▼旧丹羽家蔵

東京都豊島区駒込三丁目。
国の登録有形文化財建造物に登録された旧丹羽家蔵の改修工事が終わったらしい。



<旧丹羽家>
 駒込の染井地域は、江戸時代から植木の一大産地として知られ、植木職人が多く集住した地域だ。旧丹羽家は、天明年間(1780年代)から明治後期まで染井を代表する植木職人として活躍し、代々茂右衛門(もえもん)を襲名した。造り菊、石菖(せきしょう)、蘭、ツツジなどを得意とし、津藩や尾張藩などの大名屋敷に出入りするなど厚い信用を得ていた。8代目茂右衛門(明治29年生まれ)の代で植木屋をやめたが、地域の地主として知られた旧家である。
(豊島区の報道発表資料より)



<蔵の概要>
名称…旧丹羽家蔵
登録種別…国有形文化財(建造物)
所在地…豊島区駒込三丁目12番8号
所有者…豊島区
構造・形式…
 桁行:5.454メートル・梁行:4.545メートル、鉄筋コンクリート造 地上二階地下一階、桟瓦葺、切妻
建築面積(一階床面積)…24.78平方メートル
建築年代…昭和11(1936)年建築
登録基準…「登録有形文化財登録基準」の「二 造形の規範となっているもの」に該当する。
<特徴>
 旧丹羽家蔵は、8代目茂右衛門が建てた、鉄筋コンクリート造りの蔵。内装、外装ともに当時の建築の特徴をよく表わし、職人の丁寧な仕事ぶりや建築主のこだわりがうかがえる。築70年以上が経過しているものの、保存状態は良い。関東大震災後に急速に進んだ東京山の手地域における旧家の住宅蔵の事例として貴重である。
(豊島区の報道発表資料より)



近代的な蔵らしく金庫のような施錠方式らしい。
東京日本橋市川商店製作と書かれている。

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▼若葉の頃

東京都文京区本駒込二丁目。
日本医師会玄関脇に植えられたクスノキの芽吹き。
樟脳がとれることから「薬(くす)の木」が語源だという説もある。

かつてマンションの廊下を挟んだ向かいに白髪の男性が暮らしておられ
日本医師会の会長を務めている間だけ
勤務先にほど近いマンションに寝泊まりされていたらしい。
当時は小泉内閣「聖域なき構造改革」の渦中で激しくやり合っていた時期であり
テレビで見る険しい表情の人が
毎朝廊下やエレベーターで顔を合わせる度に
きちっと挨拶をされるおだやかで腰が低く礼儀正しい人であることが意外で
人間偉くなったらこうでなくちゃと妙に感心したものだった。



会長を退かれると同時にどこかへ移って行かれたが
白髪に黒いスーツを着込み、分厚い書類らしき風呂敷包みをさげて出勤される姿を
今でも懐かしく思い出したりする。

紅い若葉はやがて緑色に変わり、若葉の芽吹きを見届けて
去年の葉は一斉に落葉する。

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▼黄色の季節へ

桜が満開になり、やがて散り始めるとなぜか
町を歩いていて黄色い花が目につくようになる。



石垣から身を投げかけるように咲くヤマブキ。



こちらはレンギョウだろうか。

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【清水目玉焼2008…2 高校三年生】

【清水目玉焼2008…2 高校三年生】

静岡県清水旭町。

旭町飲食街はずれ、清水商工会議所右隣、焼き肉の「錦江苑」斜め前、神戸燃料店向かいあたりにできた純喫茶「シャンゼリゼ」前の夕暮れ。


純喫茶「シャンゼリゼ」は家に最も近い喫茶店で高校時代一度だけデートの待ち合わせをしたことがある。
と言っても貸したレコードを返して貰っただけだけれど。

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▼染井のペンペン草

日本各地から桜開花の知らせを聞く頃は
町を歩くとあっちでもこっちでもいろんな花が
この時を待ちかねたように咲いていることに気づく。



桜が開花する頃は他の花も合わせるように開花する頃合いに当たるのか、
桜騒ぎに多少倦んできているせいで他の花に目が行くのかはわからない。

確かなのはペンペン草だって“生えている”のではなく“咲いている”。

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▼染井吉野と駒込小学校

旧上駒込字染井の鎮守、染井稲荷神社前の染井吉野が満開になった。



豊島区立駒込小学校の大時計に染井稲荷神社前の桜が映り
時計の針は午後4時を指している春休み。

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【清水目玉焼2008…1 江尻船溜】

【清水目玉焼2008…1 江尻船溜】

静岡県清水島崎町、江尻船溜1970年早朝。

登校前の早朝に自転車に乗って写真を撮りに出かけることが多く、清水魚市場前に停泊中の船を撮った写真。


港の中に溜まったゴミやヘドロなどをさらう作業をする浚渫(しゅんせつ)船がまだ薄暗い朝方からしきりに船の中のものを船溜内に投下して水しぶきを上げていた。
浚渫とは逆の作業をしているのが不可解でありささいなことだけれど38年経った今も何をしているのかが不思議だ。

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▼染井の猫

六義園染井門前を通り
染井吉野発祥の地、染井の里の染井銀座商店街に
買い物に出たらあちらこちらで染井吉野が満開だった。



満開の染井吉野の下に座って
上空を見上げている猫。



桜の花を見ているわけではないかも知れないけれど
桜の木の下なのでどうしても
猫も桜に見とれている……と思えてしまう。

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▼柳と山下清

昨夜NHK・BSハイビジョンで2時間の山下清ドキュメンタリーを見たが
山下清はすごいなぁと改めて思う。



たとえば柳の木のある風景を描こうとして先に丹念に柳の木を描いてしまったら
そのあとから無数の枝の隙間に背景を描くのは大変なのだけれど
山下清はそういう作業も丹念にやっている。ただただ凄い。

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【ちんちん電車65号】

【ちんちん電車65号】

友人の指摘で気づいたのだけれど、フェルケール博物館野外展示場のちんちん電車65番車両の現役の姿が高校時代に撮った写真に写っている。

新清水駅始発前ではなく働いている最中の写真がないかと探したら横砂駅を港橋へ向けて発車していく65号の後ろ姿があった。


友人のブログに掲載されている写真と「港橋-横砂」の看板の位置が違うが、真ん中と右端とどちらにも掲げられるようで、進行方向先頭部分の看板は真ん中、車掌のいる後部は右端に掛け替えるという芸の細かいことをしていたのではないだろうか。

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【相生町交番2】

【相生町交番2】

静岡県清水相生町。

静鉄新清水駅脇から始発時刻近くになると路面電車が出てくる。
その出口右脇は相生町交番だったような気がしていたのだけれど、なんと右脇は静鉄タクシーだったらしいと21日の日記に書いた。


路面電車出口と相生町交番の間に、ちょっと奥まって静鉄タクシーが見える写真があって、やっぱり記憶から欠落していたのだった。

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【トロッコ橋】

【トロッコ橋】

久しぶりに旧坂政合板のトロッコ橋を渡ったのでムービーに撮ってYouTubeにアップロードしてみた。



●YouTubeでトロッコ橋を渡る

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【 1971 年の相生町交番】

【 1971 年の相生町交番】

静岡県清水相生町。

静鉄新清水駅脇から始発時刻近くになると清水市内線の路面電車が出てくる。



その出口右脇は相生町交番だったような気がしていたのだけれど、なんと写真を見たら右脇は静鉄タクシーだったらしい。
自分の記憶がひどくいい加減になっていることに気づく。

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【迷い込んだ町で】

【迷い込んだ町で】

静岡県清水の 1971 年。

古い写真というのは 35mm 版スリーブの形で、ネガが残っていると前後関係で場所が特定しやすいのだけれど、隣り合ったコマなのに撮影場所が飛んでいると、やはり見知らぬ町に迷い込んだようになってしまう。



明治牛乳の販売店に何となく見覚えがあるのだけれど、でもあのあたりは直線道路じゃなかったかな…と首をかしげ、超広角レンズの大げさな写り方の癖を考慮すると、おそらく村松の『ウィンダーランド』のある角ではないかと思う。

ローカルな話しだ。

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【清水市公会堂と花菱デパートの観覧車】

【清水市公会堂と花菱デパートの観覧車】

静岡県清水、清水橋上から眺めた国道 149 号現さつき通りの 1971 年。

花菱デパート屋上遊園地の観覧車も見える。


画面中央左側で一際高いのが公会堂。
この写真を撮影した頃はすでに公会堂の役目を終えていた。

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