▼『星新一展』

 

世田谷文学館では2010年4月29日(木・祝)~6月27日(日)まで『星新一展』が開催されている。



静岡県清水の実家を処分し、本棚にあった本もほとんど処分したけれど、ハヤカワ・SF・シリーズの星新一が4冊あったので持ち帰った。『宇宙のあいさつ』『妖精配給会社』『悪魔のいる天国』『午後の恐竜』のどれも奥付が1972(昭和47)年なのだけれど、高校時代はまだ星新一を知らないので発売当初に買ったものではない。おそらく大学が休みになって帰省した郷里静岡県清水、戸田書店で買ったものを読んで本棚に残したまま帰京したのだろう。



ハヤカワ・SF・シリーズの星新一4冊。



本好きの間では背表紙が銀色なので銀背と呼ばれたこのシリーズは、ポケット版と呼ばれる縦長のペーパーバック・サイズで、活版二段組のしゃれた造本になっていた。片手で持ってもめくりやすく、ページあたりの文字数が多いので、寝ころんだり混み合った電車内でも読むのが楽で、大好きだった記憶がある。



裏表紙。左上はNASAの公式宇宙服を着た星新一。



同じハヤカワ・SF・シリーズの筒井康隆作品も実家の本棚にあり、そちらは筒井ファンの友人に進呈したが、いつか病院のベッドに横になって過ごす時が来たら、いい歳になって再読する星新一体験、というものをやってみたいと思い始めている。

もしかすると時代の気分もまた、そう思い始める巡り合わせなのかもしれないな、と『星新一展』の知らせを聞いて思う。

 
コメント ( 6 ) | Trackback ( )

▼胸突坂

 

文京区内には胸突坂という名の坂が三箇所ある。ひとつは本郷5丁目、ひとつは関口2丁目と目白台1丁目の間、そしてもうひとつは西片2丁目と白山1丁目の間にある。



2010年4月26日、胸突坂にて。



施設に入所した義父母の住まいを片付けていたらあれこれ必要なものが出てきたので、文京区白山のオリンピックまで散歩を兼ねて往復した。白山から胸突坂を登って向丘に出て、坂上から旧中山道を辿って白山上、白山上から本郷通りを進み右手に曹洞宗諏訪山吉祥寺の山門が見えると、もうわが家も近い。

1995年、富山を引き払って上京し、同じマンション内で同居を始めた義父母と迎えた新年は、毎年吉祥寺、天祖神社、富士神社とまわるのが恒例になっていた。ここ数年は、歩行が難しくなった義父を車椅子に乗せての初詣になったが、今年の元日は車椅子が重く、ますます太って身体が重くなった義父が車椅子からずり落ちそうになるので押すのに一苦労した。



元日になると毎年家族揃って歩いた吉祥寺参道を山門越しに見る。



身体が動かないように見えても微妙にバランスをとる力が人間に残されているから車椅子も楽に押せるのかもしれない。今年の義父はすわりの悪い砂袋のように不安定で、シートベルトのようなもので固定しない限り、もう車椅子での外出は難しいかもしれないと思った。車椅子で外出してみると歩道も決して障害者向けに平坦とは言えないし。

そんなことを考えながら車椅子を押して後ろを歩いていたら、義母もふらふらとして足もとがおぼつかなく、これはおかあさんも長距離を歩くのは無理かもしれないと思った。いま思い返してみれば、義父母ともこの春がそろそろ在宅で過ごす胸突き八丁だったのかもしれない。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

▼時の器

義父母の介護が在宅から入所になり、無人となった住まいにマンション大規模修繕の工事が入るので片づけをした。


義父母が同時に錯乱したのが8年前で、二人の寝室を別々に分ける必要があって和室に義母のベッドを移したのが7年前だった。そのベッドを元の洋間に移し、ツインのベッドルームに戻したのだが、母のベッドのあった場所だけ畳の色が若々しい。そうか7年前の畳はこんなに青かったのかと眺めていたら、在宅介護の重圧から解放されたことも手伝ってか、7年間があっという間に過ぎ去ったように感じられた。



義父が8年間デイサービスに通った高齢者在宅サービスセンターの玄関前に咲いた花。



けれどその7年間の中に、末期ガンの母親に付き添った地獄の責め苦のように長い2年間があり、母が他界して無人になった家の後始末をするという、無限とも思えるほどに長い5年間の片付け帰省があった。大変だったと思い出すそれらの長い時間が、あっけなく過ぎたように感じる時間の中にそっくりおさまってしまっていることを不思議に思う。

長さとして感じる時間的な記憶というのは楽しいにつけ苦しいにつけ、入りそうにないほど儚く小さな時の器の中に詰まっているものかもしれない。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

▼小石川植物園

 


4月24日、ひとりだったので昼食を兼ねて散歩し、小石川植物園まで行ってみた。



2010年4月24日、小石川植物園にて。



桜の季節の熱狂が去ったのと、このところ冬に逆戻りしたように寒いのと、前日雨だったこともあってかひどく空いており、巨木の間を行く小道などはちょっと怖いくらいの霊気を感じたりする。



シマサルスベリ。



園内の池の端を、大きなレンズをつけたカメラを持ち、腰を屈めて移動する人がいるので何を撮影しているのだろうと見ていたらカワセミが枝から枝へと飛び移っていくのが見えた。



園内の東家と、東家下にあるハゼノキの芽吹き。



いったいいつ頃からカワセミがいるのだろうとネットで検索したら、インターネットが普及する以前、1980年代の思い出を書き込んでいる人がおり、その当時からいたというので、はるか昔からこの辺りにいたカワセミの生き残りなのかもしれない。



メタセコイアの林。



1981(昭和56)年4月6日から10月3日まで放送されたNHKの連続テレビ小説「まんさくの花」が好きでよく見ていた。おそらく最終回だったと思うのだけれど、まんさくの花は別名「四恩の花」と呼ばれ、四つの恩とは父の恩、母の恩、師の恩そして友の恩であるというナレーションを聞いて泣いた記憶がある。



トキワマンサクの花と、丸くてかわいいヒロハカツラの葉。



東家からの道を下っていたら不思議な色合いと光沢を持った落ち葉が道を埋めており、どの木がこんな葉を降らせたのだろうと見上げたらマテバシイだった。植物には名前が書いた札が添えられているけれど、昆虫には名札がないので名前を知ることができないのがもどかしい。



マテバシイの葉と、不思議な形をした虫。



小石川植物園前で「園内で食べられますよ」と声をあげていなり寿司を売っている人がいたけれど、昼食後でなければ芝生に腰をおろして食べたら、気持ちよかっただろうと思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( )

▼柊鰯

 


「小言念仏」という落語があって三代目三遊亭金馬が演ずるのを何度か聞いたことがある。その最後の所で「鰯のあたまも信心から」という言葉が出てきて「(ああ、あれはやっぱり信心のためのものか)」と幼心に合点がいった記憶がある。それほど昭和三十年代東京下町では節分の風習「柊鰯」がごく普通に見られた。



2010年4月24日、文京区小石川にて。



「柊鰯」とは棘がある柊(ヒイラギ)の葉と、小骨や臭みのある鰯(イワシ)を玄関先に置いて、これらが嫌いな鬼の侵入を防ごうという風習だ。天気がよいので小石川植物園まで散歩で出掛けた帰り道、懐かしい「柊鰯」を見つけた。さまざまな宗教的意味合いを付与されてきた鰯の頭。こういう光景を見かける機会が減ると、「鰯のあたまも信心から」などと落語で聞いてもピンと来なくなるのかもしれない。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

▼自宅食堂の昼食

 

長いこと義母と一緒に昼食を食べていた。そして義母が施設ケアと決まって不在になったのちも、昼食は義母が暮らしていた住まいの台所で作って食べている。これからも昼食だけは義父母がいなくなって無人となった住まいで食べようと話しており、たとえ昼食時のわずかな時間でも、人の暮らしがない住まいは死んでゆくからだ。



六義園近く、花花庵店頭にて。



清水両河内で友人たちが掘ったタケノコが届き、一度に食べきれないので千切りにして冷凍してある。牛挽肉とともに炒めてカレー炒飯を作ったらとても美味しかったので、今日はたまねぎみじん切りと清水から取り寄せたちりめんじゃこを炒め、焼津の削り節と小豆島の醤油を隠し味にして、和風カレー炒飯を作ってみようと思う。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

▼西ヶ原みんなの公園

 


東海、東南海、南海と三つの地震が同時に起きた場合、静岡県では8,100人の死者が出るという予想が中央防災会議から発表になったけれど、郷里には親戚や友人知人が多いので予想とはいえあまり気持ちの良い話ではない。



「西ヶ原みんなの公園」にて。



東京都北区西ヶ原、旧東京外国語大学跡地の一部が防災公園として整備されて今月から開放されている。名前は「西ヶ原みんなの公園」といい、防災拠点なので100トンの防火水槽をはじめとして、たくさんの防災用の仕掛けがある。ベンチは座板を外すと炊き出し用のかまどになるそうで、初めて見たときはなるほどと感心したが、最近は防災拠点となる公園に次々に採用されいているのをよく見かける。



「西ヶ原みんなの公園」のかまどベンチ。



公園によくある藤棚などの洋風東家をパーゴラと呼ぶのだけれど、ここのパーゴラは屋根が葺かれていないのに山型になっており、緊急時はテントをかぶせて避難所になるらしい。これまたなるほどと感心した。



「西ヶ原みんなの公園」の防災用パーゴラ。



広大な芝生の原っぱもあるので、かまどベンチで炊いたご飯を、広い原っぱで車座になってみんなで食べ、パーゴラテントで寝たら楽しいだろうなと思うけれど、そんな体験ができるときは災害時なので楽しいはずがない。



「西ヶ原みんなの公園」の芝生原っぱ。
 
コメント ( 2 ) | Trackback ( )

▼海ぶどうと新聞紙

 


仕事で銀座の出版社に出掛けたら、打ち合わせを終え帰る頃になって雨が激しくなった。
小さな折りたたみ傘をさして歩き、雨宿りを兼ねて銀座一丁目の「わしたショップ」に入ったら海ぶどうが山積みになって売られていた。海ぶどうを初めて知ったのは池袋にある沖縄料理店「おもろ」で食べたときで、緑のキャビアの名に恥じない味に驚いた。それが沖縄県物産公社「わしたショップ」で買えるようになってからは、思い出すと時々買って帰る。



わしたショップで買った海ぶどう。



店員はやはり沖縄出身者が多いのか、沖縄言葉で話しかけられると地域の香りがして嬉しい。
「海ぶどうは冷蔵庫に入れると萎びますから入れないでくださいね~」
と言われ、知らなかったので驚いたけれど
「あ、すぐに食べます」
と答えたら笑っていた。



新聞紙で丁寧にくるまれた海ぶどう。



新聞紙で包装してくれるので、沖縄タイムスか琉球新報で包んでくれたのかと楽しみで、帰ってひろげてみたら朝日新聞だったのでがっかりした。遠く離れた土地で暮らす友だちから荷物が届くとき、包装用や緩衝材がわりに入れられた新聞が地方紙だととても嬉しいからだ。海ぶどうのパッケージに、ごくまれに小エビが入っていることがあると注意書きがあるので楽しみにしていたが見つからなかった。

お国訛りも、地方新聞も、まれにあるという小エビの混入も、地域の香りが想像できるから楽しい。

 
コメント ( 4 ) | Trackback ( )

▼東京スイミングセンターとカフェ・デル・ソル

 


染井通り沿いにある東京スイミングセンターTSCは、北島康介をはじめとする優れた競技者を輩出していることで有名なスイミングスクール。



「カフェ・デル・ソル」の移動販売車側面。



そこにやってくる「カフェ・デル・ソル」の移動販売車には mobile café & zakka と書かれており、側面のドアを開けるとワッフル・クレープ・コーヒー・フレーバーミルクなどの飲食物販売コーナー、後ろのドアをあけると雑貨販売コーナーになっている。



「カフェ・デル・ソル」の移動販売車背面。



スイミングスクール帰りの少年少女を客として当て込んでやって来るのだろうけれど、小さな車を見事な移動店舗として活用していることに感動してしまう。魚屋とか弁当屋とか自転車修理屋なども含めて、ワンボックスカーの移動店舗というのは見ていて飽きないのでかなり好きだ。

 
コメント ( 2 ) | Trackback ( )

▼アスパラガスの季節

 


六義園近くにある料理店にフランス産のホワイトアスパラが入荷したという看板が出ていて、ああ今年もアスパラガスの季節になったなと思う。アスパラガスの和名はマツバウドとかオランダウドとかいい、ウドと同じく土を被せるなどして遮光栽培すればホワイトアスパラになる。



フランス料理店の看板。



買い物を兼ねて自転車で外出し、八百屋やスーパーマーケットをまわったらどの店にも大量のグリーンアスパラがあった。国産もあればアメリカ産もあり、値段にもばらつきがある。欧州ではタケノコのようにその香りを楽しむそうだから、産地も大切だけれど鮮度こそが大切な気がし、富山に住んでいた義父母の家庭菜園で採り立てを茹でた際の香りが忘れられない。



「私の庭・みんなの庭」の畑。



豊島区駒込、染井通り沿いにある「私の庭・みんなの庭」でも畑が耕され種が播かれている。トウモロコシとトマトが植えられた畝の間に小さな囲いがあり、よくみたら緑のアスパラガスが顔を出していた。義父の畑でもこうやってアスパラが顔を出していたなと懐かしい。



畑から顔を出したアスパラガス。
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

▼染井通りのムクノキ

 


六義園正門前からまっすぐ染井霊園まで続く古道があって染井通りという。染井通り沿いにできたマンション前にムクノキの古木がある。



染井通り沿いのムクノキ。



そろそろ花の時期だと思い、望遠レンズで覗いてみたらたくさんつぼみをつけている。やがて花が咲き、秋には甘い実をつけてムクドリたちの食堂になる。



つぼみをつけたムクノキ。
 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

▼七七忌

 


郷里静岡県清水の友だちからメールが届き、昨日が七七忌だったと書かれているので、
「えっ?」
と驚いたら、毎朝の散歩仲間だった愛犬が亡くなられたのだそうで、四十九日で逆算すると三月初めのことだったらしい。あれこれ大変なことが多いけれど、今はそれが一番こたえているという。



タンポポの花。



わが家にも四半世紀前に飼い犬がいて突然の事故で死んだ。事情が事情なのでなおさらだったのかもしれないけれど、家人がひどいペットロス症候群になり、精神的におかしくなるのではないかと冷や冷やしたことが忘れられない。海岸でタンポポを摘み、火葬場の炉に投げ込んで愛犬とお別れをしたのだった。



染井銀座のヘアサロン店頭にいる天使。



家人が今でも犬を飼いたそうな素振りを見せると
「犬に死なれて気が狂いそうに取り乱すんだからもう飼ってはいけない」
と言っている。だが考えてみれば、犬に死なれて気が狂いそうに取り乱すくらい好きだから飼いたいわけで、ちょっと矛盾しているような気もする。おそらく愛犬の死より、それによって家族が抱え込む面倒ごとを避けたいだけなのだ。

 
コメント ( 8 ) | Trackback ( )

▼胴吹きと蘖(ひこばえ)

 


桜も古木になると、太い幹から枝を介さず直接花が咲いたような状態をよく見かけ、それを胴吹き(どうぶき)と呼ぶ。背景が暗い色になるため花の色合いが日を受けたように明るく見え、その分だけ綺麗に思われて得をしているし写真写りもよい。



桜の胴吹き。



切られた木の根元あたりから新たな芽吹きがあることを蘖(ひこばえ)という。稲の切り株から生える芽も蘖なら、倒れた銀杏の根元から生える芽も蘖という。



銀杏の蘖(?)。



幹の途中で切られてしまった銀杏が芽吹いており、これもまた蘖というのかなと写真を撮ったが、蘖と呼んで正しいかどうかはわからない。

 
コメント ( 4 ) | Trackback ( )

▼ひこうき雲

 


青空にくっきりと描かれる真っ白なひこうき雲は、やがて風の指先でこすられてでもいるように、輪郭が曖昧になり、うっすらとぼやけて消えていく。



2010年4月18日午後1時55分。文京区白山にて。



鎖のようにふたすじの雲が捻れ、引きちぎられたようにバラバラになっていく不思議なひこうき雲を見た。気流の関係だろうと思うのだけれど、なぜあんな風になるのかはわからない。



2010年4月18日午後1時56分。文京区白山にて。



不思議なひこうき雲に夢中になっていると空をしきりにツバメが横切る。青空とひこうき雲とツバメは、春にとてもよく似合っている。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )

▼神田ふれあい橋

 


郷里静岡県清水は町の真ん中に巴川という川が流れているので、市街地で暮らしていると一日に何度も橋を渡ることになる。そういう暮らしをした経験があると、都内でときどき橋を渡るのが楽しく、橋があると用もないのに渡ってみたくなる。



神田佐久間町川から『神田ふれあい橋』に向かう道。



秋葉原のビル街に細い路地があり、その先に歩行者専用の人道橋があって『神田ふれあい橋』 という。千代田区神田須田町と神田佐久間町を結ぶ近道であり、上流の『万世橋』と下流の『和泉橋』を渡らずに済むショート・カットになっている。1989(平成元)年の架設だそうで、東北・上越新幹線東京駅乗り入れ工事の際に鉄橋工事用の橋として用いられた橋が、地元の要望を受けて保存・開放されたものだという。

『万世橋』や『和泉橋』のようにでかい橋ではないので、故郷で橋を渡るような気軽さがあり、川面を渡る風があったりするとちょっと嬉しい寄り道となる。

 
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 前ページ