【誤植と神様】

【誤植と神様

外山滋比古(とやましげひこ)さんの鼎談を読んでいたら、校正紙を読まずに文字組の表層を見て「これ誤植だ」と指摘する職人を
「こっちは読んでなお誤植を残すのに、読まなくとも見えるんだから、神様だ」(『ことばについて考える』講談社学術文庫)
と感心されていた。

これはちょっと違うのだ。僕も外山先生が書かれた本を読むけれど、内容が難しくてよくわからなくても誤植を見つけることがある。最近はコンピュータを用いた文字認識によるタイポグラフィカルエラーが多く、意味がまったく違うのに図形的によく似た漢字が混じっているケースではベテラン校正者も見逃しやすい。

2023/03/29 戸田市上戸田
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内容を読んでしまうと文脈に流されて文字という図像レベルの異変に気づかず、内容が理解できる人は誤字も印刷の不鮮明も気にせず自動修正で読めてしまうのだ。誤植に気づかず内容を理解してしまう外山先生の方が神様なのである。

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【いれこの虎】

【いれこの虎】 

2023/03/29 戸田市上戸田
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いれこと、いりこと、はりこは似ている。
ひと回り小さいものを順順に入れる「いれこ」と、
小魚を煮て干した「いりこ」と、
紙を貼り重ねたはりぼての「はりこ」は、
実体としてはまったく別物だけれど、
言葉としてはよく似ているので、
「はりこの虎が、順順に中ヘと入りこんだ、いれこの虎」を、
人は思い浮かべることができてしまう。

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【次郎長と Shizutetsu 】

【次郎長と Shizutetsu 】

令和5年度 次郎長翁を知る会 春の史跡探訪 の一行が、次郎長に縁があった人々に関する史跡を訪ねるツアーで上京した。東京下町をまわったあと、最後に駒込吉祥寺にある榎本武揚の墓参りをするという。目と鼻の先なので出かけて行き、ご挨拶を兼ねてミニガイドをした。

2023/03/29 吉祥寺
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榎本武揚が揮毫(きごう)した次郎長の墓は、多摩石を船で清水まで運んだものだという。ツアーの手づくりガイドブックにあったその話にひっかけ、吉祥寺で先の大戦の戦火を免れた建造物のひとつである経蔵前に案内し、この建物の礎石は船で運ばれた伊豆石であり、清水で蔵などに使われて珍しくもない伊豆石を、この時代わざわざ船で運んだのは珍しいことなのだという話をした。

2023/03/29 吉祥寺
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数十分の滞在ののち帰途につかれたが、出発前の駐車場で高齢男性が話しかけて来られ「静岡からいらしたんですか」と聞くのでそうだと答えたら、「私も静岡出身でこの辺りに住んでるんです」と笑顔で言う。Shizutetsu の文字にひかれて懐かしかったのだろう。

2023/03/29 吉祥寺
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【桜と恐竜】

【桜と恐竜】

戸田公園駅から中山道の裏通りを元蕨(もとわらび)方向に歩いたら道路脇にアロサウルスがいた。

2023/03/29
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戸田市立児童センター こどもの国にある彫刻群のひとつらしい。

2023/03/29
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元蕨第二公園の桜も満開で、青ざめた恐竜ですら浮かれ出る春の日である。

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【まちの思い出】

【まちの思い出】

中学校の一年先輩が町おこしのため、清水エスパルスドリームプラザ駐車場で月2回ひらかれる朝市の世話人をしている。早起きして集う人たちの話の種になればと、趣味のミニコミ新聞づくりを手伝っている。歳を取ったらこういう道楽をしてみたいと思っていたので楽しい。

通巻3号〜6号

かつて旧清水市が作って市民に配った本『まちの思い出』のタイトルを勝手に引き継いだ月刊紙で、半年続けたので通巻6号になった。こんなものでも楽しみにし、早起きしてもらいにきてくれる人もいると聞いて嬉しい。

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【ことばの採集帳】

【ことばの採集帳】

文字を読んでいると、ことばの世界の枠が壊れて入ってきて、混ざり合ったところに化学反応のようなものが起こることがある。自分にことばへの反応があったのは「なぜだろう」と考える前に、衝動的なメモをとる習慣をつけて数ヶ月経った。そういうメモをあとで読み返してみると、やはりこころが振動するのでおもしろい。

今朝の衝動的抜き書き。

「カナダで暮らしているころ、大停電に見舞われたことがあった。次の日の新聞に、植物(天井からつるす盆栽)があるかぎり、私は淋しいことはありません、という老女の感想があった。」(鶴見俊輔)

「〜があるかぎり、私は淋しいことはありません」というこころの持ち方に、ひどくひかれるところがあるのだろう。

抜き書き帳をつくるようになる前の読書で、京都の高名な僧の遺品として「大切にしていた石」が小箱に入って残っているという話を読んで感心した。人は植物の中にも石ころの中にもこころの持ち方で入ってしまう。その僧はどこの誰だったか思いだそうとしてもメモがないのでわからない。

子どもの頃からいつもポケットに入れていた石があって、受験で上京するときも右ポケットにあった。何があってもその石さえあればなんとかなる気がする魔法の石だったのだけれど、大学の夏季休暇で帰省したとき、夜の清水港岸壁から遠くに投げたのでもう戻らない。

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【一から万へ】

【一から万へ】

「一犬嘘に吠えて万犬実を伝う」という諺があるというのを初めて聞いた。「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」「一犬形(かたち)に吠ゆれば百犬声に吠ゆ」「一人(いちにん)虚を伝うれば万人(ばんにん)実を伝う 」とも言うそうで微妙にニュアンスが違う。

発信元は常にひとつである。それがその他大勢に伝わっていく仕組みは犬でも人でも変わりがない。そういう伝わり方という仕組み自体は禁じ得ない。

DATA:iPone 5

犬と人とが違うのは最初の発信者が「嘘(うそ)」と知っている可能性が人間にはあるということだ。元の発信者がまぎれもない確信犯的嘘つきで、ふたり目の発信者にとって内容が「嘘」であっても「 A がそう言うのを確かに聞いた」という事実だけは本当のことだからだ。そういう小さな胸の張り方で嘘は拡散する。

「俺が言ったんじゃない、 A がそう言うのを聞いたから自分もそう言っただけ」と胸を張るような第二の伝達者にだけはなるまいと子どもの頃から思ってきた。そういうタイプの嫌な奴が身近に必ずいたからだ。一から万への橋渡しにならない二番目の理性が大切なのだろう。

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【クモとトカゲ】

【クモとトカゲ】

人はなにかに集中すると、なにかに自分自身を融け込ませ、なにかと合わさることができる。これは人間に与えられた素晴らしい能力だと思う。手回しオルゴールのロール紙に穴を開けているときの妻は、下書きする楽譜のオタマジャクシや穴あけパンチャーやロール紙そのものになっているように見える。

自分もまた幼い頃から、なにかに没入し、なにかに融合し、なにかとひとつになって、日が暮れることに気づくまでひとり遊びできる手間のかからない子どもだった(母親談)。そういう集中し融合した何か、本や、落書き帳や、画材や、ラジオや、写真機や、身近な自然はもっとも古い友だちであり、人生においてそれら友だちにいつも助けられてきた。

DATA : Nikon COOLPIX P7800

鶴見俊輔がハーバート・リード『緑の子』(『緑のこども』)の話をひいている。老いて引退を望む主人公は長老にクモかトカゲかどちらかを選べと言われ、クモを選んで洞窟にこもる。

長老によると、心は自分以外のものを見ていないと、正気を失うということで、それからクモを友として暮らし、やがて息絶える(鶴見俊輔)

そのあとフランクル『夜と霧』のアウシュビッツ収容所内で外の世界を眺め「あの木が私だ」と言いながらいきいきと日々を過ごした老女の話をして鶴見俊輔は随想を結ぶ。自分がクモになるのではない。向き合うことでクモに融合せよと言っている。クモでもトカゲでもいい、人以外のなにかを友としての融合こそが人間の正気を護る。

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【クリエンテル】

【クリエンテル】

「常連」の二文字に「クリエンテル」とルビが振られているので元になる言葉のスペルを検索したら clientele で「クリエンテル」以外に「クリアンテル」や「クリヤンテル」の日本語読みが見つかる。

client を「クライエント」と読むと心理療法の依頼人をさす福祉用語、「クライアント」と読むとサーバーから情報を受け取る側をさすコンピュータ用語になる。通例的にそうなると書かれているので一般的にそうなっているのだろう。

鶴見俊輔は蒸留された人間の認識を味わい分けることのできる人の集まりを「常連」と呼んでいるので確かに「クリエンテル」とルビを振りたくなったのだと思う。

DATA : LUMIX DMC-G5 G 25mm F1.7

小学校を卒業して中学受験戦争を勝ち抜いた優等生の集合にはそういう「クリエンテル」が少なかったと言い、「クリエンテル」の見方からすれば個人主義と全体主義など表裏一体であって、各個人の生命を守るのが第一義という軸において「ホッブズをひっくりかえしたルソーのほうが全体主義に近い」という。そういう話に帰結していく言葉さばきがおもしろい。

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【新書のことば】

【新書のことば】

古本として買ったらしい岩波新書があって、いつどこで買ったかの記憶がない。くたびれた本文の最後に値札が貼られて剥がされた跡があるので、何度か人手に渡って「100円」のワゴンに並んでいたのかもしれない。自分で買った本が本棚の隅で自分に再発見され、あらためて読んでみたら良い本だった。

言語学者だった川本茂雄(1913 - 1983)の『ことばとイメージ――記号学への旅立ち』という本の初版で、刊行日は 1986 年 2 月 20 日になっている。調べてみるとこの新書は今日現在も新品が手に入る。

私たちの日常生活のなかでは,ことばをはじめとするさまざまな記号が重要な役割を演じている.記号学こそあらゆる学問の基礎の一つであるとする著者が,記号学的な考え方のもつ意味と面白さを縦横に語る.著者は,本書の中心をなす連続講演の数か月後に急逝,本書は後学の人びとの手によってまとめられた.(編・解説=池上嘉彦)

早稲田大学での講演録ということで非常に読みやすい入門書になっている。自分の学生時代にこういう本があったら記号学の授業にも理解が進んで、もっとましなレポートが提出できたのに、と読んでいて思った。

2023/03/23 六義園
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言語学から記号学や詩学へと興味の重心を移していかれたという著者の語り口がとても好きだ。そもそも言葉で言い表しにくいことを平明な言葉で伝えようとする努力は読者の理解を助ける。そういう誠実な語りかけは古びない。

向かい合うようにして読めることに感心したので同じ著者が一般向けに書いた新書と文庫を選び、『ことばとこころ』(岩波新書 1976 年)、『ことばの色彩』 (岩波新書 1978年)、『ことばについて考える』(講談社学術文庫 1979 年)の 3 冊を古書で注文した。

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【坂道の英会話】

【坂道の英会話】

東京静岡間を往復する新幹線車内が外国人観光客でいっぱいだった。春分の日の六義園に殺到した人びとの中にも外国人が多い。地図を手にして困った顔をした外国人観光客が坂の途中にいて「来るな……」思ったら来た。

旧古河庭園に行きたいと言うので「ごーだうんでぃす……」と言ったところで、坂道ってなんて言うんだっけ「すろーぷ」じゃないよな……とつっかえていたら、「わかった、まっすぐ行ったら左だね」と英語で言うので「いえす」と答えた。

2023/03/18
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あとから思えば「ひる(hill)」をごーだうんして「いんたーせくしょん(交差点)」からもう一度「ひる」をごーあっぷした先の左なのだけれどうまく言えなかった。うまく言えなかったと妻に言ったら
「清水の松本英語塾仕込みでもだめだったか」
と笑われた。

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【春彼岸】

【春彼岸】

テレビに映し出される各地の JR 駅前はどこもみな似ている。似ている主要駅駅ビルには東京の店舗がセットで移植され、都会資本による地方都市の植民地化が進んでいる。

2023 年 3 月 20 日、コロナ禍が始まって以来ひかえていた夫婦揃っての墓参りを再開した。新幹線で静岡駅に降り立ち、しずてつジャストラインバス北街道線清水駅前行きが静岡駅前を 10:25 に発車するまでの 23 分間に、急いで墓にそなえる花を買わなくてはいけない。至近の花屋をネット検索したら都内の主要駅で馴染みの花屋が静岡駅ビルに入植していた。

2023/03/19
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清水区大内、保蟹寺(ほうかいじ)の白木蓮は咲き終わり、大内観音霊山寺参道の桜はうっすら色づいていた。

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【曜変天目】

【曜変天目】

招待券をもらったので丸の内の明治生命館1階にある、静嘉堂(せいかどう)文庫美術館展示ギャラリーに「お雛さま―岩﨑小彌太邸へようこそ」という展示を見に行った。

小さなお雛さまのために用意された極小の小道具を見て妻は「わあ、かわいい!」と言う。一寸法師がお椀の舟に箸の櫂で京に上ったお話のように、小さいものに込められる愛は小さいがゆえにどこか切ない。

2023/03/19
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世界に三個現存するうちのひとつだという国宝「曜変天目」も小さく見えた。あらかじめ思い描いたものの現物が小さく見えることは人に特別な感情を呼び起こす。

ルーブル美術館でモナ・リザの現物を見たときも、幼少期を過ごした家から引っ越すときの空っぽになった部屋も、卒業式後に忘れ物を取りに行った小学校教室の机にも、小さく見えることによる悲しみがあった。人の背中が小さく見えるときもまた悲しく、去り行くものは大きくても小さい。

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【犬の眼力】

【犬の眼力】

昨年末、すずらん通りの文房堂で見つけた外国製の犬のカレンダーが自宅トイレに下げてある。腰を下ろして壁を見ると月替りの犬たちと目が合う。犬の眼差しは引き込むように人を誘う。

犬の視力は人間で言ったら 0.1 ~ 0.2 程度しかないという。郷里清水で母親が飼っていたミニダックスは薄明かりの室内で宙を見上げ空中を飛ぶ小バエを目で追っていた。よくあんなものが見えると感心したけれど、犬は低光量下でものを識別する能力と動体視力に優れているらしい。

のちにその犬は失明することになるので、視力が薄れていく中で聴覚が研ぎ澄まされたということもあるかもしれない。
「小バエを目で追ってひとり遊びしてくれると遊んでやる手間いらずでいいね」
と言うと
「良かないよ、目の前に来るとパクッと食べちゃうんだよ」
と母は苦笑いしていた。

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【タマちゃんも一年生】

【タマちゃんも一年生】

2002年8月、多摩川に現れたオスのアゴヒゲアザラシは「タマちゃん」という愛称でマスコミを賑わし、2002年新語・流行語の年間大賞にも選ばれた。もう二十年も前の話になる。

2023/03/17 埼玉県戸田市本町
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そんなこともあったなと懐かしく思い出しながら、なぜ多摩川の「タマちゃん」を使った交通安全啓発看板が蕨警察署管内の埼玉県戸田本町にあるんだろうと思い、調べたら 2002 年 8 月に 多摩川で発見されたのち、鶴見川、帷子川、大岡川、 帷子川、中川と川を渡り歩き、2003 年 4 月にはここ荒川で目撃され 2004 年 4 月 12 日で情報が途絶えている。

発見当時の「タマちゃん」は 1 歳前後と推定されるそうなので、存命なら昨年タマちゃんも新成人になっているはずだ。

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