまもの こまごま こまごめ日記[6]草箒(くさぼうき)
若い頃の母親は掃除魔で、休みの日の朝は張り切って掃除をするのでハタキがけや雑巾がけを手伝わされ、それは少年時代に日々背負って生きる苦役の一つだった。
昔の人は棒の先に布きれを束ねて結びつけたハタキを掃除に使い、家具や棚の上などの埃を器用に落としていた。やってみるとなかなか難しく、棚の上の小物を落とさないようにハタキがけするのは高度な技術であり、物を落としては母親に叱られた。
毎朝、住まいに掃除機をかける家事を自主的に受け持っているが、ハタキにかわる掃除道具として、友人に貰った手箒(てぼうき)を重宝して使っている。
ホウキグサなのか、よく似たイネ科植物なのかはわからないけれど、いかにも東南アジアの民芸品的草箒(くさぼうき)で、使ってみると大変良くできている。適度なしなりがあり、植物の穂先特有のささくれが埃を引っかけてはよく落とし、その割にタッチがやわらかなので物が落ちることが少ない。自然素材なので、静電気でゴミがまとわりつく不快さもない。
あまりに便が良いので必需品となり、使えなくなったら困るので、予備を見つけたら買っておこうと思っているが、これでなかなか丈夫で壊れそうになく、そういう意味でもたいへん良くできた掃除の友である。
こまもの こまごま こまごめ日記[5] そらまめ北上
今年の春から初夏にかけてはそらまめをよく食べた。おそらく一生のうちでいちばん食べたと思われる。最近は歳のせいか芋・栗・豆類が好きでたまらなくなってきたからだ。
毎日の晩酌用に鞘付きのそらまめを買い、鞘から豆を取り出し、黒い部分にナイフで切れ目を入れ、丹下左膳にしてから塩茹でする。その茹でたてが美味しくて、毎日毎日そらまめを食べ続けたわけで、おかげでアルミ打ち出しの行平はアクで茶色くなり、妻からは
「歳をとったらできない贅沢ね」
などと嫌みを言われている。嫌みを言いながらも、
「やっぱり剥きたて茹でたては美味しいわね」
などと言いながらパクパク食べ、アクで茶色くなった行平は重曹に一晩ひたしてピカピカにしてくれている。
豆を茹でるときの湯気は春の香りがする。
春先にいち早く店頭に並ぶそらまめは生産高ダントツ一位の鹿児島県産である。店頭を誇らしげに賑わした鹿児島産も、そろそろ品質が落ちたかなと思う頃、八百屋店頭にまた元気の良いそらまめが並びはじめ、生産地表示を見るとなんと東京近郊の千葉県産だったりする。千葉県産が終わると茨城県や新潟県産のそらまめが現れ、そうか、そらまめ前線は北上して行くんだなと気づいたら宮城県産が並んだ。
今日も昼食の腹ごなしを兼ねて買い物に出たら、豆はしっかり入っているけれど鞘が小振りなそらまめがあったので購入し、生産地を見たら秋田県産だった。やがて秋田県産が店頭から消えるころ、今年のそらまめの季節はおしまいになるのだろう。
【そら豆生産高】
1位 鹿児島県
2位 千葉県
3位 茨城県
6位 新潟県
7位 宮城県
10位 秋田県
【近くへ行きたい】駒込日枝神社の道標
道端にある道しるべが好きだ。
道路拡張などで元の場所から移動されていることも多いけれど、古地図などと照らし合わせると、昔の人々が往来する様子が思い浮かぶようで楽しい。楽しいので東京23区内に残る道標を検索したらネット上に一覧があり、我が家の近く、山手線内側にもあるというので驚いて見に行った。
散歩の道しるべとして文京区や北区の歴史ガイドを愛読しているけれど、駒込駅付近の山手線内側には豊島区の区域が張り出しており、豊島区の歴史ガイドを持っていないので気づかずにいたのだ。
旧上駒込村字新屋敷の鎮守。東側が開けていたことから江戸時代は「朝日山王宮」と呼ばれていた。
祭神は大山咋神を主神とし、素戔鳴尊・大己貴尊・少彦尊を合祀している。
「新編武蔵風土記稿」は、慶長年間(1596~1614)以前から祀られていたとする説を紹介している。
風土記稿編纂当時の神主は沢田近江といい、先祖の大江免毛が万治三年(一六六〇)からその任にあったとしている。また、元文元年(一七三六)に大江大夫橘為稠によって再興されたとする説があるほか、延享元年(一七四四)に本社が造営されたという記事が「武江年表」・「新編江戸志」などに見られる。
江戸時代の小日向の僧、津田敬順は、その著書『遊歴雑記』の中で、神主の沢田近江の居宅からの眺望が最もすばらしいと述べている。また、「実に雅人の愛すべき土地」といい、歌人や俳人が来訪して宴を楽しみ、自らも沢田の居宅で茶を楽しんだことも記されている。
境内には、明和二年(一七六五)の銘がある手水鉢があり、鳥居の脇には、正面に「右朝日山王宮」と刻まれた、文久元年(一八六一)のものと思われる道標がある。また、「傳中親睦会」と刻まれた石柱があるが、これは古い鳥居の一部である。「傳中」は「殿中」とも書き、上駒込村の字の一つで、六義園が柳沢吉保の屋敷だった頃、将軍綱吉の御成を待つ供の様子が、あたかも殿中の様であったことから、その一帯をこう呼ぶようになったという。(2010年(平成22年)2月版 豊島区教育委員会の案内板)
見に行ったら小道に面した鳥居の下にある円柱がそれで、第二次大戦の空襲で焼き尽くされた際に、破壊されて残った鳥居の一部かと思って道標とは気づかなかったのだった。一八六一年といえばアメリカでは南北戦争が起こり、日本では攘夷派水戸藩浪士らが盛んに事件を起こし、和宮親子内親王が徳川家茂へと降嫁し、文京区ゆかりの出来事を探せば樋口一葉思慕のひと半井桃水が長崎で生まれている。
江戸末期の新しいものとはいえ、昔の人は大切な道標がすり減って見えにくくなったりしないよう、硬い花崗岩で作ることが多かったので、駒込日枝神社前のそれも、つい先日作られたもののように新しい。