▼37……話しの尾鰭(ひれ)


豊島区駒込。

料理屋のある路地を入るとふぐの鰭(ひれ)を干してあるのを見る。

鰭酒用に購入するとかなり高価なものが
一見ぞんざいに干してあるような気がし、
人間は別にしてカラスやネコなどに盗られる事はないのかしら
と余計なことが心配になる。



ふぐに毒があるといっても鰭の部分に毒があるとは聞いたことがないので
不思議だなぁと思ってインターネット検索してみたら
愛知県の漁師の娘さんがふぐの鰭を干して油断していると
トンビやネコに盗られると日記に書かれていた。

どうして東京では無事なのか……などと書き始めると
どうでもいい話に尾鰭がつきそうなのでやめにする。

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▼36……花咲か七軒町

18世紀半ば頃にひらかれたという駒込七軒町は
庭木栽培に適した土地だったので多くの植木屋が軒を並べていたという。

豊島区駒込3丁目、『みんなのお庭』前に石碑が建てられており、
この町がかつて植木の里であり
『ソメイヨシノ』を生み出した職人の町であることがかろうじてわかる。



駒込七軒町、 駒込千駄木町、駒込千駄木坂下町、駒込千駄木林町
駒込吉祥寺町、駒込肴町、駒込曙町、駒込上富士前町
駒込浅嘉町、駒込追分町、駒込富士前町、駒込片町、駒込蓬莱町…
美しい名前は根こそぎ消されてしまったいま、
町の名前から往時を思い浮かべたりすると、
美しい国日本であるために
保存されるべきは豊かな情緒を永遠に伝える
地名だったのではないかと思ったりする。

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▼35……家の由来

中央区銀座2丁目。

昭和通り裏にある古い商家の看板には酒蔵『秩父錦』とある。
たとえ酒場となっても古い建築物が残されていくのはありがたいとは思うけれど
そういう趣向の店で飲むのはあまり好きではない。

     撮影日: 07.1.26 0:58:01 PM

それよりこの家はどういう商いをされた方が建てて
どんな暮らしをされていたのかということに興味がある。
インターネットの時代というものはありがたいもので、
適当なキーワードを入れて検索してやると知りたいことがわかる。

このお店の元は炭屋だったのである。
「東京都中央区銀座2-13-14の炭屋」
そう思って建物を見ると初めて味わいがある。

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【ヒラメか、カレイか】

【ヒラメか、カレイか】

静岡県清水美濃輪町。

釣具店のショーウィンドウに大きな魚拓があり、昭和 62( 1987 )年、三保松原で釣り上げられたこの魚は体長 86.5cm で体重が 6.8kg もあったという。



「(うっひゃ~、でっかいカレイだなぁ!)」
と呆れて写真に撮り、帰京して眺めていたら
「ひだりびらめのみぎかれい」
と言うからカレイだと思っていたのだけれど、拓本だからヒラメなのだろうか、いやちがうかなと思い始めた。

左右対称でなくてしかも右と左のどちらに目があるかで種類が違う魚の拓本というのは難しいなぁと思う。

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【あんこのふるさと】

【あんこのふるさと】

毎年気になっている興津宿の地域イベントが今年は 2 月 10 日(土)に行われるという。

何度見ても「あんこのふるさと」というコピーにインパクトがあって素晴らしく、伊豆にある「うこんのさと」に通じる趣きがある。


このイベントには是非一度行ってみたいと思っていた。

プラタナス並木のある「果樹研究所」一般公開も楽しみだし、「さった峠ゆっくりウォーク」というのがちょっと魅力的。
由比駅を 8:30 ~ 11:00 に出発して
興津駅に 15:00 までに着けばよいらしい。

本当は義父が元気なら一番喜びそうに思う。
日本の製餡発祥の地「あんこのふるさと」と聞いただけで永住したくなるのではないだろうかと思うくらいにあんこが好きで、家族の目を盗んで手づかみで食べる姿は里に出て悪さをするニホンザルそっくりだからだ。

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▼擾(じょう)と月

中央区銀座一丁目、昭和通りの東に三吉橋跡があり、
かつてあった橋は三島由紀夫の作品にも登場したようで碑が立っている。

橋の欄干は低く、その三叉の中央の三角形を形づくる三つの角に、
おのおの古雅な鈴蘭灯が立っている。鈴蘭灯のひとつひとつが、
四つの燈火を吊しているのに、その凡てが灯っているわけではな
い。月に照らされて灯っていない灯の丸い磨硝子の覆いが、まっ
白に見える。そして灯のまわりには、あまたの羽虫が音もなく群
がっている。
 川水は月のために擾されている。
      (三島由紀夫『橋づくし』)


     撮影日: 07.1.26 4:51:20 PM

最後の「擾されている」という部分が読めない。
擾乱(じょうらん)するという言葉があるので
「じょうされている」となら読めるけれど
きっと訓読みがあるはずだと帰宅して調べてみたら
「擾(みだ)されている」
と読むのだった。

写真は文京区本駒込、科研製薬跡地から眺める月。
空は雲ひとつ無く晴れ渡っているので
月のために擾されることもない。

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【石を拾う】

【石を拾う】

 

(『電脳六義園通信所』アーカイブに加筆訂正した 2007年 1 月 29 日の日記再掲

 

A rolling stone gathers no moss.

「転石苔を生ぜず」という諺の転石は「ころがっている石」と広辞苑第四版 (2) の項にあり、(1) の項には「岩盤から離れ、流水などに押し流されてまるくなった岩石」とある。

海岸や河原で石を拾うと地域ごとに転がっている石の大きさや形がが違い、石の組成、岩盤から剥がれ落ちる際の砕け方、波や流れの強さや地形の癖の違い等によって様々に異なるのだろう。

海岸や河原に行くと、ここの石たちは長い歳月をかけてどんな環境で丸められ、これから先どんな工程を経てさらに丸められ、最後は何処の砂粒になっていくのだろうと想像するのが好きだ。想像しているうちに愛着が湧くので持ち帰るが、男が小石を拾う趣味は側で見ているとひどく可笑(おか)しいらしい。

清水本町。巴川にかかる港橋たもとにある西宮神社、通称おいべっさんの境内に丸い大石があると友人の魚屋に聞いたことを思い出し、偶然通りかかったので確かめに寄ってみた。

■静岡県清水本町、西宮神社の「さし石」。

鳥居をくぐった左側、確かに丸い大石が三つ置いてあり、「さし石」と文字が書かれているものもある。昔、若者たちが力くらべをしたという各地に残る力石(ちからいし)である。かつては魚座(魚市場)だった場所なので計量の道具に使ったのではないかと愚考したりしたけれど、東京都中央区佃の佃波除稲荷神社にあるさし石は漁師たちが時化(しけ)の時に暇つぶしで持ち上げて遊んだものだという。

興味があるのは三つそろった丸い大石の使い道より、何処の岩盤から離れて流水や波などに押し流されてまるくなった岩石なのか、ということだったりする。
「おいべっさんの境内に丸い大石を三つそろえて持ってこい!」
などと夢のお告げで言われたとしたら、清水近辺だと何処へ拾いに行けばよいのだろう。

■真ん中のさし石に「四十八メ」と書かれている。「メ」とは何だろう。四十八貫目だとすると 180kg だがそんなに重さがあるだろうか。

西伊豆土肥は母の生まれ故郷であり、土肥だけでなく海岸線を北上した小土肥や舟山にも親戚や友人がいて幼い頃遊びに行ったが、舟山の断崖絶壁下の海岸はこういう丸い大石がごろごろしている荒々しい海岸だった。

船で駿河湾を渡って舟山から積んでくる、というのが乏しい知識で思いつく唯一の方法である。

男が二人、西伊豆舟山の海岸に船をつけ、うんうん唸りながら丸い大石をを拾っている姿を想像すると可笑しくてたまらない。確かに男が石を拾う姿には妙に可笑し味がある。

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▼六義園の牡丹

六義園正門で牡丹がきれいに咲いていた。

品種名は「島錦」と書かれている。



牡丹花は咲き定まりて静かなり花の占めたる位置のたしかさ
          木下利玄(1886-1925 白樺派の歌人)

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▼34……鮟鱇


豊島区巣鴨一丁目。

店頭で北風に揺れている吊し切りの跡が
今年もアンコウを始めましたよ、という素朴な看板になっている。

魚屋の友人が開設しているBlogを見たら
今年はアンコウがとれなくて河岸に上がる量が少ないらしい。
先日帰省した折りに覗いてみたらアンコウをさばいていたので、
ああ今年はまだアンコウを注文していないな、と思う。

     撮影日: 07.1.28 2:35:24 PM

親たちが年老いてきて鍋物など上手に食べられなくなり、
しかもめいめいが自分の取りたいものを取りたいだけ取って食べる、
などという形式の食事にするとどんどん遠慮して食が細ってしまうので、
年に一度くらいの贅沢だけれど、郷里清水の魚屋からアンコウを注文すると
肝を味噌と一緒に溶き入れて野菜とともに味噌汁仕立ての盛り切りにしてしまう。
テレビの「田舎に泊まろう」で
宿泊希望者が訪ねたお宅の飾り気のない家庭料理として
そういう食べ方を見た気がする。

病気を持つ老人の言いなりになって食事の量を減らしたら
確実に衰退して死期が早まると思う。
介護が辛いと泣きべそをかきながらも栄養のあるものを工夫して多く食べさせ、
少しでも長生きして貰いたいと奮闘している娘の姿に
愛という得体の知れない心情の不思議さがある。

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▼33……三百人の贅沢

東京都文京区本駒込2丁目。

年が明けてから初めて通る裏通り。

「本日の催し物」と書かれたガラス窓の中が空っぽで、
ああ三百人劇場の幕が下りたんだな……とあらためて実感する。



東京で暮らし始めた親たちに
「どうしてこんな近くに演劇や映画が見られる劇場があり
サンダル履きで通うことだってでき、
しかも三百人しか入れない劇場なんだよ。
こんなに贅沢な環境にいて
どうして毎日家に閉じこもってばかりいるの?」
と説教したことがある。

学生時代、遠路はるばる電車を乗り継ぎ
巣鴨駅から歩いてやって来た三百人劇場。

親たちに説教したくせに、近くに引っ越してきてからは
僕もとうとう一度も足を運ぶことはなかった。

贅沢というのはそういうものかもしれない。

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▼32……小さな地球

東京都台東区台東。

裏通りを歩いていたら懐かしい地球の看板が残っていた。
かつて東京銀座にあった華々しいネオン広告塔のひとつに
森永の地球儀広告塔というのがあった。
僕の世代だとザ・テンプターズによる『森永エールチョコレート』の
テレビCMで記憶があるかもしれないし
森永提供のテレビ番組の最初には
銀座の地球儀広告塔が回転する映像が流されていた思う。

      撮影日: 07.1.27 2:44:20 PM

森永マミーが発売になったのは1965(昭和40)年、
東京オリンピックの翌年である。
美味しいヤクルトがたくさん飲みたいと思っていたら
大瓶の乳酸菌風味飲料が登場して驚喜し、
母親について買い物に行くと牛乳屋店頭でよくねだり、
そのお店が『マミーショップ』だったのである。

銀座の土星みたいな森永地球儀広告塔は1983(昭和58)年1月に消えたけれど
ここにはまだ小さな地球が残っている。

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▼31……肩と肩

静岡県清水市の高校を卒業して小学生時代を過ごした東京に戻り、
懐かしい浅草六区を歩いていたらすれ違いざまに肩と肩がぶつかり、
「どこ見て歩いてんだ、この田舎もん!」
と怒鳴られた。

浅草も1970年代前半はまだそういう威勢のいいお兄さんが
肩で風を切って歩いていた。

     撮影日: 07.1.27 1:52:44 PM

東京都千代田区外神田一丁目。
一見複雑な標識だけれど、よく見るとこの昌平橋脇の十字路から
都道405号通称外堀通りを右折すると大手町方向へ、
坂を登って引き返すと医科歯科や順天堂のあるお茶の水橋たもとへ、
国道17号を左折すると不忍池のある上野池の端へ、
直進すると秋葉原駅脇のガード下をくぐることになる。

要するに都道と国道が交差点において肩と肩がぶつかっているのである。

都道は人呼んでフーテンの寅…ではなく外堀通りという通称がある。
「どこ見て歩いてんだ、この田舎もん!」
と怒鳴りたくても国道は通称が書かれていないのでなんとも威勢が悪い。

本当に通称はないのかと昭文社の地図を見たら「昌平橋通り」と書かれていた。
人呼んで昌平橋通りなのだけれど、この界隈だけで名の売れたお兄さんなのだろう。

でもこの標識だけでも良いから「17」の脇に「昌平橋通り」と入れてくれたら
この界隈で待ち合わせする人には便利なのになぁと思う。

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▼根岸の梅

在京で過ごす一月最後の週末。

寒のうちだというのにあまりにも暖かく、
午後から思い切り歩いて汗をかき台東区根岸に辿り着いたら、
防災広場『根岸の里』の梅がほころびかけていた。


     撮影日: 07.1.27 3:37:27 PM

この公園は密集住宅市街地整備促進事業でつくられたもので
災害時は防災活動拠点となる。

公園内には防災時に備えての仕掛けがいろいろあり、
ベンチの座面になっている板をどかすと
炊き出し用のかまどに早変わりするという仕掛けには感心した。

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▼30……銀座の刀


中央区銀座、昭和通り沿いにある骨董屋。
 
歴史のある町なので骨董屋があっても驚くには当たらないけれど、
この町で営業を続けたくてもままならなかった骨董屋も多いだろうに
良く残って頑張られているなぁと感心する。

     撮影日: 07.1.26 0:53:57 PM

殺伐としたコンクリートのビル街から歩道に向けて
「刀」という文字がにょきっとのぞいていると
刀の抜き身がきらっと光ったようでびっくりする。

刀の切っ先は時代の喉元に突きつけられている。

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▼渚の猪

「今年は亥年だから猪が出るのかなぁ」

猪が街中に出没して大騒ぎになったなどというニュースが流れ、
友人に聞くとどこの家庭でもそんな話題が出るらしい。

まぁ、酉年には鳥インフルエンザ、戌年には狂犬病が話題になったので
干支と無理矢理こじつけだしたらきりがないけれど、
こんなに頻繁に猪の話題を聞いていると
喫茶店の看板を見上げた瞬間、
「渚」が「猪」に見えてしまう。

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