【まにあうかもしれない今なら 2】

【まにあうかもしれない今なら 2】 

六義園内から飛んできたイロハモミジの種子がベランダの排水溝に吹き溜まり、黒く腐食した枯れ葉の中から発芽し、貝割れ菜のように弱々しい芽が雨に打たれて力なく倒れ伏しているのを見ていられなくなり、「♪まにあうかもしれない今なら まにあうかもしれない今すぐ…」となつかしい吉田拓郎の歌を口ずさみながら思い切って移植した。


2022 年 6 月 8 日

園芸用針金で「 y 字型」の松葉杖をそれぞれの株に添えてやり、ひと株くらいぶじに育つといいのだけれど思った。そう2022 年 6 月 8 日の日記にある。


2022 年 6 月 30 日

数日前、吉田拓郎引退のニュースが流れていた。「♪まにあうかもしれない今なら まにあうかもしれない今すぐ…」という決断の甲斐あってか、わが家のイロハモミジはひとまず元気さを取り戻して夏へと向かう。

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【祭りのあと】

【祭りのあと】

難病にかかって、わが母と手紙で励まし合っていたいた 12 歳年下の従妹が母の死の翌々日、あとを追うように他界した。

そしてその夏、叔父の家の縁側で従妹が遺した中学生と小学生の姉弟がする花火を見た。人生で一番美しい花火だったような気がして、今年の夏も姉弟がおじいちゃんの家で過ごすなら、花火を買って持って行こうかな、と思ったりする。むかし大人たちが子どものする花火を遠くから楽しそうに見ていたけれど、そういう花火がいいと思える年齢になってきた。


DATA:RICOH Caplio GX

仕事帰り、東大正門前からバスに乗ったら駒込富士前バス停で子どもたちがおおぜい降りるので何だろうと思ったら、都立駒込病院脇を通って藪下通りへと続く古道沿いに夜店が建ち並んでいるのが見えた。駒込富士神社の夏祭りなのである。


DATA:RICOH Caplio GX

若い頃はいい大人のくせに楽しみの中心にいたい自分がいた。
 
友人たちと飲み会をし、神社に祭礼の夜店が出ていると酔った勢いで繰り出し、射的に夢中になってひとり一万円以上もつぎ込んで撃ちまくり、帰宅して撃ち落としたココアシガレットやフルヤキャラメルの箱を山積みにして大笑いしたこともある。そして花火をしようかといえば度を過ぎた大人買いをして騒いでいた。


DATA:RICOH Caplio GX

大人になってから、思い通りにならなかった少年少女時代の怨念の憂さを晴らしがしたい時期があるのだろう。そして子ども時代の夢がお金でたやすく買えてしまう、つまらない大人になったことを自覚し、子ども時代の夢がお金でたやすく買えないからこそもっと得難いものだったことを思い知る。そしていい大人になる。


DATA:RICOH Caplio GX

富士神社参道を歩き、夜店を眺めていら、友人の子どもでもいいから、子連れで歩いたら楽しいだろうなと思う。そして祭りの空間で夢中になっている子どもたちを眺めていると、花火に興じる子どもたちを見守るのが楽しいように、ひとつ外側の世界に身を退いて若い命の輝きを眺めることこそが楽しく感じられるようになっている自分に再び出会うのだ。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 6 月 30 日、19 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【記念メダル】

【記念メダル】

高さ 147 m、地下 3 階地上 36 階、日本初の超高層建築「霞が関ビル」が竣工したのは 1968(昭和 43 )年 4 月 12 日。今では当たり前になったセルフクライミング方式タワークレーンもこの時導入された新工法であり、施工は鹿島建設だった。

高校時代、完成して間もない霞が関ビル最上階の展望台に行って来たと記念のメダルを見せびらかす友人がいた。ずいぶん幼い高校生だなと今では思うけれど、地震国日本では不可能とされていた初めての高層ビル建設を柔構造理論を用いて成し遂げたわけで、まさに戦後日本経済復興の象徴であり、日本の技術力の高さが、当時の高校生にとっても誇らしかったのかもしれない。


Data:MINOLTA DiMAGE F100

大学を卒業した翌年、霞が関ビルに隣接したビルから雑誌デザインのアルバイトをいただき、それ以来、毎日のように霞が関通いをした時代があった。霞が関ビル最上階には展望台があり、レストランも併設されていて、何度か食事をしたり酒を飲んだこともあった。

久し振りに霞が関まで打ち合わせに出掛けたので、36 階展望フロアにでも行ってみようかと直通エレベーターに乗ったら、通常の企業が入居しており、展望台は消滅していた。考えてみれば、霞が関ビルより高いビルも今ではいくらでもあるし、直通の高速エレベーターが使える 36 階は好条件の賃貸物件になるわけで、1989 ~ 94 年にかけて行われたリニューアル工事の際に展望台はその役目を終えたのかもしれない。


Data:MINOLTA DiMAGE F100

霞が関ビル展望台にまだ記念メダル販売機が残っていたら買ってみようか、などと考えていたのだけれど、何とものんきな考えで恥ずかしい。それにも懲りず、東京タワーの記念メダルは今でも買えるかもしれないから今度行ってみようかな、などと考え始めている幼稚さは更に恥ずかしい。

けれど、やっぱり誰でも人生を振り返ってメダルが欲しいのだ。それというのも、あの時代の日本の若々しさと活力が、自分の失われた青春と妙に同期しているように思えてならないからだ。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 6 月 29 日、19 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【 80.6°F 】

【 80.6°F 】

浴室で壊れかけたデジタル時計は落下破損の危険のない室内に置き場所を見つけて延命させることにした。

時計以外に湿度と温度が表示されて便利ではあるのだけれど、米国向け製品なのか温度表示が摂氏ではなく華氏で表示されているので摂氏のつもりで見るとギョッとする。

本日の東京地方における最高気温 35°C は華氏の温度計だと 95°F と表示される。華氏の温度から 32 ひいて  1.8 で割れば摂氏が出るのだけれど計算がめんどくさい。

室内の快適温度を摂氏 27°C ということにすると、華氏の快適室温は 80.6°F なので、「華氏 80.6度は暑さ涼しさ、快・不快の分岐点」と覚えることにした。節電目安にもなるかもしれない。

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【 AA 電池】

【 AA 電池】

浴室用の時計が壊れる寸前になっている。シンプルでしっかりした防水構造のものを探して注文した。吸盤やマグネットのフックにぶら下げるだけでなく、タオルハンガーなどに巻き付けるアイデアに感心した。

注文し終えてから写真を眺めていたら、平べったい円筒ケース内にありふれたクオーツムーブメントが入っているのだけれど、電池が「 AA 電池」だと書いてある。そういう表記を初めて見た。

単5形のような手に入りにくいサイズだとイヤだな、失敗したかなと思って調べたら、JIS 規格の単1形・単2形・単3形・単4形を、海外ではそれぞれ D・C・AA(ダブルエー)・AAA(トリプルエー)と呼ぶのだという。かなり前からそうらしいのだけれど知らずにいた。AA(ダブルエー)はよく使う単3形だったので安心した。

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【寇と冦】

【寇と冦】

19 年前、2003 年 7 月 2 日 に【寇と冦】と題してこんな日記を書いていたので再掲。

   ***

「元寇(げんこう)」と「和冦(わこう)」と打ったら、ATOK 15 for Macintosh では「こう」の字が違って変換されることに気付いた。
「寇」とは外部から侵攻すること、もしくは侵入する敵を指し、訓は「あだ」である。
鎌倉時代、日本に来襲した元軍を「元寇」といい、「和冦」とは13~16世紀、朝鮮・中国の沿岸を掠奪した日本人に対する、朝鮮・中国側の呼び名である。

この変換に従えば大陸から日本を攻めた海賊は「寇」であり、日本から大陸を攻めた海賊は「冦」となっている。「寇と冦」の使い分けに深い含意があるのだろうか。

旧版JISコード、「冦」は「514E」、「寇」は「5564」である。この異体字、一覧表などでは「冦」を親字としているものがありコード値が上位にあるのが理由だったりして笑えるのだけれど、正しくは「寇」が親字であり、「冦」は俗字なのである。

「寇」の「宀」が「冖」に換わっているのであり、こういうのを「意符書換字」という。「富」と「冨」、「寫」と「冩」などがネット上で表示できる例である。

で、ATOK 15 for Macintosh で更に変換候補を表示させたらちゃんと「倭寇」が出て来た。日本を「倭」ではなく「和」と表記する場合は俗字を組み合わせ、「和」のかわりに「倭」と表記する場合はちゃんと親字の「寇」が用いられているのだ。

それでは俗字「冦」に付随する「和」とは何者ぞや、との疑問が思い浮かび、その答えは遙か昔に本居宣長先生が書かれているので引用する。

「問ひて云はく、「倭」を「和」とも書くはいかが。答へて云はく、古來「倭」の字を用い來しかども、これもと異國より名づけたる字にて、「倭奴」などともいひて、美名にあらずとてにや、後に此方にて「和」の字に改められしなり。ゆゑに唐の書には後世までも「和」の字を用いたることは見えぬなり。さて「和」の字も國號にするによしあることかと尋ぬるに、ただ「倭」と同音にて、好字なるを取られたるまでのことなるべし。それも上古はただ「夜麻登」といふ言をむねとして、文字は借り物なればその沙汰にも及ばず、あるにまかせて「倭」の字を用い來たれるに、後には文字の好惡を択むことになりて、好字には改められたるなり。しかるに「和」の字の義につきて、「大きにやはらぐはわが御國の風俗なり」などといふは、また後の付會の説なり。文字は借り物なりといふことを知らぬゆゑにかかる説は出で來るなり。」(『石上私淑言』より

DATA : SONY Cyber-shot DSC-WX300

人間が外部を侵略すると、必ずヒステリックな残虐行為を働くものらしく、司馬遼太郎によれば倭寇に襲われた地域は「倭が来た!」と逃げ惑い、その所業は凄惨を極めたらしい。やっぱり「倭寇」と表記するのが正しいように思う。

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【七ツ新屋のシュロと八幡神社】

【七ツ新屋のシュロと八幡神社】

岡鉄道車窓から大楠の森が見え、途中下車して歩くと大きなシュロもある。


Data:RICOH Caplio R1

大楠の森はいわゆる「はちまんさん」で八幡神社と春日神社が合祀されている。


Data:RICOH Caplio R1

元々ここにあったのは八幡神社の方らしく、春日神社は明治 31 年に「春日の池近く」からこの地に移されて合祀されたという。『春日の池』がどこにあったのかは知らない。


Data:RICOH Caplio R1

境内に立つ八幡神社の解説板には次のように書かれている。

「祭神は譽田別命(ほむたわけのみこと)、後の応神天皇。仲哀天皇第四皇子、母は神功皇后。在位中漢字を広め、縫工・織工・鍛工・船工など百済新羅からの帰化人を優遇し、さらに中国人からは養蚕紡績の技術を学ばせた…(中略)…当七ツ新屋に於ては村落創成の頃、即ち安土・桃山あるいは江戸時代より産土の神として祭られる」


Data:RICOH Caplio R1

八幡神(やはたのかみ)は武運の神である誉田別命(ほんだわけのみこと)であり、応神天皇(おうじんてんのう)と同一とされ、地の神も仏も習合して八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)とも呼ばれる、とざっくり納得して帰京の途につく。


Data:RICOH Caplio R1

巨大な守護神にゴールを阻まれたサッカーボールが笑える。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2005 年 6 月 28 日、17 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【キューポラのある街】

【キューポラのある街】

仕事でキューポラのある街へ。

埼玉県川口市、キューポラ(鋳物工場でコークスを燃料とし鉄を溶かす円筒形の炉)はもうもうないけれど、駅構内の地図を見ると「鋳工場」がいくつか見つかる。

川口の鋳物というと東京オリンピック(1964年)国立競技場の聖火台を思い出す。そして1962年の日活映画、吉永小百合を一躍有名にした映画『キューポラのある街』も思い出深い。

「働くこと」がすなわち「生きること」であるという意識は、東京オリンピックを小学生で迎えたわが世代にもまだ揺るぎないものだった。月々数百円の学級費や給食代が払えない家庭があった時代である。


Data:MINOLTA DiMAGE F100

鋳物工場の職を失った父親を持つジュン(吉永小百合)は中学三年生。父親は酒に溺れ、僅かな退職金もギャンブルにつぎ込んでしまう。母親の出産費用にも事欠き、自身の修学旅行のお金さえあてにできないジュンは、公立高校進学費用を「自分で稼ぐ」ためにパチンコ店でアルバイトを始めるのである。

川口駅東口に巨大なライオンのブロンズ(風)像を屋上にのせたビルがあって驚いた。いかにも鋳物の街だなぁと思い、ちょっと品のない都市景観ではあるけれど、勇ましいライオンの像が地域住民に誇りと希望を与えるとの目的で、行政が設置したのかと微笑ましく、激しい雨降りだったので駅前から撮影しておいた。


Data:MINOLTA DiMAGE F100

帰宅後、インターネットで「川口 駅前 ライオン」と入力して検索したら、なんとパチンコ屋だった。40 年後の『キューポラのある街』でジュンのような娘が増え続けていないことを願いたい。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2003 年 6 月 27 日、19 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【別れられない理由】

【別れられない理由】

静岡県清水市で 34 年間もの間、母はちいさな飲み屋を営んでいた。長いこと飲み屋の母さんとしてカウンターの中に立って客と接していると、客の深い事情に立ち入って相談相手にならなければならないことも多く、そもそもそういう世話焼きが好きな人だったように思う。
 
そんな母は何でも捨てずにとっておく人だった。
実家の片付けをしていると相談に乗った客たちから届いた手紙が出てきて、それは意外にも達筆で、巻紙に切々と身の上相談が綴られていたりする。

相談に乗った客の話を息子に聞かせることが多く、手紙を見ただけで「(ああ、あの人のあの件か)」とおおよその事情もわかり、そんな手紙が残っていると知ったら書いた本人は死んでしまいたいほど嫌に違いないので、人目に触れないよう小袋に入れてから静岡市推奨ゴミ袋に入れて捨てている。


DATA:OLYMPUS C755UZ

「あんな男と一緒にいたら苦労するだけだ、そんなに辛いならこれを機会に別れちゃいな」
そう言って癖の悪い男と別れさせた女性が何年振りかで店に立ち寄り、別れたはずの男と復縁してまた同じ苦労をしていると知り、
「あれほど辛い思いをさせられた男とまたくっついておなじ苦労をしてる。バカだね。でもああいうのが好きなんだからしょうがない、結局苦労したいってことだ……」
と溜息混じりに苦笑いしていた。

典型的な共依存であり、母は共依存を知らなかった。港まちには共依存の男女が多かったのかもしれない。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 6 月 26 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【小鳥を食べる】

【小鳥を食べる】

ちょっと前まで、街を歩くと大衆酒場の店頭で、羽をむしって丸のままのスズメを串に刺しタレをつけて焼いている光景を目にし、当たり前のことのようにスズメ焼きが飲んべえのつまみにあった気がするのだけれど、気がつくとすっかり見かけなくなっていた。

日本中でそうなのかしらとインターネット検索してみると、昔のように当たり前にではないけれど各地に食べられる店があるらしいし、個人的にスズメ食を楽しんでいる方もいるらしい。

若者がスズメ焼きを注文したら、食べにくいし食べるところが少なくて美味しいものではない……と書いていたりして微笑ましい。歯が丈夫だった頃の母や、その親と兄弟姉妹が聞いたら大笑いしたと思う。祖父や叔父が狩りをする人だったのでスズメはしばしば食卓に上り、子どもだったのでやはり「(食べにくいし食べるところが少なくて美味しいもんじゃないなぁ)」と思った。だが大人たちは丸ごと骨までバリバリと食べるのであり、「頭をガリッと囓ったときに柔らかいものがクチュッと出るのがたまらなく美味しい」などと言っていた。日本全国の大衆酒場でスズメ焼きを嬉しそうに食べていた人たちも同じように思ったのだろう。

先日、清水でヒヨドリの丸焼きをごちそうになった。有害鳥獣駆除の許可が出たので捕獲したそうで、ザルを地面に斜めに伏せて置き、その下に餌をまき、縁側に座って待っていてヒヨドリがザルの下で餌を食べ始めたら紐を引っ張ると、ザルを斜めにするためにあてがったつっかえ棒がはずれて、ヒヨドリがザルの中に閉じこめられるのだという。

そういえば和歌山で狩りをしていた友人が、ヒヨドリを撃つとその場で羽をむしり、砂肝を取り出して生で食べると最高に美味いと言っていたのを思い出した。

 あるとき大勢の会食で、血だらけの豚の頭がでたが、さすがにフォークをすすめかねて、私はいった。
「どうもこういうものは残酷だなあ――」
 一人のお嬢さんが答えた。
「あら、だって、牛や豚は人間に食べられるために神様がつくってくださったのだわ」
 幾人かの御婦人たちがその豚の頭をナイフで切りフォークでつついていた。彼女たちはこういう点での心的抑制はまったくもっていず、私が手もとを躊躇するのをきゃっきゃっと笑っていた。
「日本人はむかしから生物を憐れみました。小鳥くらいなら、頭からかじることはあるけれども」
 こういうと、今度は一せいに怖れといかりの叫びがあがった。
「まあ、小鳥を!あんなにやさしい可愛らしいものを食べるなんて、なんという残酷な国民でしょう!」
 私は弁解の言葉に窮した。(竹山道雄『ヨーロッパの旅』新潮文庫より)

最近の若者を中心に考えた日本の食文化は、竹山道雄(『ビルマの竪琴』を書いた人)が唖然とした西欧人の肉食の思想にどんどん近づいており、「まあ、小鳥を!あんなにやさしい可愛らしいものを食べるなんて、なんという残酷なオヤジでしょう!」と思うようになっているのかもしれない。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 6 月 26 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【カッコの仕組】

【カッコの仕組】

言葉をカッコでくくるのは、答えが整数で出てこない数字を便利なルート記号でくくることと同じなのだろう。

みんなおなじ人間の中から、この私を指し示そうとする累乗根がカッコつきの「私」であり、そういうカッコで括られた私たちみんなの中のさらなる三乗根が二重カッコつきの『私』である、という累進構造になっている、と言えた気になるカッコは便利だ。

私や時間や貨幣などのよく似たものの、うまく言葉で言い切れないモヤモヤした嘘っぽさを、カッコでくくって言い捨てようとするからカッコはとめどない。

はて、〇〇を4分の1乗するってどういう意味だっけ…と思い、高校生向けの数学ゼミをネット記事で探し、ああこういうのが苦手だったな、と読みながらふと思う。

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【花が降る午後】

【花が降る午後】

「星が降る夜」などというロマンチックな言葉がある。

満天の星空など人生で数度しか見たことがないけれど、言葉を失うくらいに綺麗だとは思っても、星が降るようだ、なという形容がピッタリと感じたことはないし、流星雨の夜に星が流れるのも見たけれど、それもまた星が降るようには見えなかった。

春が来て、雨期が来て、木々が葉を広げ、日ざしが木漏れ日として地上に射し込むような季節になった。


Data:MINOLTA DiMAGE 7

立ち止まって頭上をぼんやり見上げていると、細かいゴミくずのようなものが地上に向かって間断なくはらはらと舞い落ちているのが見える。地面に顔を近づけたり、手のひらで受け止めたりしてみると、それは遙か上空の梢で、木々が開花した花を降らせているのだ。

蒸し暑い6月になると、六義園の散歩は、日向より鬱蒼たる雑木林の小径を歩くほうが気持ち良い。
地面一杯に極小の花が散り敷いている場所があり、立ち止まっていると、あっという間に髪の毛の上にも肩先にも、小さな白い屑が降り積もる。


Data:MINOLTA DiMAGE 7

トウダイグサ科アカメガシワ属の『アカメガシワ』は雌雄異株の樹木であり、六義園のこの場所では雄花がはらはらと花を散らせているのである。

非常に著しい成長を示す木で、あっという間に大きくなるかわりに寿命が短いそうで、そのせいもあって、こんなに激しく生殖活動をしているのかもしれない。

生殖活動で放出される物質を全身で浴びるなどという行為は、少なくとも同性ではぞっとしないことなのだけれど、植物が放出する香気に触れたり、生気を感じたりすることには、ちょっと恍惚とするような快感があって不思議だ。木々の合間を漂うねばねばとした空気感に包まれて微睡(まどろ)みたくなることもあるけれど、それは太古の昔に森で暮らした祖先の記憶が残っているからかもしれない。


Data:MINOLTA DiMAGE 7

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 6 月 24 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【1968年のビンボール】

【1968年のビンボール】

1968 年 9 月 18 日、甲子園球場の阪神-巨人戦。
その年はまだ中学 2 年生で、静岡県清水市旭町にあった母が営む飲み屋、店舗兼用住宅 2 階のテレビでそれを見た。

ピッチャーのバッキーが左打席に立った王選手の頭めがけてビンボールまがいの球を投げた。

自宅の和室で王選手に日本刀を素振りさせて一本足打法を完成させた(そんなドキュメンタリーを見た記憶がある)鬼の荒川コーチが激怒してグラウンドに飛び出し、バッキーに飛びかかろうとしたらスパイクを履いた足で顔面を前蹴りされるという前代未聞流血の乱闘騒ぎがあった。

中学 2 年生はひどく驚くとともにプロレスよりもっとリアルな流血を見て興奮した。

当時はそろそろアンチ巨人に転向しつつあり、テストを受けて阪神に入団し、思い切りの良いピッチングでぐいぐいのし上がったバッキーも憎からず思っていたのだけれど、いかんせんひどいと思い
「この野郎!なんて事をするんだ!」
と怒ったりもした。国民全員怒ったんじゃないかと思うけれど熱烈な阪神ファンはそうでもなかったのだろうか。

当時はモノクロテレビだったのに血が真っ赤だった記憶があり、そういう流血のプロレスを見てショック死した人もいた時代だった。血を見てあまりに興奮したせいかその試合結果を覚えていない。もしかすると大乱闘のせいで放送時間が足りなくなって最後まで試合中継がなかったのかもしれない。

その試合の結果がどうなったか、インターネットで検索して思い出の試合について語られた掲示板を読んで意外なことを知り、それを何年か前に自分宛にメモ送信しておいたのを見つけた。

血だらけになった荒川コーチは何針も縫う大けがだったので当然のこと、暴力をふるったバッキー投手も退場になる(実はバッキーもこの乱闘で利き腕の親指を骨折し、選手生命を短くしている。痛ましい)。ドラマはそれで終わらず、なんとリリーフに出てきた権藤投手が今度は本当に王選手の頭にボールをぶつけてしまい、球場は再び騒然となる。

そういうお膳立ての整った場面で必ず登場した運の良い男がいわゆるひとつのミスターこと長嶋茂雄であり、予想通り絵に描いたような3ランホームランを放ち、見事荒川・王師弟の敵(かたき)をとったのだという。

ここまででかなり感動してしまったのだけれど、ドラマは急に終わらない。

なんとマンガ『巨人の星』にはまだその試合の続きがあり、長嶋の3ランホームランによるリードを守って逃げ切るために、巨人は抑えに星飛雄馬を投入するがビンボールまがいの大リーグボール一号を投じて、また球場内が騒然となる異様なムード。そこに登場した大金持ちの色男が代打花形満。彼が大リーグボール一号をこれまた見事にホームランして幕切れになるのだという。

「知らなかった!」
とひどく感動してメモをメール送信し、数年後の昨日、ポケットに入るコンピュータの中でそのメモを見つけて
「そうだった忘れてた!」
と数年ぶりに感動を新たにした。「知らない」と「忘れている」は限りなく近い。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 6 月 22 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【意味ありげ】

【意味ありげ】

世界は意味ありげなもので満ちあふれている。

人が構えて意図的に物を見るとき、網膜上に切り取られて映し出される映像の切り取られ方こそ「意味ありげ」なのだけれど、それに加えてショーウィンドウのガラスなどが間にあると更なる反映で「意味ありげ」が重なり、重ね合わされた「意味ありげ」が重層された合成映像はさらに「意味ありげ」を増していく。


Data:SONY Cyber-shot W1

繁華街を歩くと目の端に次々に「意味ありげ」があらわれては消えていく。こういう重層した「意味ありげ」が連続する世界に身を浸して「意味ありげ」な思索に耽るのが好きだと、都会に酔ううちに中毒になる。都会は人を「意味ありげ」なものに溺れさせる装置であり、「意味ありげ」を過剰な快感と感じるのは一種の病気だろう。

ただ単に「意味ありげ」なものからむりやり意味を読みとろうとするのは疲れる。「意味ありげ」はただひたすらに「意味ありげ」だからこそ楽しいし、これは大いなるメッセージである!などという冗談も許されるのである。

「意味ありげ」に名前と注釈と価格をつけて羞恥心を取り除いたものが、「作品」と呼ばれるものの実体である。実は「意味ありげ」な「作品」の原点は誰にでもある視覚による原始的創造行為なのであり、すべての人の網膜上で常に上映中なのである。


Data:SONY Cyber-shot W1

「意味ありげ」は都合良く綺麗なので、こうして「意味ありげ」を見て、「意味ありげ」な写真を撮り、「意味ありげ」な日記に「意味ありげ」な事を書くのも、重層する「意味ありげ」な世界の隘路にはまって重層化に荷担しているのであって、それはきっと病気なのでほどほどにしようと思う。

写真は『東京国立近代美術館フィルムセンター』界隈にて。

( 2009 年 3 月に閉鎖した電脳六義園通信所 2004 年 6 月 22 日、18 年前の日記に加筆のうえ再掲載。)

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【蘇生と起床】

【蘇生と起床】

早朝に目が覚めて時計を見たら外は明るいけれどまだ5時だ。朝食のしたくをはじめるまであと1時間半は眠れるな、と思ったとたん「眠りたいのに眠れない」が始まる。(文字数77)

目が覚めるのは死んだ人間が奇跡的に蘇生するのに等しい。だから、生き返った自分をもう少し眠らせておこう、と思うほうがおかしい。目が覚めたらありがたく起きる。(文字数77)

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